茜蛍の約束

松乃木ふくろう

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第24話 光木茜音の秘密

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 午後10時。

 オレは“CLOSED”と表示された、矢鱈に重そうな『隠れ処』の扉を数回叩く。明かりが漏れてきているところを見る限り、ふたりはまだ中にいるのだろう。

 サムターンのキーが回る音、そして開く扉。

「どうしたの!!! ボロボロじゃない、血も出てるわよ」
「・・・・・・説明は中でする。とりあえず、入れてくれ」
 迎えてくれた実山巴の表情をオレは正面から見る事が出来なかった。

「理君、救急箱! それとオシボリをたくさん持ってきて!」
「大丈夫だ。見た目ほどやられちゃいない」
 オレに肩を貸そうとする実山をオレは片手で制し、「隠れ処」のいつもの席にヨロヨロと腰掛ける。

「いい歳してケンカか?」
 オシボリを投げて寄こした新見先輩は呆れ声だった。

「もう、ケンカは懲り懲りです。まぁ、どちらにしても、三廻部がココに来る事は二度とないと思います」
 オレの言葉にふたりの表情は固まっている。

「あいつ、ついに警察に掴ったのか? あれだけ大麻は止めろって、忠告してやったのに」
 少しの間の後、新見先輩がため息混じりに言葉を漏らす。強かな言葉の流し方に思えた。

「・・・・・・三廻部の容疑で一番表立つのは確かに大麻でしょうね」
「他にも罪があるような言い方だな」
 言葉に棘を持たせたのはお互い様だろう。

「少なくても先輩たちを強請っていたのは確実ですから、恐喝には問えると思います」
 オレは自分でもうんざりするくらいな嫌味な言葉をふたりにぶつけた。

「三廻部が何をどう伝えたかは知らないが、アイツの言葉を真に受けるなんてオマエらしくもない」
 軽く受け流す新見先輩に焦りの色は見えなかった。

「殺意はなかったとしても、先輩たちが光木と五十里のを恣意的に起こした事は揺るぎません」
 ふと、三廻部に対し過《よ》ぎった殺意を思い出す。

「確かに事故発生時、オレは五十里《アイツ》の真横にいながら助ける事が出来なかった。それを誘発したと言うのか? それに茜音は自殺だろ?」
 伴侶の隣に立つ実山の瞳には珍しく焦りの色が浮かんでいるように思える。
 オレの座っているカウンターには実山巴が淹れたのであろう、コーヒーが出されていた。

「光木は自殺じゃありません。アナタたちが死なせてしまったんです。脅されていたとは言え、光木と五十里の事故を誘発したのは先輩たちです」
 覚悟を決めて放った言葉だった。

「なんか、作り話にしても、ただおとなしく聞けるって話じゃ無さそうね」
「巴の言う通りだな」
 そう静かに呟いた新見先輩は喫茶店の灯りをカウンター以外すべて落とした。

 静寂と暗闇がオレたち三人を包む。

 2人がオレの言葉を待っているのは分かっていた。変に気をてらい、探りを入れるつもりも無かった。どの道、オレのメールと三廻部の逮捕により警察は動き出す筈だ。

「先輩たちが五十里優梨子の癖や光木茜音の体質を利用した事には警察も気が付いています」
 俺の推測はおそらく間違っていないはずだ。

「癖? 体質? 何を言ってるの? 」
 実山のお決まりのような返答。

「『スマホのながら歩き』と『特殊なアレルギー』って言わなきゃ分かんないか? どのみち警察に捕まった三廻部がキミらを道連れにする事くらい分かりきっているだろ?」

 二人の肩がガクリと落ちた。どうやらオレの続け様の指摘は的を得ていたらしい。


 多分、定期的にポケットの中で揺れているガラゲーは、オレからのメールを見た義兄さんからの連絡のはずだ。用件は『今どこにいるのだ』と。警官でもあり、オレの性格をある程度捉えているあの人であればオレがココにいる事を直ぐに掴むだろう。

「昔から九角君って、ホント光木さんの事となるとしつこいのよね。ソレを甘く見てたわ」
 指摘を肯定したかの様な実山の言葉。

「でもね、九角君。私たちが強請られていたのはアナタのせいでもあるのよ・・・・・・」
 実山がオレに見せたはじめての怒りの表情。

「どういう意味だ?」
「・・・・・・」
 オレの問いに対し実山は無言だった。

「オマエの右手をそんな風にしたのは、色んな人間の嫉妬が原因って事さ。あの事故の日、お前と茜音が茜蛍を観に行こうとしているのを目撃した人物がいた」
 同じ高校。同じ沿線利用者。思い浮かぶのはひとりしかいない。

「オマエが今考えている通り優梨子だよ。九角、お前はアイツに惚れられていたの気が付いていなかったろ?」
 少し憐憫するかの様な視線をオレに向ける新見先輩。

「えっ!?」
 はじめて聞く事だった。

「あれだけの好意に気が付いて貰えないなんて、優梨子も不憫よ。サッカー部のマネージャーになったり、苦手な勉強も頑張って、アナタと同じ箱ヶ原高校にまで行ったのに……」
 その実山の呟きは何処かオレを責めている様にも聞こえた。

「…… アイツは従姉妹だった事もあって、昔から俺に懐いてくれていたからな。あの日、メールが来たんだよ。『茜音に出し抜かれた。なんとか邪魔を出来ないかって』ってな。優梨子の中では打算もあったんだと思う。なにせアイツはオレが茜音に告白して、フラれたばかりである事も知っていたからな。俺は俺でお前と茜音が上手くいく事は面白くないから、直ぐに手は浮かんだよ」

「だから、新見先輩はメディアや警察に嘘のTELを入れたり、SNSで若い女性の身投げを見たって流布したんですか」
 あの日、茜蛍を見れないようにする為に、メディアや警察に嘘の情報を流し、茜岬一帯に立ち入れないように仕向けたのは新見先輩と五十里なのは、これまでの会話で理解出来ていた。

「怖いヤツだな。もうソコまで知っているとは。だけど流石にあの事故は俺たちも堪えたよ」
 あの事故が起きるきっかけであるメディア車輌の渋滞を作ったのは自分と五十里だと言いたいのだろう。

「その言い方だとオレに対しても罪悪感を感じていた訳ですか?」
「優梨子は相当に感じていたみたいだったが、オレのお前に対して罪悪感は殆どゼロだ」
 含みをもたせた物言いに、あの日の事故が甦る。

「先輩の罪悪感は亡くなった方々に対するものですか」
「そうだ。そして、その罪悪感につけこんで来たのが、オレがメディアに電話しているのを盗み聞きしていた三廻部だ。あの男は5名もの人が亡くなった事故がオレと優梨子のデマが原因である事を温泉街のみんなにバラすと脅して来た。イヤなら言う事も聞けとな」
 人が亡くなった重さを利用してくるとは三廻部らしい下衆なやり方に思えた。

「それで、お金を・・・・・・」
「そうさ、惨めって笑うか? そんな時に支えてくれたのが巴だったんだよ。お金の工面は元より、俺の心を支えてくれた。だけど、三廻部の要求は2年ほど前からエスカレートしてきていた。特に茜音が帰国してからは酷いモンだったよ。金だけでなく、様々な事を求められた」
 五十里も同様の手で脅されていたのだろう。ただし、彼女に求められたのは金銭ではなく身体だった。

「ヤツは先輩たちを『子飼い』と言っていました。多分、新見先輩は五十里のお腹の子を下ろすように説得しろと言われたんじゃないですか?」
 うな垂れる先輩の姿は肯定である事を示していた。

「ああ、その通りだ。だが優梨子の決意は固かった。九角のお姉さんがお腹を大切そうに見つめる姿を見て決意が固まったっと言っていたよ。『ひとりで子供を立派に育てるんだ、母としてしっかりするんだ』ってな。あんな、キャピキャピしていた娘が急に落ち着いた女性になってしまってな。説得は無理だと悟ったよ。だから、俺は事故を装いお腹の子が流れてしまうように仕向けた」
 子を宿すと女性は強く、美しくなる。それは姉を見ていればイヤと言うほど理解出来た。
 その強さ、美しさに打たれたにも拘らず、事故を仕向けた事を淡々と話す先輩にオレは三廻部以上の狂気を感じた。

「五十里は少しの待ち時間でもクセでスマホを覗いてしまう。ソレを利用したんですね」
 オレの言葉に新見先輩は頷いていた。

 横断歩道の先頭での信号待ち。
 適当なタイミングで信号が赤であるにも拘らず、隣に立っていた新見先輩が半身だけ身体を前に出す。釣られて歩き出した五十里は身重であった為、直ぐに止まる事が出来ず、慌てて避けたものの、バランスを崩し大きく尻餅をついてしまった。先輩の誤算は五十里までもが亡くなってしまった事。

「五十里とお腹の子を死なせてしまったドライバーにだって、家族や友人が・・・・・・

「そんなの選んでやったわよ。相手は三廻部とよくココに来ていた大麻の売人よ。それよりさっきから偉そうに理君を追い詰めてるけど、アナタ何様?」
 オレの言葉を遮った実山巴の声が響き渡る。

「オレは知りたい事があるだけだよ」
 多分、この言葉の奥にオレの知りたい事がある。そんな気がした。

「何が知りたい事よ! 老舗屋号持ちのおぼっちゃんに何が分かるって言うのよ!
 ケガをしたって言っても浪人も出来て、ひとり暮らしまでさせて貰えるくらい恵まれているじゃないの。家計が苦しくて、大学に行きたくても行けなかった理君や私なんかより遥かに恵まれてるわ。だいたいフリーターなんてお気軽な立場の人に必死で生きている私たちを責める資格なんてあるとでも思っているの?」
 オレが老舗みやげ物屋の息子である事も、浪人した事も、お気軽なフリーターである事も否定はしない。だが、実山や新見先輩にも光木や五十里を貶める権利は1ミリも無いはずだ。

 オレはただ黙って、実山巴の視線を正面で受けた。

「光木茜音だってそうよ! 大金持ちの娘に生まれて、みんなにチヤホヤされて・・・・・ あの子、優梨子が九角君を好きな事にも気が付いていた。私が理君の事を好きな事にも!なのに昔からしれっとしていて」
 
 生まれや育ち、そして環境の差は確かに存在する。だが、持って生まれた故の苦悩が存在するのも事実であるはずだ。実際に光木茜音は家のしがらみに悩んでいた。
 
実山の言葉は続いた。

「・・・・・・挙句の果てには、私が理君と婚約したら『想い続ければ気持ちは伝わるよね』って口にしたうえ、平気な顔して毎日ココにも顔を出す。人を馬鹿にするにも程があるわ! 最低よ、あんな女」
 
淹れてもらったままのコーヒーが実山の声に反応し揺れている様に見えるのは気のせいだろうか。。

「キミは昔から光木茜音が嫌いだった。だから、光木の手紙もオレには届かなかったって事か……」

「アノ手紙の存在を何処で知ったのかは知らないけど、その通りよ。イギリスに留学しなければならない事と、アナタに大怪我をさせてしまって、それを直接謝る事の出来ない自分の弱さを謝罪する内容が切々と書かれていたわ」
 手紙を読んだ事を隠そうともしない、その言い捨てるような実山の口調。

「その手紙は今どこにある?」
「今までの話を聞いていて、分からないアナタじゃないでしょ」
 捨てたという事なのだろう。
  
 怒りや不安と言ったモノが作り上げる沈黙の重さ。見えない質量がオレの口を重くする。

「ほかに言いたい事が無ければ、店から出て行ってもらえる? 」

逃げも隠れもしない、ただ、オレがこの場にいる事が不愉快だ。実山の表情はそう語っていた。


「三廻部は光木に関係を迫っていた」
 オレは伝えるべきか悩んでいた言葉を口にする。新見先輩の表情が一瞬歪むのが視界の隅に止まった。

「当然、光木はソレを拒絶、いや、無視をしていたが、三廻部がある条件を出した為、一度だけ身体を許した。つい最近の話だ」
 言い終えたオレの奥歯は軋み、音を立てていた。

「ははっ! 可愛い顔して単にヤリ〇んじゃない!」
 せせら笑う声に殺意にも似た怒りがこみ上げる。

「それ以上言えば、オレは君を生涯許さない」
 顔を歪めて笑う実山をオレは強く睨んだ。
「すればいいじゃない! 痛くも痒くもないわ」
 言葉に宿るは女性の狂気。

「三廻部が出した条件は、関係を持たせてくれたら、自分が隠れ処ココと五十里には二度と近寄らないと言うものだった」
 首を横に振る新見先輩。さっきオレの言葉に反応しなかった事や、今の表情から察するに、三廻部から両家に渡りをつけるように命じられていたのは新見先輩なのだろう。

「うそでしょ・・・・・・ 」
 実山の表情は歪んだまま固まっていた。

「これは三廻部本人を追い詰めたうえ聞きだした事だ。嘘でも作り話でもない。光木はキミらがあの事件が原因で三廻部から強請られていて、苦しんでいる事にも気が付いていた。だからこそ、その条件を飲んだ」
 ヤツを蹴り飛ばし怯えさえ追い込み吐かせた嘘偽りの無い言葉だ。

「光木がしんに何を思いキミたちを救おうとしたのかまではオレにも分からない。だけど、今の事を条件にあんなクズみたいな男に抱かれたのは事実だ」
 おそらく光木は良家の娘、しかも外様として、この狭い世界を持つ温泉街に引越して来た。それ故に、幼なじみであり、同じ年である実山、五十里との関係を大切に思っていた。そうでなければ説明の付かない行動だった。

「そんな・・・・・・ 」

  再びの沈黙はオレが指摘して来た事全ての肯定なのだろう。その証拠である様にふたりの顔からは険が落ちていた。


警察官お前のアニキが来るまで、まだ時間がありそうだな。コーヒーを淹れ直すよ。アレでいいか?」
 『隠れ処』のブランドイメージには合わないと新見先輩が言っていたコーヒーの事だろう。
 うな垂れる実山巴の肩にやさしく手を添えていた新見先輩がコーヒー豆轢き始める。

「・・・・・・」
 オレは静かに頷いた。


「九角君が帰郷した日、いつも通り光木さんはこの店に5時少し前にやって来て、貴方を懐かしむ様に、その席に座っていたわ。
 だから、私、話してあげたの。九角君が帰ってきた事と近いうちにココに来る事を、そして7年前の手紙を渡していない事もね。
 光木家の強引な縁談の噂は聞いていたから、ざまあ見ろって思ったわ。昔、恋焦がれた相手が目の前にいるのに、どうにもならない姿を見て笑ってやろうと思ったのよ」
 オレが帰郷した日、5時に店に来るといい事があるとの意味はコレなのだろう。

 新見先輩が回すコーヒーミルの規則正しい音が3人だけの店内に響いて聞こえた。

「でも茜音は手紙の事で巴を責める事はなかった。それ所か『光木の家を捨てて、好きな人の元に行くのも悪くないでしょ?』と笑顔で言い出すんだから正直、驚きを通り越してて呆れてしまったよ」
 新見先輩が繋いだ言葉。

「茜音もオマエと同じだったのさ」
  少し悲しそうな新見先輩の表情。

「・・・・・・」

「やめてよね。鈍感系主人公みたいな沈黙」
 そう呟いた実山は新見先輩から挽き終えたコーヒー豆を受け取り、それを懐かしむ様に眺めている。

言葉は続いた。

「光木さんも貴方を想い続けていたのよ」

「・・・・・・」

 あの事故の直前までは、好意のようなものを持たれている予感はあった。だが、あんな目にあったにも拘らず、何年も思い続けていてくれるとは思いもしな……

 いや、それは違う。

 あの日、茜岬で光木茜音と出会った時から、もしかしたらと言う思いは心の隅にあり続けた。だからこそオレは、今此処にいる。

オレは静かに目線を実山巴に向け、先の言葉を促した。

「今の美容整形の技術なら、光木さんの目尻の傷なんて簡単にキレイにできるのにあの子は敢えて傷を治さなかったのよ。”九角君に助けてもらった証”だって・・・・・・ あと、みんなが遺書と勘違いしているメールを思い出してみれば、どれだけ本気だったかが分かるわよ」

“お父さん、お母さん、私は旅立ちます。わがままな娘でごめんなさい”確かそんな内容だったはずだ。

「"お父さん、お母さん、私は光木の家を捨て、大好きな九角君の所に行きます。縁談は無かった事にしてください”」
「熱烈なラブレターみたいなものね…… 」
新見先輩と実山の静かな言葉。

「ふたりともめんどくさい性格はしているけど、上手く行ってしまうのが直ぐに分かったわ。だからこそ癪に障った。なんだ結局、この人たちは幸せになるじゃないって・・・・・・」

「だから、腹いせに光木がアレルギーを引き起こすスイカの種を焙煎したエキス入りのコーヒーを出したのか?」
 オレは最後の確認事項を静かに口にした。

「そうよ。三廻部に『少し痛い目に会わせろ』って言われていたのもあるけど、多分、ソレがなくても同じ事をしていたわ。九角君が久しぶりの帰郷で茜岬に行く事は予想出来たし、光木さんはウチでコーヒーを飲んだ後、茜蛍を見にに行くのを日課にしていたから。当然、ばったり会ってしまうのは想像つくでしょ?
 貴方と会うときに自慢の白い肌が湿疹まみれで恥ずかしい思いをすれば良いって思ったわ」
 殺意は無かったが悪意はあった。実山の口調はそんなふうに思えるほど淡々としたものだった。


「九角君は光木さんが遅行性のアレルギー体質だった事を知っていたのね?」
「ああ。修学旅行の帰りにスイカと木綿にアレルギーがある事を聞いた」
 オレの脳裏にあの日見せてくれた光木の表情ひとつひとつが想い出される。

「しっかりとアピールしていたのね、あの子。優梨子が出し抜かれたって言うのも分かる気がするわ」
 自虐的な口調とは裏腹に淡々とコーヒーを淹れる準備を続ける実山。

「アレルギーで亡くなる人だって多いんだ。危険な行為である事は分かっていただろ?」
 光木の体質は遅効性アレルギー。
 遅効性アレルギーとは、かなり遅れて症状が出る反面、重いアレルギー症状を起こすのが特徴だと、少し前にバイト先の院長先生から教えてもらった。光木が麻の服を好んで着ていたのも、綿にアレルギー反応が出てしまう為だ。

「家業だからね、当然知っているわ。光木さんがスイカに遅効性アレルギーを持っているのは優梨子が教えてくれたわ。隠れ処ココのメニュー表を見て、修学旅行の時、スイカジュース回し飲みしたら、3時間後位に身体中が湿疹が出て、目を回したって」
 修学旅行で光木がアレルギーで寝込んだ事は同じ班であった五十里なら知っていて当たり前だ。

「でも、まさか海に落ちるなんて思ってなかった。これだけは本当よ」
 遅延性アレルギーの中には目眩や呼吸困難、あるいは失神を起こす場合がある事も先程、院長先生が教えてくれた。


 光木茜音はあの日の約束を果たす為に、茜岬を訪れ不幸にもその時に遅延性アレルギーを起こし気を失い、海へと落ちてしまった。
 五十里優梨子は母として、そして女性として大きく変わろうとしていた為、悪癖を利用され事故に合い、その命を落とした。

 25年という2人の短い人生。

 そして友人を死なせてしまった目の前に居る2人のこれからの長く重い人生。
 どちらも風が吹けば桶屋が儲かるが如く、風の強さが違えば、違う方向に向かっていたのかもしれない。そう考えると人の一生など朧に舞う茜蛍にも似た不安定な代物なのかもしれない。

   店内にコーヒーの香りが漂いはじめた。

「どこで私たちは運命は狂ったのかしらね」
 実山の声は震えていた。
「狂ったのはキミらの運命じゃない」

 オレの言葉に対する返答は何もなく、代わりに目の前にコーヒーが出された。

「俺たちが運命を狂わせたふたりが好きだと言ってくれたコーヒーだ」
 疲れたように微笑む新見先輩の瞳は少し濡れていた。
「奢るって約束したでしょ?」
 実山の瞳も濡れていた。

「そうだったな」
 実山の言葉に促され、オレはコーヒーに口を付ける。

「やっぱり美味いよ。コレ。」
 オレのひとり言のあとはコーヒーを啜る音だけ。


 流れていたのは沈黙なのか静寂なのか。ふたりの涙は後悔なのか懺悔なのか。オレには知る由もない。

 コーヒーは、あと一口も飲めば、カップの底が見えてしまう。

「ねぇ、九角君覚えてる? まだ、私たちが高校に上がったばかりの頃、九角君がココをみんなの溜まり場に指定するもんだから、お父さんから『人の店をオマエ等ガキの、隠れ処にするんじゃねぇー!』って怒られたの。アレ面白かったなぁ。いつも澄まし顔の九角君がビックリしていて、みんなはソレが可笑しくて大笑いしてさ。あの頃は楽しかったなぁ・・・・・・」

 不意に始まった実山の昔語り。
 そう言えば、隠れ処と呼ばる由縁はソコが始まりだった気もする。
 オレはそんな実山の言葉を背中で聞きながら、振り返る事無く、そのまま店を出て外へと歩き出す。

 嫌になるくらいの星空の下、オレはひとり飲み残してきたコーヒーの事を思い浮かべていた。
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