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第5話 道化師 Pagliaccio

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 今日も「スペランツァ」の奥まったカウンターで、ラム酒の注がれたロックグラスを前にして、道化師はにっこりと笑って見せた。

「そう云う訳なんだよね」と、道化師。
「それからつい最近まで、入院生活だったんだよ。はっは~」
「笑い事じゃないですよ。大丈夫なんですか?」
 絵描きが白ワインに口をつけながら、心配そうな顔で道化師を見る。
 しかし、道化師の方は、何、心配ないさ、と答えると、ラム酒を、ぐびり、と飲んだ。

「もちろん、この通りピンピンしているよ。ただ、あれから少しばかり後遺症が残ってしまってね。時おり首が一周回ってしまったり、腕があらぬ方向に曲がったり、そんなこともあるけどね」

「え? 本当なの、道化師さん?」
 カウンターの中でマギカが驚いて問い返す。

 それに道化師は、にやり、と笑って見せる。
「やだなぁ、冗談だよ。はっは~」
「なんだ、ビックリだよ。人が悪いなぁ、道化師さんは」
「驚かしてなんぼ、の大道芸人だからね。もっともお友達だと思っていた楡の木に裏切られた時には、さすがにがっかりしたけども」

 彼はラム酒の残りを一気に飲んだ。

「がっかり、とか云っているレベルではないんじゃないですか? 真面目に後遺症とかはないんですか?」
 絵描きの言葉に道化師は首を振る。

「そんなものがあれば、こうしてラム酒を飲んだりしているもんか。まあ、楡の木もちょっとばかりイタズラしたとは云え、それ以降は昔のように仲良くしているよ」
 道化師は嬉しそうに云いながら、窓の向こうに見えている楡の木を見つめる。

「でも、だから、しばらく顔を見なかったんですね?」
「そう云うことだね。おかげでいつも定位置だった楡の木の下で、他の大道芸人たちが芸を披露していることも多くなったみたいで、気に入らないんだけども――。つまり楡の木もなかなかの浮気者ってことだね、はっは~」
 マギカは苦笑しながら、二杯目のラム酒を道化師に差し出した。

「ありがとう、マギカ。気が利くね。いい奥さんになれそうだ。……時に君たちは結婚するつもりなのかい?」
 彼はマギカと絵描きを交互に見ながら、訊ねた。

 絵描きがマギカを見る。
 マギカも絵描きを見る。

「えっと……」と、マギカ。
「どうなの、絵描きさん?」
「え? いや……」
 その様子に道化師は自分の頬の涙のメイクを指差した。

「はっきりしないのはいけないな。愛し合っている若者は結婚して可愛い子供を作るべきだと、ボクはそう思うよ。そうすればその子もボクのお客さんだ。風船をサービスに三つ差し上げることにするから、さっさと結婚すべきだね」

 絵描きが困ったような表情を見せた。
「確かに、そうなんですが、なかなかに似顔絵描きだけだと厳しいですし」
 その台詞にマギカが身を乗り出して、絵描きの頬をつねった。
「あ、痛!」
「そう云う夢のないことは云わないでよ、絵描きさん」
 彼女は絵描きを睨みつける。
「だけど冬場はお客もないし」
「そんなことないよ。ねえ、道化師さん?」

「ん?」
 道化師が首を傾げて見せる。
「それは、もしかして、ボクに似顔絵描きのお客さんになれ、と、こう云うことかな、魔女のお嬢さん?」
「毎度、ご贔屓に」
 マギカは道化師ににっこりと笑いかけた。
 道化師は両手を広げて、大袈裟に肩を竦めると、首を横に振った。

「まいったねえ。商売上手だ。……よし、わかった。それでは絵を描いてもらうとしよう。もっとも道化師のメイクのままだから、似顔絵、と云うよりも、役者絵みたいになってしまうけどね。どうだい、絵描きさん?」
「それは構いませんが、でも、同じ大道芸人からお金はとれませんし」
 大道芸人同士でお金を取らない、と、云うのはこの「大道芸人の広場」の彼らにとっては半ば習慣でもあった。
「うん。そうだね。そんな習慣もあったっけ」
「そうなの?」
 名案だと思ったのに、と、マギカはしゅんとする。

「いやいや、がっかりすることもないさ。それではこうしよう。ボクの絵を描いてくれたならば、それをいつもボクは芸をする時に隣に掲げておくことにする。そこには君の名前を入れてね。『大道芸人の広場で一番の似顔絵描き。ジャグリングの後にどうぞ』なんて文言も一緒に書けば、お互いの宣伝になるじゃないか? コラボレーションって奴さ。どうだね? 名案だろう?」

 道化師は満足げに云うと、頷いて見せた。

「ああ、なるほど。それっていいアイデアだね。そう思わない、絵描きさん?」
 マギカがひとつ手を叩いて、笑った。
 絵描きもそれに苦笑いを返す。

「そうだね。そう云う宣伝も必要かも知れない」
「オーケイ、決まりだ、はっは~」
 道化師はそう云って、ポーズをとって見せる。

「いや、道化師さん、ぼくの似顔絵は顔だけですよ。ポーズはいりません」
「では、変顔でもするかな?」
「メイクをしているから、それで十分ですよ」
「うん。違いない」
「それじゃ……」

 絵描きはスケッチブックを手に取ると、カウンターで微笑している道化師の絵を描き始めたのだった。 
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