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王都の聖域
7.時間をかけてでも修復していく方が健全だ
しおりを挟む私の手のひらにおさまっている白い毛玉は、フルフル震えていたかと思ったら、いきなり「くちゅんっ」と、何とも可愛らしいくしゃみをした。
そのおかげで我に返った私は、慌てて彼女の体を手で包み込む。
「もしかして、寒いのか?」
「うぅ……なんだか冷えますねぇ……」
ふにゃふにゃと頼りない声で、そう言った彼女は、普段よりも羽毛を膨らませて動くつもりも無いようだ。
目を閉じたまま、未だうつらうつらとしている状態である。
今まで眠っていた……こんな時間に?
規則正しい学生生活を送っているはずのルナティエラ嬢にしては珍しい。
もしかして――
「体調が良くないのか?」
「すこーし……」
そういう時は、かなり悪いのだと知っていた私は、手では間に合っていないと確信し、無言で彼女を外套で包み込んで懐へ抱え込む。
普段なら笑って誤魔化すが、自己申告してくるときは危険だ。
頭が回っていないのは寝起きだからと言うだけではないだろう。
「それなら何故来たのだ。本体が移動していなくとも、辛いのは変わらないだろうに」
「むぅ……大丈夫なのです……あと、2、3日もすれば治るので……」
「絶対とは言い切れんだろう」
「いいえ、言い切れる具合の悪さなので……」
意味が判らんと呟いた私に対し、彼女は何が可笑しいのかクスクス笑っている。
他人がいるときに、ここまで無防備になる彼女では無い。
おそらく、周囲に人がいることを理解していないのだ。
寝ぼけているテンションなのは判るが、ここまで周囲の気配に鈍い事は今まで無かった。
それだけで、かなり体調が悪いのだと理解することができる。
「心配しなくても、期間限定の体調不良なんですよ……女性には色々あって……大変なのですよぉ」
目を閉じたまま、ふにゃふにゃと話をしている彼女は、半分眠っている状態だ。
もしかしたら……これはこれで良いかもしれない。
普段なら聞けないことも、今の彼女なら警戒すること無く話してくれそうだ。
ルナティエラ嬢が目を閉じているので、これなら気づかれないだろうと考え、私は唇に指を当て全員に「静かにしておいてくれ」と伝える。
かろうじて理解したのか、それとも、白い毛玉がルナティエラ嬢だと信じられないのか、主神オーディナルたちや王太子殿下以外は困惑した様子で固まったままだ。
「大丈夫なのですよぉ……健康体になってきたから現れた症状なので、心配しないでください」
「健康体だから?」
「本来は毎月あるものなのです。でも、今までは栄養不足で……止まっていたんですよねぇ……美味しい物をいっぱい食べ過ぎたおかげで、元気になってきた証拠です」
「そうなのか?」
静かに尋ねると、そこで初めて彼女はぼんやりした眼で私を見つめた。
つぶらな瞳は、どこか悲しげに揺れる。
「……今までは、ベオルフ様が私の命を繋いでくれておりました。何時死んでもおかしくない状態だったけど、定期的に私に力を分け与えることで、何とか生きていました。感謝しております」
「気にしなくて良い。当たり前のことをしただけだ」
「ベオルフ様が当たり前だと思ってやってくれたことを、私は呪いのせいで……セルフィス殿下がしてくれていたと記憶を改ざんされておりました……最近、それを唐突に思い出すのです」
彼女の言葉の内容が衝撃的であったのだろう。
国王陛下は唇を噛みしめて弱々しく首を横に振って視線を下へ落としてしまった。
それを、宰相殿が慰めているが、あまり効果は無いようだ。
「別段……思い出さなくても良いのだがな」
「どうしてですか? 記憶が改ざんされて……嫌ではないですか? ベオルフ様が善意でしていたことを、横取りされていたのですよ?」
「些細なことだ。過去の事だし、これからも共にいるのに何か問題があるのかと問われたら、全く影響がない。それに、卒業パーティー以降に起こった出来事が現実離れしすぎていて、そんな些細なことを気にしている暇が無い」
「些細な事……ですか?」
「些細な事だろう? 私が過去にしてきたことを数え上げるより、これから共に過ごしていく記憶や時間のほうが大切だ」
「確かに……そうかもしれませんね」
あの卒業パーティー以降、私たちの生活は一変した。
当たり前に来るはずだった未来とは全く違う形で、今を送っている。
彼女は【オーディナルの愛し子】や【リュートの召喚獣】としての生活を送り、私は【黎明の守護騎士】として黒狼の主ハティと対峙しているのだ。
学生だった私たちに、そんなことが予想できただろうか。
過去は過去だ。
それに対し、感謝をして欲しいわけではない。
そのことで今悲しむようなら、忘れたままで良いとさえ思う。
こうして側に居て、笑ってくれるのが一番なのだから――
「アイタタ……」
「本当に大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫……だいじょーぶ……です……体を冷やしてはいけないのです。だから、私を労ってぬくぬくにしておいてくださいね?」
「ふむ……こうか?」
「えへへー、もっと甘えさせてくれても良いのですよ?」
そろそろ頭も動き始めたのだろう。
楽しそうに笑いながら両方の翼をパッと広げる彼女へ、仕方がないとばかりに顔を寄せると、嬉しそうに抱きついてくる。
小鳥が嬉しそうにはしゃいでいる姿は和むのだが、これは……色々と後が大変そうだ。
チラリと見た王太子殿下は額を押さえているし、父と母はポカンとしている。
ガイは何故か目を輝かせて凝視しているし、仲間達は息を殺して見て見ぬ振りだ。
その中で、クロイツェル侯爵夫妻だけは目の前にいる小鳥が、未だルナティエラ嬢だと信じられないのだろう。
震える唇を手で覆い、固唾を呑んで見守っている。
フェリクスはというと、ルナティエラ嬢の言葉を聞き漏らさずに記憶しようとでもしているのか、真剣な眼差しを此方へ向けていた。
主神オーディナルと時空神は見慣れたいつものやり取りなので微笑ましく見ているだけだし、ノエルは紫黒を頭に乗せたまま、護衛の二人が変な声を出さないように威嚇している真っ最中である。
私の背後にいるラハトとマテオさんはというと、私とルナティエラ嬢を止める事なく、言葉を挟むこと無く見守っていた。
「今日は甘えただな」
「病気になると甘えん坊になると言うではありませんか」
「あー……確かに」
「何を思いだしたのですか?」
「いや、ルナティエラ嬢は、その傾向が顕著だと思っただけだ」
「むぅ……ベオルフ様以外に、こんなワガママを言いませんよ?」
それはそれで、リュートが聞いたら落ち込むかも知れないと考えながら、ルナティエラ嬢をチラリと見る。
外套でくるんでいるから他は見えづらいのだろうが、ここまで私しか感知していないというのも面白い。
からかいたくなる気持ちを堪えて、とりあえずは、先ほど話題になっていた答えを持っている彼女へ問いかけることにした。
「そうだ、ルナティエラ嬢に聞きたいことがあったのだが、良いだろうか」
「なんでしょう」
「クロイツェル侯爵夫妻とフェリクスのことなのだが……」
「あー、そのことですか。もしかして、何か問題でも?」
「いや……どうして、フェリクスをクロイツェル侯爵夫妻に任せようと思ったのか、直接確認したくてな」
なるほど……と、納得した彼女は小さな体を得意げに膨らませ、説明を開始してくれた。
「合理的に考えて、良い手段だと思ったのと……最近、ちょっとしたすれ違いで深い溝が出来てしまった家族を見ていたから……少し……私自身のことも考えていたんです」
「ふむ……すれ違いで深い溝……か」
「はい。その家族は、互いに思い合った結果、すれ違って互いに距離を取っていました。側で見ていればわかるのですが、とても歯がゆく感じてしまいました。ベオルフ様も……私と両親に同じ物を感じているのでは無いかと思いました」
「まあ……そうだな」
「正直に言えば、私たちも互いの事を考えた結果、こうなったのかもしれない。でも、それだけで片付けるには……あまりにも、お互いが傷つきすぎました」
彼女のその言葉を聞いて、私は良い傾向だと思った。
ルナティエラ嬢は、この件で両親も傷ついたのだと、ちゃんと理解している。
それなら、誰かが口を出さなくても、未来は明るい方へ向かうだろう。
正常に戻った彼女であれば、わかることだとは思っていたが……意外と早かった。
「両親にも事情があったのは理解しております。しかし、ベオルフ様がいなければ確実に死んでいた……それを、無かったことにはできません。私の中で折り合いをつけるのに、まだ時間が必要だと思います。我ながら心が狭いと感じますが……」
「そんなことはあるまい。むしろ、そこで簡単に許す方が私は信用できん。無理をして心を抑え込めば歪みが生まれる。時間をかけてでも修復していく方が健全だ」
「……そうですか?」
「恨んではいないのだろう?」
「恨むだなんて、そんな……私の事を考えて、仕方なくしたことだと……頭では理解しております。でも……思い出すと怖いのです……無い者として扱われる恐ろしさが……まだ残っていて……すみません」
「それは、謝罪するようなことではない。早急に解決しようと考えなくて良いのだ。頭でわかっているのなら、いずれ心もついてくる。時間はかかるだろうが、大丈夫だ。そのために、私がいるのだからな」
「そう……ですね。良かった……」
彼女から小さく漏れた安堵の言葉を聞いた私は、安心して良いと教えるために優しく撫でる。
沢山考えたのだろう。
大人げないと自らを責めた日もあるかもしれない。
それでも、彼女は彼女なりに、一つの答えを出したのだ。
今はまだわだかまりはあるが、いつかは許せるようになりたい。そのための一歩を踏み出すのだと――
「いつか……素直に話せる日が来ると思います。私だけでは無く、両親にも時間は必要でしょう。穏やかに過ごしていれば、いずれそんな日も来るはずですが……その平穏を脅かす者がいます」
「黒狼の主ハティだな」
「はい。野放しにはしておけません。クロイツェル侯爵夫妻は、私が戻らないことで後継者を探さなくてはならなくなりました。身元がシッカリとしていて、黒狼の主ハティの危険性を知り、あちら側には絶対に囚われない人物が望ましいと考えました」
ルナティエラ嬢の雰囲気が一変した。
周囲もそれに気づいたらしく、ハッとした表情で彼女を――白い小鳥を見つめる。
私や主神オーディナルたちは慣れているが、他の者にとっては衝撃的であっただろう。
ルナティエラ嬢が本気になった時は、誰もが驚く知識や考えを披露してくれるのだ。
「ヘタな人では、黒狼の主ハティにつけ込まれます。口が上手い上に、立ち回りも上手です。おそらく、貴族内でも相当上手に動いていると思われます。ベオルフ様は初心者なので、そこは太刀打ちできませんし……」
「まあな……否定はしない」
「良いですか? 貴族間のトラブルは、フルーネフェルト卿か王太子殿下にお願いしてください。ベオルフ様が単体で動かないことです。今現在、後手に回る可能性があるのは、その点のみなのですからね?」
「うむ……判った。なるほどな……そういう理由もあって、フェリクスを選んだのか」
そういうと、彼女は軽く首を振る。
「それだけではありません。フェリクスにも保護が必要です。屋敷を聖域化しているのであれば、暫く滞在していたら体調は戻るでしょうが、平民なので客人扱いも難しいですし、関係性が薄すぎると休養期間中に追い出される可能性もあります。そういう作戦を練るのを、黒狼の主ハティは得意としているのですから、警戒して対策しておきたかったのです。ラルムが命がけで開いた道なのですから、潰すわけにはいきませんもの」
「そうだな……つまり、どちらにとっても良い条件だから、引き合わせて養子に取ろうということか」
「できれば、互いの意志を尊重して、こういうことは決めて欲しかったのですが……遅くなればなるほど危険です」
ルナティエラ嬢がここまで黒狼の主ハティを危険視しているのは、私がおろそかにしている社交界での立ち回りを理解しているからなのだろう。
だから、彼女は急いだのだ。
後手に回れば、守れなくなる。
大切な人たちを守るために、恨まれる覚悟を持って手紙をしたためたのだと今気づいた。
「私の名前が大きくなりすぎました……後継者になり、私の兄弟だということで名を悪用しようとする者も出てくるはずです。それを回避したい……父と母を守るためには、それがどうしても必要なのです。それに……フェリクスは病弱で、誰かの庇護が必要なのです。ずっと、ベオルフ様が側にいるわけにはいかないでしょう?」
「暫くは王都にいるが……先は見えないからな」
「その点、お父様とお母様はとても良い人たちです。私に出来なかったことを、フェリクスにしてくれるはず……フェリクスも、ラルムに甘えられなかった分、私の両親に甘えられたら良いな……って……そう考えたのです」
難しいことを言ったけれども、それが本音ですよ――と、少しだけ寂しげに笑うルナティエラ嬢を包み込み「そうか……」と呟いた。
本当は、彼女が一番欲しかったものだ。
「ルナティエラ嬢も甘えたかっただろうに……」
「私は良いのです。こうして、ベオルフ様が甘やかしてくださいますし、オーディナル様も甘々ですし! 時空神様やノエルや紫黒、真白もいます。それに……私は今、あちらで沢山の人たちに囲まれて、とても幸せなんですよ? 大好きな料理を作って、美味しいって食べて貰える。それだけでも幸せなのに、毎日たくさんの人と交流をして、ワイワイ騒いでおります」
「はしゃぎすぎて転けないようにな」
「もう! 私はそこまで……あ、いえ……まあ……うん……気をつけます」
「なんだ、もうやらかしたあとか」
「やってませんー!」
「えー? ルナ、転けちゃったのー?」
「怪我は無いか?」
「ノエルと紫黒もいたのですか? それにしては、やけに静かだったような……」
ハテ? と、彼女は首を傾げて私を見つめ――背後を見た。
「は? え……あの……ど、どちら様……ですか? あ、此方は、マテオさんですよね……? あれ? い、いつもの……場所……で……は?」
「彼はラハトだ。私の従者をしてくれている」
「ラハト……ああ、彼が! えっと、ベオルフ様が色々と迷惑をかけると思いますが、これからもよろしくお願いいたしますね」
「あ、はい、此方こそ……いや、でも……あの……ルナティエラ様? えーと……本当にルナティエラ様なのですよね?」
「はい! あ、これは指輪の力を使って小鳥になっているのです。省エネモードというやつですね。人間の体では消耗が激しいので……」
そこまで説明した彼女は、はたと我に返り、私を凝視する。
「ベオルフ様……ここは……どこでしょう」
「父の執務室だな」
「……父の? アルベニーリ騎士団長の……執務室?」
「そうだ」
ルナティエラ嬢は小さくプルプル震えていたかと思うと、恐る恐る後ろを振り返り見て「ぴゅあっ!?」と、どこから声を出したのか問いたくなるような奇妙な悲鳴を上げて、私の懐へ飛び込んだ。
懐へ潜り込み、プルプル震える彼女に私は堪えきれず、とうとう吹き出してしまった。
肩を振るわせながら声を出して笑う姿にポカンとしていた彼女であったが、笑うのを辞めない私に業を煮やしたのか、ルナティエラ嬢は涙目で抗議を開始する。
「どうして先に教えてくださらなかったのですか!? 先ず、真っ先に教えることですよねっ!?」
「いや、すまん……クククッ……申し訳……ないっ」
「全然申し訳ないと思っていないですよねっ!? ベオルフ様のバカバカバカバカー!」
「悪かった……ゆるっ……ダメだっ……いや、思った以上に良い反応で……ついっ……」
口元を押さえて笑う私に、ルナティエラ嬢は「もうもうもう!」と言いながら、翼でペチペチ叩いてくるのだが、それすら可愛らしいのに可笑しくて仕方が無い。
「……ツボったか?」
「そのようですねぇ……珍しいこともあるものです」
「こうして見ると、年相応って感じだな」
背後の二人が好き勝手を言っているが気にならない。
笑う私と怒るルナティエラ嬢。
私たちの楽しげな様子にノエルと紫黒はテンションが高くなったのか、私たちに飛びついてくる。
それでも笑いは止まること無く、暫くルナティエラ嬢の文句を聞きながら懐にいる愛しい存在を包み込み、心ゆくまで癒やされるのであった。
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