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3.土下座してお願いしてみたら

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 百鬼薙子先生は進路指導室の鍵を開けた。
 ドアのプラスチップ板を「使用中」として中に入る。

「じゃ、入りなさい」

 ボクは先生に誘われるまま進路指導室に入った。
 こう思ってしまうとなんだか、背徳的な感じになる。
 なんてことはない、日常の高校生活の中のありふれたひとコマなのに。
 
「どうしたの座りなさい」

 進路指導室机と椅子が向かい合わせに置いてある。
 そして、ロッカー。いろいろな大学の資料があった。
 ボクの通っている千葉旭高校は県内屈指の進学校だ。
 だから「進路指導=大学進学相談」というのが現状だった。
 当然の事ながらボクも大学へは行くつもりであるのだけど、今、それは重要じゃなかった。

「先生」
「はい?」
「先生、ボクは……」

 耳の中に心臓が上がってきたかのように鼓動が頭に響く。
 ぐっと拳を握って。息を吸い込んだ。

「先生が好きなんです! ボクは。お願いします。付き合ってください」

「え? なに?」

 先生は完全に当惑の表情を浮かべていた。
 そして、その表情が笑みに変わる。ただ、どこかぎこちない笑みだ。
 
「それは、罰ゲームかしら?」

「違います」

「からかっているの?」

「本気です。先生が―― 百鬼先生が好きです! 結婚したいです!」

「いきなり! すっ飛ばしすぎよ。御楯君」

「順番を踏めば良いんですか? じゃあ、結婚を前提に――」

「あのね……」

 先生は急に真剣な顔になって、まずボクに座るように言った。
 で、人差し指を額に当て、うつむく。
 どうも、困惑の表情に見えるのだけれど、ボクの勘違いでなければ。

「わたし、二七で御楯君とは一〇歳違うんだけど」
「誕生日きてませんから、十一歳ですね」
「いや、それはどうでもいいんだけど……」

 先生はすっとボクを真剣に真正面から見た。
 黒い大きな瞳はまるで黒曜石のように光っている。
 今、この瞬間――
 瞳のど真ん中にボクが映っていることを思う。ドキドキする。

「正直に言うわ。無理です。教師と生徒。年齢差――」

「じゃあ、卒業まで待ってください」

「歳の差は何年たっても縮まらないのよ」

「一〇歳差の夫婦なんて珍しくないです!」

「それはそうかもしれないけど……」

「駄目ですか! ボクでは駄目な理由があるんですか! その理由わけを教えてください」

 ボクは椅子から立って、床に土下座した。
 女の子に告白するときの最終手段は「土下座」だとネットに書いてあった。
 これで、三十五パーセントの女の人は「仕方ないわね」でOKを出すらしい。
 ボクは最新のIT情報にかけた。人生をかけた。

「恋愛対象にならないから」

 ボキっと心の中で何かが折れる音が響く。
 確実に、決定的な何かがボクの中で折れた。粉砕された。
 それほどまでに、ストレートでダイレクトな言葉だった。
 ハンマーのような一撃を秘めた台詞だった。

「ぐぐぐぐぐぐぐぐ――」

 ボクは土下座の姿勢のまま、歯を食いしばり今にも漏れ出しそうな嗚咽をこらえる。
 演技なんだけど。


「ボク、先生が―― 絶対に本気なんです。だから――」

 ボクの声はほとんど涙声になっていたと思う。
 そんなボクを先生は見下ろし、本当に困惑した表情を浮かべていた。
 確かにボクなんかが、告白していい存在ではなかったのかもしれない。
 ボクより背が高く、その美貌は校内一というか、街を歩けば、スカウトが群がだろう美貌なのだから。

「あのね~ わたしは、アナタだから駄目ってことじゃないの」

「え?」

「どんな男も今のところ恋愛対象じゃないの」

「え、先生、もしかして……」

「あ、あ、違うわ、違うの百合とかレズとか同性愛とかじゃないから。わたしはノーマルです! 多分……」

「多分って…… 先生」

「いや、絶対です!」

 必死に否定する先生。

「じゃあ、そんなにボクは先生の理想からかけ離れているんですか? 努力します。聞かせてください。先生の理想を。ボクはどんな手段を使っても、先生の理想の男になります。身長が足りないというなら、骨延長手術だって受けます!」

「そんなことじゃないの――」

 先生は「ふー」と息を吹く。
 なぜか、部屋の中が急にいい匂いになった気がした。
 
「分かったわ。御楯君」

「先生――」

「わたしがアナタを…… いいえ、今は男と付き合う気がない理由を、教えてあげましょう」

「教えてくれる……」

 先生とふたりきりの環境で「教えてあげます」という言葉だけが脳内にリフレインされ、他の情報が捨てられそうになる。が、捨てるのを躊躇ためらい意味を再構築する。

「今週の日曜日、幕張海浜球場へ。時間は午後八時よ」

「そ、それは……」

「来れば、理由を教えてあげる」

 先生はそう言った。
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