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7.二月騒動・1272

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 月は見えるが、夜天は雲が多く星は殆ど無い。
 地の底は闇が支配し空気まで濁っているかのようであった。
 虎猿は数歩進むと、スッとその身を沈めた。
 六尺《約一八〇センチ》を超える破格の肉体がまるで蜘蛛《クモ》のような形をとった。

(似たようなものだ――)

 と、虎猿は思う。彼の家業は簡単に言ってしまえば銭をもらって戦うことだ。
 殆どは簡単に殺せばいい。
 さて、生きたまま捕まえるのは、いつ以来だったかと、虎猿は記憶を手繰る。

(ああ、あのときは昼だったか……)

 一瞬だけその思いを浮かべた。そして意識は闇の向こうの敵に向かう。
 虎猿の気配は錆びた鉄塊のように、闇の中に沈んでいった。

        ◇◇◇◇◇◇

 一二七二年(文永九年二月)――
 鎌倉。
 三方を山に囲まれ、海に面した都市。
 自然の城塞都市であるともいえる。
 武家政権の府であり、柵により内と外が区切られていた。
 中央を「若宮大路」が貫く。
 武士の精神的支柱ともいえる「鶴岡八幡宮」と由比ガ浜を繋ぐ大通りだ。
 京にも負けぬ活気があり、多くの人が行き交う。また、車大路といわれるように荷車の往来も少なくない。

 中心街には様々な品を扱う店もある。また、金融業者としての「貸上」も軒を並べる。
 膨大な宋銭の輸入が、中世日本の経済を支えていた。

 ただ、貧民も溢れかえっている。鎌倉「外」や橋の下には乞食、流民が住み着いている。
 放置された死体を見ることも珍しくは無い。それが、中世の都市であるということだ。
 死と貧困はそこらに、当たり前のように転がっている。

 騒動はまず、この鎌倉で起きた。
 元・高麗の侵攻を受ける二年前のことである。

「名越時章《なごえ ときあきら》に謀反の疑いあり、出てこられよ」

 鎌倉の中心部に位置する名越時章の屋形では、北条得宗家の直参《SS》である御内人と名越時章の配下の者が対峙していた。

「全く身に覚えのないこと」
「であるならば、出てこられよ」
「何かの間違いであろう」

 弓矢沙汰《戦闘》寸前まで緊張感が満ちていく。
 鎌倉の「内」での大騒動はまずい。
 火が出れば大変なことになってしまうが、そのようなことを気にかけるような連中ではないのだ。

 店で酒を飲んでいる御家人が、店から野良犬を射った。戯れである。
 それが外れた。
 外れた矢が道の反対側の店に飛び込み、そこで飲んでいた御家人の近くに突き立った。
 それがきっかけで、家同士の内戦寸前までいったこともある。
 幕府の介入でなんとか騒動を治めることができたのだか。

 ただ、今回は騒動の主体が幕府中枢で権力を掌握する北条得宗家なのだから、仲裁などは期待ができない。

 張り詰めた空気の中――
 ふらりと、乞食のようなボロボロの姿の男が前に出た。
 侍烏帽子もつけていない。蓬髪をそのまま、後ろで結わいているだけだ。
 ボロボロになり、肘まで見えるような「直垂だった物」を身に纏っている。
 何よりも異様なのはその目であった。
 直視するだけで、寒気のするような暗い双眸をしていた。

「連れて来ればいいのだろう?」
 
 虎猿は言った。まるで石を落とすような言葉であった。
 目の前の長刀、弓、太刀を構える武士たちなど存在しないかのように歩を進める。

(もう、気骨が折れているか)

 と、虎猿は声にならぬ言葉を口の中でつぶやく。
 虎猿には武士たちが身から発する「殺気」、「殺意」、「憎悪」、「怨念」、「害意」といった自分に向かってくるあらゆる「敵対心」というものが見えた。

 武士たちは得物を持ったまま固まっていた。

 虎猿は、飢えと寒さと死がへばりついた日々の中生きてきた。
 生まれ出て、気がつけばそのような世の中にいた。
 骸を漁り、泥をすすった。
 何でも喰らい、生きるためあらゆることをしてきた幼いとき――
 気がつくと、己にそのような物が見えることに気づいた。
 最初は意味が分からなかった。
 ただ、そのような物が見える相手からは逃げた。危険な気がしたからだ。
 それが、己に向けた「敵対心」、「害意」であることを知ったのは五歳くらいのときであろうか。

 「敵対心」、「害意」から逃げることで、虎猿は一〇歳まで生き延びた。
 己のもうひとつの力に気づいたのもそのころだった。
 闇の底よりも暗い色をした瞳は、他人の「敵対心」をへし折れた。
 技術でもなんでもない。
 ただ、相手を見るだけで、虎猿に向かってくる殺意は折れる。霧散する。消失する。
 闘争心の一切を失いでく人形となる。
 一種の「瞳術《どうじゅつ》」であったのかもしれない。
 
 虎猿は悠然と、歩き名越時章の屋敷に入った。
 女、子どもが怯え、片隅で震えていたが、興味も無い。ただ目に映った光景として認識しただけだ。

 奥の書院に名越時章がいた。

「なに用か?」

 腹の据わった重い言葉が名越時章の口から出た。
 
「ほう……」

 時々いる。
 己の前に立っても、気骨を折られず、耐えるものが時々いるのだ。

(なかなかの武篇なのであろうな)

 と、虎猿は思う。
 鎌倉でも有数の有力御家人である名越時章だ。
 その気骨も常人のものではなかった。

 しかしだ――
 だからといって虎猿のやることは変わらない。

「来てもらいたく――」
「承知」

 虎猿は屋敷の外に名越時章を連れ出した。
 御内人の前に、名越時章を立たせた。

「我が身にやましい事など何一つなし」
「口ではどうとでもいえよう」

 鎌倉の有力御家人である名越家と、北条得宗家の揉め事であることは虎猿には分かっていた。
 なにせ、御内人に同行せよと言ったのは、執権・北条時宗なのであるから。
 
「ほら、銭だ」

 御内人のひとりがポイっと銭差を投げた。
 虎猿は空中でそれを受け取った。
 九六枚の宋銭の穴に麻紐が通され、通し百文として通用する銭だ。
 今回の仕事の報酬であった。
 時宗からも同じ額の銭をもらっている。割のいい仕事であった。
 大きな騒動にはしたくないという思惑があるのだろうが、そのような細かいことに虎猿は興味がなかった。

「銭があればいい」

 飢え、寒さ、孤独――
 己は一体何者であるのかという思い。
 己はなにを持って生きるのか?
 忠誠か、土地を守るためか?

 人の敵意が見える自分に、忠誠心は持ちようが無い。
 土地持ちになることも興味など無い。

(銭でいい)

 銭があれば、飢えることも無い。
 とりあえず、銭さえあればいいのであれば、銭のために生きる。
 単純な話だった。
 銭のために殺す。極めて単純《シンプル》である。
 突き詰めて言えば、中世人の生き方、いや人の生き方として極めて正直で真っ当であったかもしれない。

 そして虎猿は、無言で屋敷を出て行った。
 長物を構えた兵たちが、すっと道を空ける。
 その気勢が揺れ、消し飛びそうになる。

(なるほど殿《時宗》が役立つとゆうたわけよ)

 御内人のひとりは、虎猿の肉で盛り上がった背中を見つめつぶやく。
 そして、凍りつくような視線を名越時章に向けたのであった。

        ◇◇◇◇◇◇

 鎌倉において、有力御家人である 名越時章・教時兄弟が殺された。
 また、六波羅探題にいた執権・北条時宗の異母兄《めかけ腹》である北条時輔も処刑された。
 両者とも、謀反の疑いがあったためである。

 しかし、その後、事件は奇妙な方向に展開する。
 名越時章は無罪であったとされたのだ。いわゆる冤罪である。
 この件は御内人の独断専行として、殺害を行った五人の御内人が処刑された。

 本当に独断専行であったのか?
 執権・北条時宗は下から突き上げる御内人、そして外部の政敵である有力御家人との力関係の仲、対蒙古防衛線を行う必要があった。
 そのため、不要な御内人の粛清。
 そして、九州に大きな所領を持ち、幕政に影響を与えている名越時章を消す必要があった。
 実際、無罪であったにもかかわらず、名越時章の九州所領は名越家には戻ってこなかった。
 所領は、安達泰盛、大友頼泰が守護となり、九州の対蒙古防衛の足固めが進められたのである。

 ただ、それに関わった虎猿には、その後の動きなどどうでもいいことであった。

 ずりっと、身体を前に這わせる。
 敵意、殺意の「気」が見え、気骨を折ることができるといっても、気づかれずに接近し、仕事は早く終わらせたかった。

 松明の焔で浮かび上がる異国の兵を見やる。

(あやつでよいか)

 捕虜とするならば、出来るだけ大物の方がよい。
 虎猿は、己が身の丈を上回るかという男に狙いを定めた。
 見えている気は、確かに並の物ではなかった。
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