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貴賤結婚

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「――お父様。今なんと仰いました。私、まだ十六だというのに、耳が遠くなってしまったのかしら」

 クロエは耳に手を当て眉を顰めた。それから耳に何か悪い物でも入ったに違いないと、耳を手の平で軽く数回叩いた。モンマルテル侯爵との縁談が纏まっただなんて、有り得ないような幻聴が聞こえたのだから。そうだこれは、きっと耳の病気に違いない。

「現実を受け入れたくない気持ちは分かるがクロエ、お前とマルモンテル辺境伯の縁談が纏まった」

 アロイスは静かに首を横に振り、現実から目を背けているクロエに淡々と事実を告げた。しかし同時に娘が逃げたくなる気持ちもまた、彼は充分に理解できた。

「マルモンテル侯爵だなんて。なんてこと、貴賤結婚だわ。これではクロエが――」

 ルイーズは娘の将来を悲観し、両手で顔を覆い嘆いた。成金男爵の娘が、領主国家君主の妻となるというのだから、彼女が悲嘆するのも無理はない。

「確かに我が家と先方では、身分に大きな差があるのは事実だ。けれども、この縁談はバルゲリー公爵が仲人となっておられる。我が家にとっては、過ぎるほどの名誉だ」

 アロイスとて娘の将来を思えば、断ってしまいたい。大変な苦労をするのは目に見えているのだから、誰が喜んで愛娘を差し出すものか。

「それでも、あんまりですわ。身分差のみではなく、初婚の娘を前妻の息子がいる人の元へ嫁がせるなど。それも侍女を伴うことは許さないとは、あんまりではありませんか」

 あの後、バルゲリー公爵から出された条件は、あまり良いものではなかった。まず侯爵には他の侯国君主の娘である前妻とのあいだに生まれた嫡子がおり、その子を継嗣とし育むこと。そして侯国へは供を連れていくことは許されないと告げられたのだった。
 けれど貴族社会の最下層にいる男爵が、公爵に否と言えるはずもなく、ただアロイスは畏まりましたと頷くことしか出来なかったのだ。

「殿下は悪いようにはしないと仰せでいらした。縁談と言っても実際に婚姻するのは一年後だ。殿下は婚姻するまでの期間中は、お前と侯爵がそのような関係にあると公言は絶対にしないとお約束して下さった。先方もそれを承知でいらっしゃる。それに実際に結婚となれば、殿下の分家筋へ養子に入るのだから貴賤結婚ではなくなる」

 クロエもルイーズも、アロイスの説得をただただ俯いて聞いていた。成金令嬢が公爵の分家へ養子に入ったからといって、これで一安心だとなるわけがないことをこの場にいる誰もが分かっていた。

「期間中にお前か侯爵のどちらかが、否と言えば縁談は破談になる。殿下はそれもお許し下さった。だからクロエ。お前はお前らしく、あちらで振舞いなさい。菓子作りも我慢してくて良い。――クロエ、貴族らしいことは何もしなくていい。何かと辛い一年になるだろうが、辛抱強く我慢をしなさい。一年後には必ず我が家へ帰っておいで。帰った後は、お前は何も気にせず好きに過ごせばいい。守ってやれずにすまない。不甲斐ない父を許してくれ」

 アロイスは向かいのソファへ座る妻と娘の元へ跪くと堪らず二人を強く抱きしめた。

「いいえ、お父様。こんなにも愛していただいているのですもの。私ほど幸せな娘はこの世におりませんわ。一年我慢すれば良いのですから。君主の妻に相応しくないよう、一生懸命に振る舞いますわ。いつもと同じでいいのですもの。簡単なことです。お父様もお母様も、どうかご心配なさらないで」

 クロエは何度もすまないと謝る父の背を慰めるように摩った。

「そうだわ。お父様。わたくし嫁入り道具に欲しいものがありますの。とっても高価だけれど、一年も我慢するのだから、これくらいの我儘は許してくださるでしょう。色々と沢山用意していただきたいわ」

 クロエの目から涙がはらはらと流れ落ちたが、彼女はそれを誤魔化すように涙声で、けれど努めて明るい声音で冗談めかした。少しでも忙しくすることで、自分も両親も悲しみを忘れられたらいい。そういう思いから、わざと我儘を言ったのだった。
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