蒼の魔法士

蒼の魔法士-本編-

番外篇 まほうの花びらのおはなし

　はるか昔、やさしいやさしい日女ひめ様がいました。

　日女ひめ様は、花が大好きでした。

　住んでいるやしきも、お世話になっている村も、日女ひめ様の育てたきれいな花であふれていました。

　しかし、それを見たよくばりな帝みかど様は、村ごと日女ひめ様をほしがりました。

　日女ひめ様は帝みかど様にしたがって、帝みかど様のもとで生きることになりました。しかし帝みかど様はまだほしがります。

　きれいな花のさいた都がほしい、国がほしい、そして世界がほしい。

　きれいなものを求めるほど、帝みかど様のよくぼうで世界は、みにくくあれはてていきました。

　悲しんだ日女ひめ様は、帝みかど様がほしがるたびに不思議な力で花びらを世界にまきました。

　せめて、帝みかど様の気持ちが「よく」であれはてないように。
　せめて、世界のすべてが「よく」であれはてないように。

　やがて、やさしいやさしい日女ひめ様がいなくなると、不思議なことが起こるようになりました。

　だれともなしに、日女ひめ様と同じ力を使えるようになり、その力を使うたび花びらがまうようになったのです。

　それから、よくばりな帝みかど様は、自分の行いを反省し、良い帝みかど様になりました。

　今でも、不思議な力を使うと花びらがまい散ります。
　やさしいやさしい日女ひめ様が、みんなを見守っているかのように……。

　◆　◆　◆

　井上坂いのうえさかは、読よみ込こまれて擦すり切きれた書物を、ゆっくりと閉とじた。
「なんじゃ、字綴じつづりの。お前さんまたその本を読んどったんかえ？」
　囲炉裏いろりの間から戸を開けて、声をかけてきたのは言の葉屋だ。
　熱いお茶とお菓子かしがあるぞと、彼女かのじょは言う。
　時計とけいを見れば昼も過ぎ、ちょうど小腹こばらが空いたところであった。
　井上坂いのうえさかは、本を傷きずつけないようそっと箱にしまい、本棚ほんだなへと戻もどす。
「初代の字綴じつづりが何を思ってこの物語を書いたのか、今ならちょっとわかるような気がして……」

「して、塩梅あんばいは？」
　言の葉屋は、湯呑ゆのみ二つとどら焼きを盆ぼんにのせて隣となりに座すわる。
　差し出されたどら焼きを手に、彼かれはつぶやいた。

「何となくわかるけど、でも、どこか違ちがう気がする……」

　はぁ、と彼女かのじょは溜ため息いきをつく。

「お前さん、字綴じつづりをしてどのくらいじゃ？　もう数年は経たっておろう？　いい加減——」
　突然とつぜん彼女かのじょは言葉を止めた。井上坂いのうえさかがどら焼きを口にした瞬間しゅんかんでもあった。

「あの蒼あお童わらわかっ」
「!?」
　突然とつぜんの切り出しにむせ返る井上坂いのうえさか。

「いきなり何を……ってか、このどら焼き中身がチョコって！」
「確か、ユウとかいったの。あやつの時はとんだ字綴じつづりじゃったな」
　どら焼きそっちのけで言の葉屋は目を爛々らんらんと輝かがやかせる。

「朱しゅ綴つづりの門は出たというし、蒼あお童わらわはボロボロだし。しかしの、わしはお前さんが手を繋つないで帰ってきたときのがもう一番驚おどろいたのなんの！」

　決して茶化しではない、そうとわかる口調で言の葉屋は笑った。

「よっぽど蒼あお童わらわが気に入ったんじゃな」
「……そうかな？」
　井上坂いのうえさかは疑問ぎもんそうに首を傾かしげる。
　そして言の葉屋は、それは彼かれが照てれ隠かくしにした仕草だと見抜みぬいていた。

「のう、井上坂いのうえさかよ」

「……何？」
　名前を呼よばれて身構える。
　猫撫ねこなで声ごえに、『井上坂いのうえさか』と、いつもの呼よび名なでない切り出し方は言の葉屋がからかう合図だ。

「お前さん、蒼あお童わらわから返してもらった『てぃーしゃつ』を大事そうに毎日眺ながめておるのぉ？」
「なっ!?」
「わしが知らぬとでも思ったか？　布切れ握にぎりしめて、慣れぬ『ぱしょこん』なる板きれを夜な夜な眺ながめておったのぉ～？」
「違ちがっ……調べものを……」
「そんなに蒼あお童わらわが恋こいしいのか？」
「とっ……！　とも、だちに会いたいと思うくらい、普通ふつうだろっ！」
「そかの～？　友達ともだち、ねえ～……ほぉ～」

　言の葉屋はにやにやしている。追及ついきゅうを躱かわすように、彼かれはどら焼きを頬張ほおばった。

「……なんだよ」
「あやつと仲良なかようなりたいなら、お前さんから会いに行ったが良いとわしは思うぞ」
「急に何言いだしてんの。仕事はどうすんのさ？」

　すると、言の葉屋の表情が変わった。少々怒おこり気味である。

「お前さん、最近字綴じつづりに気が入っておらなんだ。このままでは、近く呑のみ込こまれてしまうかと心配でならんのよ」
　あ……と井上坂いのうえさかは、先日役人から受けた依頼いらいを思い出す。
　ほんの軽い朱しゅ綴つづりの試練を課したのだが、うっかり閂かんぬきをかけっぱなしにしてしまったのだ。
　幸か不幸か、役人はすぐに根を上げて門を激はげしく叩たたいたので事無きを得たが、一歩間違まちがえれば死者が出たであろう。

「……ごめん」

「じゃーかーら！　蒼あお童わらわのとこへ行ってこい！」
　言の葉屋はドドンと仁王立におうだちして井上坂いのうえさかを見下ろす。
　彼女かのじょの身長では、床ゆかに座すわっている彼かれでもさほど見下ろせていないのが少々不憫ふびんなところである。

「え？　仕事は？　また近々あの議員がくるんだろ？」

「そんなもん、気分ではないと断ことわりゃえーんよ」
　言の葉屋は、シッシッと厄介払やっかいばらいの手を振ふる。

「お前さんは気にせんでいーから行ってこい！」
　彼女かのじょの言葉は本当に有難ありがたい。
　井上坂いのうえさかは、彼女かのじょに頭を下げた。

「……ありがとう。さすが、伊達だてに長生き――」
「その先を言うなら、覚悟かくごをせえよ……？」
　ギロリと睨にらみつける言の葉屋。
　彼かれはグッと口を閉とじ、しかしにこりと笑う。

　井上いのうえ坂が決意してから出発までは、あっという間だった。
　行くか否いなか悩なやみつつも、いろいろ準備していたおかげである。
「居場所はわかるかの？」
「大丈夫だいじょうぶ、暁あかつきの魔女まじょの家だ。行き方も知ってる」
　いつもの服装ふくそうでなく、言の葉屋が用意した紺こんの色紋付もんつきを着こなし、手にはユウへの土産みやげにと包んだ、言の葉屋特製のチョコどら焼きを大事そうに持つ。

「気を付けて行きんさいな」

「うん……行ってくるよ」

　井上坂いのうえさかは玄関げんかんの戸を開けた。