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私の庇護欲を掻き立てるのです

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 明桐誉あかぎりほまれは四限目の終わりを告げる鐘の音を聞くと、そそくさと弁当と水筒を手に持ち旧校舎の屋上へと向かった。彼の通う花繚かりょう学院は百花繚乱が学院名の由来というだけあり、校内には多種多様の花が植えられ、四季折々それを楽しむ事が出来る。特に旧校舎裏は桜が群生し、春にはそれはそれは明媚な光景となる。
 昨年の初夏に他校から転入した誉はこの場所を見つけて以来、まだかまだかと春を待ちわびていた。そうだというのに桜はまるで意地悪でもするかのように彼を焦らし、もう他所のものはとうに散ってしまった頃合いになってようやく満開を迎えた。
 誉はやっと迎えたこの日の為に献立を半年以上も考え、今朝は早起きをし張り切って弁当を作った。寮の自室には立派な台所が備え付けられており、その他にもリビングダイニング、それに寝室と風呂まである。これが庶民感覚が忘れられない誉には、あまりに高級すぎた為に転入以来ずっと馴染めずにいたが、この時初めて彼は寮の自室が高級な造りで良かったと喜んだ。
 花繚学院は良家の子息が多く通う金持ち校であるからか、学院内には公然の差別があった。生徒は家柄によって待遇が異なり、良家の子息ほど好待遇が約束されている。中でもほんの一握りの生徒は特別の扱いを受け、S組という少人数の組に選ばれる。彼らは好成績でさえあれば授業は免除。出席日数は関係なく登校すら自由だ。
 昨年の夏まで庶民だった誉が、どうしてこの学園に転入してきたのかというと、女手一つで育ててくれていた彼の母が昨年に結婚したからだ。新婚の両親の邪魔をして、新しい父に迷惑を掛けたくない。その一心で彼は全寮制の高校に編入することを決め、いざそれを義父に告げると思いのほか誉を気に入っている義父は猛反対をした。けれども頑として転入を譲らない誉に折れた義父が、仕方なくと指定したのがこの学院だったのだ。
 義父からすれば、明治大正の様な身分制度がまかり通る学院に庶民感覚が身に付いた誉では馴染めないと考え、そうして程なくすれば根を上げて帰って来るだろうと先を読んでの提案だった。実際に彼の考えは大当たりではあったものの、幼い子供に対する扱いをされたようで癪に障ると誉が意地になる事までは読めなかったらしい。
 誉は義父の家柄からS組の生徒となったが、庶民から急に良家の子息となった彼を同級生たちは認めなかった。たまたま運よく成り上がった貧乏人が何しに来たのだと、そう心無い事を言われたのは、もう数え切れないほどだ。
 そんな友もいないような退屈な学院生活で、唯一の楽しみがようやくやって来たのだ。誉の気が急くのも無理はない。彼は何かに追われているかのように、慌てて己の教室がある校舎から出ると旧校舎へ向かい、屋上へとつながる階段を一気に駆け上がった。一分一秒も無駄に出来ない。

「うわ、やばい。何これ。すごい綺麗なんだけど」

 誉は落下防止の金網に手を掛け、それに顔がめり込むような格好で絶景を眺めた。眼下では多くの生徒が花見をしている。それを頭上から眺めるのもまた面白いものだ。五限目が始まり人気が無くなった頃に近くへ行こう。今日くらいは授業をさぼったって罰は当たるまい。そう誉は決めると腹が減っていたのを思い出した。彼は素早く体の向きを変え、金網に背を預けると手に持っている弁当の包を開いた。
 その時だ。どこからか堪らずといったように笑い声が吹き出したのは。声の主を探ろうと弁当に向けられていた視線を周囲へ巡らせば、いつからいたのかすぐ側に見知らぬ男子生徒が、こちらを覗き込むようにしてしゃがんでいた。
 誉はその様に他人が随分と近い距離にいるというのにも驚いたが、それよりもこの男子生徒の顔が絵画から飛び出してきたかのように整っていることに驚いた。男から見ても美しいのだ。仮にこの学院が共学であれば、女子にもてるどころの話じゃない。芸能人とその出待ちのファンのような関係が出来上がるに違いない。

「ほっぺたに跡が付いてるよ」

「......え」

 誉は不躾に彼をじっと見つめていたが、彼はその誉をまるで愛しいとでもいうように笑みを浮かべて見た。そうして誉の右頬を彼は指でなぞり撫でた。唐突の事に誉は彼の成すがままだ。

「だからフェンスの跡」

「え、あ、本当だ」

 そんな跡など付いていただろうかと不思議に思い、頬に指を乗せて探ると確かに格子状に線のような形で皮膚が窪んでいる。
 年甲斐も無く幼児の様にはしゃいでいた事が恥ずかしくなり、誉は顔を羞恥に染めた。目の前に美しい顔がある分、不格好な己の顔の様子に羞恥心は倍増だ。

「花見するの」

「うん。だって半年以上も前から、俺これだけを楽しみに生きてたんだ」

「ふうん。そうなんだ」

「そうなの」

 なおも彼は誉の頬を優しく撫でている。普段の誉ならば跳ね除けてしまうはずなのに、どうしてかこれが心地良く彼のしたいようにさせていた。

「ねえ。俺も一緒に花見してもいい」

「え、あ。うん。いいよ」

 こうして誉と鷲見篤志わしみあつしは出会った。今や毎日この屋上で誉が作った弁当を一緒に食べ、食後は誉が鷲見に膝枕をしてやって過ごす間柄になった。男同士で膝枕だなんて己でもどうかしていると思うのだが、如何せん鷲見がそれを強請る仕草も、髪をすいてやると喜ぶ様も、その全てが誉の庇護欲を掻き立てるのだから仕方がない。可愛くて可愛くて仕様がない。

「篤志。始業の鐘なっちゃったよ。教室に帰ろうよ」

 昼休みの終わりを告げる鐘が学院中に鳴り響いた。そうだというのに鷲見は、気持ち良さそうに微睡んだままだ。それどころか誉が髪をすくのを止めてしまったのに不満を覚えたのだろう、彼は誉の手を掴んで自分の頭の上にのせ撫でるように促した。全く授業に出る気はないらしい。

「ねえ。俺、勉強分かんなくなっちゃうんだけど」

 義父に学費を出して貰っているのだから、下手な成績は取れない。頭が悪いからと言って怒るような義父ではないが、これ幸いとそれを理由に家に連れ戻されそうではある。それは義父に負けたようで誉としては耐えがたいことだ。だから何としても授業には出席したいのだけれども。それだというのに鷲見ときたら、のんびりとしているのだから腹も立つ。

「分かんなくなったら、俺の嫁になればいいよ」

「何だよそれ。意味分かんない。男同士だし無理だろ」

 そうして彼は怒る誉に対し、いつもお決まりの嫁に来いだなんてふざけた言葉を放つのだ。男同士で結婚など出来る筈がないというのに、何かにつけて鷲見は誉にそう言う。もういったい、誉は彼からこの言葉を何百回聞いただろうか。決まって誉は無理だと返すのだけれど、鷲見はそれを笑うばかりだ。

「誉は何も分からなくていいよ。とにかく今は俺の頭を撫でてくれてればいいから」

 誉が再び髪をすきだしたのを確認すると、鷲見は満足そうに息を吐いた。ああ、もう。やはり可愛い。この様に図体のでかい男を可愛いと思うだなんて、己の目は随分といかれてしまったらしい。けれど可愛いものは可愛い。仕様がないのだ。諦めた誉は鷲見に言われるがまま、ただ彼の髪をすき続けた。
 己が鷲見の面倒をみている気の誉は知らない。鷲見がこの学院の階層では頂点にいるということに。そして本当に嫁になる手筈が整っている事にも。庇護をされているのが、実は自分だという事になに一つ気付いていないのだ。ゆっくりとゆっくりと鷲見が誉を囲っていることなど知らず、誉は午後の穏やかな時間を堪能していた。
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