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9.投手というもの

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「いえ、大丈夫です。ひとりの方が集中できるので。すいません」
「そうか」

 伊来留先輩と言葉を交わすたびに、高取先輩の視線がきつくなる。

「ああ、言っているんだからもう行こうぜ」

 高取先輩が伊来留先輩の腕をひっぱった。

 嗚呼、こういうことが実際にあるのだな――と、思う。
 BLは好物だけど「生物《なまもの》」はちょっと……というのがわたしのスタンスだった。
 リアルで展開されると「ちょっとなー」と思ってしまう。
 やはり、妄想の世界で楽しむのがいいのだろう。

 わたしの頭に憑りついたいた兄は、大人しくしているようだった。
 図書館ではなにもすることがないのだろう。
 わたしは、多少はましになった筋肉痛の身体を引きずって席につく。
 で、勉強を始めた。

        ◇◇◇◇◇◇

 死んだ兄がわたしに憑依するという、ありえない超常現象が起きた。
 で、気がついたらわたしは野球部に入ってしまったわけだった……
 なし崩し的に。なんか、わたしも流されて断ることができなかった。
 確かに、ちょっとは面白いかもとは思ったけども――

 校庭にはセミの声が聞こえる。
 アブラゼミとミンミンゼミの輪唱だった。ツクツクホウシはまだいない。

『やっぱきついかなぁ』
『ずっときついです。辞めたい』

 脳内の兄に泣き言、恨み言を言うしかない。
 わたしは投球練習をしている。
 兄の憑依によって、女子とは思えない投球(らしい)をしたせいで、わたしは投手となった。
 で、ボールを投げる練習をしている。
 まあ、ずっと走る練習をするよりはマシだった。
 走っている間は、兄が憑依しても疲れるし、
 暑い。暑い。暑いのだ。とにかく。

『全力投球はしないほうがいいなぁ』
『それは賛成』

 兄が憑依したわたしは全力で投げると一四〇キロくらいのボールを投げることができる。
 これは、プロ野球ならほぼ最低水準で、高校生だと上位のレベルらしい。

『全力投球した次の日は身体が痛くて死にそうになる』
『ま、故障したんじゃ、いくら俺が憑依しても仕方ないしなぁ』

 ということで、兄も無茶はしなくなった。
 わたし(兄憑依中)はボールを投げる。
 
 ヒュンっとボールは捕手のミットに吸い込まれていく。
 夏空にパーンと乾いた音が響く。

「ナイスボール!」と、練習相手になってくれる部員が言った。わたしと同じ一年生だ。

『一二〇キロぐらいかな』
『それって駄目なの?』
『いや、別に駄目じゃないさ』
 
 兄は直球ストレートの良し悪しは、球速だけではないと説明した。
 ボールの回転数とか、フォームによる球のみにくさとか――

『真琴の場合は、肩関節が柔らかいので、リリースを隠せる』

 難しくて言っていることがよく分からない。
 兄が詳しくいうには、打者からみて「ボールを投げた」って瞬間を目でとらえるのが難しいということらしい。

『それがいいの?』
『打者の反応が遅れるからな』
『ふーん』

 ボールを投げながら脳内では投手のことについて、兄に教わる。
 それはそれで、新鮮な知識であり、知ることは悪くなかった。

『今は九〇%くらい俺が、身体を操っているけど、これが五〇%くらいになると、楽なんだよ。俺も』
『そうなんだ』
『憑依して操るのも、疲れるんだよなぁ』

 幽霊にも疲労があるのか。初めて知った。

 とにかく、ストレートを投げるときは指先で強く弾くようにすることをやっている。
 投げるというより「叩く」という感じ。
 野球の投手がこんな風に投げているのかと、初めて知った。

『打者の目玉はスピードガンじゃないしな。とにかく指にかかった回転数のある球を投げなきゃ』
『マグナス力ってやつ?』
『そう。打者の予測より、ボールが落ちてこないように投げるんだよ』
『理屈はわかるわ』

 こういった科学的な部分が野球にはいっぱいあるんだなーってのも、わたしはそこそこ面白いと思う点だ。
 疲れるし、暑いのだけども……

 そして、わたしは投手として必要なことを主に兄から教わった。
 
 で、練習試合をすることになったらしい。
 監督から「先発は、階平だ」といわれた。
 先発? なにそれ?

『最初から投げる投手のことだよ』

 兄に教わる。
 つまり、わたしは、練習試合で投げることになったのだった。
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