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空間を覆いつくす瘴気を杖の先端に集めるイメージで吸いつくしていく。事前に魔力を殆ど消費していない事もあり、場の空気が清浄化されて瘴気が祓い尽くされた頃になっても、以前のように倒れることはなかった。

しかしクロエによる浄化が完了した時には、味方のほぼ半数が地に倒れ伏していた。辛うじて息がある程度の状態だ。
今なお戦っているのは魔物と化したリードと一人で戦っているジェレミー、魔物化したコールと闘っているエルヴィヒ、そして接近戦型のクレハとロッテ、エルヴィヒと同じく後方支援型の白騎士アビィだけだ。
浄化に集中し過ぎて気づかなかったが、あと少しでも遅かったら全員が倒れ、魔物と化してしまったあの二人の刃はクロエに向いていただろう。それほどまでにこの短時間で皆疲弊していた。

「……いいのか?」

魔物化したリードの方に一人で接近戦を挑んでいたジェレミーをサポートするように攻撃に加わる。彼が一番限界に近かったからだ。ジェレミーはクロエと背中合わせになった際に、コソリと囁くように聞いて来た。それに頷き返す。直属ではないとはいえ、ここまで育成し、一緒に任務に就いてきた部下達を見捨てた上で、理性を失い此方に刃を向ける二人に味方はできないとクロエの頭は判断する。
浄化をするためとして作られた時間は良い意味でクロエに正常な思考をするための時間を与え、客観的な視点でこの戦いを見るための冷静さを生んでいた。

刃を交え、クロエが強力な魔法を使う度に、魔物の分厚い表皮は傷ついていく。6対2。回復手段を消し、クロエが加われば、戦闘の優劣は分かりきっている。昔とは違い、今もクロエはまさに死に物狂いの勢いで成長しているのだ。
傷がつけられたその内側に少しずつ見慣れていた筈の腕、肩や足が見えてくる。
いつもあの腕で幼いクロエは抱っこしてもらっていた。普段の身長とは違う、背の高い世界は幼いクロエのお気に入りだった。
何度もあの手で頭を撫でてもらった。彼はクロエに本当の親がいない寂しさなど感じさせないくらいに出来る事が増えると、たくさん褒めてくれた。
怖い思いをした時は、その腰に抱き付いた。これでも昔、クロエはかなりの怖がりだったのだ。
目の前の者を斬れば斬るほどに、昔の思い出が蘇る。本当に大切だったのだ。あの日独りぼっちだったクロエは拾ってもらって、愛情をたくさん注いでもらって、世界を大きく広げてくれた。そんな大切な人なのだ。

回復出来ない事が辛いのか、魔物達は苦しそうに呻いていた。クロエは思う。既に魔物と化し、人間としての意志はないはずなのに、まるであの人達自身が傷付いている様だ――と。
優しい思い出とそれを自身で潰す悲しみが頭の中で沸騰し、剣を振れば振るうだけ目の前の景色が勝手に滲んでいく。だがそれがいけなかった。視界が大きくぶれた瞬間を狙いすましたかのように、目の前に剣が迫る。優勢の戦闘の中、そろそろトドメを刺せそうだなんて一瞬気が抜けただけだった。その油断が決定打となってしまったようだ。
彼らを倒すと決意したとはいえ、実際に対峙してみると思っていた以上に心に限界が来かけていたクロエはもう受け身を取る気力もなかった。
きっとここまで追い詰めれば、残っているメンバーだけで何とかなる。自分はこの攻撃をこのまま受けたとしても、運が良ければ生きているだろう。そんな投げやりな思考が頭の片隅に浮かび、身体から力が抜ける。ジェレミーが叫ぶ声が聞こえたが、クロエはそのまま瞳を閉じた。

「ク、ロエ……!!」

しかし、剣はクロエに届くことはなかった。
魔物――かつてリードと呼ばれる人間であった者はクロエを見つめる。それは先程までの理性のないモノではなく、かつての強い意志を孕んだものだった。
その言葉にクロエは閉じていた瞳を瞬時に開く。ジェレミーも動揺しているようで、今にも斬りつけようとしていた剣は空中で止まっていた。魔物と化したコールの相手をしているエルヴィヒの方ではまだ戦闘が続いているようで、魔法の光が散り、砂ぼこりが舞っている。しかしそんなことは気にならないくらいに既に心までも魔物だと思われた彼から発された言葉が信じられなかった。

「とう、さん?」

思わずその人を呼ぶ。すると彼は、「ああ。お前は、随分大きくなったんだな。それに強くなった。流石、私とコールが育てた子だ」とそう、穏やかに微笑んだ。きっと彼は全て知っている。魔物になりながらも奥底にはリード自身の意識があったのだろう。魔物と化した自身の腕を見つめた彼の姿はどことなく悲しそうだった。

「……分かっているな、クロエ」
「分かりません」

リードは、持っていた剣を地面に突き立て、膝を地面につく。無抵抗な体勢。まるで断頭台で刑を処される瞬間を待つ囚人のようだった。

「魔物と化した今の私を確実に殺せるのは、その強大な白魔法を込めたお前の剣だけだろう。だから……頼む」
「嫌!嫌です!!だって、父さんは意識が戻ったじゃないですか、だったらもう、貴方は魔物ではありません。人間です」
「駄目だ。今は私の精神でギリギリこの肉体の動きを止めているだけだ。魔法による縛りなのか、何故か自害も出来ない。身体が動かないんだ。きっとこの体勢を解いたら、私はまたお前達に切りかかることになるだろう」
「折角……折角また会えて、話も出来たのに――」
「頼む。私の人間としての意識が戻っているうちに……止めを刺して欲しい。傷つけたくないんだ」

人間としての意識があるうちに。その意味を理解して、クロエの瞳には自ずと水分が溜まり出す。きっとこのまま最後までこの人を人間に戻すことは出来ない。一度は考えた可能性だった。魔物と化してしまったリードが死を望んでいた場合のことを。
ボロボロと止まらない涙が溢れ出す。目頭が熱い。息が上がり、鼻水まで出てくる。表情が崩れ、ぐちゃぐちゃに泣いた顔から、地面に涙が流れ落ちた瞬間の事だった。
涙が落ちた地点から、闇が広がった。ソレはクロエだけを空間から切り取るように、包み込んでいく。そして目の前には夢で見た、まだ遠くにあった筈の見上げる程に大きなあの結晶。

「は……?」

単調な一文字だけが口から零れ落ちる。この場には先程まで近くにいた誰もいない。脳内で情報が処理しきれなかった。混乱しながらも、辺りを見回すが、クロエ以外は誰もそこにはいない。現れる気配すらもない。独りぼっちだった。しかし、何の前触れもなくその寂寞たる世界は切り裂かれる。

『ねえ、クロエ』

透明な声だった。透き通った硝子に映った青空のように、触れられそうなのに触れられない――そんな感覚に陥る。

『貴女は、あの人間達を助けたい?』
「っ誰!?」
『私なら出来るわ。アレにかかっている魔法を解いて、人間に戻すことが』
「本当、なの?それは」

ダメだ。この声に応えてしまっては、良くない事が起こる。そう、頭の片隅では分かっている。だって、この場所は今までの度の場所よりも力が溢れていて、禍々しい。人間や魔物なんてものは超越した何かがいる。そう、直感的に分かっていた。でも、求めてやまなかったものが急に目の前にぶら下げられて、何も言わないなんてことはできなかった。なにせ、言葉に出さなくてもクロエの気持ちなど決まりきっていたのだ。

『ええ、出来るわ。だって私は――』

その言葉で正体を知ると同時に、クロエという人間――人格の意識が閉じる。

『やっと……手に入る。ようこそ、私の器』
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