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1回戦 Sランク冒険者ゲーム55 夏目理乃視点2

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 お金持ちになるのが夢だった。いつか、持ち逃げしたお金を全部使い果たした母親が理乃の前に現れて、あのときはごめんね、と謝ってお金の無心をしてきたときに、理乃がどれほどお金持ちになったのかを見せびらかした上で、1円も渡さずに母親をののしってやるのが夢だった。

 異世界デスゲームに勝つことができたら、その夢を叶えることができると思った。日本に戻ったら確実に有名人になるだろうから、母親が理乃に接触してくる可能性は高い。そのときが来たら、どんな言葉をぶつけてやろうかと考えていた。

 でも、本当にそれが私の夢だったんだろうか。

 米崎とウサギの獣人の女の子が臨時の治療院に入っていくのを見ながら、理乃は初めて疑問を覚えた。

 母親に捨てられたという事実を少しでも忘れたくて、辛いのを少しでもやわらげたくて、お金に執着するようになっただけなんじゃないだろうか。

 変装する前に理乃がかけていた眼鏡は、伊達だてだった。中学2年生のときに定食屋がテレビに取り上げられたのをきっかけに、店が繁盛して父親が借金を返し終わり、生活に余裕が出てきたからと数年ぶりにもらったお小遣いで買ったものだった。

 本当は、理乃の視力は両眼ともに2.0だった。理乃の父親や父方の祖母や、遺影でしか見たことがない父方の祖父はみんな近眼だから、視力が良いのは母親の方の遺伝なのだろう。
 そのことが嫌だったのもあるし、成長するにつれて少しずつ母親に似てきたような気がして、印象を変えたかったのもある。

 理乃の記憶の中の母親は、いつもばっちりと化粧をして、茶色く染めた長い髪の印象が強かった。だから、理乃は化粧になんか全く興味がなかったし、髪を染めたいとも思わなかったし、ボブの髪型にして伊達眼鏡をかけていた。

 今までその行為に疑問を覚えたことなどなかったが、本当にそれでいいのだろうか、と思ってしまった。

 このままだと、私は一生、お金とお母さんに囚われて生きていくことになる。

 だけど、今さらやめられない。今さら変われない。私はずっとこうやって生きてきたんだから。これが私の生き様なんだ。

「――お姉さん、注文!」

 客に声をかけられ、理乃は考え事をして上の空になっていたと気付いた。

「はーい!」

 オジサンが喜びそうな元気の良い声を出し、理乃は顔を上げた、

 それから2時間ほどして、15歳前後の32人の少年少女達が冒険者ギルドに入ってきた。男子が28人、女子が4人と、男女比が偏っている。髪は全員が同じような色合いの薄い茶色で、瞳も髪と同じ色だった。彼らの平均身長は、理乃のクラスよりも10センチは高いだろう。
 男子のうち1人だけが七三分けの髪型で、残りの27人は全員が丸坊主だった。女子は1人が肩までの長さの髪を後ろで括っていて、残りの3人は長く伸ばしていた。眼鏡をかけている者はいない。各々おのおのの手には獲物がぶら下がっていた。
 全員、異常なほど姿勢が良く、背筋がピンと伸びていた。服装は茶色で統一されている。男子は全員目つきが悪く、酒場にいる冒険者達を睨みつけるように警戒しながら歩いていた。

 ――軍人。

 それが、理乃の第一印象だった。理乃の感覚だと彼らの年齢は若すぎるが、それでも軍人のように見えた。少年兵なのかもしれないし、軍学校の学生なのかもしれない。

 あの人達が、敵チームであるピラクリウム星人だろう。そう直観した。

 ピラクリウム星人達は、酒場を素通りして受付に移動し、理乃が初めて見る魔物の死体を納品した。大人数だが、同じパーティなら代表者がまとめて手続きすることができるので、職員達に混乱はなかった。応対をしたのは、残念ながら鈴本とは別の職員だった。

 獲物を納品した後は、査定が終わるまでの間、酒場で食事をする冒険者が多い。ピラクリウム星人達もご多分に漏れず、数人ずつのグループに分かれて近くのテーブルに着席した。首都だけあってギルドの規模も酒場の規模も大きく、最大で200人くらいまで座ることができるようになっているため、予約なしに32人の団体がやってきても問題ない。

 ウエイトレスやウエイターは複数いて、それぞれが担当するテーブルやカウンターがある程度決まっている。ピラクリウム星人達のテーブルは、運良く理乃の担当するエリアだった。

 理乃は他のテーブルの接客をしながら、さり気なくピラクリウム星人達を観察した。

 目配せや表情、ちょっとした仕草などから、人間の関係性は推測できるものだ。どうやら七三分けの男子がリーダー格のようだ。七三分けの両隣には、髪を伸ばした美少女が座り、甲斐甲斐しく彼の世話を焼いているようだった。

「隊長、お疲れ様です。いつものでいいですか」

 丸坊主の男子の1人が、七三分けに向かってそう訊いた。七三分けは無言で頷いた。

 全員が15歳のはずなのに、敬語を使っているのか、と思った。隊長とか言ってるし、ますます軍人っぽい。

「注文」

 やがて、丸坊主の男子が手を挙げ、理乃の方を見てそう言った。

 理乃はそのテーブルに近づき、注文を聞きながら伝票にメモしていった。ドリンクはエールが28杯、ジュースが4杯だった。さらに、オツマミや日替わり定食などが追加される。その間、下卑げひた笑みを浮かべた男子達の視線が理乃の胸の辺りに集中しているのが丸分かりで、不快だった。

 注文を厨房に伝え、まずはドリンクを運ぶ。七三分けの前から優先的にジョッキを置いていった。その度に、有益な情報がないか耳を澄ませるが、どこのテーブルも今日討伐した魔物の話ばかりだった。

 ドリンクを配り終える頃に、後から入店した千野圭吾がピラクリウム星人達のテーブルの近くに座った。ドワーフに変装した千野圭吾は七三分けに背を向ける格好でメニューを眺めているが、実際は聞き耳を立てているはずだ。もちろん、理乃は他人の振りをした。

 続いて、食事を運ぶ。さっきと同じように七三分けの座っているテーブルから――と思いながら歩いていたら、理乃の右足に何かが引っかかった。

 途中のテーブルに座っていたピラクリウム星人の男子に足を引っかけられたのだ、ということに気付いたときには完全にバランスを崩していた。両手に持っていた角ウサギの唐揚げの皿が宙を舞う。

 一方、理乃は左右のテーブルから伸びてきた手に身体を支えられ、完全に転倒することはなかった。しかし、これこそが足を引っかけた男子の狙いであることは明らかだった。男子達に胸を鷲掴みにされていると気付き、理乃は急いでテーブルに手を突き、身体を起こして真っ直ぐに立った。

「おいおいおい。姉ちゃん、どうしてくれるんだよ。唐揚げが俺の仲間達の服に当たって、油で汚れちまったじゃねえか」

 足を引っかけた男子が、ドスのきいた声でそう言った。

 千野圭吾が振り返り、理乃の方を心配そうな顔で見ている。今にも口出しをしそうだった。

 ――千野っちは黙ってて!

 理乃は千野圭吾を一瞬だけ睨んで牽制した後、深呼吸をし、周囲を見回した。ピラクリウム星人達の男子達は、面白い出し物を見るような笑みを浮かべ、理乃を見ている。一方、女子達は蔑むような表情だ。その周囲にいる冒険者達の大部分は、まだ異変に気付いていないようだった。

 私がデスゲームの参加者だってことがバレたわけじゃなさそうね。こいつらは、私にイチャモンをつけて面白がっているだけだ。こういうときは、反射的に謝っちゃ駄目だ。

「あなたが足を引っかけたせいで、こうなったんでしょう。まず、あなたが私に謝ってください」

 理乃は、男子の目をまっすぐに見ながら、大きめの声でそう言った。
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