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「オルフェウス!入るぞ」

男はノックもなしに辿り着いた先の扉を開けると、躊躇の欠片もなく部屋にズカズカと入り込んだ。その行動に驚きはしたが、私は初めてオルフェの部屋に来たと言うこともあり、まずは部屋に入らずに外で待つことにしたのだが、少し振り向いた男から怪訝な顔をされてしまった。
けれどさして興味を持てることではなかったのだろう。男はそのまま部屋の奥――私から見えない場所に進んでいった。遠くにいるせいか少し不明瞭だが、会話の様な声が聞こえる。

「おい、さっさと起きろ!!」
「……団長、僕の被っているシーツを剥いでもいいのはエルカさんだけです。具体的なシチュエーションとしては初夜を迎えた日の朝、僕が低血圧で朝を苦手としていることをそこで初めて知ったエルカさんが僕が起きないのを心配して顔を赤らめ、躊躇いがちに此方を伺って――」
「またそのエルカか……しかも気持ちの悪い妄想までつけやがって」
「好きな人の話をしちゃダメだとでも?それと妄想ではありません。確定した未来予想図ですので、遮って邪魔しないでください。相変わらず横暴なクソ上司ですね」
「ッチ、もう否定してやるのすら面倒だな。まあ、良い。お前のその好きな人とやらを連れて来たぞ。精々感謝して咽び泣け」
「は……?」

怪我をしているのか否かという部分が気になっていた私は少し中の様子を伺っていたところでオルフェの視線に捕まる。うつ伏せの状態から顔を上げたのだろう。ここまで間の抜けた顔をしたオルフェは初めて見たかもしれない。
少し鼻を明かしてやったような気がして気分が良い。
私をここまで連れて来た男は、私と入れ違いになるように部屋の外に出て行った。

「エルカ……さん?」
「……どうも」

ベッドから人一人入れるくらいの隙間を開けて、彼の真横に立つ。
よくよく考えてみると、先日の件以降会ったのは今日が初めてである。近距離で見てみると、ベッドの上で半身を起こした彼は部屋にいるから当然と言えば当然だが、いつもの鎧ではなく、病人用のシャツの様なものを着用していた。

そしてその下――腕に包帯が巻かれているのが見える。やはり怪我をしているようだった。腕以外もよくよく見てみると肩の辺りは包帯の上からですら血が滲んでおり、頬にもテープが貼られている。やはり怪我をしたというのはオルフェで間違いなかったようだ。

そこまで認識して、顔の血の気が下がるのを自分でも感じる。私の目から見ても、かなり酷い怪我だったからだ。でも、オルフェは耐えているのかそれとも何も感じていないのか、苦しさなど欠片も見せず、それどころかこちらを向いていつも通りの笑みを浮かべていた。

「ふふ。貴女から会いに来てくれるなんて、僕嬉しいです。この部屋に入ってもらうのは恋人同士になってからが良かったのですが、今はいいでしょう。少し予定が前倒しになっただけです。今お茶を淹れてくるので――」
「待って!」
「え?」
「怪我、痛い筈でしょう?なんでそんな平然としてるの?なんで君は私に対してそんな……優しい顔を見せるの?私は君を避けて、傷つけたのに――何故?」

オルフェは馬鹿だ。こんな酷い怪我をしているのに、いきなり訪ねて来た私を気遣ってもてなそうとする。
こんな自分が傷付きたくないがために相手の気持ちを信じられずに何も言わず子供っぽく避けるなんて酷い事をした女を……未だにその柔らかい瞳と表情で見つめるのだ。

「好きだからですよ」

当然の様に放たれたその言葉に思わずオルフェの瞳を正面から見つめる。すると距離をもどかしく思ったのか、彼は少し痛みを堪えた様な顔をしながらベッドから降りた。
やっぱり痛いんじゃないか。そう思ったが、止める暇すら与えられずに両手を包み込むように握られる。

「エルカさん、僕は貴女の事が好きですよ……勿論、女性として。だから貴女の目の前では少しでも自分を良く見せようと思ってしまうし、格好良い自分しか見て欲しくないと思ってしまう」

正面からぶつけられる真っ直ぐな気持ち。それに対して純粋な気持ちだけしか知らなかったあの頃の自分……あの家庭教師に恋をしていた頃の自分が重なって、思わず逃げ腰になってしまう。
でも咄嗟に”逃げてはいけない”そう思った。『後悔だけはしないようにね』昨日メイから言われたその言葉が脳裏で再生される。
実際、ここで逃げたらオルフェを更に傷つけるだろう。それに本能的な何かによってここで逃げたら必ず後悔する……そう直感したのだ。だからその場に敢えて留まった。毒を食らわば皿までだ。そう言い聞かせて逃げ出そうとする足を止める。

「それに僕は別に優しいわけではありませんよ?全部下心です。少しでも貴女に依存してもらえるように、油断させられるように。なにせ僕はどんなに冷たくされようと貴女の事が諦められない。諦める気などないのだから……絶対に逃がしてなんてあげません。逃げるというなら、四肢をもいででも一緒に居てもらいます」

彼もずっと逃げられることが怖かったのかもしれない。先程私が一瞬、逃げ腰になったのを見逃さずに、両手を包み込む力が強くなる。至近距離で目が合い、その瞳が内包する感情を無理矢理見せつけられる。
先程とは真逆の言葉だった。

その言葉に含まれているモノは今までの様に全てを包み込むような優しい『好き』ではない。既に『好き』などという生易しいものではなかったのだ。あるのは何をしてでも逃がさないという利己的な決意とこちらを侵食しようとすらしているドス黒い執着心、そして無邪気な子供のような独占欲――。

普通ならこの言葉や感情に恐ろしいと感じるのかもしれない。けれど私はそうは思わなかった。初めて本当のオルフェの真っ直ぐな感情を見られた気がしたのだ。だからむしろ一種の安心感のようなものすら抱いていた。

「怖いですか?……怖いですよね。こんな感情普通じゃない。自分でも分かっています。だからずっと薄っぺらい言葉を並べて、エルカさんに伝えていたんです。少しでも怖がらせないために――でももうやめました。貴女が僕から逃げるというなら何をしてでも捕まえてみせます。そう決意しましたから」

その瞳は力強く、確かな好意と異常なまでの執着心、そして少しの恐怖心が見え隠れする。それを見て私は――。

「あははは……馬鹿みたい」
「は……?」

笑ってしまった。私はずっと彼が見せたくないと思っていたソレは私が無意識のうちに見たいと求めていたモノなのかもしれない。だってその露呈した感情を見た私は嬉しいとすら感じてしまっているのだから。
オルフェは私の突然の行動に驚き、気が触れてしまったのかと少し心配する顔すらしていたが、私は自分の今までの逃げるという行動が馬鹿らしくて仕方がなくなっていた。

「私ね、ずっと君……オルフェからの感情が怖かったの。薄っぺらい感じで、もし受け入れたとしても私の事を簡単に捨ててしまうんじゃないかって。だから逃げ続けて来た。でもね、今のオルフェのものすっごく重い気持ちを聞いて逆に安心しちゃった。普通なら君の言った通り怖がる筈なのにね……おかしな話でしょう?」
「そ、れは――」
「ずっと逃げ続けて、傷つけてごめんなさい。オルフェがその気持ちを伝えてくれたように私もちゃんとこの気持ちと向き合うわ。……私もオルフェの事が好きです」
「っ――!」
「え!?なんで泣くの!?」

私が自分の気持ちをようやく素直に伝えた瞬間、オルフェはそのエメラルドの瞳からボロボロと涙を流す。何故このタイミングで泣き出すのかと動揺したが、泣きすぎて切れ切れになる言葉を拾ってみるとどうやら気持ちが伝わった事と両想いになれたことが嬉しすぎて泣いてしまったようだ。

普通、思いが通じ合い感極まって泣くというのは女性側の専売特許だろう……と少し呆れたが、心の奥底ではこんな涙もろい彼も悪くないと思ってしまっている自分がいることに驚いた。
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