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第5話 道化師 Pagliaccio
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しおりを挟む「絵描きさん、そう云えば道化師さんって知ってる?」
いつものようにカウンターで白ワインを注文した絵描きに、マギカが云う。
居酒屋「スペランツァ」のありふれた日常。
今日もその店は閑散としている。
声をかけられた絵描きは彼女の快活な笑顔に笑顔を返した。
「道化師さん? あの楡の木の下の道化師さんのことかい?」
「うん。そうよ。その道化師さん。……あの人、最近、あまり見ないと思わない?」
絵描きは思い返して見る。
確かにここしばらく特に秋になってからは、そこにいるだけで目立つ彼の姿を見かけなくなったような気がする。
もともと「大道芸人の広場」の大道芸人たちは、秋が深まってくると次第に姿を見せなくなるものだ。
この地方の厳しい冬の寒さで、広場はもとより町全体で人が外を出歩かなくなり、大道芸を見せる相手、つまり、客がいなくなるから自分たちも家に引き篭ってしまいがちであったし、また彼らの多くは定住者ではない旅芸人で、普段利用している木賃宿の隙間風に耐えかねて、南に渡っていくのが通例だったのだ。
「でも、さ」と、マギカ。
「道化師さんって、この町に住んでるんだよね?」
「さあ、そこまではわからないが、もう何年も前から楡の木の下で大道芸をしてるはずだから、たぶんそうなんだろうとは思うけども」
「絵描きさんも知らないんだ」
マギカががっかりしたように答えた。
「あたしはこの夏にこの町に来たから、よくわからないけども……でも、秋口から見てないから、不思議だな、と、思って」
「確かにそうだな。一番の稼ぎ時だったと思うけど」
マギカと絵描きがそんな話をしているところへ――。
表の重たい木の扉が開き、噂の主である道化師が「スペランツァ」に入って来た。彼は絵描きとマギカを見ると、うやうやしく大袈裟に頭を下げて見せた。
「はっは~、お元気ですか?」
道化師はそう云って笑顔を見せる。
もっともメイクのおかげで彼はいつも笑顔に見えるのだが。
「お嬢さん、申し訳ないがボクに一杯、ラム酒をいただけないかな?」
道化師の仕種は芝居がかっている。
だが、それが妙に様になってもいる。
「ソーダ割り?」
「いえいえ、ボクは常にロックで嗜むことにしているんだよ」
「ロック? 珍しいね」
「美味しいラム酒はロックが一番」
「美味しい、と云うほどいいラム酒かどうかは請合えないけどね」
云いながら、マギカはカウンターの隅でいつものようにグラスを磨いているマスターを一瞥した。
相変わらず、そんな皮肉っぽい台詞にも反応しようとしないのが、いつも通りのマスターである。
マギカは肩を竦めた。
それよりも――。
道化師の注文にマギカはラム酒をロックグラスに用意しながら、不思議そうな表情を見せた。
「道化師さん、喋るの?」
「ん? ああ、そうか、そうか」
マギカにそう訊かれて、初めて気づいたように彼は相変わらずの大仰な仕種で頷いて見せた。
「確かに広場でのボクは寡黙な男だからね。まるで修道士のようにね。はっは~。ボクが喋るのを見て驚いたかい、素敵なお嬢さん?」
「マギカよ」
彼女は名乗りながら道化師の前に、ラム酒の入ったグラスを置いた。
「マギカ。いい名前だね。では、素敵な魔女さんに乾杯と行こう。君も飲んではいかがかな? それから――」
道化師はカウンターでワインを飲んでいる絵描きに向き直る。
「そちらのダンディな若者にも、乾杯。……君は確か、似顔絵描き、だったっけ?」
「ええ。絵描きです」
「うん。知っているよ。もちろん知っているとも」
そして彼はロックグラスを高々と持ち上げた。
「乾杯。素敵なお嬢さんとダンディな絵描きさんと陽気なこのボクと、そして、この渋い店に」
陽気な、と、自分で云うように、道化師は楽しそうに乾杯の仕種をすると、ロックグラスのラム酒を一気にあおった。
とても美味しそうに彼はラム酒を飲んだ。
「いや、美味い。やはりラム酒はロックに限るね。ねえ、絵描きさん、そんな山羊の小便みたいな白ワインばかり飲んでいないでラム酒を飲んだらどうだい?」
「はあ、まあ、ぼくは白ワイン以外は苦手なんで――」
「飲まず嫌いはいけないよ、絵描きさん。一度、飲んでごらんよ。……ん、そうか。なるほど、なるほど、もしかして絵描きさんはラム酒を仔羊の酒だと勘違いしているんじゃないか? まあ、仔羊も山羊の小便もそんなに変わるものではないが、しかし、それは大きな誤解だよ。ラム酒の原材料はサトウキビさ。はっは~」
「いや、さすがに仔羊とは思ってませんでしたよ、道化師さん」
絵描きが苦笑する。
陽気と云うか、騒がしい男である。
「ね、絵描きさん」
マギカが絵描きの耳許に囁きかけた。
「道化師さんって、結構、めんどくさい性格みたいだね」
「まあ、そうだな」
そのやりとりに気づいたのかどうなのか、道化師は腰を振っておどけて見せる。
「何だ、何だ、君たち、ずいぶんと仲良しみたいじゃないか。ボクも仲間に入れて欲しいな。仲間はずれは嫌いだよ。ほら、涙が出てきたじゃないか」
道化師は自分の右頬の涙のメイクを指差す。
マギカがその仕種に思わず吹き出すと、お腹を押さえて声を上げて笑い出した。
「やだ、道化師さん。それはメイクじゃない? もう、面白い人だね。――って云うより、よく喋るねぇ。大道芸の時はひと言も喋らないくせに」
「う~ん、どうしてかねぇ。リバウンドって奴かね?」
「それはリバウンドって云わないんじゃないの?」
「まあ、雰囲気が伝われば、それでいいんじゃないかな、素敵な魔女さん?」
「適当なのね」
「面白いだろ?」
「うん。こんな人だとは思ってなかったけど」
「惚れてしまいそうだろ?」
マギカは笑って頭を振った。
「それはない。あたしには……」
ちらり、と、絵描きを見る。
頬が少しだけ赤く染まっていた。
「おいおい、やっぱり君たちはそんな仲なんだね? まいったなぁ。これじゃボクはまるでピエロじゃないか? ……って、そうか、ボクはもともとピエロだったっけね。はっは~」
「なるほと、そこでそう云うオチをつけるのね、道化師さん? 黙ってジャグリングしているよりも、話術の方を磨いて、そっち方面の大道芸をした方がいいんじゃない?」
「考えとくことにしよう」
道化師はウインクをすると、グラスに残ったラム酒をひと息に飲み干した。
「では、素敵な魔女さん、それに、ダンディな絵描きさん」
彼はそこでまたまた得意のうやうやしく大仰な礼をして見せる。
「今日はこれで退散しよう。ごきげんよう。また会う日まで」
そしてラム酒に酔ったのか、それともお得意の道化の演技なのか、ともかく少しだけ千鳥足気味になって、道化師は「スペランツァ」を出て行った。
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