愛しているからこそ、彼の望み通り婚約解消をしようと思います【完結済み】

皇 翼

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6.青天の霹靂

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「第一王子が病床に伏せている……?」

その話が出たのは丁度午前の部の診察が終わり、診療所の面々と共に昼休憩を取っていた時の事だった。

少し年季が入ってはいるが、柔らかな簡易ソファー、安物だが十分に美味しいお菓子、優しい香りを放つ紅茶、穏やかな曲を奏でる音楽プレーヤーといった其々が持ち寄った部屋を快適にするための道具が置かれたスタッフルーム。共有の休憩スペースだ。
最初はいつも通り院長であるケントを囲みながら今日の診療での報告事項や不足した薬剤の補充提案から休日に行った場所、医師の一人にして料理好きなキルケ―にレシピを教わったり……そんな日常的な話題で和気藹々と話していた。そんな中で予告なし――急に出た、まさに寝耳に水な話題がこれだった。

こんな場所で第一王子――もとい元婚約者・エストのそんな話題が出るとは思っていなかったクレアは一拍分反応に遅れてしまうが、『エストが病気である』それを理解すると、彼女は心配する心が先行する。訪れた静寂を誰よりも早く破り、おうむ返しのようにケントに聞き返していた。

思わず声が震えてしまったが、全員が何故その話題が院長から出たのかよく分からないといった様子だった故に幸いなことにクレアのそんな反応は疑問に思われることはなかった。

「ああ。つい先日第一王子が倒れてしまったらしくてね……しかもそれなりに危ない状況らしいんだ。その件で、僕に呼び出しがかかっている。君たちにはきっと迷惑をかけるだろうから先に伝えておこうと思って――あと、分かっているだろうけど、この情報は機密事項だから外では言いふらさないように」

呼び出しがかかる。その言葉でクレアは未だにエストに対する不安が残るままではあったが、成る程と少し納得する。
この院長・ケント=ヒーランドは実は未だ30代と年は若いが、かなり優秀な医師だった。
ケントは、今までそれなりに医療や薬学について学んでおり、国内でも知識の量も質も負けることは殆どないと思っていた筈のクレアですらも働き始めてすぐに認めたほどの腕の持ち主なのである。よくよく話を聞いてみると、彼はこの国の中でも最高峰の医療教育機関を歴代最高成績の首席で卒業しているらしく、実は国内でもかなり知名度があるそうだ。

そんな人間が何故こんな片田舎の小さな診療所で働いているかというとそれはひとえに親の跡を継いでのことだそうだ。

元々両親が運営していたこの診療所を継ぐために医師の道を志し、そのとして国の医療教育機関を出ただけで、どれだけ国立研究機関や王宮医療機関、そして権力のある貴族から声を掛けられても靡くことはなかったという。
クレアが話を聞いた時も『僕にはこの街の人達はもう一つの家族みたいなものなんだ。だから僕にとっては、そんな彼らの健康と笑顔を見ることが大切で唯一の夢だったから……一部の人からはその才能を無駄にするなんてと罵られることもあったけど』と微笑んでいた。貴族や国の事情については身近でずっと体験していたこともあり、どれにも靡かなかったというケントの意志の力の強さは話を聞いていて誰よりもよく理解できた。

しかしクレアにとっては才能を無駄にしているだなんて思えなかった。なにせエストと共にいた時に彼が問題視していたのは、国の貴族・医療機関の腐敗と王都外の医療従事者の不足だったからだ。
国内の貴族は基本的に王都に滞在しており、王都内に優秀な人間を集めようと画策している。また優秀な成績を修めて国の機関を卒業した者に対する勧誘に余念がない。それに加えてその優秀な者を自領の民ではなく自身達だけのために使うという者が殆どなのだ。国立の教育機関への入学を目指す者も殆どが金や権力目当てである。
それ故にケントのその話を聞いた時には好印象を抱きこそすれ、悪印象を抱くことは決してなかった。

「了解です、院長!」
「大丈夫ですよ~。それに国からの要請だったら仕方のない事なんですから。ここは私達に全面的に任せて、ちゃっちゃっと王子様の病気を治してきちゃってください」
「……僕も新参者ながら頑張ります」

キルケ―、そしてヘレンの返事に続いてエストを心配する感情を押し殺しながらもなんとかルーネストとして無難な返事を返しておく。しかし掛けられたのは予想外の言葉だった。

「あ!ルネ、君だけは今日の診療が終わったら僕の診療室に来るように」
「?はい、分かりました」

急に思い出したかのようにケントがルネを指名して、呼び出しをかけたのだ。
一瞬にして部屋にいる人間全員の注目を集める。表情を取り繕うのが大変だった。正直、今日の残りの診療すらもきちんと対応出来るか分からない不安すらあったが、ここで誰かに自身の感情や過去に合った何かしらを悟られるわけにはいかない。クレアは一人必死に感情が爆発してしまいそうな心と表情筋を酷使しながらも平静を装ってケントの呼び出しを受け入れたのだった。
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