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11.見知らぬ、天才 ―THE GENIUS―

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 小柄というより「チンマリ」というのがぴったりくる。
 二六歳ながらにして、高校生はおろか、中学生に混じっても馴染みそうな外見。
 
 一四六センチの女が俺の前に座っている。
 俺よりも三〇センチくらい低い。
 コンパスで描いたような丸いメガネ。
 
 田辺京子――
 俺の中学、高校、大学と三連チャンで後輩になる女だ。

 まさか、メールの通りにやってくるとは思わなかった。
 最近は特に連絡もしていなかったのだ。

 彼女は、俺の出した麦茶を飲んで、コップをトンとテーブルの上に置いた。
 
(この子猫みたいなデカイ目が幼く見える原因か――)

 俺は思う。
 小さな顔に占める割合の大きな瞳が眼鏡越しに、こっちをジッとみているからだ
  
「先輩……」
「なんだ?」
「私のおっぱいをずっと見てたでしょ♥ もう、エッチ!」

 俺は「フッ」と鼻で笑ってでコイツを見た。
 キミの胸には「おっぱい」などという上等なものは存在しません。
 それは幻想です。それは「胸」です。ただ胸といいます。

 失礼です「おっぱいに謝りなさい」という思いを込めての「フッ」であった。

 しかし京子は、理解できずなんか顔を赤らめている。

「ああ、はい、はい。ごめんね―― 麦茶いる? お代わり」
 
 そして、事務的に対応する俺。

「先輩! そう言うつれない、反応をすると後悔しますよ――」
「なんで?」

「そのプレイで、私が濡れてしまいます。今夜は責任とって、先輩の赤ちゃん――」

「歩いて帰りたい?」

「――抱いて。先輩」

「タクシー呼ぶ?」

 聞いちゃいねぇよ。

 京子は、潤んだ大きな瞳でこっちを見つめる。

 俺はテーブルの上にあった雑誌をギュッと丸めた。

 そして振りかぶって振り下ろす作業をした。ゲスでエロイこと満載の頭に向けて。

「パカーン」と乾いた音が部屋に響いた。

        ◇◇◇◇◇◇

「で、その小説のヒロインは誰なんですか? 狙っている読者のフェチ傾向は?」

 アゴの下で手を組んで、眼鏡を光らせる京子。

「やはり、小柄でメガネッ娘、後輩属性を持ちつつも、チョイエロなビッチな感じのヒロインが必要じゃないでしょうか――」

 俺が黙っていると、京子はテーブルの上に身を乗り出し言った。
 そんなヒロインはいらない。端的に言って。

「ヒロインはいい。とにかく、江戸に何を持って行くべきかだよ」

「そうですか……」
 
 呟くように言ったのは「見た目は子ども、頭脳はゲスエロ」の田辺京子だ。

 しかし、頭脳はゲスエロだけが詰まっているわけではない。多分。
 大学で江戸時代の研究をしておりそっち方面の知識を持っている。
 少なくとも俺よりもだ。

 更に、彼女にはこういう事態を話しやすい条件もあった。

 俺は今回、俺に起きている「この事態」を構想中の小説として話したのだ。
 高校時代から文芸部の後輩で、大学も一応その手のサークルだった。
 ただ、高校はともかく、大学の方はバイトが忙しくて半幽霊状態だったが。

「なぜ、俺が、そのような疑問を持つのか?」ということについて勘ぐることが無い。

 極めて自然に話せるのだ。

「あ、暴力ヒロインとかビッチも好きなんですけどね。(クッ…… 何で受けねぇんだよ…… 死ねよ)」

 京子が小さくどす黒い心の声をダダ漏れにした気がしたが、そこはスルーする俺だ。
 そもそも、ヒロインの話じゃねーし。

「いや、それはいいから! まずは、江戸に何をもっていくべきかだ」

 俺は繰り返す。
 江戸に何を持って行くか。専門家の目から洗い直すためだ。
 そのために、オマエはここに存在を許されているのだぞ、京子よ。

「しかし、設定の甘い小説ですよねぇ。行ったり来たりできるんですか?」
「出来るよ」
「タイムトンネルで時代をつなげる。二つの世界には相関がないので、パラドクスもないと…… ご都合主義ですねぇ」
「うるせぇな。いいんだよ。肝心の設定はそこじゃないし!」
「リヤカー積載量三五〇キロ以内ですか? そんなに積めるんですか?」
「ネットで調べた。問題ない」

 そのリヤカーは別の部屋で折りたたまれ、出番時を待っているのだけどね。
 ひとりで使うには広いかと思っていた2DKの間取りが役に立った。

「う~ん。三五〇キロ以内で、江戸に持って行くべきものですか」
「パソコン、書籍、発電機、ガソリン、照明器具、食糧、携帯ボンベのガスコンロ、一〇〇円ライター、抗生物質、ビタミン剤、現代の食糧、御菓子類――」
 
 俺は実際に持ち込んだモノを並べて言ってみた。

「まあ、それは素人さんの発想ですね―― 先輩」
 
 なに、その言い方。上から目線。一四六センチの癖に。
 オマエは「〇牙」でインタビュー受けてるキャラか?

「書籍類はなにを?」
「えー江戸時代の歴史の本みたいなの。ネットで買ったから」
「買ったから?」
「いや、物語の中の話だよ」
「先輩ぃ、一応史学科ですよねぇ……」
「そうだけど。でも、専門は江戸じゃねーしさぁ」

 そう言うと京子「うーん」と腕を組んで考え出した。

「先輩は江戸の崩し字は読めます?」
「まあ、簡単なモノなら読めるな。大丈夫」

 江戸に行くにあたって、一応は復習したのだ。
 大学時代に、そういった講義があって、俺は履修して単位もとった。

「ネットを使うなら、国会図書館から当時の文献をコピペして持って行くべきですね」
「当時って、江戸時代か?」
「そうですよ。まあ、明治近くまであっていいかなぁ――」

 京子が言うには、直近の歴史でなにが起きるのか、当時の記録とか史料をデータ化して持って行けと言うことだ。
 それは、確かにネットでとれる。俺も「アジ歴」で近現代史の史料なんかは見たりする。趣味のために。

「そういった過去の文献、史料も江戸に持って行けば、未来の預言書ですよ」
「そうだな」
「市販の書でそれがあればいいですけど、江戸時代の人に読ませるのは大変だと思いますよ」

 俺、納得。
 確かにそれは正しい。本を持って行っても読めないとどうしようもない。
 現代の本では俺の解説が必要になって手間になることは確かだ。

「そう言った史料のリストとかあるのか?」
「もう―― 私と先輩の間じゃないですか…… 上げますよ」
「マジか!」
「先輩って、まだガラゲー?」
「そうだが」
「スマホにした方が、データのやり取りとかいいんじゃないですか?」
「いい。メールはパソコンに送ってくれ。アドレスは携帯に送るから」
「まあ、それでもいいですけど」

 田沼意次が一〇年先のことまで知っていると言っても個人の経験の範囲だ。
 しかも、江戸はいまのような情報社会ではない。
 そう言った史料があるのは助かるだろう。

「後、オランダ語の辞書。和蘭 蘭和のふたつがいるんじゃないですか。まだ完全な辞書ないですから」

 それは確かにそうだ。
 オランダ語だ。当時の世界情勢や技術――
 そいつを知るには「オランダ語」が必要だ。
 
「なあ、波留麻和解(はるまわげ)は大学でデータ化してるか?」
「うーんどうですかね…… 確認してみないと分かりませんね。先輩」

 波留麻和解(はるまわげ)は日本発のオランダ語の辞書だ。田沼の時代にはまだない。
 まあ、それが入手できなくとも、今の時代の辞書でも有ると無いでは全然違うだろう。
 オランダ語も当然、歴史の流れの中で変容しているとしてもだ。

「まあ、手っ取り早く現代の物を売って、それで資金を集める。で、中央銀行のようなもの。ああ『貸金会所』ですかね。それを創設する」
「そうだ。そして、その資金をもって、一気に江戸を改革して、時代の針を一気に八〇年くらい進める」
「田沼時代に明治維新レベルの改革ですか……」
「それ以上だな――」

 その辺り、近代に入り、科学史とか技術史になれば、俺にも考えは色々あるのだ。
 まずは、田沼政治を成功させ、一気に日本を八〇年程度進める。
 そして、そこから産業革命だ――
 それも、二一世紀の科学立国の援助(俺ひとりだけど)を受けながらの大江戸産業革命だ。

「うーん。先のことになると…… やはり幕府という組織がどう動くか…… あッ」

 なにかに気づいたように京子が声を上げた。

「なんだ?」
「皇室との関係―― これどうします? 幕府を残して近代化ですよね。後、身分制度とか――」
「それは……」
「地租改正、その後の農地改革―― 小作問題は、先輩も専門範囲ですよね」
「そうだなぁ。しかしなぁ……」

 日本の農村の変化。
 まず、明治維新で、版籍奉還が行われ「民」と「土地」が天皇の物となる。
 まあ、中央集権国家の管理下におかれるということだ。
 出だ、地租改正により税収が現金として安定化する。
 税は米から金納になるわけだ。
 そして、太平洋戦争後の「農地改革」だ。

 これは、小作農の自作農化ということだが、GHQの専売特許ではない。
 大日本帝國においても、小作農の困窮化は問題であり、色々な援助政策は出していた。
「小作農の自作農化」というアイデアも当然あった。
 しかし、敗戦と言うショックの中でしかそれは実行できなかったのだ。

 本当の意味での近代化――
 今の日本のようになるには、農村の問題を全面的に解決しなければいかんのだ。
 昭和の満州事変から始まり太平洋戦争で終わる歴史の区切を見たとき――
 その根本には「食えない」、「貧困」と言う農村の問題が横たわっていたわけだ。
 
 この辺りは俺の専門なので、はっきり言って京子なぞに負けはしない。

 しかしだ――

「どうします? 先輩。いずれ行き詰まって、また同じことの繰り返しが……」
「その可能性はあるが……」
「どうします? そのあたり」
「それは――」
「それは?」
「構想中だな」

 俺は胸を張って言った。

 バーンと荒木飛〇彦的な擬音を背中に背負った感じで。

        ◇◇◇◇◇◇

「じゃあ、気を付けてな―― 始発で返れば、家に帰って一眠りできるんじゃないか」
「いえ…… いいです―― (この、鬼畜な放置プレイ…… 先輩、私をどこまで夢中にさせるんですか)」

 京子のダダ漏れな心の声の呟きは無視する。
 いいから帰れ、京成電車ではよ帰れ。鮒橋駅からはよ帰れ。
 
 結局――
 朝まで「どうする? どうなる? 江戸時代、田沼政治の失敗を防ぐには? 江戸の大改革は可能か?」をしたのだった。
 司会はいない。パネラーの皆さまは俺と京子だけだった。

 それでも、ひとりで考えるより色々といいことが思いついたし、京子のアイデアも訊くことが出来た。
 俺としては非常に有意義だったわけである。
 
 京子ちゃん、ファイト!! 燃えろー!!、気合だー!! 京子ぉぉ。
 
 俺は疲れきった顔をしている京子を応援する。
 心の中でだ。

「なあ、データちゃんと送ってくれな!」
「まあ、それはやりますけどね……」

 俺は最終確認(ダメ押し)をする。
 そして、トボトボと歩く京子を玄関で見送ったのだ。
 ロングポニーテールも力なく揺れている感じ。

「んじゃ、ちょっと寝てから、活動再開だな!」

 そんな京子を見送り俺は言った。
 そして、俺は自分の部屋に戻り寝ることにしたのである。
 布団の上で、ぐっすりと。

        ◇◇◇◇◇◇

 安永八年(1879年)年六月に俺は戻ってきた。
 江戸時代、田沼の時代。
 二日ぶりの江戸だ。
 
 田沼意次、意知親子はゲートが開く前から待っていたみたいだ。
 今回は茶と、茶菓子が小さな小さな御膳の上にあった。
 
 この部屋の木の匂い、畳の匂い。
 そして、その御膳。
 俺は、江戸だなぁって感じがした。

「お待ちしておりましたぞ。土岐殿」
「ささ、こちらへ――」

「へぇ、コイツが―― 二三〇年後の未来のねぇ…… なあ、触ってみてもいいかい?」

「え?」

 俺は後ろを見た。
 なんか、こう初めてだけど、初めて会ったじゃないような、そんな感じ。

「よぉ、土岐航殿。なんか言いにくいねぇ。ワタル殿でいいかい?」
「え…… あの、もしかして……」

 なんか「源内」って聞こえたんだけど……

「源内、ソチという者は…… 全く―― 怖れ知らずよ」

「源内? って、そのあの、平賀源内ですか?」

 俺がそう言うと田沼意次は黙って頷いた。
 で、俺はリヤカーを物色している男を見た。
 この時代の人間とすれば、背が高いのか。
 一七〇センチ近くあるんじゃないか。

「あのぉ、平賀源内さんですか? 本物の?」

「おぅよ、本物か元祖かあれかそれか、何かは知りゃしねぇが、二三〇年後も名前が残っている源内だろ?」
「まあ……」
「じゃあ、オレだ。間違いねぇだろ」

 想像通りと言うか、想像以上のアレだ……
 奇人といわれるだけのことはある。この時代の「奇人」は「天才」と言う意味に近いが。
 ただ、変人と言うニュアンスも多少はあるだろ。これ――

「大元帥明王様の使いである土岐殿だぞ、源内――」
「意知よ、これが源内じゃ―― 今さらよ」

 田沼意次が苦笑しながら言った。
 なんというか、それだけでふたりの関係の濃さが分かったような気もする

「ほぉ、これも『エレキテル』かい? 龕灯(ガンドウ)みたいに使う訳か―― あれ、つかねぇぜ。壊れてるのか?」

 龕灯(ガンドウ)とは、忍者が持っているロウソクが立っている懐中電灯みたいなやつのことだ。
 実際は、江戸時代に考えられたものだ。
 
 源内はカチャカチャと的確にスイッチを弄っていた。
 一〇〇円ショップで買った懐中電灯だ。

 今回は一〇〇円ライター追加分と、この懐中電灯も持ってきたのだ。その他諸々も。
 源内はおそらく見たこともないであろう「懐中電灯」を見て使い方と、そのスイッチを見つけ操作したのだ。
 ただ、「電池」が無いという―― え? マジかよ。

「ほう…… これでバラすのかい? 種子島の尾栓と同じか」
 
 源内が分解していた。
 一〇〇円ショップの懐中電灯を。

「ははぁ~ ここに何か入れるんだろ―― んん~ これは、ちと分からんな。オレが天才でも――」
 
 当たり前だ。
 いきなり「ここに『エレキテル』を溜めた何かを入れるんじゃねえか」とか言いだ――

「ワタル殿、これ、このガランドウのとこに、なんかの方法でエレキテルを溜めた物をいれるのかい?」

「なッ―― なんで……」

「いや、なんとなくさ」

〔知らない、いや―― 信じられない天才だ)

 俺は目の前の男を見つめる。
 日本のダビンチと言われた稀代の天才――

 平賀源内。

 それは、歴史に伝わる以上の恐るべき男だった。
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