12 / 55
11.見知らぬ、天才 ―THE GENIUS―
しおりを挟む
小柄というより「チンマリ」というのがぴったりくる。
二六歳ながらにして、高校生はおろか、中学生に混じっても馴染みそうな外見。
一四六センチの女が俺の前に座っている。
俺よりも三〇センチくらい低い。
コンパスで描いたような丸いメガネ。
田辺京子――
俺の中学、高校、大学と三連チャンで後輩になる女だ。
まさか、メールの通りにやってくるとは思わなかった。
最近は特に連絡もしていなかったのだ。
彼女は、俺の出した麦茶を飲んで、コップをトンとテーブルの上に置いた。
(この子猫みたいなデカイ目が幼く見える原因か――)
俺は思う。
小さな顔に占める割合の大きな瞳が眼鏡越しに、こっちをジッとみているからだ
「先輩……」
「なんだ?」
「私のおっぱいをずっと見てたでしょ♥ もう、エッチ!」
俺は「フッ」と鼻で笑ってでコイツを見た。
キミの胸には「おっぱい」などという上等なものは存在しません。
それは幻想です。それは「胸」です。ただ胸といいます。
失礼です「おっぱいに謝りなさい」という思いを込めての「フッ」であった。
しかし京子は、理解できずなんか顔を赤らめている。
「ああ、はい、はい。ごめんね―― 麦茶いる? お代わり」
そして、事務的に対応する俺。
「先輩! そう言うつれない、反応をすると後悔しますよ――」
「なんで?」
「そのプレイで、私が濡れてしまいます。今夜は責任とって、先輩の赤ちゃん――」
「歩いて帰りたい?」
「――抱いて。先輩」
「タクシー呼ぶ?」
聞いちゃいねぇよ。
京子は、潤んだ大きな瞳でこっちを見つめる。
俺はテーブルの上にあった雑誌をギュッと丸めた。
そして振りかぶって振り下ろす作業をした。ゲスでエロイこと満載の頭に向けて。
「パカーン」と乾いた音が部屋に響いた。
◇◇◇◇◇◇
「で、その小説のヒロインは誰なんですか? 狙っている読者のフェチ傾向は?」
アゴの下で手を組んで、眼鏡を光らせる京子。
「やはり、小柄でメガネッ娘、後輩属性を持ちつつも、チョイエロなビッチな感じのヒロインが必要じゃないでしょうか――」
俺が黙っていると、京子はテーブルの上に身を乗り出し言った。
そんなヒロインはいらない。端的に言って。
「ヒロインはいい。とにかく、江戸に何を持って行くべきかだよ」
「そうですか……」
呟くように言ったのは「見た目は子ども、頭脳はゲスエロ」の田辺京子だ。
しかし、頭脳はゲスエロだけが詰まっているわけではない。多分。
大学で江戸時代の研究をしておりそっち方面の知識を持っている。
少なくとも俺よりもだ。
更に、彼女にはこういう事態を話しやすい条件もあった。
俺は今回、俺に起きている「この事態」を構想中の小説として話したのだ。
高校時代から文芸部の後輩で、大学も一応その手のサークルだった。
ただ、高校はともかく、大学の方はバイトが忙しくて半幽霊状態だったが。
「なぜ、俺が、そのような疑問を持つのか?」ということについて勘ぐることが無い。
極めて自然に話せるのだ。
「あ、暴力ヒロインとかビッチも好きなんですけどね。(クッ…… 何で受けねぇんだよ…… 死ねよ)」
京子が小さくどす黒い心の声をダダ漏れにした気がしたが、そこはスルーする俺だ。
そもそも、ヒロインの話じゃねーし。
「いや、それはいいから! まずは、江戸に何をもっていくべきかだ」
俺は繰り返す。
江戸に何を持って行くか。専門家の目から洗い直すためだ。
そのために、オマエはここに存在を許されているのだぞ、京子よ。
「しかし、設定の甘い小説ですよねぇ。行ったり来たりできるんですか?」
「出来るよ」
「タイムトンネルで時代をつなげる。二つの世界には相関がないので、パラドクスもないと…… ご都合主義ですねぇ」
「うるせぇな。いいんだよ。肝心の設定はそこじゃないし!」
「リヤカー積載量三五〇キロ以内ですか? そんなに積めるんですか?」
「ネットで調べた。問題ない」
そのリヤカーは別の部屋で折りたたまれ、出番時を待っているのだけどね。
ひとりで使うには広いかと思っていた2DKの間取りが役に立った。
「う~ん。三五〇キロ以内で、江戸に持って行くべきものですか」
「パソコン、書籍、発電機、ガソリン、照明器具、食糧、携帯ボンベのガスコンロ、一〇〇円ライター、抗生物質、ビタミン剤、現代の食糧、御菓子類――」
俺は実際に持ち込んだモノを並べて言ってみた。
「まあ、それは素人さんの発想ですね―― 先輩」
なに、その言い方。上から目線。一四六センチの癖に。
オマエは「〇牙」でインタビュー受けてるキャラか?
「書籍類はなにを?」
「えー江戸時代の歴史の本みたいなの。ネットで買ったから」
「買ったから?」
「いや、物語の中の話だよ」
「先輩ぃ、一応史学科ですよねぇ……」
「そうだけど。でも、専門は江戸じゃねーしさぁ」
そう言うと京子「うーん」と腕を組んで考え出した。
「先輩は江戸の崩し字は読めます?」
「まあ、簡単なモノなら読めるな。大丈夫」
江戸に行くにあたって、一応は復習したのだ。
大学時代に、そういった講義があって、俺は履修して単位もとった。
「ネットを使うなら、国会図書館から当時の文献をコピペして持って行くべきですね」
「当時って、江戸時代か?」
「そうですよ。まあ、明治近くまであっていいかなぁ――」
京子が言うには、直近の歴史でなにが起きるのか、当時の記録とか史料をデータ化して持って行けと言うことだ。
それは、確かにネットでとれる。俺も「アジ歴」で近現代史の史料なんかは見たりする。趣味のために。
「そういった過去の文献、史料も江戸に持って行けば、未来の預言書ですよ」
「そうだな」
「市販の書でそれがあればいいですけど、江戸時代の人に読ませるのは大変だと思いますよ」
俺、納得。
確かにそれは正しい。本を持って行っても読めないとどうしようもない。
現代の本では俺の解説が必要になって手間になることは確かだ。
「そう言った史料のリストとかあるのか?」
「もう―― 私と先輩の間じゃないですか…… 上げますよ」
「マジか!」
「先輩って、まだガラゲー?」
「そうだが」
「スマホにした方が、データのやり取りとかいいんじゃないですか?」
「いい。メールはパソコンに送ってくれ。アドレスは携帯に送るから」
「まあ、それでもいいですけど」
田沼意次が一〇年先のことまで知っていると言っても個人の経験の範囲だ。
しかも、江戸はいまのような情報社会ではない。
そう言った史料があるのは助かるだろう。
「後、オランダ語の辞書。和蘭 蘭和のふたつがいるんじゃないですか。まだ完全な辞書ないですから」
それは確かにそうだ。
オランダ語だ。当時の世界情勢や技術――
そいつを知るには「オランダ語」が必要だ。
「なあ、波留麻和解(はるまわげ)は大学でデータ化してるか?」
「うーんどうですかね…… 確認してみないと分かりませんね。先輩」
波留麻和解(はるまわげ)は日本発のオランダ語の辞書だ。田沼の時代にはまだない。
まあ、それが入手できなくとも、今の時代の辞書でも有ると無いでは全然違うだろう。
オランダ語も当然、歴史の流れの中で変容しているとしてもだ。
「まあ、手っ取り早く現代の物を売って、それで資金を集める。で、中央銀行のようなもの。ああ『貸金会所』ですかね。それを創設する」
「そうだ。そして、その資金をもって、一気に江戸を改革して、時代の針を一気に八〇年くらい進める」
「田沼時代に明治維新レベルの改革ですか……」
「それ以上だな――」
その辺り、近代に入り、科学史とか技術史になれば、俺にも考えは色々あるのだ。
まずは、田沼政治を成功させ、一気に日本を八〇年程度進める。
そして、そこから産業革命だ――
それも、二一世紀の科学立国の援助(俺ひとりだけど)を受けながらの大江戸産業革命だ。
「うーん。先のことになると…… やはり幕府という組織がどう動くか…… あッ」
なにかに気づいたように京子が声を上げた。
「なんだ?」
「皇室との関係―― これどうします? 幕府を残して近代化ですよね。後、身分制度とか――」
「それは……」
「地租改正、その後の農地改革―― 小作問題は、先輩も専門範囲ですよね」
「そうだなぁ。しかしなぁ……」
日本の農村の変化。
まず、明治維新で、版籍奉還が行われ「民」と「土地」が天皇の物となる。
まあ、中央集権国家の管理下におかれるということだ。
出だ、地租改正により税収が現金として安定化する。
税は米から金納になるわけだ。
そして、太平洋戦争後の「農地改革」だ。
これは、小作農の自作農化ということだが、GHQの専売特許ではない。
大日本帝國においても、小作農の困窮化は問題であり、色々な援助政策は出していた。
「小作農の自作農化」というアイデアも当然あった。
しかし、敗戦と言うショックの中でしかそれは実行できなかったのだ。
本当の意味での近代化――
今の日本のようになるには、農村の問題を全面的に解決しなければいかんのだ。
昭和の満州事変から始まり太平洋戦争で終わる歴史の区切を見たとき――
その根本には「食えない」、「貧困」と言う農村の問題が横たわっていたわけだ。
この辺りは俺の専門なので、はっきり言って京子なぞに負けはしない。
しかしだ――
「どうします? 先輩。いずれ行き詰まって、また同じことの繰り返しが……」
「その可能性はあるが……」
「どうします? そのあたり」
「それは――」
「それは?」
「構想中だな」
俺は胸を張って言った。
バーンと荒木飛〇彦的な擬音を背中に背負った感じで。
◇◇◇◇◇◇
「じゃあ、気を付けてな―― 始発で返れば、家に帰って一眠りできるんじゃないか」
「いえ…… いいです―― (この、鬼畜な放置プレイ…… 先輩、私をどこまで夢中にさせるんですか)」
京子のダダ漏れな心の声の呟きは無視する。
いいから帰れ、京成電車ではよ帰れ。鮒橋駅からはよ帰れ。
結局――
朝まで「どうする? どうなる? 江戸時代、田沼政治の失敗を防ぐには? 江戸の大改革は可能か?」をしたのだった。
司会はいない。パネラーの皆さまは俺と京子だけだった。
それでも、ひとりで考えるより色々といいことが思いついたし、京子のアイデアも訊くことが出来た。
俺としては非常に有意義だったわけである。
京子ちゃん、ファイト!! 燃えろー!!、気合だー!! 京子ぉぉ。
俺は疲れきった顔をしている京子を応援する。
心の中でだ。
「なあ、データちゃんと送ってくれな!」
「まあ、それはやりますけどね……」
俺は最終確認(ダメ押し)をする。
そして、トボトボと歩く京子を玄関で見送ったのだ。
ロングポニーテールも力なく揺れている感じ。
「んじゃ、ちょっと寝てから、活動再開だな!」
そんな京子を見送り俺は言った。
そして、俺は自分の部屋に戻り寝ることにしたのである。
布団の上で、ぐっすりと。
◇◇◇◇◇◇
安永八年(1879年)年六月に俺は戻ってきた。
江戸時代、田沼の時代。
二日ぶりの江戸だ。
田沼意次、意知親子はゲートが開く前から待っていたみたいだ。
今回は茶と、茶菓子が小さな小さな御膳の上にあった。
この部屋の木の匂い、畳の匂い。
そして、その御膳。
俺は、江戸だなぁって感じがした。
「お待ちしておりましたぞ。土岐殿」
「ささ、こちらへ――」
「へぇ、コイツが―― 二三〇年後の未来のねぇ…… なあ、触ってみてもいいかい?」
「え?」
俺は後ろを見た。
なんか、こう初めてだけど、初めて会ったじゃないような、そんな感じ。
「よぉ、土岐航殿。なんか言いにくいねぇ。ワタル殿でいいかい?」
「え…… あの、もしかして……」
なんか「源内」って聞こえたんだけど……
「源内、ソチという者は…… 全く―― 怖れ知らずよ」
「源内? って、そのあの、平賀源内ですか?」
俺がそう言うと田沼意次は黙って頷いた。
で、俺はリヤカーを物色している男を見た。
この時代の人間とすれば、背が高いのか。
一七〇センチ近くあるんじゃないか。
「あのぉ、平賀源内さんですか? 本物の?」
「おぅよ、本物か元祖かあれかそれか、何かは知りゃしねぇが、二三〇年後も名前が残っている源内だろ?」
「まあ……」
「じゃあ、オレだ。間違いねぇだろ」
想像通りと言うか、想像以上のアレだ……
奇人といわれるだけのことはある。この時代の「奇人」は「天才」と言う意味に近いが。
ただ、変人と言うニュアンスも多少はあるだろ。これ――
「大元帥明王様の使いである土岐殿だぞ、源内――」
「意知よ、これが源内じゃ―― 今さらよ」
田沼意次が苦笑しながら言った。
なんというか、それだけでふたりの関係の濃さが分かったような気もする
「ほぉ、これも『エレキテル』かい? 龕灯(ガンドウ)みたいに使う訳か―― あれ、つかねぇぜ。壊れてるのか?」
龕灯(ガンドウ)とは、忍者が持っているロウソクが立っている懐中電灯みたいなやつのことだ。
実際は、江戸時代に考えられたものだ。
源内はカチャカチャと的確にスイッチを弄っていた。
一〇〇円ショップで買った懐中電灯だ。
今回は一〇〇円ライター追加分と、この懐中電灯も持ってきたのだ。その他諸々も。
源内はおそらく見たこともないであろう「懐中電灯」を見て使い方と、そのスイッチを見つけ操作したのだ。
ただ、「電池」が無いという―― え? マジかよ。
「ほう…… これでバラすのかい? 種子島の尾栓と同じか」
源内が分解していた。
一〇〇円ショップの懐中電灯を。
「ははぁ~ ここに何か入れるんだろ―― んん~ これは、ちと分からんな。オレが天才でも――」
当たり前だ。
いきなり「ここに『エレキテル』を溜めた何かを入れるんじゃねえか」とか言いだ――
「ワタル殿、これ、このガランドウのとこに、なんかの方法でエレキテルを溜めた物をいれるのかい?」
「なッ―― なんで……」
「いや、なんとなくさ」
〔知らない、いや―― 信じられない天才だ)
俺は目の前の男を見つめる。
日本のダビンチと言われた稀代の天才――
平賀源内。
それは、歴史に伝わる以上の恐るべき男だった。
二六歳ながらにして、高校生はおろか、中学生に混じっても馴染みそうな外見。
一四六センチの女が俺の前に座っている。
俺よりも三〇センチくらい低い。
コンパスで描いたような丸いメガネ。
田辺京子――
俺の中学、高校、大学と三連チャンで後輩になる女だ。
まさか、メールの通りにやってくるとは思わなかった。
最近は特に連絡もしていなかったのだ。
彼女は、俺の出した麦茶を飲んで、コップをトンとテーブルの上に置いた。
(この子猫みたいなデカイ目が幼く見える原因か――)
俺は思う。
小さな顔に占める割合の大きな瞳が眼鏡越しに、こっちをジッとみているからだ
「先輩……」
「なんだ?」
「私のおっぱいをずっと見てたでしょ♥ もう、エッチ!」
俺は「フッ」と鼻で笑ってでコイツを見た。
キミの胸には「おっぱい」などという上等なものは存在しません。
それは幻想です。それは「胸」です。ただ胸といいます。
失礼です「おっぱいに謝りなさい」という思いを込めての「フッ」であった。
しかし京子は、理解できずなんか顔を赤らめている。
「ああ、はい、はい。ごめんね―― 麦茶いる? お代わり」
そして、事務的に対応する俺。
「先輩! そう言うつれない、反応をすると後悔しますよ――」
「なんで?」
「そのプレイで、私が濡れてしまいます。今夜は責任とって、先輩の赤ちゃん――」
「歩いて帰りたい?」
「――抱いて。先輩」
「タクシー呼ぶ?」
聞いちゃいねぇよ。
京子は、潤んだ大きな瞳でこっちを見つめる。
俺はテーブルの上にあった雑誌をギュッと丸めた。
そして振りかぶって振り下ろす作業をした。ゲスでエロイこと満載の頭に向けて。
「パカーン」と乾いた音が部屋に響いた。
◇◇◇◇◇◇
「で、その小説のヒロインは誰なんですか? 狙っている読者のフェチ傾向は?」
アゴの下で手を組んで、眼鏡を光らせる京子。
「やはり、小柄でメガネッ娘、後輩属性を持ちつつも、チョイエロなビッチな感じのヒロインが必要じゃないでしょうか――」
俺が黙っていると、京子はテーブルの上に身を乗り出し言った。
そんなヒロインはいらない。端的に言って。
「ヒロインはいい。とにかく、江戸に何を持って行くべきかだよ」
「そうですか……」
呟くように言ったのは「見た目は子ども、頭脳はゲスエロ」の田辺京子だ。
しかし、頭脳はゲスエロだけが詰まっているわけではない。多分。
大学で江戸時代の研究をしておりそっち方面の知識を持っている。
少なくとも俺よりもだ。
更に、彼女にはこういう事態を話しやすい条件もあった。
俺は今回、俺に起きている「この事態」を構想中の小説として話したのだ。
高校時代から文芸部の後輩で、大学も一応その手のサークルだった。
ただ、高校はともかく、大学の方はバイトが忙しくて半幽霊状態だったが。
「なぜ、俺が、そのような疑問を持つのか?」ということについて勘ぐることが無い。
極めて自然に話せるのだ。
「あ、暴力ヒロインとかビッチも好きなんですけどね。(クッ…… 何で受けねぇんだよ…… 死ねよ)」
京子が小さくどす黒い心の声をダダ漏れにした気がしたが、そこはスルーする俺だ。
そもそも、ヒロインの話じゃねーし。
「いや、それはいいから! まずは、江戸に何をもっていくべきかだ」
俺は繰り返す。
江戸に何を持って行くか。専門家の目から洗い直すためだ。
そのために、オマエはここに存在を許されているのだぞ、京子よ。
「しかし、設定の甘い小説ですよねぇ。行ったり来たりできるんですか?」
「出来るよ」
「タイムトンネルで時代をつなげる。二つの世界には相関がないので、パラドクスもないと…… ご都合主義ですねぇ」
「うるせぇな。いいんだよ。肝心の設定はそこじゃないし!」
「リヤカー積載量三五〇キロ以内ですか? そんなに積めるんですか?」
「ネットで調べた。問題ない」
そのリヤカーは別の部屋で折りたたまれ、出番時を待っているのだけどね。
ひとりで使うには広いかと思っていた2DKの間取りが役に立った。
「う~ん。三五〇キロ以内で、江戸に持って行くべきものですか」
「パソコン、書籍、発電機、ガソリン、照明器具、食糧、携帯ボンベのガスコンロ、一〇〇円ライター、抗生物質、ビタミン剤、現代の食糧、御菓子類――」
俺は実際に持ち込んだモノを並べて言ってみた。
「まあ、それは素人さんの発想ですね―― 先輩」
なに、その言い方。上から目線。一四六センチの癖に。
オマエは「〇牙」でインタビュー受けてるキャラか?
「書籍類はなにを?」
「えー江戸時代の歴史の本みたいなの。ネットで買ったから」
「買ったから?」
「いや、物語の中の話だよ」
「先輩ぃ、一応史学科ですよねぇ……」
「そうだけど。でも、専門は江戸じゃねーしさぁ」
そう言うと京子「うーん」と腕を組んで考え出した。
「先輩は江戸の崩し字は読めます?」
「まあ、簡単なモノなら読めるな。大丈夫」
江戸に行くにあたって、一応は復習したのだ。
大学時代に、そういった講義があって、俺は履修して単位もとった。
「ネットを使うなら、国会図書館から当時の文献をコピペして持って行くべきですね」
「当時って、江戸時代か?」
「そうですよ。まあ、明治近くまであっていいかなぁ――」
京子が言うには、直近の歴史でなにが起きるのか、当時の記録とか史料をデータ化して持って行けと言うことだ。
それは、確かにネットでとれる。俺も「アジ歴」で近現代史の史料なんかは見たりする。趣味のために。
「そういった過去の文献、史料も江戸に持って行けば、未来の預言書ですよ」
「そうだな」
「市販の書でそれがあればいいですけど、江戸時代の人に読ませるのは大変だと思いますよ」
俺、納得。
確かにそれは正しい。本を持って行っても読めないとどうしようもない。
現代の本では俺の解説が必要になって手間になることは確かだ。
「そう言った史料のリストとかあるのか?」
「もう―― 私と先輩の間じゃないですか…… 上げますよ」
「マジか!」
「先輩って、まだガラゲー?」
「そうだが」
「スマホにした方が、データのやり取りとかいいんじゃないですか?」
「いい。メールはパソコンに送ってくれ。アドレスは携帯に送るから」
「まあ、それでもいいですけど」
田沼意次が一〇年先のことまで知っていると言っても個人の経験の範囲だ。
しかも、江戸はいまのような情報社会ではない。
そう言った史料があるのは助かるだろう。
「後、オランダ語の辞書。和蘭 蘭和のふたつがいるんじゃないですか。まだ完全な辞書ないですから」
それは確かにそうだ。
オランダ語だ。当時の世界情勢や技術――
そいつを知るには「オランダ語」が必要だ。
「なあ、波留麻和解(はるまわげ)は大学でデータ化してるか?」
「うーんどうですかね…… 確認してみないと分かりませんね。先輩」
波留麻和解(はるまわげ)は日本発のオランダ語の辞書だ。田沼の時代にはまだない。
まあ、それが入手できなくとも、今の時代の辞書でも有ると無いでは全然違うだろう。
オランダ語も当然、歴史の流れの中で変容しているとしてもだ。
「まあ、手っ取り早く現代の物を売って、それで資金を集める。で、中央銀行のようなもの。ああ『貸金会所』ですかね。それを創設する」
「そうだ。そして、その資金をもって、一気に江戸を改革して、時代の針を一気に八〇年くらい進める」
「田沼時代に明治維新レベルの改革ですか……」
「それ以上だな――」
その辺り、近代に入り、科学史とか技術史になれば、俺にも考えは色々あるのだ。
まずは、田沼政治を成功させ、一気に日本を八〇年程度進める。
そして、そこから産業革命だ――
それも、二一世紀の科学立国の援助(俺ひとりだけど)を受けながらの大江戸産業革命だ。
「うーん。先のことになると…… やはり幕府という組織がどう動くか…… あッ」
なにかに気づいたように京子が声を上げた。
「なんだ?」
「皇室との関係―― これどうします? 幕府を残して近代化ですよね。後、身分制度とか――」
「それは……」
「地租改正、その後の農地改革―― 小作問題は、先輩も専門範囲ですよね」
「そうだなぁ。しかしなぁ……」
日本の農村の変化。
まず、明治維新で、版籍奉還が行われ「民」と「土地」が天皇の物となる。
まあ、中央集権国家の管理下におかれるということだ。
出だ、地租改正により税収が現金として安定化する。
税は米から金納になるわけだ。
そして、太平洋戦争後の「農地改革」だ。
これは、小作農の自作農化ということだが、GHQの専売特許ではない。
大日本帝國においても、小作農の困窮化は問題であり、色々な援助政策は出していた。
「小作農の自作農化」というアイデアも当然あった。
しかし、敗戦と言うショックの中でしかそれは実行できなかったのだ。
本当の意味での近代化――
今の日本のようになるには、農村の問題を全面的に解決しなければいかんのだ。
昭和の満州事変から始まり太平洋戦争で終わる歴史の区切を見たとき――
その根本には「食えない」、「貧困」と言う農村の問題が横たわっていたわけだ。
この辺りは俺の専門なので、はっきり言って京子なぞに負けはしない。
しかしだ――
「どうします? 先輩。いずれ行き詰まって、また同じことの繰り返しが……」
「その可能性はあるが……」
「どうします? そのあたり」
「それは――」
「それは?」
「構想中だな」
俺は胸を張って言った。
バーンと荒木飛〇彦的な擬音を背中に背負った感じで。
◇◇◇◇◇◇
「じゃあ、気を付けてな―― 始発で返れば、家に帰って一眠りできるんじゃないか」
「いえ…… いいです―― (この、鬼畜な放置プレイ…… 先輩、私をどこまで夢中にさせるんですか)」
京子のダダ漏れな心の声の呟きは無視する。
いいから帰れ、京成電車ではよ帰れ。鮒橋駅からはよ帰れ。
結局――
朝まで「どうする? どうなる? 江戸時代、田沼政治の失敗を防ぐには? 江戸の大改革は可能か?」をしたのだった。
司会はいない。パネラーの皆さまは俺と京子だけだった。
それでも、ひとりで考えるより色々といいことが思いついたし、京子のアイデアも訊くことが出来た。
俺としては非常に有意義だったわけである。
京子ちゃん、ファイト!! 燃えろー!!、気合だー!! 京子ぉぉ。
俺は疲れきった顔をしている京子を応援する。
心の中でだ。
「なあ、データちゃんと送ってくれな!」
「まあ、それはやりますけどね……」
俺は最終確認(ダメ押し)をする。
そして、トボトボと歩く京子を玄関で見送ったのだ。
ロングポニーテールも力なく揺れている感じ。
「んじゃ、ちょっと寝てから、活動再開だな!」
そんな京子を見送り俺は言った。
そして、俺は自分の部屋に戻り寝ることにしたのである。
布団の上で、ぐっすりと。
◇◇◇◇◇◇
安永八年(1879年)年六月に俺は戻ってきた。
江戸時代、田沼の時代。
二日ぶりの江戸だ。
田沼意次、意知親子はゲートが開く前から待っていたみたいだ。
今回は茶と、茶菓子が小さな小さな御膳の上にあった。
この部屋の木の匂い、畳の匂い。
そして、その御膳。
俺は、江戸だなぁって感じがした。
「お待ちしておりましたぞ。土岐殿」
「ささ、こちらへ――」
「へぇ、コイツが―― 二三〇年後の未来のねぇ…… なあ、触ってみてもいいかい?」
「え?」
俺は後ろを見た。
なんか、こう初めてだけど、初めて会ったじゃないような、そんな感じ。
「よぉ、土岐航殿。なんか言いにくいねぇ。ワタル殿でいいかい?」
「え…… あの、もしかして……」
なんか「源内」って聞こえたんだけど……
「源内、ソチという者は…… 全く―― 怖れ知らずよ」
「源内? って、そのあの、平賀源内ですか?」
俺がそう言うと田沼意次は黙って頷いた。
で、俺はリヤカーを物色している男を見た。
この時代の人間とすれば、背が高いのか。
一七〇センチ近くあるんじゃないか。
「あのぉ、平賀源内さんですか? 本物の?」
「おぅよ、本物か元祖かあれかそれか、何かは知りゃしねぇが、二三〇年後も名前が残っている源内だろ?」
「まあ……」
「じゃあ、オレだ。間違いねぇだろ」
想像通りと言うか、想像以上のアレだ……
奇人といわれるだけのことはある。この時代の「奇人」は「天才」と言う意味に近いが。
ただ、変人と言うニュアンスも多少はあるだろ。これ――
「大元帥明王様の使いである土岐殿だぞ、源内――」
「意知よ、これが源内じゃ―― 今さらよ」
田沼意次が苦笑しながら言った。
なんというか、それだけでふたりの関係の濃さが分かったような気もする
「ほぉ、これも『エレキテル』かい? 龕灯(ガンドウ)みたいに使う訳か―― あれ、つかねぇぜ。壊れてるのか?」
龕灯(ガンドウ)とは、忍者が持っているロウソクが立っている懐中電灯みたいなやつのことだ。
実際は、江戸時代に考えられたものだ。
源内はカチャカチャと的確にスイッチを弄っていた。
一〇〇円ショップで買った懐中電灯だ。
今回は一〇〇円ライター追加分と、この懐中電灯も持ってきたのだ。その他諸々も。
源内はおそらく見たこともないであろう「懐中電灯」を見て使い方と、そのスイッチを見つけ操作したのだ。
ただ、「電池」が無いという―― え? マジかよ。
「ほう…… これでバラすのかい? 種子島の尾栓と同じか」
源内が分解していた。
一〇〇円ショップの懐中電灯を。
「ははぁ~ ここに何か入れるんだろ―― んん~ これは、ちと分からんな。オレが天才でも――」
当たり前だ。
いきなり「ここに『エレキテル』を溜めた何かを入れるんじゃねえか」とか言いだ――
「ワタル殿、これ、このガランドウのとこに、なんかの方法でエレキテルを溜めた物をいれるのかい?」
「なッ―― なんで……」
「いや、なんとなくさ」
〔知らない、いや―― 信じられない天才だ)
俺は目の前の男を見つめる。
日本のダビンチと言われた稀代の天才――
平賀源内。
それは、歴史に伝わる以上の恐るべき男だった。
0
お気に入りに追加
1,918
あなたにおすすめの小説
無職ニートの俺は気が付くと聯合艦隊司令長官になっていた
中七七三
ファンタジー
■■アルファポリス 第1回歴史・時代小説大賞 読者賞受賞■■
無職ニートで軍ヲタの俺が太平洋戦争時の聯合艦隊司令長官となっていた。
これは、別次元から来た女神のせいだった。
その次元では日本が勝利していたのだった。
女神は、神国日本が負けた歴史の世界が許せない。
なぜか、俺を真珠湾攻撃直前の時代に転移させ、聯合艦隊司令長官にした。
軍ヲタ知識で、歴史をどーにかできるのか?
日本勝たせるなんて、無理ゲーじゃねと思いつつ、このままでは自分が死ぬ。
ブーゲンビルで機上戦死か、戦争終わって、戦犯で死刑だ。
この運命を回避するため、必死の戦いが始まった。
参考文献は、各話の最後に掲載しています。完結後に纏めようかと思います。
使用している地図・画像は自作か、ライセンスで再利用可のものを検索し使用しています。
表紙イラストは、ヤングマガジンで賞をとった方が画いたものです。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
凡人がおまけ召喚されてしまった件
根鳥 泰造
ファンタジー
勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。
仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。
それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。
異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。
最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。
だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。
祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!
夜間救急事務受付
ファンタジー
仕事中、気がつくと知らない世界にいた 佐藤 惣一郎(サトウ ソウイチロウ)
安く買った、視力の悪い奴隷の少女に、瓶の底の様な分厚いメガネを与えると
めちゃめちゃ強かった!
気軽に読めるので、暇つぶしに是非!
涙あり、笑いあり
シリアスなおとぼけ冒険譚!
異世界ラブ冒険ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる