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悪夢の始まり
6.懺悔も後悔も泣き言も全てが終わってからだ
しおりを挟む軋む扉を内側から開き、ようやく外へ出た私たちは、切り立った山や谷の目立つ風の谷へ到着したようであった。
赤茶けた土、乾いた風。
どれもこれもが、先ほどまで見ていた景色とは違い、全く別世界に来た気分だ。
少し離れた場所に風車の小屋がいくつか見える。
あの風車のある場所がピスタ村なのだろう。
「……おかしいな。やけに静かだ」
全員が外へ出られたことに安堵している中、ラルムの呟く声に嫌な物を感じた。
まさか――
一瞬、脳裏を過った最悪な考えを打ち消したいのに、妙な胸騒ぎを覚える。
そうだ……相手は、あの黒狼の主ハティだ。
私たちが来ると予想して張り巡らされていた罠だけで済むはずがない。
村にも何か異変が起きていると考える方が自然だろう。
私の目をジッと見ていたラルムの顔色が次第に悪くなっていく。
彼も、その可能性に気づいたのだ。
「冗談……だろ!」
それだけ言うと、ラルムは走り出した。
岩肌伝いにある細い道を勢いよく駆けていく。
一歩間違えれば谷底だというのに、全く恐れず走る姿に全員が緊急事態なのだと悟った。
ラルムの後を追い、無言で走る。
彼ほど早く走れずとも、置いて行かれないように必死に追いかけるが、距離は離される一方だ。
その間にも、近づいてくる村へ視線をやるが、何の動きも無い。
そろそろ夕食の準備に取りかかっていてもおかしくない時間帯なのに、煙が一筋も見えないのだ。
「このニオイは……」
このときばかりは、風のせいだと思いたかった。
風に乗って、ある匂いが届くまでは誰もがそう祈っていたに違いない。
「ベオ……これって……」
「……間違い無い。血のニオイだ……」
自然と走る速度が上がる。
村の入り口付近にさしかかったとき、人影が見えた。
粗末な柵にもたれかかるようにして小さな子供を抱える老人の姿に、ラルムが飛びついた。
「村長!」
「……ああ……ラルム……何故戻って……きた……にげ……なさい」
「何が……何があったんだ!」
「村で飼っている……牛が……人を……襲い始めて……」
息も絶え絶えに語る血まみれの村長の側に跪く。
彼が守るように抱えている幼子は、既に事切れていた。
体が真っ赤に染まり、村長の血なのか、幼子の血なのかわからない。
村長も致命傷を受けており、「マナがここまで壊れていたら……もう……」と呟いたノエルが首を横に振る。
残された時間はあとわずかだ。
村長とラルムの会話を邪魔しないように立ち上がった私は、村の出入り口に立つ。
そこから見える光景は、言葉に出来ないほど凄惨であった。
子供を守る母、家族を守ろうと農具を握ったまま亡くなっている男。
生きている者の気配は無く、むせかえるような血のニオイに溢れる死の世界だ。
「ラルム……お前の弟は……無事かも……しれん。村から離れた……場所に……家が……あるのが……良かった。た、助けに行って……お前達だけでも……逃げ……っ」
「村長……ダメだ、すぐに助けるから、もう喋るなよ!」
「親のいない……お前達を……本当の息子のよう……に……」
「やめろ! 最期みたいなこと言うなよ、せっかく帰ってきたんだから、帰ってきたら一緒に酒を飲む約束をしていただろ? 旨い酒を買ってきたんだ……だから……だから、親父! 死ぬなっ!」
ラルムの悲痛な叫びが聞こえた。
何度も拳を地面に叩きつける音がする。
村長の死とともに流れる力を感じ、そちらへ視線を向けると、村には不釣り合いな禍々しい気配を放つ物がそこにはあった。
村の中央にある漆黒の結晶――
それがどういうものか、説明されなくてもわかる。
私は無言で長槍を出現させると、大きく振りかぶった。
全身の力をこめて投げつけた長槍は、禍々しい結晶を目指して真っ直ぐに飛んでいく。
バキッという音と共に、それは砕け散り、ため込んでいただろう力を解放した。
「この村の人々の命を……貴様の好きにはさせん」
静かな怒りが腹の底へ溜まっていく。
目の前が真っ赤になりそうな怒りを内包し、それを力へ変換する。
大きな音を聞きつけ、何かが集まり始めた。
姿を現したのは、血に濡れた黒い牛。
異様に角が発達していて、目が赤く光っているようにも見える。
明らかに異質だ。
坑道にいた蜘蛛の魔物と同類だと判断して、私は未だ哀しみに打ちひしがれるラルムに声をかけた。
「ラルム……お前は弟を助けに行け」
「ベオルフ……」
「弟だけでも、必ず助け出せ。ここは私が一人でなんとかしてみせる。道中も危険だから、ノエル、一緒に弟を助けに行ってやってくれ」
「わかった!」
「私も残るから、全員で行くと良い。念のために守りの術をかけておく。目的地まで一直線に走れば間に合うはずだ」
私の肩に紫黒がとまったのを確認してから、顔だけを背後へ向ける。
力なく立ち上がるラルムの左頬は赤い血で濡れていた。
村長の手のあとだとすぐに理解し、どれほど深い繋がりのあった人物だったかを悟る。
血のつながりがなくても、親子だったのだ。
ラルムの心を思えば存分に泣かせてやりたいが……それは今では無い。
だからこそ、ラルムに強く言った。
「お前に出来ることに集中しろ! 懺悔も後悔も泣き言も全てが終わってからだ! お前の弟を助けるのだろっ!? シッカリしろ!」
私の叱咤にラルムは唇を噛みしめて乱暴に袖口で目元を拭う。
ここで泣いている暇はないと理解したのだろう。
グッと全ての感情を押し殺して顔を上げる。
「村から少し離れた場所に……あの風車の近くに家がある。あの場所まで一気に駆け抜けるから……フォローを頼んだ」
「任せておけ」
「我々も後に続く。後ろは気にせず走り抜けろ」
ナルジェス卿がそう言って、ラルムの背中をバンッと力強く叩く。
「我々も、同行します。姫様は……」
「行くに決まってんでしょ! 一人でも多い方が良いわ。ベオルフの方は大丈夫よね?」
「此方は気にしないでください。私と紫黒で対処します」
「任せたわ。必ず弟さんを助けてくるから……お願いね」
アーヤリシュカ第一王女殿下は腰にある短剣を確かめて、前を見据える。
戦う気だろうが、ラルムとナルジェス卿と護衛の二人がいるのだから、出番はなさそうだ。
なにより、ノエルがいる。
異形の牛が突っ込んでこようとも、ノエルがいれば滅多なことにはならないだろう。
「私も同行します。傷薬などの薬も持っていますから」
マテオさんは荷物を背負い直し、靴紐を固く結んだ。
主神オーディナルの力が宿る外套を身につけている彼が同行するのも有り難い。
こんな異常事態でも冷静な判断を下せるマテオさんがいれば、ラルムが道半ばで心が折れることは無いはずだ。
話はまとまり、私は彼らの道を切り開くために、左手にある盾を大盾へと変形させていく。
大盾と長槍――このスタイルなら、力の強い牛型の魔物にも引けを取らないだろう。
本来なら超重量級の装備だが、主神オーディナルが手を加えてくれた武具なので、ほとんど重さを感じない。
「行くぞ!」
号令をかけると共に勢いよく走り出す。
一般的な牛よりも二回り大きな黒い牛を大盾で弾き飛ばし、もう一頭には長槍をくれてやる。
狂ったような叫びが更に牛型の魔物を集めてしまう。
しかし、この状況も読んでいた私はノエルに目配せをする。
意味を理解したノエルは目を爛々と輝かせて一気に先頭へ躍り出た。
「みんな目を閉じてー!」
ノエルの合図と共に、凄まじい光が炸裂する。
訓練されていた護衛達は完璧な動きでノエルの光を避け、私が攻撃した牛の後ろに居た二頭の足を狙って攻撃した。
怒りのままに暴れようとしていた巨体が、ガクンッと前のめりに地面へ転がる。
足の筋を切ったのだろう。
それでも暴れる黒い牛は、異様に発達した角を此方へ向けてきた。
あんな鋭い角に刺されたらひとたまりもない。
おそらく、この村に住む者たちでは為す術も無かっただろう。
「足も速いし、力も強いし……何なんだよ、この牛!」
護衛の二人から悲鳴のような声が上がる。
それは、誰もが感じていることであった。
「ノエル!」
「わかってるー! ラルム、いくよー!」
無言のまま、ラルムが私の横を駆け抜けていく。
「必ず助けろ!」
私の声に彼は一瞬だけ速度を落とし、右腕を天高く突き上げる。
よし……大丈夫だな。
今は余計なことを考えている暇などないはずだ。
助けられる命が目の前にあるのだから、全力を出し切れと心の中でエールを送る。
「酷い有様だな……」
むせかえる血のニオイだけではなく、命を失った骸を見た紫黒は目を伏せる。
「そうだな。だからこそ……こいつらをここで始末しなくてはならない」
「内側から結界を張って、一頭も逃さないように閉じ込めよう」
「任せた……調査は、この異形の猛牛を全て片付けてからだ!」
私は長槍を右手に、盾を構える。
盾でいなし、長槍を急所に突き立て、一頭ずつ確実に仕留めていく。
おそらく主神オーディナルが改良した武具でなければ、一瞬で勝負がついていただろう。
それほどの威力を持った一撃を真正面から受けとめるのは悪手だ。
いなしているだけでも腕が痺れるほどの衝撃を受ける。
それなのに、傷一つつかない武具には舌を巻くしかない。
「数が多いな……」
「すまない。あちらへ意識が向かないように力を使ったから、ベオルフに集まってしまった」
「問題ない……いや、好都合だ!」
あちらへこの数が集まっていたらと思うだけでもゾッとする。
戦っている間にも進化をしているのか、牛たちの蹄や角が異様な形へ変化していく。
「蜘蛛の次は牛の魔物とは……本当に趣味が悪いな」
「ベオルフ……大丈夫か?」
「全く問題ない。むしろ……生ぬるいくらいだ」
「……そ、そうか?」
「紫黒……危ないから、少し離れた場所に避難していた方が良い」
「無理をしていないか?」
「そんなことをしたら、ルナティエラ嬢に怒られてしまう」
私の返答を聞いた紫黒は、一瞬間を置いてから「そうだな」と笑って私の肩から近くの樹木へ移動した。
どうやら、私がルナティエラ嬢の事を話題に上げるほど冷静なのだと知って、安心したようだ。
紫黒が心配になるのもわかる。
私の内包した怒りは、力へ変換されていた。
灼熱の太陽を思わせるような、苛烈で鮮烈な光となり、それは盾と長槍に宿っている。
地上に落ちた太陽のようだ――
まるで人ごとのように考えながらも、迷うことなく長槍を横へ払う。
肉の焼けるようなニオイと血のニオイ、そして、耳を塞ぎたくなるような異質な声。
その叫び声を聞いた者を呪うような……人では絶対に表現できない声を上げて、牛型の魔物が消滅していく。
地面に落ちる核だけが、その場に魔物がいたのだと証明しているようであった。
「さあ、次はどうした……お前達は私から逃れられんのだから、一気にかかってこい! 一頭残らず殲滅してやろう!」
本能的な恐れから後退りする牛型の魔物を睨みつけ、私は宣言した。
一方的に圧倒的な力を振るわれ、無慈悲に命を奪われる恐怖を、貴様らにも植え付けてやろう。
大きく息を吸って、辺りの空気を震わせるように吼える。
気合いの入った一閃が牛型の魔物の命を奪い去るのに、そう時間はかからなかった。
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