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王都の聖域
15.必要とする者に与える恩恵だ
しおりを挟む「オーディナル様、このキッチン。あとで回収しますよね? さすがに騎士団長の執務室にコレがあるのはマズイと思うのですが……」
「勿論回収する。今は、其方達が料理をしやすいよう創りだしたに過ぎん。さて、皆にもパンの実の有用性を知ってもらうべく、腕を振るって貰えるか?」
「お任せください。ね? ベオルフ様」
「まあ……な」
上機嫌で笑っている主神オーディナルに苦笑を返した私は、早速パンの実を手に取り、作業台に中身を出してこね始めたルナティエラ嬢を見る。
料理のことになると周囲が見えなくなるのは相変わらずだ。
貴族の子女が料理をするなど考えられない我が国の常識を、すっかりと忘れてしまっている。
あちらへ行ってから、リュートの食べるもの全てをまかなってきたのだから、当然と言えば当然なのだが……
「んー……これくらいの柔らかさなら、もう少し小麦粉を足した方が良いかもしれませんね。硬さは耳たぶくらいが良いのです」
「ふむ……これくらいか」
「……何故私の耳たぶで判断しているのでしょう」
むっと唇を突き出して不満を露わにするが、彼女の手は粉まみれで、私の耳たぶを掴むことは出来ない。
粉まみれになることなど配慮しなければ良いのだが、そういうところが彼女らしくて笑みがこぼれる。
「とりあえず、ピザを作ります。この生地を麺棒で伸ばしていきましょう。ピザ生地は薄ければパリッとした生地と具材の味が楽しめて、パン生地を厚くすると生地がもちっとして食べ応えのある感じに仕上がります」
「ふむ……厚みによって食感が変わるのだな?」
「そうなのです。それに、このパンの実は発酵したあとの生地と大差ありません。ですから、このまま整えて形を作っただけでも何とかなります。木の実だからか、熟成度合いで生地の状態が多少変わるのかもしれません。もし生地が緩すぎると感じたら、粉を足せば良いだけですね」
彼女が持つスキルのせいか、実物のパンの実を手に取って料理するにしては、妙に的確な答えが返ってくる。
夢の世界と現実世界で多少違いがあったのは、その点なのだろう。
私はあまり気にならなかったが、さすがはルナティエラ嬢。
料理のことになると細かい。
「なるほど。慣れない人にも扱いやすいな」
「その通りです! ピザ生地の場合は、二次発酵をしなくても何とかなります。忙しい時には丁度良いですね。あ、注意事項として、この生地は膨らんだら困るので、フォークで穴をプスプスあけておいてください」
「ふむ。タルトと同じか」
私の言葉を聞いたルナティエラ嬢は、驚いたように私を見上げる。
何だ? と視線で問いかけてみると、私が作り方をシッカリ覚えていたことに驚いたようだ。
記憶力は良い方なのだが?
「あと、何故ピザにしたのかというと……余っている食材を具材にできる点が大きいですね。ソースを作れるなら良いのですが、それが無くても美味しくいただけます。オリーブオイルに塩コショウをしてキノコをトッピングして、チーズを散らすだけでも味わい深くて美味しいですよ」
説明をしながらも、手を止めることは無い。
彼女の流れるような動きに、全員の目が釘付けになっている。
それほど、洗練された無駄の無い動きであった。
「ベオルフ様に教えたハーブソルトで味付けするのが一番お手軽かもしれません。あと、ジャガイモをトッピングしても美味しいです。ベーコンとジャガイモとチーズなんて、ハズレのない組み合わせですしね」
「確かにな」
ルナティエラ嬢の読み上げるレシピを時空神がレシピとして書き記す。
それを主神オーディナルが確認して満足げに頷いていた。
さすが、普段からハルキの手伝いをしているだけあって、時空神は判っている。
「あ、普通にパン生地にチーズや具材を混ぜ込んだり、包み込んだりして焼くのも良いですよ? 塩気だけではなく甘い系もいけます」
「アレンジ出来る幅が広いということだな」
「その土地で手に入る新鮮な食材を使うのが良いです。まずは、栄養をしっかり補給すること。そして、睡眠。あとは、清潔にしていれば風邪も寄りつかなくなります。余裕を持って食べられるようになれば、また違った問題が出てきますが……今は食事を充実させることが先決ですね」
「ふむ……そうだな。1日一食というのもザラな村が多いだろうからな」
「パンの実は、その食糧難を解決してくれるはずです。オーディナル様、パンの実を増やすことは簡単にできそうですか?」
「熟しきったパンの実を地面に植えれば良い。1ヶ月もしないうちに立派な実をつけるだろう」
それは成長が早すぎるのでは無いか?
ヘタをすれば、増えすぎる予感しかしない。
思わず主神オーディナルを見るが、かの神は首を緩やかに振る。
「落ちた実が地面に転がっただけでは増えん。人の手で植えてこそ発芽する。必要とする者に与える恩恵だ」
「なるほど……」
「地面を掘るにしても、かなり大きな穴が必要になりますものね」
「そうなのだ。僕の愛し子はよく判っているな」
ニコニコとルナティエラ嬢の言葉に頷いている主神オーディナルには威厳の欠片も無い。
二人のやり取りだけ見ていれば、単なる子煩悩な父である。
その姿に私は呆れてしまうが、他の者たちは畏怖の念を持って見ていた。
まあ……考え方を変えれば、ルナティエラ嬢に何かあった場合、主神オーディナルが間違いなく暴れるという事実を前にしているような状態なのだ。
心穏やかにしていられない国のトップたちを横目に見る。
父達がヘタな事をするとは思えないが、あの時、リュートの召喚が無ければどうなっていたか……考えるだけで震えてしまうのも仕方が無い。
「ルナティエラ嬢、ピザのトッピングは何でも良いと言ったが、チーズもか?」
「熱でとろける系なら、なんでも構いません。もう、そこは好みの問題ですね」
「ふむ……なるほどな。ちなみにルナティエラ嬢がオススメするトッピングは?」
「んー……難しいですねぇ……トマトとハーブソルトを煮込んだソースにチーズとバジルというシンプルなピザも好きですが、チーズに蜂蜜という甘い系も美味しいですし……やっぱり、難しいですね」
「貴女は本当に蜂蜜が好きだな」
「……ま、まあ……これは、仕方ないのです」
ん?
なんだ、その微妙な反応は。
気になって彼女を見つめていると、ルナティエラ嬢は小さく呻き、観念したように呟く。
「苦い薬を飲んだ時に、ベオルフ様がご褒美でくれたから……好きなだけですよ」
「ん? 毒を盛られた時の話か?」
「そうなのです……アレがあったから、口から何かを摂取するのが怖くても、薬だけは飲めたのです」
「……そうか。本来は食いしん坊なのに、食べられないのは辛かったな」
「わ、私はそこまで食いしん坊ではありませんよっ!?」
「とんでもない食いしん坊を知っているから、そう思うだけだ。ルナティエラ嬢も十分素質がある」
軽口をたたき合う私たちの会話を聞きながら、クロイツェル侯爵夫妻の顔色が悪くなった事に気づき、もしかして……と私は呟く。
「報せが行っていなかったのですか?」
「知りませんでした……」
クロイツェル侯爵が若干震える声で、そう返答した。
まあ……予想通りの答えだ。
「そんなことをするのが誰か……考えなくても判りますが……」
「私を孤立させるのに夢中だったみたいですしねぇ」
「んむぅ……ルナの毒殺は、何度か試されているようだしな」
過去を見てきた紫黒の言葉に、私たちは同時に溜め息をつく。
「私に死んで欲しかったみたいですし、色々試す実験台にされていたところもありますから、今後は……仕返しをしてやりたいなぁ……と! 【深紅の茶葉】も、私に飲ませていたようですし……私自身、『浄化』の力が強かったので悪影響は出ていませんが……」
「アレだけは根絶しないといけないな」
「いずれ、魔物のことも知られそうですし……対策はシッカリしないとですね」
「そうだな。魔物に関してはルナティエラ嬢の方が詳しいだろう?」
「私よりも時空神様のほうが詳しいのではないでしょうか」
「んー? 俺は一般的な事しか知らないよ。その手の専門家の側にいるんだから、ルナちゃんは勉強がてら情報収集をしたらどうかな」
「それもアリですね!」
時空神に元気よく返事をするルナティエラ嬢を見ながら、私は彼女の手元へ視線を落とす。
話をしながら動いていた手は、頭と切り離されているかのごとく、ひたすらにピザを作り続けている。
「ところで……ルナティエラ嬢。いくつ作るつもりだ?」
「え?」
「さすがに、その数は……ここのメンバーで食べても余りあるぞ」
「し、しまった! いつものクセで!」
大食漢のリュートの色々な物を支えているだけあって、彼女は無意識に大量の料理を作るクセがついてしまったようだ。
すでに、完成したピザは十枚を超えている。
一人一枚渡すつもりだったのだろうか……かなりサイズが大きいのだが?
「あ、余ったら、ベオルフ様が食べてください」
「いや……私は自分で作れる。ルナティエラ嬢の家族に託すべきではないか?」
私の言葉に、ルナティエラ嬢とクロイツェル侯爵夫妻が肩を振るわせた。
暫くは、こうして間に入ってやらなければならないのだろう。
だが、それで互いの笑顔が増えるのなら容易い事だ。
小さな声で「ほら」とルナティエラ嬢を促す。
「あ……えっと……わ、私が作った物で……お口に合うかわかりませんが……美味しいと思えたら、遠慮無く持って帰ってください」
「ああ、それはとても楽しみだ」
「ありがとうルナ。味わって食べさせていただくわね」
「……わ、私……料理は得意なんです。だから……えっと……こ、これも、どうぞ。ハーブは適量摂取すると体に良いのです。フェリクスの体にも良いと思いますから、料理に使ってください」
遠慮がちに取り出したのは、彼女特製のハーブソルトだ。
粉まみれの手で触れたから真っ白になっている。
しかし、その小瓶が大切な宝物だとでも言うかのように、クロイツェル侯爵夫人は両手で包み込む。
「ありがとう……ルナ。フェリクスも喜ぶわ」
「ありがとうございます。お姉様」
礼を言うフェリクスに目を細め、その後にルナティエラ嬢へ向ける慈愛に満ちた柔らかな微笑は、彼女と同じあたたかさを感じさせる。
やはり母子なのだ。
こうして見ると、二人はとても似ていた。
ただ、クロイツェル侯爵夫人は薄幸な美人という印象を受けるのに対し、ルナティエラ嬢はお転婆娘そのものだ。
しかし……これも、今だからそういう感想を抱けるのだろう。
自分が丹精込めて作った物を、両親に喜んで受け取って貰えた。
その事実が、ルナティエラ嬢にどのような衝撃を与えたのか判らない。
だが、きっと……喜んでいるはずだと、彼女をただ静かに見つめる。
ルナティエラ嬢はというと、暫く自分の手と母の手の中にある小瓶を交互に見ていたかと思いきや、次の瞬間には無邪気な子供のような笑みを浮かべ、どこか誇らしげに私を見上げた。
これは、失われた時間を取り戻すのに必要な事なのだ――と、彼女の笑顔を見て悟った。
人から見れば些細な事だろう。
しかし、この小さな積み重ねが、ルナティエラ嬢の大きな何かに繋がると、私はこのとき強く感じたのである。
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