シークレット・アイ

市ヶ谷 悠

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消えゆく芸術

9.芸術作品の「価値」

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 ノアが転んだ真っ白な空間……その部屋らしき入り口で立ち止まったままの二人の視界に広がっていたのは、ホルマリン漬け状態にされたドンベルト・ワーナー氏、そのものだった。

 だが……それが何体も、何十体も横一面に並んでいる。

 おそらく……クローンだ。

 何体も同じ、Mr.ハロドゥの見せてくれた写真から年数が経っているのか、少し白髪としわが増えたドンベルト・ワーナー氏の姿で……一番左端に佇んだドンベルトの肉体は、普通の生身のままの、ありのままの完全な人間の姿をしている。

 だが……ノアとヴァルを驚かせたのはドンベルトの変わり果てていく……姿だった。

 しわと白髪の増えたドンベルトのクローンの身体は、徐々に左から、右に行くにつれてその身体は白くペイントされていて、全身全てが真っ白になったかと思えば……それが終わりではなかった。
 今度はどんどんその身体は透明化していき……皮膚がなくなり、筋肉、神経、血管……骨になり……最終的にはその骨さえも、一切の他の色を許さないように、白い骨にさらに白く、ペイントされ、壁と同化して、何も……なくなっている。

 これは……最早作品というよりも……標本に近いだろう……。ヴァルは今の目の前に広がる異様な光景を、なんと表現していいのか分からず、口を開けたまま固まってしまう。

「……作品だ……」
 
「なに……?」

 ノアが急に、床に転げた姿勢で固まったまま、ぼそりと呟く。そんなノアの一声で放心に近い状態から解放されたヴァルは、ノアが見ているのが標本と化されているクローンの土台であることに気づいた。

 その視線の先にあったのは標本が乗っている土台。その全て……全てのクローンの身体一体一体に、が刻まれていた。

 一番左が『目覚め』、次が『自覚』、『覚醒』……だとしたら、その最後は……?

「……タイトル……『解放』……」

 ――ピピピ そうだ。 ――

 突然、どこからか音が鳴り響き、機械の様な音声が家中に聞こえる。
 その音に秒で反応した二人は、一斉に――転げていたままだったノアも瞬時に立ち上がり――ヴァルもノアも銃口を音声がした方向へと向ける。

 そこには……そこには、彼が立っていた!

「ドンベルト・ワーナー……?!」

 だが、二人の前に現れたのは、AI化されている3D映像で、本人ではなかった。恐らく、制御室がどこかにあるんだろう。

 ただの映像に攻撃するすべがあるとは思えないが……ヴァルは用心して、その映像が映し出されている3Dモニターの元をいつでも撃てるように構える。

 その考えはノアも同じようで、彼の手に握られた銃はしっかりとグリップを握って構えのポーズを取って、その銃口はしっかりとドンベルトを映しているカメラの方に向いていた。ノアの鈍っていない反射神経と彼の保っている理性に、少し安堵するヴァル。

 良かった、自分を見失ったりはしていないようだ。

 だが……そんなヴァルの安堵とは裏腹に、ノアの今の精神状態はこの家に入ってからたった数分なのにも関わらず、異常に削られていた。
 ただ、ドンベルト・ワーナー氏にそれを見せたくない、悟られたくない……そんな強い意思だけで、表情に出まいと必死に隠しているだけ。

 実際のノアの内心は、焦り、混乱、怒り……その三つで満ちていた。
 こんなのが……、こんなのが、あんたの辿り着いた芸術だっていうのか、ドンベルト・ワーナー……! 俺は……だとしたら俺は……。

 ―― ……この家に入ってこれたのは、君たちで三人目だ。 ――

 ノアが内心葛藤している間に、AIのドンベルト・ワーナーはゆったりと喋り始めた。それに若干びくつきながらも、ノアは再度、その銃の狙いをしっかりと定める。

「三人だって……?」

 ヴァルは思わず聞き返す。確か、Mr.ハロドゥの情報データによれば、伝説の芸術家七名の内自殺者の三人以外の家には誰も入れていないはずだが……。
 ヴァルとノアを二人に換算しても、あと一人は一体誰の事なのか……? ヴァルには思い当たる人物が居なかった。

 ―― 君たちが求めるのは、私のこの家に残した『作品』達か……? ――

 AI映像のドンベルトは淡々と話し続ける。『作品』というのは……一体の事を指して言っているのか、二人とも分からなかった。
 ヴァルは横目にノアの事を確認しながら、ドンベルトのAIの問いにゆっくりと答える。

「……いいや……俺達の目的はあんたの生み出した作品じゃない。……ドンベルト・ワーナー……あんた自身だ」

 ヴァルはそう言うと、Mr.ハロドゥの元に届いた、例の炙り用紙を取り出して見せた。
 すると、AIのくせに、映像のドンベルトは奇妙な顔をする。

 ヴァルはAIのどういった判断で一体その表情をしているのか分からなかったが、あえて言うなら、AIは……”歪んだしかめっ面”をした彼の表情を映し出した。

 ―― それは……お前たち、何者だ? ――

「そうだな、探し物屋……とでも言った方が分かりやすいかもしれないな」

 ―― さがしものや……何を探している? ――

 コイツ……AIなのに馬鹿なんだろうか……? ついさっき言った俺の発言を記憶してないらしいな……。ヴァルは正直、少しAIに対して呆れた。

「……さっきも言ったと思うが、あんた自身が探し物だ。俺達は……特に俺は別に、あんたの作品の価値を分かって盗みに来たその辺のコソ泥じゃないんでね」

 そう言うと、AI化されたドンベルトは、ククク……と、気味の悪い笑みを零す。その意図が読めない笑いは、二人を一歩後ろへと遠ざけた。
 
 何が、おかしいんだ……このAIは。

 ―― 作品の価値……か。そうだな……この私の作品は……今までの中でも最大傑作にして……最低傑作だ。 ――

「なンだって……?」

 ノアが真っ先に口に出していたが、ノアが言わなければ、ヴァルも同じように言っただろう。そのくらい、ドンベルトのこの発言には、異議を唱えたくなった。

 AIの向いた視線は、ドンベルトの作品として殺された自身のクローン達へと、向いていたから。

 こいつは……いや、ドンベルトに限らず、芸術家は、命を”命”として見ていないのか?
 前の依頼の踊り子と、何が違う? こいつも心が壊れたただの殺人のマシーンと化したっていうのか。

 二人の中には明確な怒りの感情が沸き上がる。クローンは作られたモノとはいえ、なんだ、と。

 二人は、そう思わずにはいられなかった。静かに、お互いの相棒である銃を握る手に、徐々に力が入るほどに。

 ―― ……君達から怒りを感じるが……それは、知らないからだ。がいかに苦悩して、ここに辿り着いたのかを。 ――

 私……達? その意味を説明するように、AIを映し出したカメラ本体が動き、映像のドンベルトが歩き始めた。クローンの身体が並ぶ方向ではなく、ノアとヴァルが立っている方向へ。

 歩くドンベルトから目を離さず、拳銃を構えたまま二人は後ずさり、常に警戒態勢を取る。

 ここは、いわば奴の独壇場でありテリトリー……いつどこで何をされようと、おかしくはない。

 すると、そんな二人が更におかしいのか、また奇妙にククク……と笑いながら、彼はゆっくりとヴァルが来た廊下と思しき方向へと曲がって、白い空間しかないところを歩いていく。

 ―― 付いて来るといい。普通の人間の目では、この空間を見分けることは不可能だろうからな。 ――

 ヴァルとノアは一旦ドンベルトから視線を外し、お互いの目を合わせると、ヴァルは肩をすくませ、仕方なく付いていくしかないだろう、という意思をノアに伝える。それに対してノアはあからさまに嫌そうな、不服しかないという顔をした。

「……チッ……」

 そのまま暫く、二人はドンベルトについて歩いて行った。

 そしてそのまま、まっすぐ歩いていくと突然、さっきのような空間があり、微動だにしない人の姿が見え、またクローンが並ぶ部屋か……と、一瞬思ったが、さっきの部屋にあった本物の肉体ではなく、この部屋にあるのはちゃんとしっかりと描かれた絵だった。
 だが、さっきの部屋とまるで同じ構造……それを、水彩で再現した……そんな部屋。

 ヴァルは苦いものを食べたかのようなしかめっ面を、ノアはさっきと同等の怒りに満ちた顔をした。

 何をどう考えれば、こんな絵が描けるんだ……。

 ―― それが、下絵だ。あの部屋のな。 ――

 歩き続けるドンベルトは、後ろについて歩く二人の事など見向きもせずに、そう付け加える。

 ―― 伝説と呼ばれた私達芸術家は、そう長くない人生の最後に、自分の人生をテーマとした作品を考え、その発想を全て、各々の家を墓にして残そうと考えた。 ――

 AIの話の内容からして、の意味はやはり消えた芸術家達七名の事で間違いないようだ。

 だが……彼が言った言葉に不可思議な点が一つ、ある。

「……長くない人生というのはなんだ? 芸術家達は自分の寿命でも分かってたのか?」
 
 ヴァルは歩き続けるドンベルト・ワーナーの映像にその疑問を投げかけるが、彼は振り向きもせずに一瞬、フッと鼻で笑ってから答えた。

 ―― いいや、逆だ。決めていた。芸術家としての自分の寿命を。 ――

 理解が追い付きそうもないヴァルは、思わず頭を抱える。

 芸術家っていう奴とは、どうにもこの先、俺とは一生理解し合えそうもない人種だな。

 ―― 芸術家の旬の時期は、短く、儚いものだ。だが……。君たちならよく分かるのではないか? ……生死の恐怖、というものを。 ――

 歩きながら一瞬、横目にヴァルとノアを見たドンベルトは、何も発言をせずに、片手に銃を握ったままでいる二人の様子を肯定と受け取り、口角を吊り上げ、嫌味を含めたような笑いをする。

 ―― ククク……まさに、それが私達にとっての、『最高傑作』を意味ある作品に仕上げる為に必要なものだったのだ。……芸術の価値を決めるのは、後にも先にも、最終的にはなのだからな。 ――
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