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1.都市貴族令嬢ソニアの日常

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 二階の大広間の長いテーブルに召し使いが大きなリネンの布をかける。
 床まで届く大きさなのは、食事中にそれで口や手を拭くためだ。

 多くの召し使いたちが手際よく料理を並べていく。
 その食欲をそそる匂いが、リビング・ダイニングともいえる大広間に広がっていく。

 昨日、焼かれたパンが厚切りで乗せた白い皿が人数分並べられる。
 スプーンとナイフがテーブルに並ぶ。この世界ではまだフォークは作られていない。
 基本、スープはスプーン、肉や魚はナイフで切って手で食べるのである。
 だから、手洗い用の水の入った盤が、テーブルには置かれていた。

 使用人が大きな両手鍋エキュエルを運んできた。
 去勢鶏の肉を煮込んだブエールがたっぷり入った両手鍋エキュエルが置かれる。
 金よりも高級といわれる貴重な香辛料をたっぷり使ったシチューとスープの中間のようなような料理だ。 
 更に野兎の肉をグリルしたのち、野菜と合わせ葡萄酒、香辛料、塩などで煮込んだ料理も続く。
 次から次へと手際よく、料理が運ばれてくる。召し使いたちがよく教育されているのがその所作で分かる。
 テーブルには、リンゴ、イチジク、ナッツなども並ぶ。 
 素焼きのピッチャーには葡萄酒が注がれ、各人用のコップもおかれた。
 当然、水差しも置かれている。
 
 この食事のラインナップを見ただけで、生活水準が分かろうと言うものだった。
 とんでもない上流階級である。

 ミダダという都市で、毛織物交易を営む豪商ラドネイ家の晩餐の光景だ。
 この家は商人でありながら、貴族の称号を得ている「都市貴族」と言われる存在である。

 ミダダは、エルドーラといわれる大陸西方地域の内陸部に位置する。
 インランド海に流れ込むバーセル川沿いにあり、また周辺の街道も整備され、物流の中継都市として繁栄していた。
 定期的に開かれる大市では、周辺都市からも多くの人が集まる。
 
 大都市ミダダは、名目上は神聖ドライゼ帝国の領土に含まれることになる。
 ただ、皇帝が直接の支配権を持っているかというと、そうではない。
 神聖ドライゼ帝国は、皇帝が絶対的な権力を持ち、全国に徴税権を持つような中央集権的国家ではない。
 皇帝、領主貴族、都市貴族、教会の高位聖職者の権力が重複し、その微妙なバランスの中で成立している国家だった。

 ミダダは有力な都市貴族による自治が行われている「都市国家」のような街だ。
 ラドネイ家はその有力な貴族の中のひとつに数えられている。 
 
 芸術的なまでの美しさで料理が配列され、召し使いは部屋の後ろに並んで立った。
 そして、召し使いの一人がベルを鳴らした。食事の準備が終わったことを知らせるベルであった。

        ◇◇◇◇◇◇

「天におられる私達の父よ 我らを創造し見守られる主よ、今日というに日に、我らが糧をお与えくださったことを感謝します。この地上に住まう我らが罪をお許しください。常に主と共にあることに感謝の祈りを捧げます」

 透き通るような声音で、神への感謝の声が響いた。
 食事前の祈りは、家族の中で一番若いラドネイ家の一人娘ソニアが行うことになっている。

 流れるような長い金色の髪をした美しい少女である。
 ほっそりした身体に、白い肌。その白さは氷雪の上の雪ですらくすんで見えるほどの透明感を持っていた。
 長く金の濃いまつ毛の下に大きなブルーの瞳が神秘的な色合いで輝いている。
 一目で心臓を鷲づかみにされるような美貌の持ち主だった。

 神の恩寵を一身に受けたかのような美貌の少女は一六歳になっていた。
 この国の上流階級ではすでに、結婚適齢期と言っても良かった。
 事実彼女は近々に結婚することになる。

 相手は領主貴族インドミタブル家の嫡男である。
 インドミタブル家は、帝国領内でも有力な貴族だ。
 
 身分や家という存在が重みをもっているこの世界では結婚は個人の問題ではない。
 それは「家」と「家」の繋がりを作るためのものとなってくる。

 いわゆる政略結婚だ。

 ソニアが五歳のときに婚約し、婚約式も挙げている。
 教会立ち会いの下で「本人の同意」を確認する。
 そして結婚時の「新婦の持参金に関する契約」も交わされる。
 更に神に対し「将来に向けて誓い」を行うものだ。

 皇帝にとっては、帝国版図内の有力貴族が、婚姻により関係を深めていくのは政治的に好ましいものではなかった。
 しかし、「帝国」と名乗りつつも、貴族に対し相対的な優位にしか保持していない皇帝は、この種の問題に介入できなかった。

 教会が結婚を「秘蹟」として、自らの利権としていた。
 このことは皇帝にとっては頭の痛い問題であっただろう。自分たちの結婚ですら、教会の許しがいるのだから。
 それは、教会を通じた領主貴族、都市貴族の連合が皇帝のあずかり知らぬところで出来あがるということだ。
 これは、現時点でも万全と言えない皇帝の権力基盤を揺るがしかねない問題を内包していた。
 
 しかし、一六歳の少女であるソニアにとってはそのようなことは意識の外だ。

 貴族の令嬢として恵まれた教育は受けていたが、それはあくまでも貴婦人となるためのものだ。
 権力や政治のあれやこれやなど、貴婦人には必要ないことだった。

「この鳥のブエールはとても美味しいです。素晴らしいです」

 彼女は料理に対する称賛の言葉を口にした。

 彼女の言葉を皮切りに、他の者からも料理に対する称賛の言葉が続いた。
 良い仕事をした者には、すぐに称賛を与える。
 それは、人の上に立つ貴族として当然のことであった。

「ありがとうございます。料理長にはしかとお伝えいたします」

 召し使いを取り仕切る家宰セネシャルのサバラが恭しく頭を下げて言った。

 家宰セネシャルとは召し使いを取りまとめ、この家の財務、法律関係の諸事務をこなす存在だ。
 身分は貴族に極めて近い。尊敬されるべき専門家だ。

 彼には一人息子がいたが、一〇歳になったときに、家を飛び出した。
 本来であれば家宰セネシャルを継ぐ身であったのにだ。
 それまではソニアの良き遊び相手であり、幼馴染と言える存在だった。

  ソニアはふと幼き日のことを思い出した。幼馴染であった彼のことを思い出した。
 二歳年下の男の子だった。今はどこで何をしているかも分からない。
 
 彼女は上流階級の女性らしく、礼儀作法になかった所作で優雅にブエールをすくい口に運ぶ。

 それは都市貴族の令嬢として当然ともいえるほどの、幸せな日常の姿であった。
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