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第四章 祭り

1.扉さがし

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 ちゅん、ちゅん、とスズメの声がする。



 目が覚める一瞬前――



 ミンネは淡い期待をした。



 ここがトトリ村の屋敷で、父が元気で、兄もいて。

 フィユやパチュイもいる。

 そうして外には、日が明るく射す世界が待っているのではないか、と。



 しかし、違う。



 他でもない自分の記憶が、期待を打ち消す。



 戻ることができたとしても、臼山までだ。



 父の病は防げない。

 兄の死もくつがえせない。



 目を開く。――明るい。



(眠るだけでは、ダメだったか)



 ゆっくりと身体を起こし、ミンネは重いため息をついた。



 パジャマに、柔らかな布団。隣にはリノが寝ている。



 つまり、ここは蒼の国でも、トトリ村でもない。

 魔女の街。そして、ここはポカポカ商店街にある『タツロー』の二階だ。



「おーい、朝ごはんできたぞー」



 下から、達郎の声が聞こえる。



「リノ」



 ミンネは、横で寝るリノの肩をゆすった。「うーん……」とリノは蚊のなくような細い声を出したあと、また眠ってしまった。



「リノ。起きろ。朝に宿題の続きをやるのだろう?」



 返事らしきものはあったが、身体は少しも動かない。



「おい、リノ」



 もう、返事らしきものさえなくなった。



「リノ!」



 まったく、起きる気配がない。

 念のため呼吸を確認したが、健やかな寝息を立てているので、ただ眠っているだけのようだ。



 コンコン、と扉が鳴った。



「ミンネちゃん、おはよう。リノ、起きた?」



 扉の向こうから、達郎の声が聞こえる。



「おはよう、オダサン。リノは一向に起きる気配がありません」

「あー、そうなんだよねぇ。朝弱いんだ、うちの子」



 達郎は、明るく笑っている。この状態はリノの日常の一部らしい。



「昨日も遅くまで宿題をしていました。朝に続きをやると言っていたのですが……」

「中学受験も大変だよね。悪いけど、がんばって起こしてくれる? たぶん、相当がんばらないと起きないと思うけど」



 トントン、と階段を下りていく音がする。



 リノは眠ったままだ。リノを起こす件は、ミンネに一任されたようである。



 さすがに、川に放り込むわけにもいかないだろう。

 そもそも、それほど近くに川もない。



(あぁ、あれがいい)



 しゃきっと目が覚めるもの、といえば、あれだ。



 ぽん、とミンネは手を打って、一度階下に降りた。

 達郎からあるものをもらい受けると、笑顔で部屋に戻る。



 そして――



「うわああああ! すっぱい! えぇ? ちょ、なんなの? なんなの?」



 リノの大声が、『タツロー』に響き渡った。



 ガバッとリノは布団から飛び起きた。口をおさえ、目をまんまるに大きく開いている。



「あぁ、起きたか」



 ミンネはレモンを一切れ手に持ったまま、笑顔で「おはよう」とあいさつをした。



「なにこれ、すっぱ! ちょっと! すっぱ!」

「目が覚めてよかった。水をかけるか、レモンを口につっこむか、迷ったのだ」



「どっちもヤダよ! フツーに起こして!」



 水、水! と叫びながら、リノは階段を下りていった。



 達郎が、大笑いしている。「これから毎日、ミンネちゃんに頼もうかな」と言って、リノに「あり得ない! あのゴリラ止めてよ!」と怒られていた。









 朝食に、牛の乳で作った酪――チーズというそうだ――が載ったパンを食べた。

 北部の乳酪はヤギの乳で作られたものが多い。牛の乳をふだん口にすることはないが、このとろりととろけたチーズは、味が濃厚でとてもおいしい。

 加工の技術が優れているのだろう。カリッと音がするパンも香ばしくて、ミンネはあっという間にたいらげた。



「あぁ、そうだ。サナエさんが、今年も浴衣レンタルこないかって誘ってたよ。ミンネちゃんと一緒にどうかって」



 食事の途中で、達郎がリノに話しかける。サナエさん、というのは昨日の着物の女性のことだろう。



 最後の一口を飲み込んでから、リノはミンネをちらりと見た。



「ごめん、パパ。今年はちょっと忙しいから。あのね、ミンネも今日は用事あるの。浴衣着たりとか、無理だと思う」



 答えるリノは少し寂し気だった。晴れ着を着るのを楽しみにしていたのかもしれない。



「そっか。無理しなくていいよ。サナエさんにも言っておくから」



 ごちそうさまでした、と手を合わせてリノは席を立った。

 食事の前後のあいさつは魔女の街もトトリ村も変わらない。ミンネもあいさつをして、リノに続いた。



 厨房の流しに食器を下げながら、リノは「一緒に出よう」と言った。



「私が塾に行ってる間、このあたりで扉探しするといいよ」

「そうだな。そうさせてもらう」



 とにかく、扉が見つからないことにはなにも始まらない。



 臼山で会ったリノは、そこらへんにある扉を探さないと戻れない、と言っていた。きっと、そう遠くはない場所に扉があるはずだ。



 カランカラン



 いってきます、と元気よくリノが外に出た。

 ミンネも挨拶をしてから続く。「いってらっしゃい」という達郎ののんびりした声の最後は、途中で扉に消されてしまった。



 チカテツエキまで一緒に行こう、とリノは先を歩き出す。



「私、夕方には戻るから。そしたら、一緒に扉を探そう。あまり遠くに行かないようにね。扉は、そんなに遠いところにないと思うし」

「あぁ。リノの家の近辺を探すことにする。そうそう見つけにくいものだとも思えん」



「だよね。ちょっと昼寝してる間に探せるくらいのものだもの」



 リノは足を止めて「ここでいいよ」と言った。



「じゃ、いってくる」

「健闘を祈る」



「ありがと。そっちもね」



 リノは手を振って、地下へと続く階段をおりていった。

 まるで、地面にもぐる火竜の子のようだ。まったくもって、魔女の街は不思議に満ちている。







 さて。扉探しだ。



 今朝、達郎がくれた精密な地図を片手に、ミンネは注意深くあたりを見ながら歩いていく。



 太陽の位置が変わるくらいまで、リノの家の周辺を地道に探して歩いたが、一向に見つからない。



 ひとまず『そのあたり』と呼べる場所だけは一通り探さねば。ミンネは、最後に残していた神社の階段を上っていく。



 この神社を探したあとは、リノの帰りを待つべきかもしれない。



 リノの家の捜索が残っている。



 ミーン ミーン



 セミの声が聞こえてくる。階段を上るごとに木々が密度を増し、影が濃いものに変わっていった。



 上のほうで、なにやら人の声が聞こえてくる。



(なんだ?)



 ミンネは、眉を寄せる。ひとりやふたりではない。大勢の人の声だ。まだ、山賊の類が来たのだろうか。



「やっぱりここだ! 動画の場所!」

「どうせインチキだって。本物のわけないし」

「でも気になるだろ? 夜まで待とうぜ!」



 木の陰から、様子をうかがう。

 大勢の若者たちが、神社の前に集まっていた。

 柄が悪いということもなく、魔女の国で見かける標準的な服装だ。



 とにかく数が多い。

 階段の下にまで人だかりができている。

 これでは、扉を探すどころの騒ぎではない。



 あちこちで、人が板――スマホを掲げている。



 ミンネの知るポカポカ商店街は、昼間でも人の姿が確認できない場所だった。年に一度の祭りといっても、それほど人は来ない、と達郎が言っていたのを聞いている。



(オダサンは、のんびり準備をすると言っていたな)



 しかし、目の前の状態は、聞いていた話とずいぶん違う。

 きっと達郎はこの事態を把握していないはずだ。達郎に報せるためにミンネはいったん、『タツロー』に戻った。



 朝のうちに準備をしていたのか、ポカポカ商店街には、あちこちに提灯のようなものがかかっていて、多少は祭りらしい雰囲気になっている。



 角をまがったところで、朝にはなかった天幕が見えた。



「あぁ、ミンネちゃん。お帰り」



 達郎は、本人の言葉通りのんびりしていて、準備が整っているようには見えない。



「オダサン! 人が、大勢きています」



 まさか、と言って達郎はゆったり笑った。



「神社に人がたくさん集まっています。階段を下りることができないほどでした」

「こんな古い商店街だよ? こんなこと言いたくないけど、化石みたいなシャッター通りだし、お祭りのポスターだって、回覧場と公民館くらいにしか貼ってないし……花火大会までは、ほとんどお客さんも来ないよ」



 のんびりと、達郎は台を拭いている。「そりゃ、たくさん来てもらえたら、助かるけどね」と小さくつけたした背中が、少しさみしそうだ。



 そこに、昨日店にいた客がやってきた。

 小柄な男性だ。「マスター。おつかれさん」と笑顔で手を振っている。



「いらっしゃい。佐藤さん。いつものでいいですか?」

「今日はアイスで頼むよ。……しかし、マスター。今日はすごいね。こんなに人がいる商店街、久しぶりに見たよ。神社の下の露店もだけど、肉のイトウさんとこ。コロッケに二十人くらい並んでた」



 達郎は、まだ「まさか」と言っている。よほど人がくるのが信じられないらしい。



 客は達郎に、様子を見るようすすめた。



「百聞は一見にしかず、だよ。マスター」

「まさか」



 通りの真ん中をしばらく歩き、右を見、左を見てから、達郎は「わ!」と声を上げた。

 やっと現状を理解してくれたようだ。達郎は慌てて戻り「大変だ。準備しなきゃ!」と台やイスを運びはじめた。



「手伝おう」



 ヒョイと、ミンネは台を軽く持ち上げた。

 指示された場所に運ぶと、達郎は「ミンネちゃん、力持ちだね!」と感心していた。これは恐らく、リノの言う『腕力ゴリラ』と同じ意味だろう。



「ありがとう、ミンネちゃん。申し訳ないんだけど、一瞬だけ店番できる? 奥からサーバー取ってくるから。はい、これエプロン」

「こちらの通貨がわからない」



「あぁ、そうかぁ……すぐ戻るから、注文だけ聞いてて! わかんなかったら『少々お待ちください』って言って! あ、髪、しばってもらっていい? エプロンのポケットに、髪ゴム入ってるから!」



 バタバタと、達郎は店の中に入っていった。



 ミンネは手渡されたエプロン、という名の前掛けを身に着つける。やや小さいので、リノが使っているものなのかもしれない。



 ポケット、というのは、エプロンに縫いつけられた袋のことだろう。

 たしかに髪をとめるための輪が入っている。

 リノが使っているのを見ていたので、使い方はわかった。



「すみませーん」



 ひとまず準備ができたところに、ひとりの背の高い青年が、台をはさんでミンネの前に立った。



 

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