上 下
5 / 31

3.別離①

しおりを挟む
薬を煽ると、冷たい液が喉を通って胃に染み込むのを感じる。クレアはそれから数分経たない内に身体全体が鉛の様に冷たく、重くなり、呼吸一つはおろか、指の一本すらも自由に動かせない状態になっていた――。

これは彼女が飲んだ薬……魔法薬の効果だった。

『一時的に身体の中で流れる時間を外部から観測できない程に遅くして、死体にを作り出す』

要は仮死薬と呼ばれる類のものである。
元々は喰花病に対して”病気自体が侵攻する時間を遅くする”という別角度からのアプローチとして開発を進めていた薬だったが、重大な欠陥を発見したために開発を中断したモノだった。クレアは本当に様々な方向から治療薬の開発を行っていたのだ。

そして今回、エストの経歴もクレア自身の家も傷つけることのない婚約解消計画を練る中で、この薬の存在を思い出した。クレア自身が死んでしまったと他人に思い込ませることが出来れば、仕方のなかったことだと誰からも責められることはない。”死”というのは誰にもどうすることも出来ないものなのだから。

しかしこの薬は仮想実験時に証明されたことなのだが、普通の人間には

身体の時間を止めるのまでは良いのだが、薬の効果時間中は身体自体が全く動かすことが出来なくなってしまうのだ。しかも意識は保ったままでだ。何があったとしても数日単位で意思伝達をすることも完全に意識を失うことも出来ない。まるで精神だけを時間の牢獄に閉じ込められたような状態だ。並大抵の人間の精神であればそれはそれは大きな苦痛になるだろう。

それに加えて使っている素材と薬品が強力すぎるせいだろう、元々所持している魔力が少ない人間にはかなり依存性・中毒性が高い仕上がりとなってしまった。

クレアの場合は元々の魔力の高かったのだが、皮肉なことに喰花病が完治した時に量も質も更に跳ね上がっていた。具体的には国内外でもクレア程の魔力を持つ人間は殆どいない程である。
これも他人から『化け物』などと呼ばれてしまった原因なのだが、今はこの変化に少し感謝していた。なにせ彼女の魔力と身体であれば、この薬を使用しても大した問題にはならないからだ。何度か治験してみて確信があった。だからこそ、この方法を取ることを思いつくことが出来たのだ。


元々それなりに反対してくる人間もいた婚約だ。クレアが死んだと知って喜ぶ人間は多かれど、悲しみ嘆く人間はかなり少数であろう――もしかしたら家族以外はいないのではないかとすら思ってしまう。むしろそれを望んでいる人間の方が多いかもしれない。これは本来であれば悲しい事だが、利用できると思えば逆に好都合である。

その証拠にクレアはこのエストの婚約者という立場、そして今までの経歴から何度か命を狙われたこともあった。強力な毒を盛られたり、暗殺者に襲われかけたり、散々な目にあっていたのだ。
エストには少しでも迷惑を掛けたくなくて……否、面倒だと思われることが嫌で両親や兄にも口止めしていた。彼らは皆一様に反対したが、クレアの頑なな態度を見ていつの間にか説得することを諦め、協力してくれていた。

エストは他人に優しすぎるのだ。口では散々切り捨てると言いつつも、最終的には関わる人間に対して世話を焼いてくれる。

だから結局どんな結果に転んでいたとしてもコレを使用することに躊躇いはなかった。

「クレア……やはり飲んでしまったんだね」
(クリス、兄様――)
「ああ。ごめんね。分かっていたことと言っても実際見てみるとなんていうか応えるものがあってね――って言葉を返してくれるわけないか……大丈夫。ちゃんと計画通りに進めるよ」

薬を飲んでどれだけ時間が経っただろう。部屋のカーテンの隙間からは既に陽光が漏れ出し、鍵が外から開錠され、扉が開く音がしたかと思うと最初の計画通り寝室に協力者の内の一人である兄・クリストファーがやってきた。

本当に死んでいるわけではないのに悲しそうな声音で自身の名前を呼ぶ兄に少し申し訳ない気持ちになりながらも、クレアは彼に身を委ねたのだった――。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

【完結】殿下、自由にさせていただきます。

なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」  その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。  アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。  髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。  見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。  私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。  初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?  恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。  しかし、正騎士団は女人禁制。  故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。  晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。     身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。    そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。  これは、私の初恋が終わり。  僕として新たな人生を歩みだした話。  

報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』 彼はいつだって誠実な婚約者だった。 嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。 『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』 『……分かりました、ロイド様』 私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。 結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。 なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

誰の代わりに愛されているのか知った私は優しい嘘に溺れていく

矢野りと
恋愛
彼がかつて愛した人は私の知っている人だった。 髪色、瞳の色、そして後ろ姿は私にとても似ている。 いいえ違う…、似ているのは彼女ではなく私だ。望まれて嫁いだから愛されているのかと思っていたけれども、それは間違いだと知ってしまった。 『私はただの身代わりだったのね…』 彼は変わらない。 いつも優しい言葉を紡いでくれる。 でも真実を知ってしまった私にはそれが嘘だと分かっているから…。

そんなに優しいメイドが恋しいなら、どうぞ彼女の元に行ってください。私は、弟達と幸せに暮らしますので。

木山楽斗
恋愛
アルムナ・メルスードは、レバデイン王国に暮らす公爵令嬢である。 彼女は、王国の第三王子であるスルーガと婚約していた。しかし、彼は自身に仕えているメイドに思いを寄せていた。 スルーガは、ことあるごとにメイドと比較して、アルムナを罵倒してくる。そんな日々に耐えられなくなったアルムナは、彼と婚約破棄することにした。 婚約破棄したアルムナは、義弟達の誰かと婚約することになった。新しい婚約者が見つからなかったため、身内と結ばれることになったのである。 父親の計らいで、選択権はアルムナに与えられた。こうして、アルムナは弟の内誰と婚約するか、悩むことになるのだった。 ※下記の関連作品を読むと、より楽しめると思います。

永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……

矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。 『もう君はいりません、アリスミ・カロック』 恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。 恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。 『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』 『えっ……』 任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。 私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。 それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。 ――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。 ※このお話の設定は架空のものです。 ※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

──いいえ。わたしがあなたとの婚約を破棄したいのは、あなたに愛する人がいるからではありません。

ふまさ
恋愛
 伯爵令息のパットは、婚約者であるオーレリアからの突然の別れ話に、困惑していた。 「確かにぼくには、きみの他に愛する人がいる。でもその人は平民で、ぼくはその人と結婚はできない。だから、きみと──こんな言い方は卑怯かもしれないが、きみの家にお金を援助することと引き換えに、きみはそれを受け入れたうえで、ぼくと婚約してくれたんじゃなかったのか?!」  正面に座るオーレリアは、膝のうえに置いたこぶしを強く握った。 「……あなたの言う通りです。元より貴族の結婚など、政略的なものの方が多い。そんな中、没落寸前の我がヴェッター伯爵家に援助してくれたうえ、あなたのような優しいお方が我が家に婿養子としてきてくれるなど、まるで夢のようなお話でした」 「──なら、どうして? ぼくがきみを一番に愛せないから? けれどきみは、それでもいいと言ってくれたよね?」  オーレリアは答えないどころか、顔すらあげてくれない。  けれどその場にいる、両家の親たちは、その理由を理解していた。  ──そう。  何もわかっていないのは、パットだけだった。

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

処理中です...