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人間への憎しみの感情が溢れ出す。
殺してやる。利用するだけ利用した上に、自分達を迫害し、彼を殺したこの国に存在する王と民を全員――。目の前が赤くなるくらいに頭に血がのぼっていた。

女神と同化しながら、かつての知り合いだった筈の人間達を引き裂いていく。門番も。部下も、お世話になった人も全てを切り裂いた。
そんな彼女を引き戻したのは、かつての記憶だった。

「クロエ……さん?」

こちらを見て、目を見開く男。王都でクロエが最も心を許していたその人の存在で、クロエという人格が呼び戻される。
彼と女神が何か話しているのは物凄く遠くに聞こえるのに、彼が自身の名前を呼ぶその声だけは、はっきりと聞き取ることが出来た。

「おや、貴女が聖騎士団の副団長を務める方ですか。僕はリオン=イッシュベルクです。正式な発表はまだですが、貴女と同位である黒騎士の副団長を務めることになった者です」
「初めまして。私はクロ――」
「ああ。自己紹介はいいです。そんなことよりも、貴女が先日提出なされたこの黒騎士団との合同任務に関する報告書ですが、全て書き直してすぐに再提出してください」
「は?」
「書き直せと言っているんです。こんな子供が書くような報告書を提出するなんて、舐めてるんですか?報告書の内容も稚拙だと思いましたが、実際に話してみても理解力が子供以下だな」

初対面で自己紹介を遮った挙句の罵詈雑言。
確かにこの頃のクロエはこういう副団長としての報告書類は書き慣れていなかった。なにせ団員だった時は結構テキトーな内容を書いていても、任務さえキッチリこなしていれば何も言われなかったのだ。提出先に軽く文句は言われど、それで終わり。しかし責任ある立場になれば、他人の模範にならなければならない。新人の時に許されたことが許されなくなるのは当然の事だった。元々キッチリとした文章を書くのが苦手だったクロエは、この当時、これでも頑張って書いて提出した書類だったのだ。しかしそれを散々な言い方でこき下ろされた。

いくら顔が綺麗な人間でも、言って許されない事がある。その言葉はクロエの零した愚痴である。
とにかくこの出会いから彼女はリオンの事が大嫌いだった。

「こんな簡単なステップも踏めないのですか?まだ犬に躍らせたほうがマシだ」

これはクロエがダンスの講習を受けていた時に、バッタリと居合わせたリオンに言われた言葉。
その後から何故かリオンが講師と共にダンスを教えることになり、それが嫌すぎてクロエの表情筋は崩れると同時に胃は痛んだ。

「そこ!他人のグラスに手を付けない!!どんだけ食い意地張ってるんですか、貴女は」
「なんって、食べ方してるんですか!?肉を素手で掴んで食べるな!!」
「フォークとナイフは、基本的に外側から使うんです。ちゃんとセッティングされていることも分からないのですか?もしかして、その頭には脳ミソが入っていない?揺すぶったらカラカラと音がするんじゃないですか??」

何故か続けて指導されたリオンの即席テーブルマナー講座でも、絞られに絞られた。毎回クロエは思うが、この男は一言以上多いのだ。罵倒が呼吸の数より多いのではないかとクロエがふとした瞬間に数えてしまうほどに多かった。

「この程度の場所で固まらないでください。貴女が仕事で普段相手にしてるやつらの方が厄介極まりないでしょう。この場の全員、貴女が斬りかかれば一太刀で死にます」

これは場に慣れるためだのなんだのと言われて、リオンが招待されていた舞踏会に無理矢理引っ張られていった時の言葉。
正直、言葉がかなり物騒だと思うと同時になんだか面白くなってしまって、声を上げて笑ってしまったクロエがいた。

「クロエさん!!助けます!必ず助けるので、絶対に死んでも死なないでください!!死んだら許しません。生き返らせてもう一度僕が殺します。だから絶対に死なないでください。貴女、僕なんかに殺されたくないでしょう?」

そしてこれは――クロエがリオンの今までの優しさに気が付いた時の言葉。
いつものような厭味が言えていないリオン。焦りと悲しみが滲んだ顔で、生き返らせて殺すだの意味の分からない言葉を放つ。いつもは見ることのない冷静さを欠いた彼が、焦った顔が、言葉が、なんだか可愛くて、クロエは致命傷を負っているにも関わらず、苦しい呼吸の中で笑ってしまったのを憶えている。

ここから彼との関係性が段々と変わったんだっけ――とクロエは思い出す。
記憶は更に流れる。

「うぅ、ひっく、なんで……なんで父さんが」
「泣かないでください。副団長である貴女にはまだやるべきことがある」
「泣くなですって!?っ両親とも、生きている貴方なんかには、わ、わからないわ!!それにやることなんて、私には、もう生きていく気力すら――」
「甘ったれないでください!そもそも彼らが死んだと決まったわけじゃないでしょう。死体を確認したわけでもない。他人の言葉は簡単に信じるくせに、二人を大切だと、一番だと思っている貴女がその生存を信じないなんて何事ですか!?」

これはコールとリードが任務に失敗し、死んだと知らされた時の事。
彼もクロエと同じく、二人の一番近くで戦っていた人間の一人だ。その信頼があったからこそ出た言葉だった。彼らが死んでいる筈がない――と。
実際、それは事実だった。意識を失う直前、クロエはリオンにこの言葉を貰って、信じ続けて良かったと心から思ったのだ。

「私、決めたんだ。二人が帰ってくることを信じて、この団を、二人が帰る場所を護るって」
「…………」
「っその、だから、リオンにも団長として負けないって宣言!」
「いえ、良いと思いますよ。その手で守れば良い……僕も少しくらいだったら、手伝わなくもないです。貴女のライバルとして」

照れが勝って素直になれなくて、口から零れ落ちたライバル宣言。それを受け止め、決意を受け止めてくれたリオン。思えば、クロエはもうこの時には深い深い恋に落ちていたのかもしれない。

追憶して、咄嗟に思ったのは、『彼を傷つけたくない』という感情だった。
クロエの身体を乗っ取ったフローリアが何度もリオンに強力な魔法を放とうとするのを、内側から魔力を無理矢理乱すことで阻害する。フローリアは小さく、何度も舌打ちするが、彼女の怒りを買ったとしても構わなかった。彼をただただ守りたいと思ったのだ。

そうして戦いの雌雄は決することとなる。
クロエの身体を乗っ取ったフローリアの負けという形で――。
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