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1回戦 Sランク冒険者ゲーム9

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「臨時の、治療院? それは、どこ、ですか?」
「あっちの階段を降りて、少し歩いた場所だ」

 中年の男は、赤い光線を放つ魔術師や、弓で戦っている人がいる方向を指してそう言った。

「俺も、そこに、行きます。でも、その前に。まだ、下に、俺の、仲間達が、たくさん、倒れて、いるんです。そいつらを、助けて、ください」

 俺が必死に息をしながらそう頼むと、中年の男は言葉を詰まらせた。

「……悪いが、それはできない」

 中年の男は申し訳なさそうに、しかし、はっきりとした口調でそう言った。

「どうして、ですか?」
「危険すぎるからだ。助けに行ったら二重遭難になる」

 二重遭難とは、遭難者の救助をしようとした人が遭難してしまうことを指す言葉だったはずだ。これは遭難とは違う気がするが、適切な言葉も思いつかない。翻訳魔法が適当な仕事をしただけかもしれないし、今はそんなことに構っている暇はなかった。

「じゃあ、治療してもらったら、俺達が自分で助けに戻ります」
「やめておけ。いま城壁の外に残っている連中は、もう手遅れだ。死んだ人間は生き返らないんだ。君達の一部が助かっただけでも幸運だったと思っておけ」

 中年の男の言葉が俺の脳みそに浸透するまでに、数秒かかった。

「……死んだ人間は、生き返らないんですか?」

 俺は呆然として、そう訊いた。

「当たり前だろう」
「蘇生魔法は?」
「蘇生魔法だと? そんなもの、おとぎ話の中にしか登場しないぞ。しっかりしろ! 現実を見ろ! 魔法は万能じゃないんだ。魔法では、死者を蘇らせることは不可能なんだ」

 中年の男は、正気を失った子どもを叱りつけるようにそう言った。

 そんな。ザイリックはあんなに簡単そうに蘇生魔法と言っていたのに。事実、巨漢くんや石原や取り巻きAB達は生き返っていたのに。

 いや――。きっと、ザイリックの世界とアジャイル星では、魔法文明のレベルが違うのだろう。500年前の地球人に、電車や自動車や飛行機やヘリコプターや電話やテレビやインターネットについて話したら、そんなことは不可能だと言われてしまうだろう。それと同じことなのだろう。

 とにかく、アジャイル星では、まだ蘇生魔法を実現できていないらしい。
 つまり、七海や心愛や浅生さんは――。

 いや、今は考えるな。今は、生きている有希のことを考えよう。俺は自分にそう言い聞かせた。

「はい……。すみませんでした。――青山、俺は治療院に行く」

 俺は、近くで仰向けに倒れていた青山の方を見てそう言った。青山は俺に虚ろな視線を向けたが、かすかに頷いた。

 等間隔に並んだ1メートル四方の壁に掴まりながら、中年の男に教えられた方角に進んだ。城壁は緩やかに弧を描いていて、2階建てや3階建ての建物が並んだ街を一望することができた。
 このスプリングワッシャーという街には15万人前後が住んでいるはずだが、漠然と想像していたよりも狭く、人口密度が高そうだった。屋根は灰色の天然石のようだが、割れたり剥がれたりしているのをそのまま放置している家が多かった。壁に大きなヒビが入っている家も多い。街路樹などは1本も見えず、公園も見当たらず、道には雑草が生えていて、川には濁った水が流れている。全体的に薄汚れた雰囲気の街だった。

 階段は、角ウサギの大群と戦っている数十人の集団の手前にあった。集団の中の数人が、一瞬だけ俺に顔を向けたが、何も言わずにまた角ウサギの方に顔を戻した。

 俺も黙って、屋外にむき出しになっていて手すりがない急な階段を下りた。階段は石でできていたが、ところどころ石が欠落していた。うっかり踏み外しそうになりそうで怖く、俺は壁に手をついて下りた。そのせいで壁に血の痕が残ってしまったが、もともと全体的に汚れていたから、構わないだろう。

 階段を下りた先は城門になっていた。

「すみません。臨時の治療院はどこですか」

 城門の前にいた警備兵にそう聞くと、「あれだ」と手で示された。その建物には重厚で立派な扉がついていたが、今は開け放たれていた。
 中に入ると、奥の方には壁に槍や剣が保管されていた。普段は警備兵の詰め所として使っている場所のようだった。そこにベッドを数床並べただけで臨時の治療院としているようだ。

 ベッドに寝ているのは有希しかいなかったので、すぐに見つかった。しかし、周囲には紫色の神官のような服を着た人物が数人いるのに、有希はまだ治療されていなくて、血だらけのまま放置されていた。怪我が治っていないことは一目瞭然だった。

「どうして治療していないんですか!」

 俺は、1番近くにいた神官らしき若い男にそう詰問した。

「あんた、この子の仲間か?」

 俺の質問には答えず、神官らしき若い男はそう訊いた。

「そうです」
「じゃあ、治療費を払ってくれ」
「もしかして、治療費を払っていないから、治療してもらえなかったんですか?」

 俺は愕然としてそう訊いた。

「当然だ。こっちだって慈善事業でやっているわけじゃないんだからな。この子が自分で払ってくれたならすぐに回復魔法をかけていたが、意識がなかったから治療できなかった。勝手に財布を漁ったら泥棒になるし、どうしたもんかと思っていたところだったんだ」
「払います! 後で治療費を払いますから、すぐに回復魔法をかけてください!」
「前払いで、1000コールトだ」

 神官らしき若い男はそう言って、右手の平を俺に向けた。コールトというのがこの国の通貨単位なのだろうか。1000コールトがどのくらいの価値なのか、さっぱり分からない。

「今この国に来たばかりで、この国のお金を持っていないんです!」
「それじゃあ治療できんな」
「これでどうですか?」

 俺はそう言いながら、服の下に隠していた換金用のネックレスを外して、男の手の平に載せた。

「俺は鑑定魔法が使えんし、これの価値も分からん。現金以外はお断りだ」

 男はそう言い、俺の手にネックレスを戻した。ネックレスが血まみれだったせいか、男は嫌そうな顔で手の平を自分の神官服になすりつけていた。

「これを買い取ってくれそうな場所を教えてください! 1番近くで」

 俺は男を怒鳴りつけたい衝動をこらえながら、そう訊いた。

「この通りを10軒くらい進むと、古道具屋がある」
「分かりました。すぐに戻ります」

 俺はそう言いながら、その方向に走った。走る振動のせいで全身に強い痛みが走ったが、歩いたせいでその間に有希が死んでしまったらと思うと怖くて、全速力で走った。

 店先にガラクタが並べられていたので、古道具屋はすぐに分かった。

 薄暗い店内に入ると、奥のカウンターに全身黒い服を着た老婆が1人座っていた。

「これを買い取って下さい! 今すぐ!」

 俺はそう叫びながら、カウンターの上にネックレスを載せた。こんな言い方だと足下を見られて買い叩かれてしまいそうだったが、今は一刻の猶予もないのだ。ちょっとくらい損をしても構わないと思った。

「随分と汚れているねえ……」

 老婆はそう言いながら、カウンターの上のランプに火を点け、単眼鏡をかけてネックレスを見た。

「ただの血の汚れです。まだ乾いてないし、すぐに水洗いすれば落ちるはずです」
「お前さんの血かい。ひどい怪我をしているみたいだねえ。これ、盗んだ物じゃないだろうね」

 老婆は疑り深そうな目で俺を見て、そう訊いた。

「正真正銘、俺の物です」
「ちょっと待っとれ。――対物鑑定魔法Lv.3!」

 老婆がネックレスの上に両手をかざし、そう唱えると、ネックレスが一瞬だけ光った。
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