年下幼馴染の家庭教師をしていたら、堕とされてしまいました

中七七三

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1.出会い

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 七歳の春に矢上鋭一はこの町に引っ越してきた。
 大きなソメイヨシノが家の近くにあった。鋭一にとってはそれこそ見上げるような木だった。
 穏やかな春の日差しの下、ピンク色の花がゆらゆらと揺れていた。風がその色に染まっていくかのようだった。
 だからだろうか。街の空気がキラキラとしているように見える。以前住んでいたところと違っているように感じる。

 鋭一はあらためて視線を動かす。
 既に、引っ越しの荷物を積んだ緑色のトラックは、全ての荷物を降ろしていた。
 荷物は新居の中に運び込まれ、両親は引っ越し業者の人と何か話をしている。
 鋭一は新居に入ると、二階に向かった。自分の部屋がそこにあるからだ。階段を駆け上がるが、家の中に階段があるというだけで、何故か嬉しかった。今は春休みで、新学期からは新しい学校に行くことになっている。
 だが、部屋に入ると、楽しかった気分がドーンと音をたてるかのように落下していく。

「あひゃぁ~」

 部屋の中は段ボールでいっぱいだ。これを片づけなければとなると思うと、「面倒くさい」という言葉しか思い浮かばない。
 それでも、段ボール箱を開け、必要なものを出していくが、すぐに飽きた。
 ――面倒くさい。
 そもそも、鋭一はこういう作業が苦手であった。通信簿でも「整理整頓をもう少し頑張りましょう」と書かれてるくらいだ。

「あー、お母さんやってくれないかなぁ~」

 と、言ってみる。けれども――
 母親には「自分の物は自分で片付けなさい」といわれている。すぐに頼ることはためらわれた。このときの鋭一にとっては母親は怖いものだった。
 アルミのサッシに手をおく。外気の温度のままのそれは冷たかった。ぐっと力をいれ窓を開けた。


「わあ」

 思わず声が漏れる。
 今までみたことない風景がそこにあった。新しい街。初めての街。今まで団地の一階住まいだった鋭一は二階から見る風景にドキドキした。ソメイヨシノは二階から見ても大きかった。

(ちょっとくらい外に出てもいいかな)

 考えると同時に体が動き出していた。
 とんとん、とリズミカルな音をたて、鋭一は一階に降りた。
 注意深く玄関を出る。母はトラックの人とまだ話をしていた。ちょっとだけ近所の探索に出かけることに決めた。
 家の前の通りを抜けると、大きな道路にでた。どこへ行こうという目的地もない。鋭一は気分に任せ大通りを歩いていった。

「川だ」

 しばらく歩くと川があり、川沿いには桜並木があった。ピンクの天幕のように、桜の花びらが視界を被いつくすようだった。
 花見の名所なのだろうか。多くの人が川沿いを歩いていた。鋭一も人ごみに混じって歩いて行った。

「え? あれ?」

 気がつくと、鋭一は道に迷っていた。川沿いを行ったり来たりしているが、どこから家に戻れるかがさっぱり分らなくなってしまったのだ。
 初めての迷子経験で心の中では恐怖の色が濃くなってくる。新しい街を体験する嬉しさは闇のような恐怖に塗りつぶされていくようだった。春風が温度を失っていった。

 泣きそうになるのをグッと堪える。しかし、泣くことを堪えたとしてもどうしていいか分らない。
 多くの人が歩いているけれども、誰も鋭一のことなど知らないし、鋭一も知った人などいない。
 キョロキョロと当たりを見回す。知らない光景だけが目に映る。
 自分と世界の間に膜が張られ、世界の中で一人ぼっちになった気分になってくる。
 ぐっと拳を握り締め、息をゆっくりと吸った。

 ――来れたんだ。帰れるはずだと、思う。
 が、脳裏には、主人公が神隠しにあったアニメも浮かんできてどんどん心細くなってくる。
 前から人が歩いてきた。ジーンズにカーキ色のモッズコート(鋭一には種類は分らなかったけれども)。鋭一はすがりつく様な眼差しをその人に向けた。

 雑踏の中でも一際目立つ美人だった――
 まるで芸能人のような「綺麗な女の人」だなと鋭一は思った。
 すっとその人の視線が鋭一の方を向いた。
 普通ではない鋭一の表情が気になったのだろうか。

「どうしたの?」

 と、声をかけた。柔らかく優しい声だった。
 その人は膝を折り、目線を鋭一に寄せていた。吸い込まれるような綺麗な瞳をしていた。
 長いまつげが沈み込むと、双眸に憂いを帯びた影ができた。

「家がどこか分らなくって……」

「迷子かぁ」

 鋭一は頷く。一層ギュッと手を握り締めた。今にも溢れそうになる涙を堪えた。
 この人の前で泣くことは嫌だった。なぜだろう。
 迷子になったことが見っとも無いことなのだけども、それ以上見っとも無いところを見せたくないという思いが胸の内に生じていた。

「住所も分らないんだよね」

「うん」

 鋭一は引っ越してきたばかりで住所も良く分らなかった。
 ただ、家の近くに大きなソメイヨシノの木があったことだけは覚えていた。
 鋭一は、自分の名前とそのことを訥々とつとつと説明した。

「ああ、あそこかぁ。ならボクの家の近所だ」

 話しかけるというより、独り言のように言った。
 鋭一の手が握られた。柔らかく温かい手だった。

「送っていってあげるよ」

「え?」

 手をとられ、一緒に道を歩いた。
 指先の温度が沁み込んでくるかのようだった。心の中にあった黒いものが少し溶けていく。

「あの…… ありがとうございます」

「別にいいよ。帰ろうと思っていたところだし」

 あっさりとした感じの言葉だった。

「あ、名前を言ってなかったな」

 話を切り替えるようにして、その人は言った。

「神瀬晶」

 と、そのひとは名乗った。
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