紫苑の誠

卯月さくら

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第四章 変わりゆく時代

山南敬助の死

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元治元年、六月二十二日、京都御所は長州軍に包囲された。幕府に届いたのは一通の手紙。その内容は和解のための嘆願書であった。しかし、幕府はその事に一切の無視を決め込んだのだ。痺れを切らしたのは長州側。いつまで経っても返答のない幕府に対し、長州側は七月一八日、ついに京都御所へ攻め入ったのだ。これが、後の禁門の変、(蛤御門の変)と呼ばれるものである。
新選組も幕府からの命により、見廻組と共に九条河原で待機することになった。待機をしてからもう随分と時間が経っている。

「おい、俺達はまだ、動けねぇのかよ。このままじゃ逃がしちまう」

待機と言われ、思うように動けない土方は苛立ちを隠せないでいる。御所では、激しい戦いが繰り広げられているのだろう。あちらこちらから煙が上がっているのが見て取れる。上からの指示はまだ無い。しかし、新選組は動くことを決断した。

「上からの指示は待ってられねぇ。俺たち新選組は蛤御門へ向かう」

そこに水を差したのは、一緒に待機をしている見廻組だった。

「上からは待機を命じられている。次の指示がくるまでは待機だ」

その言葉で土方の堪忍袋の緒が切れた。

「何が待機だ。目の前で争いが行われているのを見ないふりしろと言うのか? 俺達は戦うために待機しているんだ。臨機応変に行動するための待機じゃないのか!! そんなやる気のない奴らと一緒にいる義理はない。俺達は向かうがお前らは勝手にしろ!!」

新選組は蛤御門を目指して走り出した。
そこは目の前が砂埃すなぼこりで見えなくなるほど酷く荒れていた。
 しかし、そこに長州の姿はなかった。幕府側の攻撃により、追いつけられた残党は死に場所を求め、天王山へと逃れたのである。

「奴らは天王山へ向かった。全員逃がすな! 追うぞ。」

土方はまたもや走り出した。蛤御門から天王山までは少し距離がある。新選組と共に来ていた紅蓮は「何故、そこまで追い立てるのか」土方に尋ねた。

「負けを認め死に場所を探し求める彼らを、どうしてそこまで追い詰める? 彼らは腹を切って死ぬのだろう。最後くらい好きにさせてやらないのですか?」

土方はこちらに視線を移し、そしてまた前を向き話し始めた。

「幕府に弓を引いておいて、名誉ある死に方が出来るわけないだろう。最後まで自分を貫くのが武士なら、俺達も全力で闘うのが筋ってもんだ。そうでなきゃ、相手に失礼だ」
二人の間にそれ以上の会話はなかった。
 この話を聞いた紫苑は、自分の生き方について考えていた。
(本当にこれでいいのだろうか……。 いや、余計なことは考えるな。私は復讐を遂げるためだけに生きてきたんだ。 今更、後戻りは出来ない。何も考えるな。)
そう自分に言い聞かせた。
 天王山に着いた頃には、もう太陽が傾き始めていた。頂上では全員が腹を切って果てていた。それを見た土方はふっと顔を緩め、きびすを返した。

「帰るか」

その言葉で隊士達は山を降り始めた。

「いいのか?」

せっかくの手柄を逃したのだからいい訳がないのだが、紫苑の問に土方はこう答えた。

「新選組としてはもちろんいい訳がない。しかし、彼らが最後まで武士であろうとしたことは一人の人間として好きだ。そういう生き様は讃える。俺たちとは持っている信念も立場も違ったが、彼らも己の心に従って行った行動なのだから、そこは認めるべきだろう」

 意外だった。たとえ敵だとしても、その人の生きざまを認めた彼らの姿が。
 今回のことで長州は完全に朝敵になった。互いが国のことを思ってとった行動がこの国を大きく歪めてしまうことになったのだ。どちらが悪いとかは言えなかった。
 明日、自分たちが逆賊となりうるかもしれないこの国で、己が生きた証を残すために彼らが必死で今を生きている。
 禁門の変から一か月後。時の将軍、徳川家茂により第一次長州征伐が行われた。長州は京都から引くしか他ならなかった。
 池田屋事件に禁門の変、激しい戦いが続いた新選組は隊士を募るため、近藤は江戸へ向かった。新しく新選組に入ったのは伊東甲子太郎。彼は藤堂平助と同じ北辰一刀流の剣の使い手であり、藤堂とも深い関わりがあった。一見よくなってきたかに見えた新選組は彼の参入で新選組を分裂に導くことになったのである。

「今日から新しく新選組の仲間となった伊東さんだ。伊東さんは勤王派の人だが、この国をよくしようという志は同じだ。新選組にも多くの隊士が入ってくれた。人手不足の我らにとって、とても嬉しいことである。よろしく頼む」

広間には入りきらないほどの隊士が集まっていた。伊東と呼ばれた人物は、物腰は柔らかそうな人であったが、どこか何を考えているか分からない、そういう不気味さも漂わせている人であった。

「初めまして、皆さん。伊東甲子太郎です。近藤さんからも紹介がありましたが、私はこの国をよくしていきたいと思っています。よろしくお願いしますね」

「伊東さんには新選組の参謀を任せたいと思っている。伊東さんは戦略を考えることに秀でた人だ」

近藤は伊東のことを信用しているようだった。しかし、他の幹部たちは歓迎しているようには見えなかった。特に土方や沖田は伊東を疑うような目で睨んでいる。

「これでいよいよ私の役目は終わりですね……」

山南は寂しそうに悲しそうにそっと呟いた。
以前、山南は大坂出張の帰りに深手を負った。そのため剣を握ることが出来なくなってしまったのだ。日常生活に差し支えることは無いが、両手で刀を握れないとなると、鍔迫り合いになった時、確実に押し負けてしまうだろう。今までは剣が使えない代わりに、新選組の頭脳の1人として、作戦を立てたり、戦略の指揮を取っていたりした。
 しかし、伊東甲子太郎が入ってきて、参謀になってしまったものだから、山南の心中は苦しいものだろう。剣以外に唯一と言ってもいい秀でた役割を取られてしまうという形になったのだから。
 隊士が増えたことで、随分と狭くなった屯所では、隊士達は雑魚寝を余儀なくされていた。幹部達は屯所移転について考えざるを得なかった。

「屯所移転の件だが、西本願寺が良いだろう。あそこは長州勢力を匿っているという噂もある。こちら側に押さえておけば、長州の陣地を一つ潰せることになる」

早速、土方が口を開いた。それに重ねるかのように近藤も合意の意志を表明した。しかし、それに反対したのは山南であった。

「西本願寺はお寺です。仏門に仕える方たちを武力で押さえつけるというのですか?そんなことをしたら、長州の連中とやっているが同じじゃ無いですか。私は反対です」

 幹部のほとんどが同意する中、山南だけが反対しているのだから、立場は弱い。結局、山南は同意するしかなかった。
 部屋から出ていこうとする紫苑を引き留めたのは、沖田だった。二人は沖田の部屋で少し話すことになった。

 「僕は近藤さんの為なら何だってできる。そう思っていたんだ。でも、山南さんとあんなことになってしまって、僕はどうすればいいか分からない。山南さんとも長い付き合いだから」

沖田は唐突に話し始めた。

「山南さんとはどういう関係何ですか。聞いてもよろしいですか……」

紫苑は静かに尋ねた。

「僕は近藤さんがやっている試衛館という道場の門徒だったんだ。その頃から、山南さんには世話になっているんだ。体が小さく幼かった僕は、よく年上の門徒からよく馬鹿にされ、叩かれていた。傷だらけの僕をいつも山南さんはおいしいお茶と甘味で慰めてくれた。怪我の手当をしてくれたのも山南さんだった。だから僕にとって山南さんは兄貴のような存在なんです。でも、近藤さんとあんなことになったから……」

剣の才能を見出してくれた近藤と兄のような存在の山南が対立していることが沖田にはとても辛いことなのだろう。紫苑は少し考えて答えた。

「このままだと新選組はバラバラになって後戻りできなくなると思う。沖田さんはそれでもいいの?」

「そんなこと良くないに決まっている。でも……」

屯所移転が西本願寺に決まったその日、山南敬助は帰ってこなかった。伊藤甲子太郎が入隊してから僅か五ケ月。慶応元年二月のことだった。
 山南がいると分かった場所は大津であった。土方は沖田にだけ迎えに行くように指示をした。皮肉なものだ。弟のように可愛がっていた沖田が迎えに来れば、逃げることは出来ないだろう。しかし、帰ったところで、局中法度に背いた者は切腹と決まっている。

「山南さん、屯所に帰りましょう。皆さん心配していますよ」

沖田の言葉で山南は屯所に帰ってきた。山南は昔からの幹部とあって、形だけ牢に入ることになった。

「山南さん。どうして何も言わずに脱走なんてしたんだ? 俺たちに相談してくれたら……。いや、俺が山南さんを追い込んでいたのか?」

土方は牢屋越しに話しかけた。その話を聞いた山南は横に首を振った。

「いいえ、あなたのせいではありません土方君。私はただ、生きることに疲れたんです。」

 その日の夜、平隊士たちが寝静まるのを待って、山南を含めた幹部たちが広間に集まった。

「本来なら、隊を脱した者は切腹と決まっている。しかし、山南さんは試衛館時代からの仲間だ。そこで皆に提案がある。山南さんを死んだことにして逃がすのはどうだろう」

土方は鬼の副長と呼ばれているが、実はとても人情味のある人物だ。仲間を見据えることはできないと考えたのだ。
 話を聞いていた、原田と永倉も逃がすことに賛成した。

「一度、脱走してしまったのだから、新選組に戻ることはできない。しかし、これまでのことをすべて捨てて、人生をやり直すことはできる」

皆の話を聞いていた山南は優しそうな目で全員を見つめ、答えた。

「皆さんの気持ちは本当に有難いです。しかし、規則は規則です。これから新選組はもっと大きくなり、時代の荒波を越えていかなければなりません。私が言うのもなんですが、法度違反も出てくるでしょう。あなた達はそのたびに黙認するのですか?」

「そういうことではない。俺は山南さんだからこそ。あなたには生きていてほしいからこそ皆で決めたんだ」

土方は訴えかけるように山南にそう言った。しかし、山南は頷かなかった。

「土方君、あなたは新選組の司令塔なんです。あなたがしっかりしないとこの先、新選組はきっと滅びます。しっかりしなさい」

山南の言葉で広間に沈黙が広がった。今度は土方が言い返した。

「だったら、どうして……。どうして局中法度に背いたんだ、山南さん。あなたはこの新選組に必要な人物なんだよ」

「そういってもらえて幸栄です。私もこの新選組にいることができて本当に良かったと思っています。しかし、私はもう、あなた達に迷惑をかけることしかできません。ここにいたらいずれ私のことが重荷になる。そうなったらもう、私はあなた達に顔向けできません。だからもう終わらせてください。私を死なせてください。お願いします」

山南は哀しそうに訴えた。
 皆は山南の申し入れに逆らうことができなかった。
 いつまでも山南が広間にいては、平隊士に気付かれる恐れがある。山南は沖田と紫苑に付き添われて、牢屋に戻ることになった。

「沖田君、明日私が切腹した時は、介錯をお願いしますね。あなたにしか頼めないことです。どうか……」
その言葉を聞いた沖田は、いつものふざけた笑顔を見せることなく、無言でその場を後にした。

「沖田さん!」

叫ぶ紫苑に山南はいつも通りのにこやかな顔で話しかけた。

「紫苑さん、いいのです。彼もきっと分かってくれるはず」

「だったらどうして死ぬことを選ぶのですか? 私は新選組に来て仲間の大切さを思い出しました。裏切られることの辛さ、裏切ることの苦しさも知りました。でも、私はどうしても一族を皆殺しにした立花を許すことはできない。あなたは沖田さんを、新選組を裏切って苦しめてるのではないですか?」

 辛いのは山南も同じだろうに、紫苑は彼に思いの丈をぶつけてしまった。

「私だって、本当は……。本当は、沖田くんの傍に、新選組の行く末を見届けることができれば、どれほど良いか。でも、もうそれは出来ないんです。私はもう彼らの傍にいることはできない」

いつも静かで冷静で優しい山南の姿はここには無かった。ここに居るのは、苦しくて、辛くて、生きることに絶望した一人の男の姿であった。

「どうして……? 刀を握れなくても、剣を振るうことができなくても、山南さん、あなたは武士でしょう」

「それが私にとって一番辛いんです。苦しいんです。あなたに私の気持ちが分かりますか? 刀を使えなくなったんです。仲間を守ることの出来る唯一の手段が無くなったんです。それでも必要としてくれる彼らに応えることができないんです。もう、生きるのが辛いんです。このまま終わらせてください。」

彼の悲痛な叫び声が響いた。それでも紫苑は冷静に続けた。

「沖田さんとはこのままでいいのですか? 沖田さん言ってましたよ。あなたは「兄のような存在だ」って。このまま何も言わずに全てを終わらすつもりですか?」

 紫苑は沖田と山南の関係がこのまま終わってしまうなんて「絶対に嫌だ」「新選組をなんとかしたい」と初めて思ったのだ。
 その事を察したのか山南は紫音に優しく声をかけた。

「沖田くんなら大丈夫です。何年一緒にいると思ってるんですか。彼だって本当は分かってるはずです。紫苑さん、あなたに一つだけお願いしたいことがあります。どうか、私の可愛い弟を、沖田くんを頼みます」

山南の意思は変わらないのだと紫苑は悟った。

(それなら、いま、私が出来る限りのことをしよう。)

「山南さんは本当にそれでもいいんですね。」

「ええ、あなたのことを最後まで見届けることが出来なくてすみませんね。あなたにとって、新選組は居場所になれましたか? 私たちはあなたの仲間になることができましたか?」

無言で頷く紫苑を見た彼の顔はいつも通りの優しい顔で、どこが清々しいスッキリした顔をしていた。

「沖田さん、大丈夫ですか?」

 縁側で月を眺めている沖田に紫苑は声をかけた。その顔はどこが哀しそうで、苦しそうだった。

「あぁ、君か……」

調子のいい、いつもの沖田はいなかった。

「このまま、山南さんと会わないつもりですか? 明日が過ぎればもう、二度と会うことは出来なくなりますよ」

紫苑の言葉に耳を傾けようとしない沖田に、彼女はついにキレた。

「いつまで、そうやってうじうじやってるんだ!! あんたがいま出来ることは何だ? 考えろ!! 逃げることか? 違うだろう。そうやって逃げるのは簡単だろうな。お前はこの先もずっと何かがあったら逃げるつもりか? そんなことばかりで、山南さんは喜ぶと思うのか?」

その言葉にハッとした沖田は、深呼吸を一つしてフッと笑った。

「紫苑ちゃんの言う通りだよ、ありがとう。僕も覚悟を決めるよ」

月を見上げた沖田の頬には、一筋の涙がきらりと光っていた。
 次の日の早朝、山南は幹部皆に見守られながら命の灯火に幕を閉じた。
 介錯をしたのは沖田だった。そこには会話はなかったが、頷き合う彼らの間には確かに絆があった。こうして、新選組を作り上げてきた中心人物が一人散っていったのである。
 その日は雪の残る寒い日であった。
 部屋に戻った紫苑は机上で仕事を片付けている土方に声をかけられた。

「なあ、紫苑。俺は本当にこれで良かったのだろうか? 俺は山南さんを見殺しに、仲間を追い込んでしまったのではないだろうか。だとしたら……俺は……俺は副長失格だ。仲間一人の悩みすら気付くことができない、助けてあげることができない。俺に今の新選組を支えることなんか……」

「それ以上は駄目。あなたはどんな時でも揺らいだらいけない。新選組を影で支えているのは土方さんだ。まっすぐ前だけを見つめるんだ。……でも、今日一日くらいは肩の力を抜いて、泣きたい時は泣いてもいいですよ。大丈夫、私しか見てないから」

「すまない……」

頬を伝う彼の涙を見ながら、『鬼の副長』と呼ばれる土方の人間らしさを感じる紫苑だった。
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