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狭間の村と風の渓谷へ
60.今はいらないことを考えずに、この時間に集中しよう
しおりを挟む真白が絶賛していただけはある。
ルナティエラ嬢から貰ったカレーパンという物は、とても香ばしく表面がカリッとしているのに対し、中はふんわりと柔らかであった。
その中に入っていたカレーも、私が作った物とは比べものにならないほど奥深い味わいをしている。
なるほど……普通に揚げるよりも表面に何かをまぶしていることにより、歯ごたえを感じるよう工夫されているのか……
油で揚げたこともあり手で持つと油で汚れてしまうが、それでも残っている油の量は少ない。
油か――
北では貴重品で、とても値の張る代物だ。
油で揚げた料理など出したら、贅沢の極みだと言われるだろう。
反対に、南の辺境では油を手に入れるのが簡単で、水を手に入れるのが難しい。
北と南が相反することで悩んでいることを知っている王太子殿下は、その差を無くすために方々に手を回して改善策を練っているが、未だ実現は難しかった。
それこそ、北や南へ視察へ行くことも多く、王都を留守にしがちであったと父から聞いていたくらいだ。
それを好機と捉えたセルフィス殿下の暴走を止める者がいなかった為に、ルナティエラ嬢が苦労したのである。
国王は隣国であるエスターテ王国との国交改善に忙しく、王太子殿下は北と南の辺境の格差を無くすために奔走していた。
そのことを知っていた貴族達は、ここぞとばかりにルナティエラ嬢に頼り、婚約者であればこれくらいできて当然だと押しつけたのである。
私の予想が正しければ、全ては黒狼の主ハティが裏で仕組んでいたのだろう。
あまりにもタイミングが良すぎる。
国王陛下と王太子殿下が揃って忙しくしている時に、ルナティエラ嬢を狙ったような貴族達の行動。
そして、セルフィス殿下の増長――
ミュリア・セルシア男爵令嬢がそばにいるようになってから、明らかに変わってしまった彼を、何故他の誰も止めようとはしなかったのか……
止められるだろう人物である、国王陛下と王太子殿下、そして私をセルフィス殿下から遠ざけたのは、自分が動かしやすい駒へ変えるためだったと考えるべきだろう。
考えれば考えるほど、小賢しくて腹立たしい。
そう考えていた私の額に、何かあたたかいものが触れた。
指先?
「眉間に皺が寄ってますよ? 何を考えているのか知りませんが、そういう顔をして食べていたら、消化に良くありません」
「……すまない、少しいらないことを考えていたようだ」
小さく溜め息をついて「もうっ」と怒ったフリを見せる彼女に、今一度謝罪をした私は、気になっていたことを質問した。
「この表面についているのは何だろうか」
「これは、パン生地に粉を振ったあと溶いた卵に潜らせてから、硬くなったパンなどを細かくした物をまぶして揚げたのです。カリカリして美味しいでしょう?」
「そうだな。歯ごたえがいい」
「ベオルフ様は本当に着眼点が良いですよね」
上機嫌で説明をしてくれるルナティエラ嬢を見ていると、先ほどまで感じていた黒い感情が消えていくのを感じる。
そうだ。
今はいらないことを考えずに、この時間に集中しよう。
「そうだー! ねーねー、ルナ! 真白ちゃんの姿をしたプリンー! 紫黒に見せてあげてー! アイスもー!」
「あ、そうですね」
どうやら自分の夢だからか、真白の一見無茶に思えるお願いも簡単に叶えていく。
綺麗な器に盛られた、真っ白な丸い物に、真白のような飾り付けをしている果物が沢山盛り付けられているデザートらしきもの。
色鮮やかで、とても目を引くそれは母が好きそうだと感じた。
「すごい……真白がいっぱいだ……」
目をキラキラさせて器の周りをちょんちょんと跳ねて眺めている紫黒の姿に、真白は満足げに胸をはっているし、ノエルも「うわー! うわー!」と大騒ぎをしているが、器からはしっかり距離を取る気遣いを見せる。
行ったり来たりしながら眺めている紫黒が可愛らしいので、みんなで一緒に和んでいると主神オーディナルが手の上に乗せ「上からも眺めてみるか」と言いながら、とても良い位置へ誘導してくれた。
「これが食べ物……勿体ないな……真白がいっぱいなのに……」
「リュートったら酷いんだよー! 真白ちゃんをがぶりと食べちゃったのー!」
もー、失礼しちゃうー! と言っている割には楽しそうである。
当然、そのやり取りを知っているだろうルナティエラ嬢と時空神は、顔を見合わせて苦笑を浮かべているので、真白とリュートで仲睦まじいやり取りでもあったのだろう。
あちらへ行ったときは心配だったが、リュートのおかげで随分と楽しんでいるようだ。
「紫黒のために保管できたら良いのだがな……」
「ああ、父上。大丈夫ですよ、そこはしっかりしておきましたので」
「そうか。それは助かる」
さすがは仕事が出来る神――
何も言わずとも主神オーディナルの望みがわかったのか。
「ねーねー、ルナー! 今度はボクの姿の何かを作ってー」
「そうですね。いつかノエルと真白と紫黒のデザートを作りましょうね」
「やったー!」
「紫黒も一緒ー!」
「あ……う、うん、とても……嬉しい」
神獣達の大はしゃぎを見ながら、カレーパンを頬張る。
さすがに、このデザートは仲間達にご馳走することは出来ないなと、ひんやりと冷えている器を指先で撫でた。
この冷やす技術は、我々の世界では難しい。
それに、真白を飾り付けていたら「神獣様を食べるなんてとんでもない!」と言い出しそうだ。
リュートのように遠慮無く食べられる人は、此方の世界にいないだろう。
主神オーディナルが落としたパンくずでも、ありがたがる人が居る世界なのだ。
致し方が無い。
「今日は他にも色々と作ったのですよ」
そう言って、彼女は次々に料理を出してくるのだが、疲れはしないだろうか。
色々とあったようで疲れているから、無理は駄目だと時空神からも止められているし、無茶をさせないためにもココでストップするのが良さそうだ。
隣に座る彼女にもたれかかり、少し体重をかけて注意を引く。
時空神に「大丈夫ですよ」と言っていた彼女は、驚いたように私を見て首を傾げた。
「どうかしたのですか?」
「少し疲れがな……」
「そういえば……顔色が悪いような……?」
いや、そこまで疲れてはいないのだが……まあ、良いように勘違いをしてくれたので、そのまま彼女にもたれかかった姿勢で軽く目を閉じる。
よしよしと私の頭を撫で、先ほどよりも優しく甘い声で「大丈夫ですか?」と問いかけてくるのが嬉しい。
私を甘やかす気満々で接してくる相手など、ルナティエラ嬢以外に心当たりは……と考えてから、そうではなかったと思い出す。
私たちの前方に座っている主神オーディナルは、いつも私たちに優しかったではないか。
甘やかす……という言葉に当てはまるのは、ルナティエラ嬢と主神オーディナルだろう。
だが、優しい人たちで言うなら、今の仲間達もそうだし、家族や当家に仕えてくれている者たち、そして北の辺境伯や世話になった村人もそうだ。
私は、周囲の人々に恵まれているな……
両肩の重みと頭上の重みが加わったことを感じ、年々そういう相手が増えていることが素直に嬉しいと思える。
少し騒がしくなったが、それもまた幸福なのだ。
そう感じると同時に、先ほどルナティエラ嬢の扉周辺をうろついていた男の瞳を思い出す。
暗い憎悪と怨念を抱いた瞳――おそらくアレは、復讐者の目だ。
私が感じている物とは全く違う、対極に居る者……
不意に広がる不安からか、ルナティエラ嬢の頭を左手で抱えるように抱きしめる。
「え? ベオルフ様? 急に……どうしたのですか?」
「……なんでもない」
「そう思えないから聞いているのですが……」
あの目を向けられる先がルナティエラ嬢ではないことを心から願うと共に、私の扉の前にいた底知れぬ不気味な者に大切な彼女が見つからないことを心から祈った。
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