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第一章 蒼の国の少女
2.葬送の光
しおりを挟む空が暗い。
炎竜が去ったあとも、灰を溶かしたようにあたりは暗いままだった。
焼いた骨を石の匙で壺に収めるのは、家族の務めである。
エンジュの妹のミンネ。
妻のフィユ。
その弟のパチュイ。
三人は丘を上った。
ゆらゆらと、二つの松明が揺れている。
ミンネは、焼け野原になった頂上の有様に息をのむ。
なにも残っていない。祭壇さえも焼かれて灰になっていた。
壮絶な光景である。
フィユがミンネの肩を、壺を持っていない方の手で叩いた。
棺の前では取り乱すほど嘆いていたが、もう落ち着いた様子だ。
フィユは村の軍をまとめる将軍の娘ながら、商いの才があり、土器や織物の売り買いをしている。
村の誰よりも賢い。多くのことを知る知恵者だ。
「……フィユ。私には竜の声が聞こえなかった。私の声も竜には届かなかった。女神の血など、なんの意味もなかったのだ」
「ミンネ。あなたのせいではないわ。あなたのお祖母様の代でさえ、もう火竜の声を聞くことができなかったと聞いているもの」
だが、義姉の優しいなぐさめはミンネの心を楽にはしなかった。
この空の暗さはどうだ。
今の時間ならば、まだ西の空は明るかったはずだ。
(私に、もっと力があったならば)
いや。
すべての元凶は、エンジュだ。
エンジュさえ火竜の子を殺さなければ、こんなことにはならなかった。
ミンネはこらえていた恨み言を吐きだした。
「なにもかも、兄上が、火竜の子を殺したせいだ。この空を見ろ。ドラドの子と、蒼の国のすべての民の命を秤にかけて、兄上はドラドの子を選んだのだ!」
「ミンネ。エンジュは、子供たちを守ろうとして、火竜の子を射たの。それがたとえドラドの子であっても、私たちは、彼の勇気を誇るべきだわ」
「オオカミの子だ! 育てばトトリに弓を引く!」
ミンネの紺碧の目が、西に向かう。
トトリ村と西で境を接するのはドラド村だ。
ドラド。
村の規模はトトリに次ぎ、兵の強さでは蒼の国一と言われている。
百年ほど前、遠い大陸から蒼の国に渡ってきた一族で、その祖がオオカミであるという伝説があることから、蒼の国ではドラドの者を、時にオオカミ、と呼ぶ。
血に飢えたオオカミからの連想通り、この十年で近隣の村を二つのみこみ、領土の拡張を続けている。
境を接するトトリとも、領土をめぐってしばしば争いが起きていた。
「ドラドの者が礼を言いにでもきたか? 子供を助けてくれてありがとう、など連中がいうものか! 兄上はその場の情に流され、してはならぬことをした! 村だけでなく、この島すべてを危険にさらしたのだ! 竜は人の子を許さない!」
優しかった兄。
村を危うくした兄。
村の希望だった勇者。
火竜の子を殺した愚者。
一体、どれが本当のエンジュなのだろう。
ミンネは、大好きだった兄の姿を見失いそうになる。
「ミンネ。話はあとよ。さぁ、エンジュを送りましょう」
フィユが、懐から出した石の匙をミンネに渡す。
焼いた骨を壺に収めるためのものだ。
スミレ色の瞳は、もう嘆きに色を失ってはいない。
「……そうだな。それが先だ」
義姉の心の強さに、ミンネは胸を打たれた。
フィユは正しい。
嘆きも怒りも後回しだ。
罪があろうとなかろうと、残された者がすべきことはひとつ。死者を葬ることの他にない。
ミンネは、手を胸の高さに上げ、てのひらを空に向けて開いた。
ぽうっと、リンゴの実ほどの大きさの、光の玉が浮いた。
ひとつ、ふたつ。
蒼き血を継ぐ者は、不思議な力を持っている。
この力は、ミンネの母も兄も、祖母にも備わっていた。
竜と話す力は失われたが、光の玉を生み出す力は残っている。
この光こそ、同じく蒼き血を持つ兄を送るのに相応しいはずだ。
「きれいね」
フィユが囁くような声で言った。「ありがとう。エンジュもきっと喜んでいる」と続けて、祭壇の中央に向かっていく。
辺りはいくつもの光の玉によって、昼のように明るくなった。
パチュイは松明を消し、フィユから石の匙を受け取る。
三人は、光を柔らかく弾く、白い灰の前に立った。
つい先ほどまで、兄が横たわっていた場所に残る灰は、浜の砂に似ていた。
「始めましょう」
フィユが、ミンネとパチュイを励ますように言い、最初の匙を灰に埋めた。
ざく ざく
三人は、白い灰を壺に収めていく。
言葉もなく作業を進めていると、カツ、とミンネの石の匙がなにかにぶつかった。
(なんだ?)
戦士の証である首飾りは、棺には入れない。
灰を収めた壺の最後に入れるものだ。
エンジュの首飾りは、今ミンネの懐にある。
パチュイも違和感を覚えたようだ。
ミンネの匙が止まったあたりを丹念に探りはじめた。
ミンネもフィユも、骨を納めるのを忘れ、パチュイの手を見つめている。「あった」と言ってパチュイが黒い石を匙に乗せた。
黒い石の塊だ。
先端がするどくとがっている。
それ自体は、ミンネにとって毎日目にする、ごく見慣れたものである。
「矢じりだ」
ミンネは矢じりをてのひらの上に載せた。
「こちらにもあるわ」
フィユはもうひとつの矢じりを、灰の中から拾った。
さらに、もうひとつ。
急いで灰を壺に納めながら探せば、またひとつ見つかった。
「パチュイ。兄上は、火竜の怒りに触れ、背を焼かれて死んだのだろう? どうして灰から矢じりが出てくる? 棺に矢など入っていなかった」
ミンネはパチュイに尋ねた。
エンジュは『火竜の子を殺し、火竜の怒りに触れて死んだ』はずだ。
ミンネは、兄が命を失った瞬間を見ていない。
エンジュを運んできたパチュイが、報告したのだ。「エンジュは、ドラド村の子を助けるために、火竜の子を殺した。そのため火竜の怒りに触れて死んだ」と。
そのパチュイも、エンジュと別行動を取っており、死の瞬間は見ていないという。
エンジュの死の真相は、一部始終を見ていた、というドラドの男たちしか知らない。
「竜の手では弓を引けない。火竜の怒りに触れて殺された兄上の身体から、矢じりが四つも出てくるのはなぜだ? 教えてくれ、パチュイ」
「パチュイ、これは一体どういうことなの?」
ミンネとフィユは、そろって尋ねた。
「待ってくれ。俺にはわからない。……では、義兄上は、矢を射かけられたというのか? 一体、誰に?」
パチュイは戸惑っている。
ミンネの心も、大いに混乱していた。
勇者か、愚者か。
それだけではない。彼は誰に殺されたのか?
肉体が灰になったように、エンジュの存在も形を変え、霧の中に隠れてしまったかのようだ。
「ドラドのオオカミめ! このままでは済ませんぞ!」
ミンネは矢じりを握りしめ、立ち上がった。
エンジュは殺されたのだ。
犯人はドラドに決まっている。
――彼らが兄を殺したのだ。
「待って、ミンネ」
駆け出しそうになったミンネを、フィユが手で止めた。
それから、人差し指を唇に当てた。ミンネはぐっと眉を寄せる。
「このことは、まだ内密に。矢じりはミンネが持っていて」
「なぜだ! これはドラドの陰謀に決まっている。このまま泣き寝入りなどするものか! 蒼の国のすべての国に触れて回ってやる!」
「証拠がないわ」
ミンネはてのひらの上の矢じりをフィユの前に見せた。
「ここにある! この矢じりこそが証拠だ!」
「矢じりが、エンジュの身体から出てきたことを、証だてることはできないもの。今騒ぎたてるのは、敵の思うツボよ。私たちは今、敵の罠にかかったばかりなのだから」
フィユは知恵者だ。
村の誰よりも賢いことをミンネは知っている。
しかし、頭に血がのぼった今のミンネは、すぐにうなずくことができなかった。
迷い、ためらい、だが、最後は矢じりを懐にしまうことを決めた。
怒りのために心臓はうるさいほどに跳ねあがっている。
だが、こんな時こそ、落ち着かねばならない。エンジュの教えだ。
「……そうだな。その通りだ。敵の狙いも、まだわかっていない」
「今うかつに動いては負ける。矢を放つのは、確実にしとめられるとわかった時だけよ」
フィユは一見温和な女だが、心の中まではそうではない。
そのスミレ色の瞳には、強い怒りが揺らめいている。
狩りのことを教えてくれたエンジュも言っていた。
敵の居場所がわかるまでは、動くな。確実にしとめられるとわかるまで、矢を放ってはならない、と。
今、ミンネが口をつぐむのは、決して、何者かのしかけた罠に屈するためではない。
いずれ敵を倒す。そのためだ。
「俺は明日、義兄上が殺された現場に行って、調べてこよう」
パチュイが言ったので、ミンネは「私も行く」と言った。
「そなたは村に残れ。オラーテ様もお加減が悪いのだ」
「だからこそ、私が行かねば。この目で、どうあってもたしかめる」
困り顔をしたパチュイは渋々「わかった」とうなずいた。彼は、こういうときのミンネを止めるのが難しいことを、一番よく知っている人だ。
「私は情報を集めてみる。父には私から話しておくわ」
ミンネはフィユに言葉にうなずいた。
姉弟の父親は、軍の将軍だ。
オラーテが床についている今、長に次ぐ立場にある。
三人は残った骨のすべてを壺に納めた。
ミンネは懐に入れていた勾玉を入れ、皮のフタをする。
このまま、先祖が眠る塚に壺を安置すれば、葬儀は終わりだ。
(兄上。必ずやこの謎を明かし、村を守ってみせる。……どうか、見守っていてくれ)
三人は静かに、丘を下りた。
月もない夜、ゆらゆらとミンネの出した光が、葬列を先導していた。
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