33 / 43
第6話 天使と牧師 Un Angelo e Un Ecclesiastico
(2)
しおりを挟む夕暮れの陽射し――。
教会の鐘楼が教会通りの石畳に長い影を落としている。
その影の中を牧師に挨拶をして教会を出た絵描きは「大道芸人の広場」に向かって歩いている。
初めて会話を交わした牧師は思った以上に気さくな人物で、博識であり、またジョークも交えた話術で絵描きを楽しませた。
今まで彼がこの町で出会った誰よりも楽しい人物のひとりであることは間違いがない。
午後の紅茶の時間――それは今まで絵描きにはない習慣ではあったが――は、ここ数週間では最も充実した時間であったと、今、絵描きは思っている。
絵描きは話の中で、いつかこのお礼に似顔絵を描かせてくれ、と、提案してみたが、牧師は、自分などは絵になる価値などない、それよりも神の姿を描いて贈ってくれないか、と、そんなことを云っていたが――。
神の姿?
そんなものを描いたことはない。
そんな気になったこともない。
絵描きは、だから、その申し出に対しては曖昧な回答をするしかなかった。
だが、それにも牧師は別に気を悪くした様子も見せずに、ただ笑顔だけを返していたのが、印象的である。
牧師の本心がどこにあるのかが、よくわからないが、少なくとも彼とは友人になれたような気がする。
そんなことを考えながら絵描きが「大道芸人の広場」から居酒屋「スペランツァ」に向かおうとしていると――。
絵描きの手を誰かがぐっと握る。
彼は、ぴくり、と、全身を緊張させて、そちらに目をやる。
手を握っていたのは、白いコート姿の少女。
天使である。
襟元に真っ白な毛皮のマフラーをしている。
絵描きの表情が和んだ。
「何だ、天使さんか。脅かさないでくれよ」
その言葉に、しかし、天使は何故か厳しい視線を彼に向ける。
怒っている?
何故?
絵描きは困惑した表情で、天使の顔を見つめる。
「絵描きさん」と、天使。
「何処に行っていたの?」
「え?」
意味がわからない。
何処? それは教会だが……。
「教会だよ。牧師さんと午後のお茶を愉しんでいたんだけども」
「そう、やっぱり」
彼女は絵描きの手を握ったまま、振り返って夕陽の中でシルエットになって見える教会の尖塔をじっと見つめる。
いや、見つめる、と云うよりは、睨みつけている。
「どうしたんだい、天使さん?」
「何でも、ない」
「そんなことはないだろう?」
明らかに様子がおかしい。
あの教会に何があるのだろうか、と、絵描きも振り返って教会を見る。
「絵描きさん、お願い」
「お願い?」
「あそこには、もう行かないで」
「あそこって、教会のことか?」
「ええ」
「どうして?」
「それは――」
天使は、一瞬だけ、じっと黙り込む。
それから。
「理由は云えないけれど、私、あそこが嫌いなの」
「嫌い?」
「そう。だから、絵描きさん、あそこには行かないで」
「しかし」
「お願い。――それに、あそこに行けば、あなたも不幸になる」
「不幸? しかし、教会なんだよ?」
天使は真顔で厳しい視線を絵描きに向ける。
「教会なんて……。別にただの建物でしかないわ」
「それはそうだけども」
「わかった? もう、行かないで」
有無を云わせぬ言葉。
その子供とは思えない強靭な意志が込められた言葉に、絵描きはただ黙って頷く。
理由はわからないが、そこには彼に云えない事情があるのだろう。
それが何かは皆目見当もつかないが。
「わかったよ。約束する」
その絵描きのひと言に、天使はほっとため息をつく。
「ありがとう、絵描きさん。ごめんなさい」
「いや……」と、絵描き。
「謝ることはないさ。別にぼくは教会の信者でもないし、牧師さんとも今日、初めて会ったばかりだし」
あの美味しい紅茶をもう一度飲めないのは残念ではあったが、他ならぬ天使の云うことである。
「うん。よかった」
天使はそう云うと、満面の笑みを浮かべて、絵描きを見上げる。
その笑顔はまさしく天使そのもののように美しく、可愛らしく、純粋無垢であどけない、そんな素晴らしい笑顔であった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
王子様な彼
nonnbirihimawari
ライト文芸
小学校のときからの腐れ縁、成瀬隆太郎。
――みおはおれのお姫さまだ。彼が言ったこの言葉がこの関係の始まり。
さてさて、王子様とお姫様の関係は?
ずっと君のこと ──妻の不倫
家紋武範
大衆娯楽
鷹也は妻の彩を愛していた。彼女と一人娘を守るために休日すら出勤して働いた。
余りにも働き過ぎたために会社より長期休暇をもらえることになり、久しぶりの家族団らんを味わおうとするが、そこは非常に味気ないものとなっていた。
しかし、奮起して彩や娘の鈴の歓心を買い、ようやくもとの居場所を確保したと思った束の間。
医師からの検査の結果が「性感染症」。
鷹也には全く身に覚えがなかった。
※1話は約1000文字と少なめです。
※111話、約10万文字で完結します。
半径三メートルの箱庭生活
白い黒猫
ライト文芸
『誰もが、自分から半径三メートル以内にいる人間から、伴侶となる人を見付ける』らしい。
愛嬌と元気が取り柄の月見里百合子こと月ちゃんの心の世界三メートル圏内の距離に果たして運命の相手はいるのか?
映画を大好きな月ちゃんの恋愛は、映画のようにはなるわけもない?
一メートル、二メートル、三メートル、月ちゃんの相手はどこにいる?
恋愛というより人との触れ合いを描いた内容です。
現在第二部【ゼクシイには載っていなかった事】を公開しています。
月ちゃんのロマンチックから程遠い恍けた結婚準備の様子が描かれています
人との距離感をテーマにした物語です。女性の半径三メートルの距離の中を描いたコチラの話の他に、手の届く範囲の異性に手を出し続けた男性黒沢明彦を描いた「手を伸ばしたチョット先にあるお月様」、三十五センチ下の世界が気になり出した男性大陽渚の物語「三十五センチ下の◯◯点」があります。
黒沢くんの主人公の『伸ばした手のチョット先にある、お月様】と併せて読んでいただけると更に楽しめるかもしれません。
かわいいクリオネだって生きるために必死なの
ここもはと
ライト文芸
保育園を卒園したばかりの6歳の大河は、ある事情で、母の実歩に連れられて古い平屋建ての借家に引っこすことになった。
借家のとなりには同じような家があり、同い年の少女、香葉来(かはら)と、母の香織が住んでいた。
両家は母子家庭で家庭環境も似ていたから、母同士はすぐなかよしになったが、香葉来は極度の人見知りだったので、大河に心を開かなかった。大河はもんもんとした気持ちだった。
ある日、香葉来の楽しげな声が聞こえてきたと思えば、彼女は知らない女の子と、きゃっきゃと遊んでいた。
その女の子は、真鈴(まりん)。借家の大家である里璃子の娘、真鈴だ。
真鈴は大河にほほえみかけた。友達になろうよ、と。
真鈴に巻きこまれるかたちだったけど、香葉来も少しずつ大河に心を開くようになった。
大河、香葉来、真鈴。3人は同じ小学校に入り、クラスも同じになった。
3人の絆は日に日に深くなっていく……。
けれど。成長していく中で、それぞれ、得意不得意、障害、コンプレックス……さまざまな個性がきわ立ちはじめ、とまどい、苦悩し、葛藤する。
それでも。3人はお互いを「特別な友達」と思い、支えあってすごしていく――が、あるとき。
3人に大きな歪みができた。
歪みは深まった。
姿を変えていき、やがて……
――中学2年のとき。大河は……。
取り返しがつかない、ひどいいじめを犯す人間になってしまった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる