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第6話 天使と牧師 Un Angelo e Un Ecclesiastico

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 夕暮れの陽射し――。
 教会の鐘楼が教会通りの石畳に長い影を落としている。
 その影の中を牧師に挨拶をして教会を出た絵描きは「大道芸人の広場」に向かって歩いている。

 初めて会話を交わした牧師は思った以上に気さくな人物で、博識であり、またジョークも交えた話術で絵描きを楽しませた。
 今まで彼がこの町で出会った誰よりも楽しい人物のひとりであることは間違いがない。
 午後の紅茶の時間――それは今まで絵描きにはない習慣ではあったが――は、ここ数週間では最も充実した時間であったと、今、絵描きは思っている。
 絵描きは話の中で、いつかこのお礼に似顔絵を描かせてくれ、と、提案してみたが、牧師は、自分などは絵になる価値などない、それよりも神の姿を描いて贈ってくれないか、と、そんなことを云っていたが――。

 神の姿?
 そんなものを描いたことはない。
 そんな気になったこともない。

 絵描きは、だから、その申し出に対しては曖昧な回答をするしかなかった。

 だが、それにも牧師は別に気を悪くした様子も見せずに、ただ笑顔だけを返していたのが、印象的である。
 牧師の本心がどこにあるのかが、よくわからないが、少なくとも彼とは友人になれたような気がする。

 そんなことを考えながら絵描きが「大道芸人の広場」から居酒屋「スペランツァ」に向かおうとしていると――。


 絵描きの手を誰かがぐっと握る。
 彼は、ぴくり、と、全身を緊張させて、そちらに目をやる。
 手を握っていたのは、白いコート姿の少女。

 天使である。

 襟元に真っ白な毛皮のマフラーをしている。
 絵描きの表情が和んだ。

「何だ、天使さんか。脅かさないでくれよ」
 その言葉に、しかし、天使は何故か厳しい視線を彼に向ける。

 怒っている?
 何故?

 絵描きは困惑した表情で、天使の顔を見つめる。

「絵描きさん」と、天使。
「何処に行っていたの?」
「え?」

 意味がわからない。
 何処? それは教会だが……。

「教会だよ。牧師さんと午後のお茶を愉しんでいたんだけども」
「そう、やっぱり」
 彼女は絵描きの手を握ったまま、振り返って夕陽の中でシルエットになって見える教会の尖塔をじっと見つめる。
 いや、見つめる、と云うよりは、睨みつけている。

「どうしたんだい、天使さん?」
「何でも、ない」
「そんなことはないだろう?」

 明らかに様子がおかしい。
 あの教会に何があるのだろうか、と、絵描きも振り返って教会を見る。

「絵描きさん、お願い」
「お願い?」
「あそこには、もう行かないで」
「あそこって、教会のことか?」
「ええ」
「どうして?」
「それは――」
 天使は、一瞬だけ、じっと黙り込む。

 それから。

「理由は云えないけれど、私、あそこが嫌いなの」
「嫌い?」
「そう。だから、絵描きさん、あそこには行かないで」
「しかし」
「お願い。――それに、あそこに行けば、あなたも不幸になる」
「不幸? しかし、教会なんだよ?」
 天使は真顔で厳しい視線を絵描きに向ける。

「教会なんて……。別にただの建物でしかないわ」
「それはそうだけども」
「わかった? もう、行かないで」

 有無を云わせぬ言葉。

 その子供とは思えない強靭な意志が込められた言葉に、絵描きはただ黙って頷く。
 理由はわからないが、そこには彼に云えない事情があるのだろう。
 それが何かは皆目見当もつかないが。

「わかったよ。約束する」
 その絵描きのひと言に、天使はほっとため息をつく。
「ありがとう、絵描きさん。ごめんなさい」
「いや……」と、絵描き。
「謝ることはないさ。別にぼくは教会の信者でもないし、牧師さんとも今日、初めて会ったばかりだし」

 あの美味しい紅茶をもう一度飲めないのは残念ではあったが、他ならぬ天使の云うことである。

「うん。よかった」

 天使はそう云うと、満面の笑みを浮かべて、絵描きを見上げる。
 その笑顔はまさしく天使そのもののように美しく、可愛らしく、純粋無垢であどけない、そんな素晴らしい笑顔であった。
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