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悪夢の始まり
4.この世界ではあり得ない
しおりを挟む太陽神の印に導かれ進む通路は、元々は鉱石を掘るために作られた坑道であったらしい。
しかし、採掘量が少なく、すぐに廃れてしまったそうだ。
それを、ピスタ村の者たちが抜け道として再利用しはじめたという話であった。
かなり昔の話であったため、周辺にある村や町の人も覚えていないだろうと、ラルムは笑う。
その証拠に、ナルジェス卿も初耳だと驚いていた。
確かに、こんなにキッチリとした坑道を少人数しかいないというピスタ村の者たちが掘り進めることなど不可能だろう。
「まあ、そういう事もあって、俺たちには打って付けの場所なんだ。村が盗賊に襲われても、ここから逃げ出せるからな」
「へぇ……歴史ある場所なのね……」
文句一つ言うことなく、この狭い坑道を歩いていたアーヤリシュカ第一王女殿下は、周囲を物珍しそうに見渡す。
硬い岩肌に覆われた坑道は頑強そのものだ。
落盤事故などは起きた形跡が無いようだけれども、空気が良いとは言えない。
「風の谷は、主神オーディナルと太陽神が魔神と戦ったと言われる場所だ。風の神が力を貸したため、いつも風が吹いている谷になったという伝説が残っているな」
「うちの村にも、そういう言い伝えが残っています」
「やはりそうか」
ナルジェス卿とラルムの話を大人しく聞いていたアーヤリシュカ第一王女殿下は、パッと振り返って私を見た。
何を聞きたいのか大体判っていたが、彼女の言葉を待つ。
「実際はどうなの?」
「さあ……主神オーディナルに聞いてみないと判りません。おそらく、事実でしょう。主神オーディナルの力を微かに感じますので……」
「そんなことまで判るのか?」
ラルムも驚いたように振り返るが、ここ最近になってようやく判るようになった程度でしかない。
これも、ルナティエラ嬢との魔力調整……というか、交換? みたいな物の影響だろう。
「多少は判るようになった。これから、もっと鋭敏になるだろうが……」
そこで私は言葉を止める。
ラルムもピクリと反応して歩みを止めた。
「……太陽神の印が……削れてる?」
太陽神の力が宿っている印が削れることなどあり得ない。
つまり……
「ナルジェス卿は後方を頼む。私が前へ出る!」
「判った! マテオは私の側へ!」
「はい!」
「姫様は我々がっ!」
一瞬にして敵襲だと悟った我々の判断は速かった。
私が一気に前へ出て、敵の気配が無い後方をナルジェス卿と護衛の二人に任せる。
ラルムは私と一緒に、油断なく武器を構えていた。
「糸だな……」
「うぇー、コレって蜘蛛じゃないかなー。ボク、蜘蛛の糸きらーい!」
「好きな奴はいませんよ」
「ラルムもキライなのー? 一緒だねー!」
「右から来る」
私の肩に乗っていた紫黒からは見えているのだろう。
鎧は纏っていたので武器を短剣へ変化させてラルムと同じタイミングで投擲した。
ガッと硬い物に当たった音と同時に、気味の悪い悲鳴が聞こえる。
蟲のくせに悲鳴とは生意気な。
「なあ……ベオルフ……」
「なんだ」
「お前……なんでそんなに平気な顔してんだ? おかしいだろ……蜘蛛が悲鳴って……ありえねぇだろ……なんだよ、あの大きさは……」
言われてみればそうだな。
生意気だと考えていること自体が異常なのだと気づき、人の大きさほどある蜘蛛に驚き声も出ないラルムを庇うために一歩前に出た。
「この世界ではあり得ない……」
「紫黒、コレは……【魔物】か?」
紫黒に「コレは何だ」と尋ねようとしていたのだが、何故か全く違う言葉が零れ落ちた。
ノエルからは「えっ!?」という驚きの声が上がったのだが、どういうわけか、私はコレを【魔物】だと認識している。
そうだ、コレは【魔物】だ。
私は……こういう生き物を知っている。
心が……遠い記憶が、そう叫んでいた。
「あり得ないが……間違い無い。コレは【魔物】だ」
「どうしてー? この世界に【魔物】はいないよねー?」
「いないはずだ……だが、目の前のコレは間違い無く【魔物】だ」
私と神獣たち以外は声も出ない、いや、恐怖から声も出せないようだ。
当たり前だろう。
いきなりこんな異形を目の当たりにして動ける人間などいない。
しかも、この世界にはいないはずの【魔物】なのだから――
「ベオは動けるー?」
「当たり前だ」
最前列にいた二匹は倒した。
真白が付与してくれた浄化の力が作用したのだろう。
跡形も無く、黒い霧のようになって消えていく。
ただ、カランッと乾いた音を立てて転がってきた核を、問答無用で踏み潰した。
「ノエル、私が最前列で戦うから補助を頼む。紫黒は、みんなの守護を任せた!」
「任せてー!」
「了解だ!」
「待て……俺も……やる! 村の近くに、こんな化け物を放置できるかよ!」
恐怖をねじ伏せ、未知なる生き物に戦いを挑むべくラルムが立ち上がる。
顔色は悪いが、気持ちを奮い立たせて戦闘態勢を取ったようだ。
「無理はするな」
「無理じゃねぇよ……俺には守らなきゃならねぇもんがあるんだよ!」
「そうか……ならば、倒した後に残る核を壊せ。アレがあると、いくらでも再生してくるから厄介なのだ」
「詳しいな……」
「何故だか判らんが……これも、主神オーディナルの加護だろう!」
私が吼えると同時に襲いかかってきた大蜘蛛を盾で弾き、バランスを崩した蜘蛛を狙って、ラルムが短剣を投げつける。
蜘蛛の動きは素早いが、これもラルムの腕なのだろう。
蜘蛛の目を射貫いて、短剣は持ち主のところへ戻ってきた。
狭い通路で戦っているため、私も短剣で応戦していたのだが、紫黒がみんなを守りながら後ろへ下がってくれたので十分な空間が確保出来たと判断し、短槍へ変化させる。
最前線の私が盾を構えて敵を弾き飛ばし、次いでくる大蜘蛛を短槍で刺す。
ラルムは、私の攻撃の隙をついて前へ出てくる大蜘蛛に短剣を投げつける。
打ち合わせをしたわけではないのだが、私の戦い方に合わせてくれた。
言葉も無く、ただ目の前の敵を葬っていくだけなのだが、互いの動きを意識し、補い合うように戦っている感覚に高揚感を覚える。
この感覚が懐かしい――
「オイオイ、飛ばしすぎだっての! 俺がそのスピードに追いつくの、大変だって!」
「鍛錬が足りんのだ」
「無茶を言うなよ!」
「紫黒! 後ろに二体!」
「ボクが行くよー!」
私の声に反応してノエルが動く。
紫黒は結界を強めたようだが、ノエルの方が速い。
トンッと軽く跳んで、角の先端に集めた氷の塊を飛ばし、巨大な蜘蛛を氷付けにしてしまう。
蜘蛛の氷像に、ナルジェス卿からはうめき声が聞こえたが、気にしている暇など無い。
砕けた氷の中から核だけが転がる。
それを拾い上げたマテオさんは、興味深げに眺めていた。
すぐさま復活することはないが、危険な物だ。
大丈夫だろうかと心配になったが、紫黒とノエルがいるから平気だろう。
「……何か、印がありますね」
「あ、本当だ……」
マテオさんの言葉に、アーヤリシュカ第一王女殿下も頷く。
こんな異常事態の中でも、冷静に分析をしているマテオさんとアーヤリシュカ第一王女殿下に驚きを隠せないが、これは有り難い。
今は少しでも情報が欲しかった。
「何だコレは……こんな印、本来は無いが……擬似的に創り出した【魔物】か?」
紫黒がブツブツ呟きながら、マテオさんの手にある核を眺めて分析し始めたようだ。
そちらは任せておこうと、私は次から次へと襲い来る巨大蜘蛛をなぎ倒す。
さすがに数が多い。
ラルムに疲れが見え始める。
「集中しろ」
「わかってる!」
額の汗を拭って、油断なく構えているラルムの腕は重そうだ。
どういう方法をとって移動しているのか判らないが、時々後ろへ回り込んでくる蜘蛛をノエルとナルジェス卿で倒してくれているが、コレではキリが無い。
「むー! 全部凍らせるか燃やしちゃいたいけど……狭い通路だとー」
「我々も凍るか燃えますね」
穏やかなマテオさんの言葉に、ノエルが「そうなんだよねー!」と泣きそうな声を上げる。
これだけの数を、よくもまあ揃えた物だ。
むしろ、この抜け道を知っていたのか……確実に通る一本道に罠を仕掛けたから、襲撃が手薄だったと考えても良いだろう。
ラルムが私を信用するところまで読んでいたというのなら、たいしたものだ。
いや、私の能力を過大評価されている気がしなくもないが……
「とりあえず、黒狼の主ハティは性格が悪いということだな」
「間違い無い!」
私の呟きに、ラルムが全力で肯定する。
しかし……ナルジェス卿もよく動けたものだと後ろをチラリと確認すると、彼は見たことも無いような険しい形相で剣を振るっていた。
「美しくない、美しくない、美しくない、美しくない、美しくない、美しくない、美しくない!」
何かの呪文か?
それとも、呪いの言葉か?
ノエルはそれに合いの手を入れるように「そうだよねー!」「きもーい!」「きえちゃえー!」という言葉を放っていた。
ダメだ、後ろを気にしていたら私の戦意が削がれてしまう。
呪文でも、呪いでも、悪口でもいい。
殲滅してくれたら、それでいいのだと割り切った。
「さすがに……多くねーかっ!?」
「念入りに準備をしていたのだろう……ここで潰すためにな」
「やられてたまるか……あの陰険野郎……今度会ったら、絶対にぶん殴る!」
「同感だ。私は蹴りも加える。そのためにも、コレを何とかしないとな」
「数だけで強くはねぇから、何とかなる! 全部ここで始末する!」
ここで残していけば村が危険だと判っているのだろう。
ラルムは気合いを入れて蜘蛛に斬りかかる。
「コラー! いつまで腑抜けてんのー! みんなで倒すよー!」
「は、はいー!」
「ノエル様、怒らないでくださいいぃぃぃっ!」
後ろからノエルの檄が飛ぶ。
その声に反応した……というよりは、訓練されて色々とすり込まれていた護衛たちがようやく動き出した。
マテオさんとアーヤリシュカ第一王女殿下と紫黒で分析を進め、他は大蜘蛛の殲滅に専念する。
後ろから聞こえてくる泣き言や、呪文のような言葉は無視して、私とラルムは眼前の敵に集中した。
「蜘蛛は毒を持っている可能性もあるから気をつけろ」
「お前こそ!」
「私は平気だ。鎧のおかげで毒自体効かん」
「無敵かよ……」
ラルムの呆れた声を聞きながら、少しずつ勢いを無くしつつある大蜘蛛たちを睨み付けた。
ここで我々に牙をむいたことを後悔させてやろう。
一匹残らず駆逐して、二度と蘇らないように核を砕いてくれる。
おそらく、黒狼の主ハティは核に関する知識を私が持っているとは知らなかったのだろう。
まあ……それが普通の反応だ。
見くびられたものだとは思わない。
だからこそ悔やむがいい――と、私は蜘蛛を短槍で突き刺しながら、腹の中で笑った。
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