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7.紅い糸は見えるか?

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 戦いは始まった。
 百鬼なぎり先生の顔は少し赤みを強くしていた。
 唇の端をキュッと釣り上げ、昂然とした表情を作っていた。

 戦いは始まっていた。
 清水直子選手が現役時代から定評のあったタックルをかます。
 男子重量級の選手ですらまともに喰らえば、立っていられないタックル――
 それを真熊選手は受けきった。
 
「柔道じゃ、もろ手狩りは禁止されていたんじゃ――」
「正確には、単独で技を出すのは禁止ね。でも、ここはなんでもありなの」
 
 秩父賀さんは詳しかった。先生の同級生というけど、この人はいったい何だ?
 
「うぉぉぉぉ!!」

 空間を切り裂く咆哮を上げ、真熊選手は後頭部に鉄槌を叩き降ろした。
 拳をハンマーのようにして首筋へ。断頭台のように。
 タックルから崩れ落ちた清水選手の腕を掴むとそのまま、地面に叩きつけた。

「袈裟固め?」
「そうだけど、それだけじゃないわ」
 
 真熊選手は上になって相手の胸を押さえ込む。
 そして、肘打ちを顔面に叩き落とす。
 袈裟固めの体勢で顔面への肘打ちを連発する。

 顔面をグズグズにされながら清水選手は、ブリッジで返そうとする。
 そのとき――
 喉に肘が入った。

地下ここでの経験の差がでちゃったかなぁ――」
 
 のたうつ清水選手に対し、真熊選手が裸締めを決めた。
 そして――
 終わった。
 戦いは終わった。
 ゴングが鳴り響き、試合の終了を告げていた。

「ふふ、結構いい配当でたわね。清水選手の前評判はやっぱり高かったし――」

 ボクはその言葉の意味を問うた。

「ここは、選手の勝敗が賭けの対象になっているのよ。ね、胴元さん」

 先生が代わりに答えを言った。
 そして、この戦いというかイベントを仕切っているのが、秩父賀さんだった。

「先生―― 先生もこんな……」
「そうよ。私も、同種なの」

 先生は先生は微笑の中に、あるかなしかの哀しみが浮かんでいるかのようだった。
 それは「どう引いちゃったでしょ」と目でボクに問いかけるかのようだった。

「同種なんて、ご謙遜を。アンタはここのチャンプで、頂点じゃない。ははッ」

「そんなカッコいいものじゃないわよ」

 百鬼先生は切って捨てるように言った。

「先生―― 先生は強い男が好きなんですか? 例えば自分より強い男じゃないと駄目とか」

 ボクは自分が拒否された理由を底ではないかと思った。
 強さを求め、それに価値を見い出してる先生にはボクは物足りなかったのかもしれない。

 まだボクはただの高校生だ。
 ただ、県下有数の進学校に通っているだけだ。
 そんな人間は山ほど世の中にいる。
 ボク個人には、先生ほど誇れる芯がない。
 
「う~ん、そういう訳じゃないけど」
「そうなんですか」
「強さは魅力でもあり、憧れるけど、ある男が自分より強いからといって、それが恋愛対象になるかどうかは別よ」

 それはもう、至極しごく当たり前の言葉だった。
 強けりゃ良いってもんじゃない。

「それに、男が女より戦闘能力が高いのは生物学的には当たり前よ」
「それは、そうですけど……」
「同じ体格、体重。お互いに格闘技を研鑽している。この条件で女が男に勝てる可能性はほぼ無し。私だって勝てるかどうかなんて分からない」
「あははは! いいわね。今度やろうかしら? 男子選手をぶつけてみる! お客さんあは沸くかも」

 ふっと、呆れたような表情を浮かべる先生。

「そんなの、名乗り出る男子選手がいないでしょ。勝って当たり前、負けたら人生の全てを失いかねないのよ――」

「ま、中にはいるかもしれないけどね――」

「わたしはそんな重い結果が出てしまいそうな戦いはしたくないわ」

「そう、意外ね」

 先生は、会話をやめるとボクを見た。
 
「行きましょう。分かったでしょ。わたしがどんな人間か―― ただ、このことは他言しないで。御楯君を信じたから教えたのよ」

「はい。分かりました」

 ボクは、この地下闘技場「カタコンペ」の女帝・チャンピオンとして君臨する百鬼先生を見る。
 美麗な姿の奥に、凄まじく切れる刃を潜ませている。
 いい、先生そのものが凄まじく切れる刃であるから。
 だからこそ、こんなにも美しいのかもしれない――

 今はなんとなく、それを感じることができた。

「先生は――」
 
 ボクは言葉を続ける。

「どんな男の人、男でなくてもいいです。どんな人なら恋愛対象になるんですか?」

「あら、そうなの。うふふ、この可愛い子は、アンタのこと好きなんだ。いいじゃない。恋人にしてあげなさいよ」

 秩父賀さんが、揶揄するように言った。
 ボクはキュッと拳を握る。ボクは、ボクは本気だった。
 先生が何者であったとしても、諦める気なんかないんだ。

「そうね…… 今は分からない。これが『正直なところ。でも――」

 先生はすっと自分の左手の小指を触った。

「ここの紅い糸は、誰かに繋がっているかもね―― もしかしたら…… ま、今はいいわ」

 一見真剣に見える先生の表情。
 それでも、その奥底には「恋」に憧れる心が潜んでいるのでは。
 ボクはちょっとそう思った。
 
 ボクは小指を見た。ボクの小指だ。
 そこにはまだ紅い糸は見えなかった。
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