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1章

出発

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時間も場所もわからない。

いや、わからないということが分かった、ことは収穫だ。

心拍計だけ動いている腕時計をしていても仕方がない…と思ったが、これをつけたままでいると自分を確認できる気がして、やはりそのままにした。

心拍は正常に戻っている。

先程は大きく波打たせたが、案外自分は冷静なのかもしれない。





「さて」

今が真昼…正午だと仮定して、日が沈むまでにはこの海しか見えない状況を打開したい。

島でも陸地でもいいから、いや贅沢は言わない、鳥でも魚でも木片でもなんでもいい。

自分以外を見つけたい。

そうすればきっとここがどこなのか…多少の手掛かりは得られるはずだ。

傍によけたコンパスはいまだくるくる回って役に立たない。

北に進むも南に進むもわからない。

ふと、何かの本で迷路は右手を壁について進むと良い、と読んだことを思い出した。

左だったかもしれないが、それは天啓のように思えた。

右に進もう。





と言っても、このいかだを手を使って進めるなんていうのは自殺行為だ。

すぐに疲れ果てるだろう。

できる限りの準備をしてから漕ぎ進めたい。

幸いこの海は穏やかで、ほとんど波立たない。

今から必要だと思われるものを探すために、バックパックを手繰り寄せた。

一番欲しいのはこのいかだを漕ぐための櫂だが、そんなものはない。

櫂の代わりにできるようなもの………。

「うん」

折り畳みポールを持っていた。

誘拐犯がまとめてくれた荷物に入っていればだが、あれば幸い、なければ

「あった」

これは上々。

あとは先端になにか平たい物を付けたいのだが。

…フライパンしかない。

フライパンか…料理に使うものだが、ポールだけで漕げるわけもなく、付けないよりはマシだろう。

粘着テープもある。

海水にどれだけ耐えられるかわからないが、ポールの先にフライパンの柄をしっかりと固定。

念には念を入れて紐も括り付ける。

「これで櫂はよし…」

フライパンは1つしかなく、したがって櫂も1本しか作れないが無いよりは何倍もマシだ。

漕ぎだす前にやることはまだある。

折角作った櫂を落としでもしたら悲惨だ。

体の下に櫂を置き、その上に座って作業を続けることにした。





そういえば今の自分の恰好を確認していないことに気がついた。

順番がおかしいかもしれないが、まさに混乱していたせいだろう。

服は寝た時のままだ。着替えたインナーシャツにレインウェアをそのまま着ている。サポートタイツも履いたまま。

靴も履いている。重たいが頑丈な登山靴だ。

腕には心拍計の役割だけになった腕時計。

胸ポケットには、忘れていたがスマホが入っていた。もう片方のポケットには携帯食だ。

時計があの状態なので期待はせずに見てみるが、案の定圏外表示。

地図を見てみるがやはり何も示さない。ただ水色の画面が表示されるだけだ。

バッテリーの無駄になるので電源を落とす。

食品袋に入れていた乾燥剤と一緒に、ジップロックに入れてバックパックに仕舞った。

恐らく出番はこないだろう。

帽子は被って寝なかったが、バックパックに付けておいた、そのままだ。

日差しはきつくはないが、念のために被る。

そして夜になったときのためにヘッドランプも。ただしこれは電池式だ。

予備の電池は持っていないので、なるべく使いたくない。

どうしても夜に光が欲しければサンライトを使おう。というか今のうちに太陽光を当て、充電しよう。

とはいえ夜の基本方針は動かない。

右も左も上も下もわからないところで、夜に動いてもろくなことにはならないだろう。

決めだ。





さて、ここは海の上だ。

一番欲しいものはライフジャケットだが、それは持っていない。

沢登りをしていたわけでもないし、勿論こんな海に来るつもりもなかったからだ。

となると、万が一このいかだから落ちてしまった場合の備えが必要だ。

またバックパックをあさる。

少し考えてスリングでチェストハーネスを作り、ロープとカラビナを繋げた。

ロッククライミングのつもりもなかったから、本格的なハーネスを持っていないのは今となっては悔やまれる。

いかだの端に何とかロープを括り付け、自分といかだを繋いだ。

これでもし落ちても…何とかなる…だろう…なって欲しい。





あぁそれにしても喉が渇いた。

水は周りに沢山あるが海水だ。

真水は今2.5リットルほど残っているが、少しずつ飲んだとしても心もとない。

アウトドア用の浄水器も持ってはいるが、海水には使えない。

なるべく早く海から脱出しなければ、まず脱水症状で死んでしまうだろう。

喉を潤す程度、100ミリリットル程、ゆっくりと飲み込んだ。









食事は済ませた。

喉も潤した。

グローブをぎゅっと嵌め、バックパックを背負った。

右手に櫂を持ち。

目指す先はわからないが、止まってもいられない。





「ヨーソロー!」







ゆっくりと漕ぎだした。

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