彼の至宝

まめ

文字の大きさ
上 下
3 / 18

しおりを挟む
「エーリク。またそのような場所で寝て。アブドゥルマリク。お前はエーリクに甘過ぎる。エーリクが風邪を引いたらどうするのだ」

 芝生の上にエーリクは寝転がっていた。意識はあったが目は瞑ったまま、彼はディーデリックの小言を聞きながら穏やかな笑みを浮かべた。エーリクの側には、ディーデリックの契約精霊であるアブドゥルマリクがいた。アブドゥルマリクは大きな狼の様な獣の形をした精霊だ。この精霊は気難しく気に入った人間以外には近付きやしない。エーリクはアブドゥルマリクのお気に入りで、彼らは気が向けばこうして庭に出て、仲良く日向ぼっこをする間柄だった。

「そんなに怒るな。ディーデリック。怒ってばかりいては、お前の頭は真っ赤に茹ってしまい、折角の賢い頭も使い物にならなくなるぞ。なあアブドゥルマリク。お前もそう思わないか」

 アブドゥルマリクはエーリクの言葉にそうだと答えるようにして、エーリクの頬に頭を何度か擦りつけた。

「ほら、アブドゥルマリクも私と同じ考えだそうだ」

 ディーデリックが呆れた表情を浮かべるのを見たエーリクは、愉快で堪らないとばかりに笑い声を上げた。

「――旦那様。旦那様。そちらでお休みになられては、風邪を召されます。どうか寝室でお休みください」

 仕える主人が机に頬杖を立て居眠りしているのを見た中年の侍従は、主人に声を掛け寝室に行くよう促した。けれども主人の意識は未だ夢の中にあるのか、虚ろな眼差しで遠くを見たまま放心していた。

「――旦那様。如何なされました。御体の調子が優れないのでは」

 居眠りなど滅多にしない主人がそれをしたばかりか、起きてからも意識が朧げである様子から、侍従は主人の体調が悪いのではないかと心配をした。十五年前のあの日から心を閉ざしてしまった彼が、この様に隙を見せるだなんて有り得ない事だ。

「......ああ。懐かしい夢を見ていた。エーリクがアブドゥルマリクと庭で寝ていた。私が煩く小言を言うものだから、私の頭は茹って使い物にならなくなると笑っていたな」

 侍従の主人。ディーデリックは夢心地のまま、穏やかな笑みを浮かべた。エーリクを亡くしてから十五年。その間にエーリクが出てくる夢といえば、決まってあの悪夢の瞬間ばかりだった。彼は幾度も幾度も夢の中でエーリクの最期を看取った。それは気が狂いそうになるほど正確な夢だ。エーリクの声も失われていく呼吸や体温もあの日と全く同様で、ディーデリックは夢だと分かっていても毎回毎回、嘆き悲しみ絶叫を上げた後に咽び泣いていたが、近頃は夢の中のエーリクが死ぬ度に彼の感情も徐々に死んでしまったのか、もはや涙も枯れ果てていた。
 だからだろうか、こんなにも穏やかなエーリクの夢は初めてで。彼は歓喜の余りにずっとあの夢の中にいたいと思ってしまった。

「それはまた。懐かしゅう御座います。エーリク様は何時もそう仰って、旦那様を揶揄っていらっしゃいましたから」

 ディーデリックが幼い頃より仕え、エーリクの事も知っている侍従は口角を上げた。つい十五年前までこの邸は笑い声で満ちていた。それを彼も懐かしく思ったのだろう。

「ああ。嘆くばかりの私を憐れに思ってか、側に戻って来たのかもしれんな」

 そうであればいいとディーデリックは願望を口に出した。エーリクを失ってからというもの、彼の世界は色を失ってしまった。何を見ても以前のように心が沸き立つこともなく、喜びを覚えることもない。ただ領主としての義務感だけが彼を生かしていた。

「ええ。そうで御座いましょう。エーリク様は旦那様をとても大切にお思いでいらっしゃいましたから」

 侍従は心中でエーリクに話しかけた。
 エーリク様。もしも貴方がこの場にいらっしゃるのならば、どうか旦那様の御前にその麗しい御姿を御見せ下さい。そうして今度こそこの方と共に人生を歩んで頂けますよう。
 侍従は有り得ない事だと分かっていながら、そう願わずにはいられなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

マリオネットが、糸を断つ時。

せんぷう
BL
 異世界に転生したが、かなり不遇な第二の人生待ったなし。  オレの前世は地球は日本国、先進国の裕福な場所に産まれたおかげで何不自由なく育った。確かその終わりは何かの事故だった気がするが、よく覚えていない。若くして死んだはずが……気付けばそこはビックリ、異世界だった。  第二生は前世とは正反対。魔法というとんでもない歴史によって構築され、貧富の差がアホみたいに激しい世界。オレを産んだせいで母は体調を崩して亡くなったらしくその後は孤児院にいたが、あまりに酷い暮らしに嫌気がさして逃亡。スラムで前世では絶対やらなかったような悪さもしながら、なんとか生きていた。  そんな暮らしの終わりは、とある富裕層らしき連中の騒ぎに関わってしまったこと。不敬罪でとっ捕まらないために背を向けて逃げ出したオレに、彼はこう叫んだ。 『待て、そこの下民っ!! そうだ、そこの少し小綺麗な黒い容姿の、お前だお前!』  金髪縦ロールにド派手な紫色の服。装飾品をジャラジャラと身に付け、靴なんて全然汚れてないし擦り減ってもいない。まさにお貴族様……そう、貴族やら王族がこの世界にも存在した。 『貴様のような虫ケラ、本来なら僕に背を向けるなどと斬首ものだ。しかし、僕は寛大だ!!  許す。喜べ、貴様を今日から王族である僕の傍に置いてやろう!』  そいつはバカだった。しかし、なんと王族でもあった。  王族という権力を振り翳し、盾にするヤバい奴。嫌味ったらしい口調に人をすぐにバカにする。気に入らない奴は全員斬首。 『ぼ、僕に向かってなんたる失礼な態度っ……!! 今すぐ首をっ』 『殿下ったら大変です、向こうで殿下のお好きな竜種が飛んでいた気がします。すぐに外に出て見に行きませんとー』 『なにっ!? 本当か、タタラ! こうしては居られぬ、すぐに連れて行け!』  しかし、オレは彼に拾われた。  どんなに嫌な奴でも、どんなに周りに嫌われていっても、彼はどうしようもない恩人だった。だからせめて多少の恩を返してから逃げ出そうと思っていたのに、事態はどんどん最悪な展開を迎えて行く。  気に入らなければ即断罪。意中の騎士に全く好かれずよく暴走するバカ王子。果ては王都にまで及ぶ危険。命の危機など日常的に!  しかし、一緒にいればいるほど惹かれてしまう気持ちは……ただの忠誠心なのか?  スラム出身、第十一王子の守護魔導師。  これは運命によってもたらされた出会い。唯一の魔法を駆使しながら、タタラは今日も今日とてワガママ王子の手綱を引きながら平凡な生活に焦がれている。 ※BL作品 恋愛要素は前半皆無。戦闘描写等多数。健全すぎる、健全すぎて怪しいけどこれはBLです。 .

尊敬している先輩が王子のことを口説いていた話

天使の輪っか
BL
新米騎士として王宮に勤めるリクの教育係、レオ。 レオは若くして団長候補にもなっている有力団員である。 ある日、リクが王宮内を巡回していると、レオが第三王子であるハヤトを口説いているところに遭遇してしまった。 リクはこの事を墓まで持っていくことにしたのだが......?

本当に悪役なんですか?

メカラウロ子
BL
気づいたら乙女ゲームのモブに転生していた主人公は悪役の取り巻きとしてモブらしからぬ行動を取ってしまう。 状況が掴めないまま戸惑う主人公に、悪役令息のアルフレッドが意外な行動を取ってきて… ムーンライトノベルズ にも掲載中です。

忘れ物

うりぼう
BL
記憶喪失もの 事故で記憶を失った真樹。 恋人である律は一番傍にいながらも自分が恋人だと言い出せない。 そんな中、真樹が昔から好きだった女性と付き合い始め…… というお話です。

君と秘密の部屋

325号室の住人
BL
☆全3話 完結致しました。 「いつから知っていたの?」 今、廊下の突き当りにある第3書庫準備室で僕を壁ドンしてる1歳年上の先輩は、乙女ゲームの攻略対象者の1人だ。 対して僕はただのモブ。 この世界があのゲームの舞台であると知ってしまった僕は、この第3書庫準備室の片隅でこっそりと2次創作のBLを書いていた。 それが、この目の前の人に、主人公のモデルが彼であるとバレてしまったのだ。 筆頭攻略対象者第2王子✕モブヲタ腐男子

学園の俺様と、辺境地の僕

そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ? 【全12話になります。よろしくお願いします。】

【完結】だから俺は主人公じゃない!

美兎
BL
ある日通り魔に殺された岬りおが、次に目を覚ましたら別の世界の人間になっていた。 しかもそれは腐男子な自分が好きなキャラクターがいるゲームの世界!? でも自分は名前も聞いた事もないモブキャラ。 そんなモブな自分に話しかけてきてくれた相手とは……。 主人公がいるはずなのに、攻略対象がことごとく自分に言い寄ってきて大混乱! だから、…俺は主人公じゃないんだってば!

一日だけの魔法

うりぼう
BL
一日だけの魔法をかけた。 彼が自分を好きになってくれる魔法。 禁忌とされている、たった一日しか持たない魔法。 彼は魔法にかかり、自分に夢中になってくれた。 俺の名を呼び、俺に微笑みかけ、俺だけを好きだと言ってくれる。 嬉しいはずなのに、これを望んでいたはずなのに…… ※いきなり始まりいきなり終わる ※エセファンタジー ※エセ魔法 ※二重人格もどき ※細かいツッコミはなしで

処理中です...