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扉を閉めて、鍵をかけて。[六折]

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扉を閉めて、鍵をかけて。[六折]


 死神には残りの生命がロウソクに灯る火として見えていると、多くの物語に記されている。しかし、物語のように火を消す権利などはないのだ。ただ、生命の側に行き、火が消えるまで寄り添って、話を聞く。それがわたしのお仕事だ。

 ふわふわと浮かぶ身体で顎に手を当て考えていた。今まで、このような扉を見た事は無く、開け方が分からないのだ。わたしが残業をするのは扉に悩まされる為ではなく、灯が消える最後で迷子にならないように付き添う為だ。しかし、扉の向こう側にいる生命に会えないとなると上司に叱られる。どうにかならないものかとハンドルを力一杯回してみるのだけれど、虚しいばかりに身体が回ってしまうだけ。どうして、人間は生存が出来る環境から飛び出そうとするのか。海や山、空では飽き足らず、星をも出てしまうとはどういう了見なのだろう。その時、掴んでいたハンドルが力強く回り、扉が開いたものだから身体が引っ張られてしまった。白い空間をふわふわと漂い、ぱたぱたと手足を掻くのも虚しく、引き入れられた先の壁に背を打ちつけてしまう。

「きゃん!」

 痛む背中を気にしながらも脱げた帽子を取ろうと、また宙を掻く。

「開けてくださって助かりました。初めて見る扉なので、何分開け方が分……」
「誰……だよっ?」

 上下逆さまの貴方にスカートの裾を摘み、少しだけ上げて不器用に挨拶をしようとしたら、また帽子が頭から離れてしまった。それを見て青ざめる彼が機器を触り始め、表示された数字をメモ帳に鉛筆で忙しく書き始める。

「こんにちは」
「幻覚だ。幻覚だ。幻覚だ。惑わされるな、数字を見ろ」

 彼は強い意志を持っていて、わたしの姿が見えていても認識しないようにしているようだ。何度も機器のボタンに触り「空気中の二酸化炭素比率はおかしくない。ユニットごとの故障か?他のモジュールは……」と、わたしが見える原因を“科学的”に探ろうとしている。

「貴方にも、この施設にも異常はありません。ましてや幻覚でもありません」
「惑わされるな!惑わされるな!大丈夫だ、大丈夫!司令室!司令室!こちら……!」

 彼の気が済むまで待つ事にし、白い空間に空けられた、小さな、小さな丸い窓を覗いてみた。目が痛い程に鮮やかな青色や緑色、茶色の表面に浮かぶ白色。それに見惚れていると機器を叩く音が聞こえ振り返る。

「緊急回線は開けてくれているんじゃなかったのかよッッ!?」

 助言を乞うつもりで何度も問い掛けた通信手段。その先から望んだ声が返ってくる事はない。わたしはやさしい声でゆっくりと貴方に話し掛ける。この大きな宇宙ステーションに一人で滞在して行った軌道補正が八回である事や、食事が二十四時間に一度に制限されている事、水分摂取量も少量に決められ、ほとんどの時間を睡眠に充てるように言われている事。そして、三日前に初めて話す“同志”から「通信傍受の可能性があるから、定時連絡を四日に一度に制限すると言われませんでしたか?」と言葉にすると、彼が睨むような目でわたしを捉える。

「あんた……………誰?」
「死神です」
「最近の死神は挨拶をするのか?接客の点数まで報告されるのかよ?」
「業務や評価に影響はしませんが、わたしは挨拶をします」

 挨拶をするのは、わたしなりの生命に対する尊敬と畏怖を想うからであって、好意を抱かせるつもりは全く無い。わたしの上司はわたしをよく叱るけれど、生命や灯への接し方には他の死神程に口を出さないのだ。

「………………宇宙空間で侵入してくるなんて宇宙人でも無い限り不可能だ」
「わたしは死神です。宇宙人ではありません」
「ましてや感知システムやセンサー、他モジュールまで同時に故障するなんてあり得ない」
「幻覚では無く、死神です」

 信じてやるって言ってんの、と、貴方の険しい表情が呆れた顔に変わる。二ヶ月前に配属されたばかりの貴方は三人乗りの宇宙船に乗ってやってきた。ここに滞在していた三人のベテランクルーは乗ってきた宇宙船に入れ替わり地球に降りていった。少し伸びた前髪を、くしゃっと握り「三人乗りの宇宙船に三人だ。階級や実績からしても俺が座れる椅子は無かった」と、何かの不安が的中した事に唇を噛む。

「三人乗りなら地球を出る時に一人である違和感は無かったのですか?」
「二人分の座席に物資を載せる。よくある事だ」
「三人がここを出る時に貴方にはどう声を掛けたのでしょう?」

 後から特命任務に就く三人が来る。大人しく留守番をしていろ。

「こんな留守番なら断れば良かった。一人分にしては馬鹿でかい棺桶だろ?」
「わたしを死神と信じてくれたのですね」

 貴方が目を開き、わたしにも聞こえる程に大きく喉を鳴らして、また慌ただしく機器を触り始め、地上に連絡を取ろうとしだす。乱れていく呼吸、大量の発汗、顔にじんわりと光る汗。

「…………なんだよッ!クソが!誰も通信を受けない!」

 独り、星を出てまで孤独に、この空間でここから外に出れば生きる事も不可能。そんな環境で独り、おいてけぼり。

「……っ、だけどな!死神の嬢ちゃんよ!俺はまだ諦めないぞ!」
「というと?」
「俺はコスモノートだ。死ぬまで諦めない!」

 そう言って、わたしが扉を開けようと四苦八苦していた向こうの部屋に消えた。ため息をひとつ吐いて、自ら生存出来ない環境にまで来て足掻く姿に少し悲しくなる。そうなる想像が出来、嘆き、足掻くなら、初めから愛する人の元で暮らしていればいいのに、人間の多くがそれでは満足しない。がたがたと音がして、貴方が丸い扉に切り抜かれた暗闇から顔を出して言った。

「嬢ちゃん?何してる?行くぞ」

 この宇宙ステーションには緊急時に地球へと戻る為の脱出用の宇宙船がドッキングされていると、わたしが手こずっていた扉を難なく幾つか開いていき、最後の扉、その奥にはまっていた白いカバーを外して放り投げる。手を差し伸べてくれて「来い」と言うのだから、その手を取った。温かい、この手は死ぬ人の手じゃない。しかし、すぐにその手が冷たく、固くなって、動きが止まる。

「宇宙船の椅子に座っているのは、灯がきえかけた貴方です」
「………つまり、俺はこれから死んでいくのか?」

「はい」

 狭い船内の中央の席。身体に食い込む程、締められたベルトを緩め、貴方が貴方を左の席に移動させる。愛おしそうにやさしく扱う貴方自身に「ごめんな。俺は俺を救えないらしい」とベルトを締めて、顔をやさしく撫でた。わたしは右の席に座らされ「少し痛むぞ」とベルトを締め上げられたのだけど「ははっ、嬢ちゃんは小さ過ぎて隙間が出来ちまう」と、帽子を取った頭を撫でられる。

「なあ?嬢ちゃん。俺は脱出してから死ぬんだろ」
「はい」
「この船は大気圏再突入の時に弾かれるのか?」

 宇宙空間から大気の層に突入する際は適切な角度があり、その角度が浅ければ空気に弾かれ、宇宙に戻される。逆に角度が深ければ、

「摩擦熱で溶け、三センチメートル程の金属の塊になって地上に落ちます」
「そうか。地球に還れるんだな」

 そう言った貴方の表情が安心し切った安らかな顔だった。

 その宇宙を漂う大きな船は国家の威信をかけ地上から運ばれ、少しずつ組み立てられたものだった。しかし、運用中に国家は崩壊。それも前夜まで限られた上層部しか崩壊する事を知らなかったのだ。彼と入れ替わりで三人を退避させたのは“経験”を失わない為で、彼が選ばれたのは一番経験が浅く、犠牲になっても痛手にならないから。八度の軌道修正は、今後、制御の為の燃料が尽き大気圏に突入する事になっても、宇宙ステーションが“地上に落ちない軌道”に投入する為だった。貴方は巨大構造物を人工密集地に落とさないという事を成し遂げたのだ。

 大気圏再突入の軌道に乗る二日間の航行で様々な話をした。わたしは大好きだった幼馴染に似ているだとか、その幼馴染とは今は夫婦だとか。そろそろ子どもが生まれるのだとか、宇宙計画に携わって多くの友人を亡くしたとか、貴方が国の繁栄を支えていて英雄の一人なのだと言われ、そう信じて宇宙に来たのだとか。

「俺なんかに国を背負うのは重過ぎた。畑を耕していた方が良かったんだ」

 生命は不可逆だ。行動した瞬間に人生として決まる。だから悔やまないように、よく考え、強く信じて行動しなければ、未来の人生で頭を抱えるのは生命自身なのだ。

「嬢ちゃん。今際の際に隣にいてくれて、ありがとう」

 愛している人に似ているから寂しくないよ。

 大地の上に建つ病院の窓を開け、夜風に当たりながら空を眺める人がいた。その腕にはブランケットに包まれた目も開かぬ赤ん坊。

「貴方のパパは偉大な宇宙飛行士なのよ。早く帰ってきて欲しいわね?」

 母と子が見る夜空に三センチメートルの金属で出来た一筋の光が流れ、この星に新しい生命が芽吹く。

 文章の最後にわたしのサインを入れて本をそっと閉じる。その表紙に手を置き、窓から見える夕陽を眺めて思慮するのだ、今晩は何を食べようかと。

「あなたは人生をよく生きたと思います」

 この気持ちは心の底、誰にも覗けやしない仄暗く、深い場所から込み上げてくる気持ちだから喜んでくれるといい。わたしがいつも魂から離れた生命に贈る言葉。

 収蔵室から出て、扉を閉めて、鍵をかけた。

おわり。
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