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7話
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ローザリンデの毅然とした、凛とした物言いに、一瞬だけファルマッハ侯爵は酢を飲んだような表情になった。
しかし、すぐに嫌な笑みを浮かべる。唇を捻じ曲げる。
「まあ、いい。そんな戯言も、ここに至っては耳に心地いい」
すでに、ローゼリンデの実家の家業である交易の実権は彼の手の内にあった。
彼女の美貌と若く瑞々しい身体は惜しい気がした。
しかし、どうにも都市出身者というだけで、自分の中の劣等感を刺激されることも確かだ。
「女」としてはいくらでもマシな替えがあると思った。
金ならいくらもあり、女は金になびき股を開くものだと侯爵は思っている。
ドンッという音と同時に、大広間の重い扉が一気に開いた。
腰に剣を帯びた男たちが入ってきた。
揃いの服に身を包み、キビキビした動作で部屋の中に整列していく。
その人の列が出来上がると、ゆっくりとひとりの男が歩を進めてくる。
頭を覆う黒いフード付きのマントのような衣装を着た者だった。
その衣装の前面には、鷹と鳩と剣の紋章がかかれていた。
恐怖の対象である異端審問官を示す刻印だった。
「はは、来たか、早いな。んん~ それだけの大罪というわけだな」
ファルマッハ侯爵は歓迎の意を込めたのか、パンパンと手を叩く。
「怖くないかい?」
「平気」
ローザリンデは小さくつぶやくリカードに答える。
つぶやき声であったが芯の通った声だった。
黒衣服の男は、そのまま音も無く前へ進む。
凍りつくような雰囲気を持っていた。
使用人の内、何人かが耐え切れず身震いする。
大広間の温度が一気に下がったかのようだった。
「ん? え? なんだ?」
ファルマッハ侯爵は間抜けな声を上げた。
「お兄様、これは……」
彼の妹も呆然として、つぶやくように声を漏らすだけだ。
黒衣服の男は、家宰の息子である使用人しかすぎないリカードの前でひざまづいたのだった。
それは、最高の礼儀と忠誠を表す所作だった。
「リカード……」
ローゼリンデも唖然とするしかなかった。
この状況の意味が全く分からないのは、この大広間にいる他の人間と同じだった。
「お迎えに上がりました。リカード王子」
「ああ」
王子?
王子って言った?
誰が?
リカードが?
「しかし、その衣装、どこで手に入れた?」
リカードは悠然とした態度で、男に聞いた。
男は、さっとその黒い服を脱ぎすてた。
「途中で出会った教会の莫迦どもからありがたく拝借いたしました」
「そうか」
「すこし、座興がすぎましたでしょうか?」
「いや、中々面白かった」
ガタっと音をたて、侯爵が立ち上がる。
「何だこれは! この茶番はなんだ! いったい!」
唾を飛ばし、眼球を飛び出させるほど見開き、侯爵は怒鳴る。
「見て分からないのかい? 血の巡りがわるいんじゃないか?」
そう言って、リカードは人差し指を自分の頭の方に指して、くるくると旋回させる。
何を意味するか、明白なゼスチャーだ。
「この!! オマエはぁ!!」
「だから、王子だっていてるだろ。アホウ」
まるで別人になったかのような。
いや、その本質は以前感じたように、肌を合わせたときに感じたように何も変わっていない。
「リカードが王子……」
ローザリンデはこの少年に感じていた不思議な雰囲気の答えを得たような気がした。
もしかしたら、ずっと前に気づいていたのかもしれない。心のどこかで……
「お前ら、兄妹で情を交わしているだろ。しかも妻の実家を騙して、家業の乗っ取りを図るとか、とんでもない不信心者だ。神をも恐れぬ所業とはこのことだ」
リカードは滔滔と、ファルマッハ侯爵の悪行を並べ立てる。
真っ青な顔となり、震え崩れ落ちる侯爵。
そして、妹は「兄の言うとおりにしただけよ――」と金切り声を上げるだけだった。
そんなふたりを、剣を身につけた男たちが捕縛した。
潔白を訴える侯爵に、止めの言葉が投げかけられる。
家宰だった。
「侯爵殿、悪行の証拠は既に押さえております。謀を記した書簡もここに」
家宰はそういうと羊皮紙の束を高々とかざした。
侯爵と妹は力なくうなだれた。
◇◇◇◇◇◇
「すまなかったと思っている。本当に」
リカードの言葉が港を吹く海風に乗っていく。
金色の柔らかそうな髪が風の中を舞う。
リカードはこの王国の王子だった。
ただ、王位継承権のない第12位の序列であり、実際のところ王子とは言いがたい存在であったのだ。
それゆえ、他の家に養子に出され、その家の跡取りとなっていた。
侯爵家の家宰として働いていた義理の父は、王国の密偵ともいえる存在だった。
リカードも本来であれば、その家を継ぐはずであったのだが――
「序列8位の王子が王位継承権を放棄し、11位の王子が事故で死んだ。つまり私に王位継承権が出来た」
柔らかい響の声が、ローザリンデの耳に流れ込む。
「王位継承権を持つものは、領地の一部を継承し、王位を継ぐ準備をしなければならないんだ。また、王位を継ぐことがなくとも、兄弟として王位を継いだ者を助けていく義務がある」
港からは遠く広がる海原が広がっている。
リカードは言った。 水平線の彼方、海と空が交じり合う遥か遠い先を見つめながら。
彼は隣に立ち、同じように海を見つめるローザリンデの手を取った。
リカードが見上げるようにしてローザリンデの顔を見つめた。
「だから、これが最後の機会だ。無理強いはしない」
言葉を大切に刻むリカードをローザリンデは黙って見つめていた。
「私の妃になってほしい。結婚して欲しい」
そこの言葉がローザリンデの胸の中に甘く溶け込んでいく。
彼女は王子の手を握り返していた。
「こんな女でもいいのですか?」
「こんな女だからこそいいんだ。愛している。ローザリンデ」
王子の言葉を受け、ゆっくりとローザリンデの唇が動いた。
その声は波の音の中に溶け込み、広がっていった。
ふたりは、手をつなぎ、遠い島を目指す船に乗り込んだ。
空を舞う海鳥は、いつまでも祝福の歌を謳っていた。
ー完ー
しかし、すぐに嫌な笑みを浮かべる。唇を捻じ曲げる。
「まあ、いい。そんな戯言も、ここに至っては耳に心地いい」
すでに、ローゼリンデの実家の家業である交易の実権は彼の手の内にあった。
彼女の美貌と若く瑞々しい身体は惜しい気がした。
しかし、どうにも都市出身者というだけで、自分の中の劣等感を刺激されることも確かだ。
「女」としてはいくらでもマシな替えがあると思った。
金ならいくらもあり、女は金になびき股を開くものだと侯爵は思っている。
ドンッという音と同時に、大広間の重い扉が一気に開いた。
腰に剣を帯びた男たちが入ってきた。
揃いの服に身を包み、キビキビした動作で部屋の中に整列していく。
その人の列が出来上がると、ゆっくりとひとりの男が歩を進めてくる。
頭を覆う黒いフード付きのマントのような衣装を着た者だった。
その衣装の前面には、鷹と鳩と剣の紋章がかかれていた。
恐怖の対象である異端審問官を示す刻印だった。
「はは、来たか、早いな。んん~ それだけの大罪というわけだな」
ファルマッハ侯爵は歓迎の意を込めたのか、パンパンと手を叩く。
「怖くないかい?」
「平気」
ローザリンデは小さくつぶやくリカードに答える。
つぶやき声であったが芯の通った声だった。
黒衣服の男は、そのまま音も無く前へ進む。
凍りつくような雰囲気を持っていた。
使用人の内、何人かが耐え切れず身震いする。
大広間の温度が一気に下がったかのようだった。
「ん? え? なんだ?」
ファルマッハ侯爵は間抜けな声を上げた。
「お兄様、これは……」
彼の妹も呆然として、つぶやくように声を漏らすだけだ。
黒衣服の男は、家宰の息子である使用人しかすぎないリカードの前でひざまづいたのだった。
それは、最高の礼儀と忠誠を表す所作だった。
「リカード……」
ローゼリンデも唖然とするしかなかった。
この状況の意味が全く分からないのは、この大広間にいる他の人間と同じだった。
「お迎えに上がりました。リカード王子」
「ああ」
王子?
王子って言った?
誰が?
リカードが?
「しかし、その衣装、どこで手に入れた?」
リカードは悠然とした態度で、男に聞いた。
男は、さっとその黒い服を脱ぎすてた。
「途中で出会った教会の莫迦どもからありがたく拝借いたしました」
「そうか」
「すこし、座興がすぎましたでしょうか?」
「いや、中々面白かった」
ガタっと音をたて、侯爵が立ち上がる。
「何だこれは! この茶番はなんだ! いったい!」
唾を飛ばし、眼球を飛び出させるほど見開き、侯爵は怒鳴る。
「見て分からないのかい? 血の巡りがわるいんじゃないか?」
そう言って、リカードは人差し指を自分の頭の方に指して、くるくると旋回させる。
何を意味するか、明白なゼスチャーだ。
「この!! オマエはぁ!!」
「だから、王子だっていてるだろ。アホウ」
まるで別人になったかのような。
いや、その本質は以前感じたように、肌を合わせたときに感じたように何も変わっていない。
「リカードが王子……」
ローザリンデはこの少年に感じていた不思議な雰囲気の答えを得たような気がした。
もしかしたら、ずっと前に気づいていたのかもしれない。心のどこかで……
「お前ら、兄妹で情を交わしているだろ。しかも妻の実家を騙して、家業の乗っ取りを図るとか、とんでもない不信心者だ。神をも恐れぬ所業とはこのことだ」
リカードは滔滔と、ファルマッハ侯爵の悪行を並べ立てる。
真っ青な顔となり、震え崩れ落ちる侯爵。
そして、妹は「兄の言うとおりにしただけよ――」と金切り声を上げるだけだった。
そんなふたりを、剣を身につけた男たちが捕縛した。
潔白を訴える侯爵に、止めの言葉が投げかけられる。
家宰だった。
「侯爵殿、悪行の証拠は既に押さえております。謀を記した書簡もここに」
家宰はそういうと羊皮紙の束を高々とかざした。
侯爵と妹は力なくうなだれた。
◇◇◇◇◇◇
「すまなかったと思っている。本当に」
リカードの言葉が港を吹く海風に乗っていく。
金色の柔らかそうな髪が風の中を舞う。
リカードはこの王国の王子だった。
ただ、王位継承権のない第12位の序列であり、実際のところ王子とは言いがたい存在であったのだ。
それゆえ、他の家に養子に出され、その家の跡取りとなっていた。
侯爵家の家宰として働いていた義理の父は、王国の密偵ともいえる存在だった。
リカードも本来であれば、その家を継ぐはずであったのだが――
「序列8位の王子が王位継承権を放棄し、11位の王子が事故で死んだ。つまり私に王位継承権が出来た」
柔らかい響の声が、ローザリンデの耳に流れ込む。
「王位継承権を持つものは、領地の一部を継承し、王位を継ぐ準備をしなければならないんだ。また、王位を継ぐことがなくとも、兄弟として王位を継いだ者を助けていく義務がある」
港からは遠く広がる海原が広がっている。
リカードは言った。 水平線の彼方、海と空が交じり合う遥か遠い先を見つめながら。
彼は隣に立ち、同じように海を見つめるローザリンデの手を取った。
リカードが見上げるようにしてローザリンデの顔を見つめた。
「だから、これが最後の機会だ。無理強いはしない」
言葉を大切に刻むリカードをローザリンデは黙って見つめていた。
「私の妃になってほしい。結婚して欲しい」
そこの言葉がローザリンデの胸の中に甘く溶け込んでいく。
彼女は王子の手を握り返していた。
「こんな女でもいいのですか?」
「こんな女だからこそいいんだ。愛している。ローザリンデ」
王子の言葉を受け、ゆっくりとローザリンデの唇が動いた。
その声は波の音の中に溶け込み、広がっていった。
ふたりは、手をつなぎ、遠い島を目指す船に乗り込んだ。
空を舞う海鳥は、いつまでも祝福の歌を謳っていた。
ー完ー
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これ半端なザマァではちょっと胸糞と言わざるを得ない。とりあえず唾吐き使用人は固有名詞を与えてしっかりと生き地獄と言う名のザマァで先ず心を殺してから、肉体を殺してほしい。慈悲もなく容赦もなく。
なるほどです。
えーと、四話で家宰の息子が『宰相の息子』に。
あと所々『ロー【ザ】リンデ』と『ロー【ゼ】リンデ』が居ます。
多分ローザリンデが正しい名前でしょうか?
お話は駆け足なのが少し勿体ないかも。
微妙に説明が足りない気もしますが面白かったです。
ご指摘ありがとうございます。