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王都の聖域
28.お前にしかできない作戦だ
しおりを挟む「そういえば、北へ出発する日取りは決まったのか?」
和やかな夕食の時間が再開され、王太子殿下が私に質問を投げかける。
「……そうですね」
「珍しく歯切れが悪いな。あまり良くない内容だったのか?」
「いいえ、私の提案に快諾してくださいました」
北の辺境伯であるタルジュ・ヒエムス卿からの返答は予想通りだ。
いつでも歓迎する旨と、此方からのお願いも快く引き受けてくれるという、何とも心強い内容が手紙にはしたためられていた。
できることなら、なるべく早く北へ移動して作業の手伝いをしたいところなのだが、どうも引っかかる。
何か見落としている気がするのだ。
誰かに、何かを確かめた方が良いと言われたように思うのだが、ハッキリと思い出せない。
喉元に小骨が引っかかったような違和感に、自然と眉間に皺が寄る。
「少し確認しなければならないことがある……ように思うのですが、内容を思い出せないのです」
「何? ハッキリしないわね」
アーヤリシュカ第一王女殿下が「本当に珍しい」と呟く。
私らしくないというのは判っているが、気になるものは仕方ない。
「とりあえず、みんなは極寒の地へ行くので防寒対策だけしておいて欲しい。ただ……何か見落としているようだから、それを確認するまでは待機となるが……」
私の歯切れの悪い言葉と、先の見えない予定に全員が顔を見合わせている。
不安なのもわかるが、今はこれ以上の言葉が見つからない。
それを見かねた主神オーディナルは、私に顔を寄せてから「ふむ」と納得したように頷いた。
「お前から、ユグドラシルの気配がする。昨晩にでも呼び出されて、彼女に何か言われたのでは無いのか? 今のお前が話をシッカリ聞けたとは思えんが……おそらく、僕の愛し子も同席していたはずだから、聞いてみたら良かろう」
「なるほど。ルナティエラ嬢ですか」
確かに、彼女だったら何か覚えているかもしれない。
おぼろげな記憶の中で、彼女の声を聞いた気が……
そんなことを思い出しながら、私は彼女が考案したという小豆とすいとんのスープという物に口をつけた。
甘みのある食事となるので、デザートに近い料理だと聞かされていたので、最後にいただこうと思っていたのだ。
スプーンで掬う白いツルリとしたすいとん。
よく見ると、すいとんの他にも、小豆と黄金色の芋のような物が入っている。
食べてみると、さほど甘みは強く無い。
しかし、芋そのものに優しい甘みがある事に驚いた。
あとは、小豆の風味なのか甘みとよく合う、豆と芋のホクホクした味わいのスープに、つるりとした食感のすいとん。
なるほど、コレはデザートだと言われた方が納得できる料理だ。
砂糖が貴重品で手を出せない領民でも、甘みを堪能できる一品に仕上がっている。
おそらく、彼女なりに考えた結果行き着いたレシピなのだろう。
続いて深皿の方に入っているカボチャと小豆を煮た料理をいただく。
此方の方が心持ち甘い。
しかし、これはカボチャの甘みだ。
砂糖はあまり使われていないが、素材の甘みを存分に引き出しており、甘みと塩味のバランスがとても良い料理である。
「カボチャが……かなり甘いですね」
私の言葉に、クロイツェル侯爵夫妻は顔を見合わせ、同時に唸り出す。
何か気になる事を口にしただろうか。
「そのカボチャなのですが、昔は王都でも一般的に売られている皮目の白い物が我が領内でも主流だったのです。しかし、気がついた時には、このカボチャに変わっておりました。あと、紫色の皮をした芋も……いつの間にか、領民の間で広まっていて……」
「妻の言う通りです。本当にいきなり現れた野菜だったので、最初は警戒していたのですが……。毒性はありませんし、栽培しやすく、娘が気に入るほど味も良かったので、そのままにしております」
間違いない。
ルナティエラ嬢の仕業だ。
こんなことを企んで、こっそりと実行するのは彼女以外にあり得ない。
幼い頃は大人しくしていたのだろうと考えていたが、とんでもない。
表舞台に立たず、裏でコソコソと動き回っていたのだ。
あの、お転婆娘め……
しかし、見張りのついた部屋に閉じ込められていた幼い彼女が一人でやるには限界がある。
これは、確実に協力者がいたな――という考えに至り、自然と主神オーディナルへ視線を向けた。
私の視線から何かを察したのだろう。あからさまに顔を背ける。
これは確定だ。全く、二人で何をやっているのやら……。
「ルナは昔から食いしん坊だったんだねー。今と変わらないや」
「そうだな」
私と主神オーディナルのやり取りを見て、思うことがあったのだろう。
主神オーディナルの膝上で、ルナティエラ嬢が考案した料理を食べていたノエルが楽しげに笑う。
紫黒はというと、小豆の匂いが気に入ったのか、小さな豆を啄んでは食べて、満足げに羽毛を膨らませている。
鳥類というより、人間っぽい感覚を持っているので、喜怒哀楽が判りやすい。
「コホン。僕の愛し子は……この紫色の芋のことで何か言っていなかったか?」
わざとらしく咳払いをしたあと、主神オーディナルはクロイツェル侯爵夫妻に尋ねる。
二人は該当する記憶が無いか探していたが、おぼろげに思い出すことがあったのだろう。
小さく「あ……」と、呟いた。
「そういえば、この芋は強いとかなんとか……」
「うむ、この芋は高温な場所や、乾燥にも強く、痩せた土地でも良く育つ。ベオルフ……北へ行くときは、その紫色の芋も持って行くと良い。寒さに弱いが、これからの季節であれば芽も出るだろう」
「この芋を……ですか?」
「土の栄養が少なくとも、この芋はよく育つし栄養価も高い。北であれば、秋が深まるころには収穫出来なくなるが、今から……いや、来月か。それくらいから植えれば、良く育ってくれるはずだ」
「……主神オーディナル。これも芋……ですね」
「そうだな」
私の言いたいことを察したのだろう。
主神オーディナルの口元が緩む。
「ルナティエラ嬢の称号がまた増えるかもしれません」
「気にするな。お前に怒っても、他には笑っているだろう」
「では、問題ありません。主神オーディナルも……良いのですね?」
「構わん。それも込みで提案している」
私と主神オーディナルの会話についてこられない皆が首を傾げているが、この計画は私と主神オーディナルと北の辺境伯であるタルジュ・ヒエムス卿の間で進められている話だ。
しかし、そろそろ種明かしをしても良い頃だろう。
タルジュ・ヒエムス卿の協力を得られたのだから、隠す必要も無い。
「前に、ルナティエラ嬢の『ジャガイモの聖女様』という称号が、北の辺境では当たり前のように広がっていると伝えましたが……それを利用する作戦を、現在進行中です」
「どのような作戦なのだ?」
王太子殿下がやや前のめりに尋ねる。
どうやら、私たちが水面下で動き出したことを察知していたのだろう。
聞くタイミングを窺っていたようだ。
「まず、北の辺境に移民を受け入れる環境を整えます。これは、タルジュ・ヒエムス卿の協力を得られましたから問題はありません」
「それは喜ばしいが……北は貧しくて寒いイメージが強いから、人が寄りつかないのではないのか?」
「特に、私の国へ来ている難民は、そこに魅力を感じるかしら」
同じ辺境でも環境が違う。
移民先を決めるにしても、イメージが大事だ。
しかも、食糧不足と寒さは生きていく上で大きな問題になる。
それを危惧するナルジェス卿とアーヤリシュカ第一王女殿下の考えは正しい。
「現実問題、今の北の辺境で食糧難に陥ることはないでしょうし、寒さ対策も万全です。移民先にするには、一般的に広まっているイメージを、払拭する必要がある……と、私も考えました」
それはそうだろうと、王太子殿下が頷く。
様々な資料を普段から目にしている彼の事だ、北の辺境の変化を誰よりも知っているはずだ。
しかし、それでもイメージという物が付きまとうのは仕方の無いことである。
「北の辺境にある負のイメージを払拭する何か……誰もが訪れたい、一度は行ってみたいと思える場所のイメージ。それが必要になるのです」
「兄上……それは難しいと……」
「楽園だと言われても、北の極寒では……」
ガイとフェリクスの意見が一般的だ。
平民達が北の辺境に抱くイメージは、『極貧』や『極寒』である。
越冬するのが厳しく、毎回死者を出す。
それは、どの村でも同じだ。
しかし、北の辺境は、その辺りにある村の比では無い。
さすがに無理があると誰もが渋い顔をする中、王太子殿下とクロイツェル侯爵が「なるほど」と納得したように頷く。
やはり、頭の回転が速い人には、私の考えなど容易く見抜くことができるのだ。
「普通は思いついても、畏れ多くてできない。お前にしかできない作戦だ」
「先程の会話から察するに、主体となるのはオーディナル様で、あとは娘の名前を添える……ということですね」
「そういうことです。主神オーディナルとルナティエラ嬢の名を知らない者はいません。そして、好都合なことにパンの実と、この紫の芋。北の辺境の状況。それら全てを活用し、主神オーディナルの加護の元、ルナティエラ嬢の助言が導いた北の楽園というイメージをばらまくのです」
主神オーディナルとルナティエラ嬢の名前を全面に出して北の辺境のイメージを変えれば、グレンドルグ王国の者なら食いつくはずだ。
それほど、我らにとって主神オーディナルは大きすぎる存在なのである。
「まあ、ルナティエラ様とオーディナル様の名前だけではなく、【黎明の守護騎士】が現地に行って手伝っていれば、誰もがその噂を信じるだろうな」
「私にそこまでの影響力があるとは思えんが……。まあ、守り石の原石も北の辺境にあるのだ。そろそろ、王家も人手が欲しいところではないだろうか」
「先回りして、人員確保しようという魂胆か。守り石の話を聞いて、どんなに小さな村でも守り石を設置しようと動いているところだからな」
それが現実の物となれば、黒狼の主ハティの抑止力になることは間違いない。
守り石があれば黒狼の主ハティの邪な力を妨害するだけではなく、結界ほど強力ではなくとも避難場所くらいにはなるはずだ。
「元々は、オーディナル様に見捨てられたと勘違いした者たちが流れていっているのだ。その者たちへ、オーディナル様とルナティエラ嬢、そして【黎明の守護騎士】の名前を使えば、効果は絶大だろう。本来なら反感を買いそうだが、実際にルナティエラ嬢が知恵を貸し、ベオルフが力を貸している。そして、今はこうしてオーディナル様が話を進めてくださるのだ。これ以上の物はない」
王太子殿下の言葉に、私も頷く。
目立つことは避けたいが、そんなことを言っていられない現状だ。
「極寒の地で、食料問題がどれほど厳しいか……。商人なら誰でも知っておりますから、そちらは私にお任せてください」
「はい、もともとマテオさんにお願いするつもりでした。無理の無い範囲でお願いします」
「じゃあ、俺は酒場で情報を広めよう」
「そちらはラハトに任せた。民衆の噂が一番早く広まる」
次々に私の考えを理解して、それぞれが出来る事を提案してくれる。
本当にありがたいことだ。
自ら考えて動ける人たちに助けられ、何とか黒狼の主ハティの野望を阻止できている感覚が強い。
私一人では難しかったが、これなら何とかなりそうだ。
「では、私は社交界ね」
母がニンマリと笑う。
やる気に満ちあふれているのは良いが、少しだけ心配になる。
父にそれとなく忠告しておくか……と考えていたら、元気の良いアーヤリシュカ第一王女殿下の声が響いた。
「私がエスターテ王国担当ね。まあ、任せてよ!」
「アーヤリシュカ第一王女殿下の方は広めすぎない程度でお願いします。そちらの国力を落としたいわけではないので……」
「わかってるって! それに、うちの国は主神オーディナルも大事だけど、月の女神様も大事だからね。見学はしても移住希望者は出ないと思うわ」
「見学は大歓迎です。ルナティエラ嬢の農作物を育てる技法を持って帰ってくれたら、とても豊かになるでしょう」
「それは助かるわ! じゃあ、そこらへんのバランスも取れば良いって話ね」
うふふっと本当に楽しそうに笑うアーヤリシュカ第一王女殿下にも、私は不安を覚える。
うちの女性陣は、何故こんなにもクセがあるのだろうか……。
クセが強い筆頭は間違いなくルナティエラ嬢だが、この二人は明らかに系統が違う。
控えめでお淑やかなクロイツェル侯爵夫人を、少しは見習ってもらいたい。
しかし、そんな彼女たちだからこそ、安心して任せられるのだから仕方が無い……と、諦めの境地だ。
それに、この二人のことを背負うのは、私の役目ではないので、それぞれのパートナーに任せる。
私はルナティエラ嬢だけで精一杯だからな。
着々と準備が整っていくのを感じながら、ルナティエラ嬢へ思いを馳せる。
今晩も会えないのか……。
どうしようもないと判っていても、寂しいものだ。
とりあえず、彼女との時間を邪魔されないよう。会えるようになるまでの間、できるだけ問題を片付けておこう。
今晩はガイの夢へ入り、声の主について調べる――この事に集中しようと、私は意識を切り替えるのであった。
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