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消えゆく芸術
12.作品の「一部」
しおりを挟むカンバスの裏は、白いわけじゃない。
その白いカンバスの裏には、紙をピンと張りつめて描きやすいように伸ばしている、又はカンバスを脚立に置けるように支えるための木材、又は鉄だったりする。
だが、カンバスはその支えるモノがなくなると、カンバスではなく、ただの頑丈な紙と化する。
風に吹かれると、すぐに飛んで行ってしまう、ただの紙へ……。
人も、人という字は支え合って出来ていると、日本語ではよく聞くが……まさに、ノアはその支え合っているもう半分……骨組みにようやく出会えたところ、とでも言うべきか。
彼のかつての恋人であり、消えた伝説の芸術家の一人でもある、油絵師……シェリア・ノエルズ。
その消息は、メディアはもちろんだが……当時恋人であったノアですらも、一切不明とされていたが……まさか、こんな形で出会うことになるとは、正直ヴァルもノアも予想だにしていなかった。
しかも……よりにもよって、感動の再開が、水彩画家であるドンベルト・ワーナー氏の家の中でとは。
いや……正直なところ、果たしてココを家と呼べるのかすら、ヴァルには分からなかった。
さっきまでの白い空間なぞ特に、人工的に作られた大理石だらけの、決して住み良いとは口が裂けたって言えない。
だが多分、俺が芸術を理解できないだけで、芸術を理解する者達からすれば家……なんだろう……多分。
特にこのヴァルとノアが飛び込んだここは……先程まで居た真っ白な異様な空間とは違い、自然の大地が露出して、様々な鉱物や結晶にまみれた場所は……少なくともヴァルには流石に、多めに世辞を入れたって、家の一室とさえも呼べる空間ではなかった。
言えるとするなら……ただの綺麗な洞窟、だろうな。地面だけはしっかりと大理石の床になってはいるが、これだけで家の中の一部なんていったら、世の中の自然の森の中でさえ、家って言えちまう。
……いや、冷静になれ、俺……。ヴァルは頭を左右に振って自分の変な考えを。頭の中から払いのける。
問題はここが家かどうかじゃない。そんなことよりも重大なのは、ここはまだ、あの入り口で出会った狂気じみたドンベルト・ワーナー氏の敷地内であることだ。
その中に、そんなやばい奴が管理しているであろう家の中に、なぜ消えた芸術家の一人……もといノアの恋人であるシェリア・ノエルズがここにAI化されて存在しているのか?
その答えはきっと、彼女が言った、『最高傑作』の一部だから……。
これが彼女がいる理由と、消えた芸術家達に繋がる、全てのカギ何だろうが……。
一体、消えた芸術家達の言う自分の人生の作品、『最高傑作』とは、なんだ……? ヴァルはこれ以上の頭痛案件はご勘弁願いたい為、さっきのドンベルトのAIに聞けなかった事を、彼女に何としてでも聞かなければいけないと思った。
「その『最高傑作』とかいう……そいつは、この扉の奥に行けば拝めるのか?」
ヴァルはシェリアに問いかけながら、念のために、拳銃をいつでも取り出せる用意をする。
さっきのドンベルトのAIのように狂気的考えを持っていないと、またこの洞窟にさっきのような仕組みが絶対にないとも言い切れない以上、最悪の場合は、このAIを……破壊することも視野に入れておかなければならない。
それは……きっと、ノアの為にも……俺がしなくてはいけないことだ。ヴァルは静かに心の中でその決心を固めた。
そんなヴァルの問いに、シェリアは渋った。言いたい、だけど言えない……そんな感じだった。
だが、この仕事を一刻も早く終わらせようとするヴァルの気持ちなど微塵も知らず、ノアにとってはそんな事どうでもいいというように、もう一度、彼女の姿をした映像のAIに近づき、食いつくように話しかける。
「なぁ、シェリア……! 俺の事は……覚えていないのか……!?」
ノアがそう言寄ると、シェリアのAIはまるで泣きそうな表情でノアの事を見た。どうやら、ノアを認識出来ていないというわけではなかったらしい。
ノアは掴めもしない姿の恋人の映像にひざまずいて、その在りもしない手を握るよう手を添える。
ヴァルは、どうしていいのか、止めるべきなのか、悩み、苦しみ、思わずノアから目を逸らす。
最高傑作というものに対する質問に正直答えて欲しいが……こんな相棒の姿を見てしまっては、流石のヴァルもこれ以上強気に行くことは出来なかった。
ヴァルが見ていられないそのノアの恋人にすがる姿を、シェリアは更に憐れむように、映像の彼女はその若干潤んだような、大きく綺麗な青い眼を細める。
―― ……忘れるわけなど……ないじゃないですか……ノア。 ――
「……ッ! シェリア……!」
抱きしめる事すら許されない、その映像でありながら当時の美しいままの彼女の映像の姿と声に名前を呼ばれ、とうとうノアは涙を零した。
ノアの事を愛称で呼ぶ者は、ヴァル以外では今のところ、Mr.ハロドゥと……彼女のみだったからだ。
つまり……このAIは、確実に彼女の記憶を受け継いでいる。それだけで、ノアにとっては幸せな事だろう。
例えそれは紛い物の姿であろうと……ノアにとって、彼女は彼女で……それが全てだったのだ。
それを痛いほどによく知っているヴァルには、もう、ノアを止める気さえも起こらない。どうしたらいいのかも、分からない。
「ごめん、ごめんな……シェリア……俺は、俺はお前を守ってやれなかった……! あの日、お前が居なくなって俺は……!」
―― 違う、違うの、ノア……すべては私がいけないの……彼らに、気付かせてしまった、私が……。 ――
「……彼ら……?」
ヴァルはシェリアのたった一言に引っかかりを感じて思わず、問いかけた。
泣き崩れるノアの事も心配だが、とりあえず彼女の映像が映り続ける限りは大丈夫な気がしていたから。
今は、一刻も早く仕事を終わらせて帰る事が優先……。ノアが泣き崩れている今、彼女に聞くチャンスは今しかない。
そしてヴァルのポツリと発した疑問を拾ったシェリアのAIは、哀しみの顔のまま、目線をうずくまるノアからヴァルへと移動させ、静かに頷いて見せた。
―― ……そうです。消えた芸術家と言われている、私を除くと計六名……彼らは、もはや芸術として許される範囲を超える事実を追い求めてしまったのです。……私のせいで……。 ――
ヴァルは洞窟の土壁にもたれかかり、銃を取り出す姿勢を止めた。
どうやら……彼女はこの街の噂となった真相を知っているうえに、少なくともドンベルトよりはまともな話が出来そうだった。
それに、例えここでヴァルが銃を抜く姿勢を取っていようといまいと、彼女から突然話をやめて攻撃をするような意思は、感じられない。
……機械、しかも映像相手にこんなことを感じるなんて、不思議なもんだ。
……前回の踊り子の件の仕事の余韻がまだ、残ってんのかね……。なんて、ヴァルは内心思いながら、彼女の答えを待つことに。
―― ……少しだけ、聞いたのではないですか? ドンベルト・ワーナーから、『最高傑作』の話を。 ――
「いいや。断片的に単語のみを聞いただけで、まともな話は今のところ何一つ聞けてない。……あんたは、まともな話が出来るのか?」
そう言うと、彼女はまた、悲しいような困惑した表情をして見せた。
ノアはうずくまったまま、動かない。泣いた顔を見られたくないのか、それとも、彼女の前で自分の情けなさに打ちひしがれているのか……。
ヴァルは、情けなく打ちひしがれるそんな相棒を救えない自分が情けなくるよ……と、内心思う。
そんなお前に、俺がしてやれることは……。
注射器が入った隠しポケットに、そっと手を添える。それだけなのに、まるでそこが冷気を帯びたように冷たく感じているのは……緊張か、ただの手汗のせいなのか、ヴァルには分からなかった。
―― どうか彼らを責めないで。彼らは自分の中の至高を求めた画家や絵師でしかないだけ……そして、私も……その一人…… ――
「おいおい待ってくれ、俺は別に誰も責めちゃいないし、あんたのそれは、俺の質問の答えにもなってないぞ」
そういうと、彼女は今度は黙り込んだ。
……どうにも、こういう芸術家ってのは、話が通じない相手ばかりなのか? 本気で頭が痛くなってくるぜ……。まだそんじょそこらにいる、普通の機械AIのが話が出来るってもんだ。
ヴァルは思わずその背中全部を洞窟に預けてもたれかかり、右手で顔を覆う。
相棒のノアは今のままではまともになっちゃくれんだろうし、俺だけで事を進めるのも構わないが、肝心の相手がこんな相手ばっかりじゃ正直、先行き不安でしかない……。
―― ごめんなさい……。 ――
謝って欲しいわけじゃないんだがなあ……。
どうしたもんかと、ヴァルは顔を覆ったまま下へとうなだれる。芸術相手に上手い事話を持ってくにはどうしたらいいんだか……。どっかに取扱説明書でも付いてないもんかね。
「シェリア……」
ヴァルが隅っこで悩んでいると、ノアが突然立ち上がり、もう一度、触れる事さえできない映像のシェリアの顔部分に手を当てる。
さっきまで流れていたであろうその涙は、頬を流れるのを止め、目に溜まっている状態だが……。
「シェリア……教えてくれ……お前は……生きているのか……? 一体、どこにいるんだ……?」
ノアの懇願に近いその姿は、さながら女神に祈る貧困の民の図のようだった。
ノア……お前は……お前に別れも告げずに消えた恋人の生死を心配し、まだ……恋に溺れているのか。
ヴァルの手に握った薄型の小型ライトが少し動くと、洞窟に生成された鉱石と結晶に反射してまるで、幻想的な光を生み出した中で、シェリア・ノエルズは静かに答えた。
―― ……ごめんね……ノア……私は……もう、あなたの元に戻れない……。だって……私はもう、作品だから……。消えた芸術家としての……作品だから……。 ――
映像は一切涙など、流さないが、もし彼女が本当にここに居た場合……きっとその目は涙で溢れかえっていただろう。
AIの映像であるはずの彼女はそんな……顔をしていた。
様々な色とりどりの鉱石の光をスポットライトのように、まるで本当に、光り輝く彼女自身が、作品のように。
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