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5.殺し合いはこれから

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 薄墨を流し込んだような曇天が低く垂れ込めている。
 西に傾いた陽がその周囲を血のような色に染め沈んでいくのが見える。
 玄界灘から吹く十月の風は、すでに冬の冷たさを感じさせていた。
 だが、その男の存在の方がもっと冷たく、全てを拒絶するかのようであった。

 生い茂った広葉樹林、高みから海岸を見下ろせる位置に三人はいた。

「助けないでいいのぉ。虎猿」

 伊乃が水密桃の唇を動かしていた。見る者の心の臓を掴むかのような美貌。
 大弓を肩にかけている。神事に使う梓弓などではなく明らかに実戦用の弓であった。
 長い黒髪が風に揺れていた。

「その分の銭はもらってない」
 
 視線だけを伊乃に向け、猿虎は言った。
 落ち窪んだ眼窩の奥にある眸《め》は、闇色だった。

 異様な姿だ。
 動物の皮をなめしたかのようなものをボロボロの服の上に貼り付けていた。
 ただ、乞食のようなみすぼらしさは一切無い。
 六尺を超えるその肉体と周囲に纏った氷のような雰囲気――
 そして、人が扱えるとは思えぬ大刀を身に帯びていた。

「そりゃまあ、道理であるなぁ」

 僧形の男が言った。
 破戒と名乗った男であった。
 焼いた鹿のモモ肉をほお張っていた。
 
 穴を掘り煙が外に流れないようにして焼いた肉だった。

「ワタシが仕留めた鹿だよ」

 伊乃が口先を尖らせて言った。
『この破戒坊主が』と、いう眼差しを送り伊乃は送る。

 破戒にとって、肉食など戒律の違反だと思ってもいない。

「仏陀とて肉を食っていただろうよ」

 と、軽く言葉を返す。 

「さて、戦はどうなっとるかね?」

 骨となった鹿肉を放ると、破戒は立ち上がった。
「ほぅ、これまた随分と―― 健気なことよ」

 眼下の海岸では、蒙古・高麗兵と、対馬・宋助国率いる武士団の戦いが続いていた。
 が――
 それも、もう終局を迎えているようではあった。
 破戒はちらりと、先ほどから戦いを見つめていた虎猿を見た。
 虎猿はただ、口元に暗い笑みを浮かべ、敵も味方も人が骸になり積みあがる戦いをジッと見つめていた。
 その目はまるで何かを確かめるような感じであった。

        ◇◇◇◇◇◇

「あはははは、血よ、この血の匂いこそ、戦の風、骸を重ねよ! 分捕れ! 首を狩れぇぇぇ!」

 宋助国は郎党に守られた騎馬上で吼えた。
 大鎧のあらゆる場所に、敵兵の短い矢が刺さっていた。
 短い弓であり矢であったが、その威力は至近距離では無視できるものではなかった。
 致命部《ヴァイタルパート》への貫通射は防いでいた。その点で大鎧の防御力は強靭といえるものであった。

 が、可動性を維持するために作られた隙間に何本かの矢を受けていた。
 鎧直垂の上には血が滲んでいる。
 顔は浴びた返り血が乾き泥のような色になっていた。

 その戦闘は「春日権現験記」にあるような「馳せ組戦」を敵に強要するものとなっていた。
 言ってしまえば、騎馬による機動性による「一撃離脱」の繰り返しであった。
 騎馬と歩兵が一団となった戦闘ユニットが個別に機動。
 独断専行により長距離攻撃、肉薄突撃、離脱を繰り返し、敵を翻弄するものであった。
 
 高い初速の征矢が、高麗兵の戎衣を貫き、矢先を背中に出現させる。
 羽の角度によりジャイロ回転している矢は、高麗兵の肉と内臓を無慈悲にかき混ぜる。
 悲鳴すら上げることもできず、永久に口を利かなくなる貧民高麗兵。

「倭にいければ、いい目が見れる――」

 その兵の言葉は途中で止まった。口の形が「う」のまま、脳天を長刀で叩き割られ、間欠泉のように真っ赤な血を噴出す。

 高麗政権の無為無策というより、思慮の外にあった貧民兵たちは、次々に血を流し、地に伏せる。骸が砂浜を埋めていく。

 宋助国は、四メートル近くもある長刀を馬上から振り回す。
 轟――という、信じられない風斬り音が響いた。
 刃の軌道上にいた、高麗、蒙古の兵、三人を斬った。
 腰から上を無くした下半身三体が、よろよろと倒れる。
 上半身は我が身に何がおきたのかも分らず、驚愕の表情を浮かべたまま骸となった。

「鼻削ぎは後でいいわッ!」

 宋助国は、郎党命じる。
 最初は首を集めていたが、あまりに獲り放題すぎて、どうにもならなくなってきた。
 それで、鼻を削いでいたのだが、その時間すらなくなりつつあった。

(勝っておる。戦には勝っておるが……)

 と、騎乗で長刀を振るいながら、宋助国は思う。
 戦闘中にも海岸線には続々と、蒙古・高麗連合軍の抜都魯《バートル》が上陸していた。
 殺しても殺しても、数が減らない。
 すでに一会戦分の矢は底を尽きそうであった。

「ガッ!!」

 敵の放った、矢が宋助国の左肩に刺さった。かなり深い。
 六十八歳の老兵は、うめき声を喉の奥に飲み込む。

(良い、良いぞぉぉ、これが戦、殺し、殺しあわねばならぬ……)

 血走った眼球をギロリと敵に向ける。
 その殺意の圧力だけで、敵兵は後退した。

 佐須浦の海岸には、すでに二千を軽く超える蒙古、高麗兵が上陸していた。
 それが、約五百名に満たない、対馬兵に押されまくっていた。
 
 個別に動き回る騎馬を中心とする戦闘集団を捕捉できないでいたのだ。
 それぞれの騎馬兵に連携は無いが、各自が的確な戦術判断を行い、上陸直後で兵を掌握しきれていない所への攻撃を繰り返す。

 蒙古・高麗軍にとっては、背後が海であり効果的な回避機動ができないというのも不利であった。今更、抜都魯《バートル》に戻ることもできない。そんなことをすれば、確実に死ぬ。
 それに海岸には次々に抜都魯《バートル》が上陸していた。続々と海岸に駆け上がり、味方の骸を踏みにじり、前進する。その運動ベクトルと、宋助国の軍勢が激突する。
 数で圧倒的に劣る、対馬兵は、よく堪えていた。獅子奮迅。鬼神のごとき戦いである。
 海岸に転がる死体、負傷者は戎衣を纏った異国兵が圧倒的に多かった。

 それでもだ――
 それであっても。
 畢竟、戦とは、数の勝負である。
 その原理原則を覆すには、あまりも敵の数が多すぎた。
 殺しても、殺しても、更に殺しまくっても、続々と上陸を続けてくるのだ。
 どうっと、音をたて、宋助国が馬から落ちた。
 それでも、すばやく立ち上がり長刀を振り回す。
 鋼の旋風に巻き込まれた高麗兵ふたりが、肉体を四つに増やし、動かなくなる。

「殿! 頃合かと」
「ぬぅ、であるか――」

 郎党が周囲を固め、宋助国を守る。
 間を空けることなく、驟雨のような矢が襲ってくる。
 狙いは甘いが、空間を埋め尽くすような量の矢であった。
 何発かを身に喰らって、郎党が倒れる。

 通説でよく言われる「毒矢」ではない。元、高麗の史料による検証でも、毒矢の有無は確実に検証できていない。ただ、標準装備として通常の矢七〇本に対し三本の毒矢が定数であると書かれた史料はある。

 もし、毒矢の存在があったとしても、それは戦の流れを左右するほどのものではなかったであろう。

 宋助国は迷う。
 ここで、最後まで殺し合いをするのか?
 それとも、いったん引いてから、再び殺し合いを楽しむのか?

(うん、今日のところ武勇は示した)

 自分自身に頷くようにして、その思いを浮かべる。
 そして――

(殺し合いをもっとしたい)

 という結論に至るのだった。
 このまま、ここで死んでしまうのは簡単であろう。
 が、それでは敵を殺せなくなってしまうではないか?
 もっと、殺したい。殺しまくりたい。
 
 宋助国は血を失いしびれた指先に残る、斬殺の余韻を感じる。
 うっとりする。
 人を切り刻むというのは、なんと心地よく蕩けるような思いとなるのかと。

 決意を決めた宋助国の動きは早かった。
 無数の矢が降り注ぐ中、代えの馬に乗る。

「続け! まだこれからよ。今日のところは仕舞だ!」

 宋助国は馬を走らせる。
 鬱蒼とした広葉樹林帯が広がる対馬の山へ向かって。

 対馬上陸戦――
 初日の戦いは終わった。
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