沖田総司と黒き血の魔女

中七七三

文字の大きさ
上 下
1 / 4

1.最強剣士・沖田総司

しおりを挟む
 沖田総司房良おきたそうじかねよしは長身痩躯で竹ひごのような男であった。
 普段はニコニコと邪気の無い笑顔を見せる魅力的な顔で笑う男であった。
 しかし――

 剣を抜くとその表情も、身にまとった空気も一変した。
 今まさにそのようになっている。
 刀を持つ手をだらりと下げ、頭も胴も敵に晒しているように構えていた。
 天然理心流の師である近藤勇が得意とする構えである。

 刀身を人の形にしたような男だ。危険で鋭利な印象しかそこにはない。
 そして、今の沖田総司は、病により頬がそげ、元々の黒味がかった肌は土気色となっている。
 確かにやつれてはいたが、口元には隠しきれない愉悦の笑みが浮かんでいた。
 双眸はどす黒い光を放っていた。

 現実感を喪失した幽鬼のような存在――
 今の沖田総司とは人にそのような印象を与える者であった。

 千駄ヶ谷のわらぶき屋根の家の庭だ。陽の光を浴びる梅の木を後ろに男が立っていた。
 この男も全身に殺意、殺気というものをべっとり付けていた。
 空気が変色しそうな程の気であった。
 沖田総司が療養するこの家にやって来た男だ。
 目的は分かりすぎる程、分かりやすい。
 沖田総司を殺すためだ。

「沖田総司だな」
「そうです」

 沖田総司は粗末な縁側を後ろにし立っていた。
 障子は開いており、奥には彼がせっていただろうとこが見える。

「すでに周囲は囲んでいる」
「知っています。50人くらいですか?」

 男の顔色が一瞬変わる。
 人数を言い当てられたのだ。
 しかもだ――
 床に臥していたはずの沖田総司は立って自分を待っていたのだ。

「このあたりは雑木林で、人通りも無く殺気を読むのは難しくありません」
「そうかい」

 張ったりではないだろうと、男は思う。
 沖田総司は自分たちに気配を読み取り、庭に立って待っていたのだ。
 病により万全ではないとしても、油断はできない。
 さすが、当代最強の剣士ということであろう、男の中に恨みとは別の感情も生じていた。

「無駄なことです」

 不意に沖田総司が口を開く。

「無駄?」
「放っておけばボクは死にますから」
「病で死なすわけにはいかんね」
「攘夷派の方ですか」
「おう、お前に散々同志を斬られた、その『攘夷派』という奴だよ」

 幕府と薩摩藩などの雄藩を中心とする政治体制は開国政策を進めた。
 これに反発する勢力が『攘夷派』となり尊皇論と結びつき、各地で騒乱を起こしていた。
 いつの時代、どの国でも対外強攻策と愛国心が結びつけば、容易に過激な思想へと転化する。

 沖田総司は、そのような攘夷派の人間を数多く斬ってきた。
 新撰組時代の話だった。
 京都の治安維持を目的とした組織の最強の剣士――
 沖田総司はそう謳われた者だった。
 
「そうですか」

 なんの気負いも動揺も見せず、沖田総司は言った。

 男は刀を抜かず深く腰を沈めた。

「居合いですか」

 総司はゆるゆると歩を進める。ぶらぶらと刀を棒かなにかのように持ったままだ。
 
「しゃぁッ」

 裂帛れっぱくの気合ともに、男は刀を抜いた。
 総司が間合いに触れた瞬間だった。
 刃の疾走した空間そのものが切り裂かれてしまったかのような一撃。
 
「ぬぅッ」
「速いですね」

 沖田総司を狙った刃は空しく空を切っていた。
 
「空気が焦げてしまいそうな剣です」

 沖田総司の口角がにぃっとつり上がる。
 ぞっとするような笑みだった。

「それでかわすかよ……」
「確かに退屈していたんですよ」

 生者と死者の狭間で揺れ動くようなおぼろげな言葉だった。

「もう、ボクは死にますけどね。死神を待つ間の退屈の方が辛い。ははは」

 沖田は濁った音の混じった呼気を吐きながら言った。
 言葉は淡々としていたがどこか血の匂いを感じさせるものであった。
 沖田総司は『労咳』を病んでいた。
 すでに喀血かっけつは日常のことになっていた。

 現代では結核と呼ばれる病気であった。
 この時代は死亡率のきわめて高い不治の病とされていた。
 沖田総司の余命がいくばくも無いであろうことはその土気色の肌を見れば分かる。

「労咳病みとは思えぬ、いや人とは思えぬな」
「いいんですか? 一対一で」
「かまわんさ。この場はな」

 男は肺腑から絞り出すような凶獣の叫びを上げ斬りかかった。
 居合いだけではなかった。刃が恐るべき速度で奔る。
 足元の低い位置から噴き上がるように白刃が突き抜ける。
 天空に達したかと思った剣が稲妻の速度を持って振り下ろされる。
 刃風の響が置き去りになるような剣速である。

 その全てを沖田総司は躱していた。
 しかし――
 躱されても構わない、二撃、三撃と息も許さぬ連撃が続く。
 剣が旋風となったようなものだ。
 風に舞い落ちた木の葉が巻き込まれ真っ二つになる。

 ガッと固い音が響く。
 
「ふひゅぅ~」

 刃は沖田総司がいた場所を確実に通り抜けたように見えた。
 しかし、男は石灯籠と正対し剣を振り下ろしていた。
 そこに、沖田総司はいなかった。

「あははは。惜しい。それはボクじゃない」

 白刃を全て躱しきった沖田総司の言葉が終わった瞬間、石灯籠いしどうろうが斜めに斬れ、ずり落ちる。
 庭土に衝突し音を立てた。落ちた石灯籠の一部だった物がさらにふたつに割れた。

「お仕舞いです」

 沖田はそういいながらゆるりと縁側に腰掛けた。
 恐るべき斬撃を躱しながらも、汗ひとつかいていなかった。
 土気色の肌は乾いていた。

「ん、なにを言っている」
「もう、斬りましたよ」

 沖田はトンと刀を地に立てた。
 男が嗤う。
 なんとも下種で不愉快な笑みであった。
 ずるり――
 その笑みを浮かべた顔が目の下でずれた。
 そのまま、横にすべり地面に落ちた。
 一瞬遅れ、大量の血が切断面から噴出した。

 次の光景は信じられないものだった。
 人が積み上げられた積み木を崩すように、バラバラと崩れていったのだ。
 血煙の中、人間が血まみれの肉片と化した。一瞬でだ。

「もう少し遊べばよかったですか」

 血と糞尿の匂いが充満する殺戮の場。沖田総司の声が響く。
 ぞっとするような優しい響を持った声だ。

「あれ?」

 沖田総司は怪訝な顔をし、気を探る。
 先ほどまで、この家を囲んでいた50人ほどの気配があった。
 流石に斬りあいの最中に周囲の気を完全に読むことはできない。
 ただ、薄らぼんやりと変化していたことは感じていた。
 改めて集中して探って分かった。

 気がが綺麗に消えていたのだった。
 そして、どうにもよく分からない「気配」がひとつだけ残っていた。
 
(人か?)
 
 それは、人の発する気配と違っていた。
 人であれば『ひとり』というべきであろうが、断言しがたいものがあった。
 
「ゲホッ」

 沖田総司は咳き込んだ。口元を手で押さえる。
 ぬるりとした感触がその手にあった。
 血だ。

(あはは、綺麗な血だ――)

 人を斬りまくった自分の血の色が鮮やかな色を持っていることが、総司にはなにか可笑しく感じられた。

「アナタがオキタソウジ?」
 
 独特の抑揚を持った言葉が沖田の耳朶に届く。

「女…… 異人ですか」

 いつの間に沖田の眼前に現れたのか。 
 己が手のひらを染めた鮮血のような――
 紅蓮の炎のような――
 そんな鮮烈な緋色の髪をした女が立っていた。
 一撃を加えるには、半歩ほど間合いを詰めねばいけない距離だ。

「メアリー・バルクラフトと言います」

 朱色をした唇が動いた。
 何かの宝玉のような碧い双眸がじっと沖田を捉えている。
 瞳に影が映るのではないかと思うほどに睫毛が長い。

「何のようですか?」

 沖田は油断無く気配を探る。周囲には他に気配はなかった。
 そして、なんとも形容しがたい気配の持ち主はこの異人の女であった。
 冷たい光を放つかのような白い肌をしている。異人の肌の色にしても白すぎる。
 黒い異人服が尚更に肌の白さを強めていた。

「外にいた者たちは?」
「ああ――」

 メアリーと名乗った女は思案気に曲げた指を口元に当てた。

「殺しました」
「へぇ―― 殺した?」
「はい」
「血の匂いがしないですが」

 50人もの人間を目の前の異人の女が殺したなど信じられなかった。
 しかし「面白い」と総司は思った。
 
「この子が食べてしまったのですから」

 いつの間にか、メアリーの手の中に短刀が握られていた。
 彼女は何の感情に揺らぎもみせずスッと自分の手首を切った。

 瞬間――
 決壊したかのように、鮮血が噴出した。
 総司は息を飲んだ。
 意図が、意味が分からなかった。
 反射的に刀をつよく握っていた。

 そしてなにより驚くべきことは、漆黒の闇のような色をした血であったことだ。

 流れ出した血が大地に円を基本とした複雑な紋様を作り出していた。
 そして、紋様から黒い炎が噴出する。
 総司の顔を熱が叩いた。

「ぬぅッ―― これは……」

「私の血で精製された『黒き血の魔物』です」

 それは黒い血の色をした炎で作られた獣だった。
 そう形容するしか言葉のない存在が目の前に出現していた。
 唸りを上げ、炎の獣は総司を舐めるように見つめていた。灼熱の視線で。
 普通であれば、驚く。恐怖を感じる。

 しかし――
 
「面白い。あはははは、面白い!」

 沖田総司は三白眼を大きく見開いていた。
 それは、殺戮の果てに命尽きようとしている者には見えない。
 まるで幼子おさなごが新しいおもちゃを与えられ喜んでいるようだった。
 歓喜を隠せない土気色の顔が漆黒の炎に照らされ、どす黒く染まる。

「オキタさん、私に力を、アナタの力を貸してください」

 黒き炎の怪物が唸りを上げる中、彼女は言った。
 メアリー・バルクラフト。
 彼女は、『魔女』と呼ばれる者だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―

馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。 華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。 武士の世の終わりは刻々と迫る。 それでもなお刀を手にし続ける。 これは滅びの武士の生き様。 誠心誠意、ただまっすぐに。 結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。 あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。 同い年に生まれた二人の、別々の道。 仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

悪意のパーティー《完結》

アーエル
ファンタジー
私が目を覚ましたのは王城で行われたパーティーで毒を盛られてから1年になろうかという時期でした。 ある意味でダークな内容です ‪☆他社でも公開

魔王はマリオネットを奪う。

蒼空 結舞(あおぞら むすぶ)
ファンタジー
人々から恐れられているソエゴンはふとしたキッカケで”友達”になった少女、ルルと楽しい日々を送ってた。 それから数年が経ち、ルルは見目麗しい女性へとなったのだが…冗談かと思っていた”婚約宣言”をルルはソエゴンに強く訴えかけているのである。しかし自分は魔王と呼称され、恐ろしい形相と容姿をしているソエゴンは彼女のアプローチをわざと避けていた。 そして事態は動き出す。なんとルルを奪還しようと企てるアークが秘密兵器を用意したのだ。 それは2人にとって絆が試されるものであった。

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

処理中です...