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4話

告白

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「……あ、こんばんは。今帰り?」
私はなんでもない振りをして、朝木くんにへらりとした笑顔を向ける。
「先輩こそ……最寄りってここじゃないですよね。こんな時間にどうしたんですか?」
彼は私に近づき、様子をうかがうように顔を覗き込んできた。
……だめだ、心配してくれる表情を見ていると泣きそうになる。
朝木くんとの距離が嫌なわけではないけれど、私は思わず後ずさってしまう。
「先輩、結構酔ってませんか」
「そうかも~ちょっと飲みすぎちゃったみたい。じゃあね」
適当にはぐらかして早く帰ってしまおう。
そう判断して来た道を戻ろうとすると、手首を大きな手に掴まれた。
「……っ」
「そんなふらふらしてる人をこのまま帰せないですよ。俺の家に泊まって行ってください」
朝木くんは私の手を引き、彼の家へ連れて行こうとする。
甘えたい気持ちが膨れ上がったけれど、その瞬間にリサさんの存在が脳裏に浮かんだ。
「……それはだめ」
「どうしてです?」
彼は立ち止まり、私に向き直る……けど。
私はまっすぐに顔を見れなかった。
朝木くんの目を見たら、抑え込んでいた感情が全部暴発してしまいそうだった。

「心配してくれてありがとう。でも、タクシーで帰るから大丈夫なの」
「この時間、あんまりタクシー捕まりませんよ」
普段は聞き分けのいいはずの彼が、ムキになったように私の手を離さない。
絶対に何か理由があるはずだと頭を働かせて、たどり着いたのはやはりリサさんとのことだった。
「もしかして、リサさんと会ったって報告がしたいの?」
「……」
朝木くんの指先が強張る。図星だろうか。
いつ会うとは明言していなかったけど、ゆっくり時間が取れる週末のタイミングで会っていてもおかしくはない。
「ごめん、今ちょっとそういう気分じゃなくて……それはまた今度でもいい?」
彼の手から自分の手を抜き取ろうとしたけれど、より強く掴まれてしまう。
どうしたのだろうと、恐る恐る視線を上げる。
朝木くんは眉を下げて、どこか泣きそうな顔をしていた。
なぜだろうと考えるよりも先に、彼が唇を開く。
「俺の話なんて聞いてくれなくていい。何もしなくていい。俺がただ先輩と一緒にいたいんです。……どうしてもダメですか?」
いつも聞き分けのいい朝木くんにしては、珍しいわがままだ。
私が口をつぐんだままでいると、朝木くんは強引に歩き出す。
私はそれを拒めず、彼についていく形で通い慣れた部屋に足を踏み入れた。

朝木くんの部屋は相変わらず綺麗で、乱れのひとつもなかった。
通い慣れた空間に戻ってこられたという安堵が生まれたのも一瞬で、私は部屋の真ん中にぼうっと突っ立ってしまう。
……もし。もしもの話だけど。
朝木くんとリサさんが復縁したなら、やっぱり私はここにいてはまずいような……。
一晩宿に貸してもらうとしても……うん、できるだけここにいた痕跡を消してから帰ろう。
室内の隅っこの方に移動して、フローリングの上に膝を抱えて座る。
すると、お水を手にした朝木くんが不思議そうに私を見た。
「ソファには座らないんですか」
「酔ってるから、なるべく冷たいところにいて頭を冷静にさせたくて」
我ながら訳の分からない理由を口走る。
朝木くんは追及せず、それでも困ったなと言いたそうな顔で水の入ったグラスを渡してきた。
「どうぞ」
「……ありがと」
冷たいお水を口に含むと、混乱した思考が少しだけ落ち着いた。
「クッション使いますか?」
「ううん、平気」
短いやり取りをした後、朝木くんはどこにいく様子もなく、私の傍に座った。
片膝を立ててその上に手を置くというシンプルな座り方なのに、やけに様になっている姿を見て、やっぱりかっこいい子だなと思う。
つい見惚れそうになり、そっと視線を外す。

……まずい。無言の空気に堪えられなくなってきた。
このままだと、余計なことを口走ってしまいそうだ。
眠いとか適当な理由を作って、朝が来るのを待とうか。
そんなことを考えていると、朝木くんが声を掛けてきた。
「いろはさん」
縋るような声音で呼ばれ、全身が火照りだすのを感じる。
名前で呼ばないでほしい。いつもみたいに先輩って呼んでもらった方が、気分を切り替えられるのに。
諦めようとしているのに、諦められなくなる。
朝木くんのことを、もっと好きになってしまう。
意固地になって唇を噛み締めたままうつむいていると、長い指が私の顎を持ち上げた。
拒む隙もなく顔が近づいて、唇が軽く重なって離れていく。
「……」
朝木くんは何も言わず、私の顔を見つめている。
強制的に視線が交わって、切なさの灯る瞳に見つめられた時、抑え込んでいた感情が爆発してしまった。
「……なんで、キスなんかするの」
じわりと目の奥が熱くなって、声が震えそうになる。
「この部屋でそういうことをしていいのは、君の恋人だけなんだよ。私はただの、同僚なんだから……」
口にして改めて、私は朝木くんの友人でも恋人でもないのだと自覚する。
恋人になりたかったなんて言ったところで、きっともうどうにもならない。
泣き顔を見せたくなくて彼の手から逃れて再び下を向く。
すると、朝木くんはゆっくりと私の手首を掴んで引き寄せた。
突然抱きしめられる体勢になり、驚きで涙が引っ込む。
あやすように背中を撫でる手付きには、私を安心させるぬくもりがあった。
「話を聞かなくていいとは言いましたけど、先輩が誤解をしているようなのでそれに対する弁解だけさせてもらえませんか」
「誤解?」
首を傾げると、朝木くんは静かに首肯する。
「先輩が言った通り、今日リサと会ってきました」
彼女の名前が出た途端、私は逃げ出したくなった。
でも朝木くんの腕の力が強まったので、おとなしく耳を傾けることにする。
「で、改めて別れてきました」
「…………え、どういうこと?」
予想もしていなかった言葉に顔を上げると、朝木くんが優しい眼差しを私に向けていた。
「やっと先輩から俺の顔を見てくれた」
彼はほっとしたように目尻を下げ、私の体を自由にする。

「今日あったこと、聞いてもらえますか? それとも別の日に出直しましょうか」
「……ううん、聞かせて」
酔いはだいぶ覚めてきている。
今ならさっきよりも冷静な気持ちで報告を聞けるだろう。
私達はフローリングではなくソファに座り直した。
時計の秒針が進む音が響く中、朝木くんは言葉を探すように黙り込んでいる。
「俺とリサの別れ方、あまり綺麗なものじゃなかったんです」
発言を急かさずに待っていると、彼はようやく話を切り出した。
「俺が勃たなくなったことが原因で別れたって話は、前にもしたと思うんですけど」
「うん、覚えてる」
私達が今の関係になる前に交わした会話を思い出す。
確かに朝木くんは、それが理由で元カノと別れたと言っていた。
『俺……っ、勃たないんです! インポなんです、EDなんです……!』
『前の彼女ともそれが原因で別れたんですけど、一向に治らなくて』
あの時はまさか自分が彼に対して恋心を抱くなんて思ってもいなかったなあ。
思い出を振り返りかけたけど、時折言葉に詰まりながらも話を続ける朝木くんを見て、私は意識を現実に戻した。
「リサと付き合っている時、ある日を境に彼女からの当たりが強くなったことがあって。俺もその時は理由が分からなくて、ちゃんと話したいって言っても先延ばしにされたり無視されて……なあなあに過ごすうちに、最終的には自然消滅したんです」
意見の合わないカップルが自然消滅するなんて話は、確かによくあることだ。
日頃の彼の態度を見ていると、恋人と別れる時もしっかりと話し合う印象だったので、リサさんとそうなってしまったのは意外だったけど……。
「今考えれば、向こうはそれほど怒っていたんでしょうね」
朝木くんは感傷に浸るように呟き、視線を下に向けた。
これは聞いてもいいことなのだろうか。
「リサさんはどうしてそんなに怒っていたの?」
彼は口をつぐみ、私を見た。
「きっかけは、俺が先輩の話題を出したから、だったらしいです。……リサと改めて話して、ようやくわかりました」

聞いた話をまとめてみる。
元々リサさんは、二人でいる時に私の名前が出されたことをよく思っていなかったそうだ。
朝木くん曰く会社に面白い先輩がいるという話をしたかっただけだけど、私が女で、年齢もそれほど離れていない存在なので、不満がゆっくりと降り積もっていったんだとか。
二人でお泊りデートをしている時にも「そういえば先輩が……」と言われたリサさんが、
「優ってその人のことばかり話すよね。……もう今日はしたくない」
と苛立ちを爆発させて以来、二人はそういう雰囲気になってもぎくしゃくしていた、と説明された。
それが続いた結果、朝木くんは自分に自信を持てなくなって、行為ができなくなってしまったのだろう。

最初はきっと、妬いちゃうから他の人の話をしないで、という可愛いやきもちだったはずだ。
でも恋人のことが大好きだからこそ、自分以外の女性の話題が出て面白くない気持ちも理解できる。
もしかしたらリサさんは、自分でもどうすればいいか悩んでいたんじゃないかな……。
朝木くんの話を頭の中で整理していると、彼は慌てた様子で付け足してきた。
「先輩のせいではなくて、俺が何も考えずに話していたからダメだったんです。もっとリサの気持ちに寄り添って過ごしていれば、別れなかったかもしれない」
隣にいることが当たり前になって、相手への気遣いが欠けてしまうことは十分あり得る話だ。
私だって、配慮が足りないせいで恋人と揉めた経験がある。
誰しもが辿る道を、朝木くん達も歩いてしまったのだろう。
仕方のないことだよと首を左右にゆるく振る。
どんな言葉をかければ、朝木くんは元気を出すのかな。
それを探るべく彼の顔を見つめていると、少しの間を置いて、落ち着いた声が響いた。

「でも、それは過去の話です。リサのことを嫌いになって別れたわけではないし、やり直したいと考えていた時期も確かにありました。だけど、今は違う」
朝木くんは静かに目を閉じ、深く息を吐き出した。
緊張しているのか、震える指先を握り込んでいる。
「今は……新しく好きな人がいるんで」
彼はまっすぐに視線を合わせ、ゆっくりと言葉を紡いだ。
へえ、その人って、誰? なんて聞くほど、私も恋愛初心者ではない。
温かな栗色の眼差しを見つめ返し、私も口を開く。
「……そんな顔されたら、期待しちゃうよ。いいの?」
今までは、ただ彼の悩みを解決するために体を重ねてきた。
でも、この先は……ただの先輩と後輩という関係性から、抜け出してもいいのだろうか。
「私……恋人として、朝木くんの隣にいてもいいのかな」
意思を確認するように言うと、私は大きな体に包まれた。
嗅ぎ慣れた香りが鼻をくすぐる。つい癖で背中に腕を回すと、強く強く抱きしめられた。
くっついた胸板から、普段よりもずっと速い鼓動が伝わる。
「ずっと隣にいてください。……俺、いろはさんが好きです。以前から会社の先輩としても好きでしたけど、俺の悩みを真剣に聞いてくれて、寄り添ってくれるあなたが大好きなんです」
耳元に落ちてくる声色は、語尾が震えていて。真剣に告白してくれているとわかり、嬉しくなる。
「私も、朝木くんが好きだよ」
不意に手を繋ぎたくなって彼の指先を掴むと、驚くほど冷えていた。
「ふふ、手冷たくなっちゃってる。緊張してた?」
冷たい指を温めながら笑いかけると、手を握り返された。
恋人同士の繋ぎ方に変わる瞬間を見て、ときめきを覚えてしまう。
「そりゃあ緊張しますよ。いろはさんは優しいから、今まで情けをかけて色々してくれてたと思ってましたし……」
「まあ、最初はただ可愛い後輩の役に立ってあげたかったっていうのが大きかったかも。ここで恩を売っておけば付き合えるかなとは考えてなかったし。けど、いつの間にか好きになっちゃってたんだよね~」
にぎにぎと指の感触を楽しんでいると、唇に柔らかな感触が訪れた。
それは一瞬だけ触れて、離れていく。
「前の子と自然消滅してから、誰かを好きになることがすごく怖かったんです。……でも、先輩なら大丈夫だって。喧嘩してもちゃんと仲直りして、ずーっと一緒にいる姿が見えたというか」
学生みたいなことを言っちゃいましたね、と朝木くんが照れている。
私もなんだかピュアな恋愛をしている気分になる。先に体の関係持っちゃってるけど、それはそれとして。

「……好きだよ、優」
振りではなく、正式に恋人として彼の名前を呼べることがとても幸せだ。
私はソファに座ったまま少し背伸びをして、優の唇にキスをした。
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