黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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狭間の村と風の渓谷へ

48.熱病と戦争

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 縄で縛り上げた男達は、紫黒がキャンプ地の近くまで瞬く間に移動させてくれた。
 みんなが眠る結界の中には入れないよう、キッチリと考えて距離を取っているのは流石だ。
 件の男は隔離されているため、何も出来ないだろう。
 どういう状況かはわからないが、目を覚ましたら見知らぬ……いや、何も無い空間に独りだなんて考えるだけでも恐ろしい――はずだ。
 私はいつもルナティエラ嬢と話をする場所がそんな感じなので慣れてしまったが、慣れない人間があの広大で無音な真っ白な空間に放り出されたら、軽くパニックを起こすのでは無いだろうか。
 まあ、普通の人間ならそうだろうが、アレは普通では無いように感じた。
 人の形をした虚ろ……魂がほぼ抜けていて人間と呼んで良いのかどうかも怪しい。
 黒狼の主ハティが生み出した化け物なのか、それとも魂の抜けた人形なのか判断することはできないが、現在この世界で一番の力を持つ神獣の紫黒に抗える者など居ないので、安心して良い状態になったと感じ、私とラルムは無言で戦闘態勢を解いた。
 正面から戦うかもしれないと思っていたが、紫黒とノエルの力が強すぎたために、我々の出番は来なかったというわけだ。
 しかし――黒狼の主ハティは、どうしてそんな力を得たのだろうか。
 まるで、マナのことを熟知し、この世界で『魔法を使う手段』を模索しているようである。
 映像の中で見たリュートの力……魔法は、凄まじいものがあった。
 あれでも手加減していることは見て取れたのだから、途方もない威力を誇るのだろう。
 もし、あの力がこの世界で使えるようになったとしたら……いや、元々は同じ創造神から造られた世界だ、その術はあると考えて良い。
 つまり……黒狼の主ハティはリュートのいる世界の知識を持っているということか?
 実際に、他人の命を奪うという大前提があるとしても、不可思議な力を行使しているのだから、魔法の知識を持っていた方が黒狼の主ハティとの戦いは有利になるように感じた。
 それに、もう一つ気になる事がある。
 人一人の命から得たマナで使用出来る力は、一体どれくらいなのだろうか。
 今までヤツが使った力全てが、それに当てはまるというなら、人の命がどれほど流れたのだろうかと考えるだけでも身の毛がよだつ。
 私利私欲のために、多くの血が流れたのだ。
 しかし、いくら情報が遅いとはいえ、それだけ人が死ねば噂にもなる。
 大量に人が死ぬ……戦争は起きていないが……と、考えて嫌な考えが同時に二つ浮かんだ。

「熱病と戦争……」
「ベオルフ?」

 ラルムが眉根を寄せて此方を見るが、何でも無いと首を左右に振った。
 確証は無い。
 しかし、黒狼の主ハティが十年前の熱病に関与していたとすれば、話は変わってくる。
 あの熱病で、沢山の人が死んだ。
 村一つ壊滅したという話も聞いたくらいだ。
 私とルナティエラ嬢も、その熱病にかかり記憶を失った事になっているが……実際は、主神オーディナルが保護していたというところだろう。
 私が今の家族に拾われたのも、主神オーディナルが関与しているはずだ。
 ルナティエラ嬢と主神オーディナルとノエルと庭園で過ごした日々は、この辺りの時期であると考えている。
 この熱病が流行した時期に、黒狼の主ハティが暗躍して力を蓄えていたのだとしたら?
 力を大幅に削減されてしまった現在、同じようなことが起こるのでは無いだろうか。
 その計画に、【黄昏の紅華】が関係しているのかも知れない。
 アレも風邪のような症状から体調を悪化させ、高熱を引き起こしていた。
 ただ、感染力は無かったのか、被害はルナティエラ嬢のみとなった。

「情報が欲しいな……」

 今度は誰にも聞かれないように注意しながら呟く。
 頭の中で考えをまとめるときは、言葉に出して整理をしたい時もある。
 だが、誰が聞いているか判らないので、ルナティエラ嬢のように早口でブツブツと詳細に語ることはしないが、そのことを知った彼女はとても可愛らしい反応をしてくれたなと口元が緩んだ。
 嫌なことばかり考えていると気分が沈む。
 こんな状態では駄目だと、軽く頭を左右に振って、キャンプをしている場所へ戻った。
 眠っているだろう皆を起こさないように、なるべく音を立てずに気をつけていたが、焚き火に人影があることに気づいて立ち止まる。

「お疲れ様でした、さあ、お茶の準備ができておりますから、一息ついてはどうでしょう」

 ジャンポーネで手に入れた、珍しい茶なのだとにこやかな笑顔で我々を出迎えてくれたのはマテオさんであった。
 眠っていなかったのか……
 どうやら帰りを待っていてくれたらしい彼は、程よい熱さの茶を我々に振る舞ってくれた。
 熱くて飲めないという温度では無いが人肌よりも少し温かい飲み物は、渇いた喉を潤してくれる。
 味わう間もなく飲み込んでしまったお茶の香りが鼻を抜けていき、紅茶とは違う香りに興味を引かれて、今度は味わうために再度口を付けた。
 柔らかいと感じるお茶の口当たりに続き、香ばしさの中にある、まろやかな苦みと甘みを感じる。
 そして、先ほどと同じく鼻を抜ける良い香りが、これは上質な茶なのだと教えてくれた。

「……とても良い茶ですね」
「はい、ジャンポーネではよく飲まれているほうじ茶という物なのですが、その中でも、特に上品で香ばしい茶葉をいただきましたので……」
「こんな上等な茶を……俺も飲んでいいのか?」
「何をおっしゃっているのですか。仲間に振る舞うお茶に出し惜しみはしませんよ」
「……仲間」

 マテオさんの言葉を聞いたラルムは、一瞬唇をぎゅっと噛みしめて、無言のまま頭を下げる。
 それが精一杯だったのか、震える肩から様々なことを悟ったマテオさんがポンッと触れて「大丈夫ですよ」と声をかけていた。

「なーに? そんな美味しそうなお茶をむさい男3人だけで味わうっていうの?」
「こういうときは、誘って欲しいものだ」

 眠っていたはずのアーヤリシュカ第一王女殿下とナルジェス卿が馬車から降りてくるのだが、アーヤリシュカ第一王女殿下がいつも連れている護衛達の姿は見えない。
 ナルジェス卿の護衛は御者もしてくれるので疲れているだろうに、まるで影だというように後ろへ控えているのだが、あの二人は疲労困憊して眠りに落ちているようだ。
 まあ、朝からノエルに追い回されて、隙あらば訓練だと称して何かしらされているのだから仕方が無いだろう。

「これは申し訳ございません。お二人の分も……いえ、四人分をすぐに準備いたしますね」

 にこやかにそういって立ったマテオさんの後を追うように、ラルムが手伝うために立ち上がる。
 御者の二人は、自分たちの分もあるのかと驚いていたが、マテオさんはそういう人だ。
 ほうじ茶を木製のスープ皿にいれてもらっていたノエルは、紫黒と共に喉を潤してホッと一息ついていた。

「それで? 抜け出した成果は?」

 茶目っ気たっぷりに問われた内容に溜め息が出るが、ここで誤魔化しても仕方が無い。
 観念して口を開く。

「……少し離れた場所に、ひとまとめにしておきました。あとは、ナルジェス卿にお願いします」
「任せて貰おう。既に、連絡はしておいたから、明け方には迎えが来るだろう」

 いつの間に――私の視線から驚きを感じ取ったのか、ナルジェス卿は軽く肩をすくめて見せる。

「まさか、ベオルフに全てを任せるほど無責任ではないぞ。それに、従者はそれなりに着いてきているからな」
「後ろの方から着いてくる人たちのことー? 6人ほどいるよねー」
「さすがはノエル様。ご存じでしたか」
「もっちろーん! ベオは悪意が無い人には鈍いところがあるしー、ボクがフォローしないとね!」
「ナルホド、そういうところをフォローするのだな」
「紫黒みたいな力は、ボクにはないしー」
「いや、気遣い、心遣い、機転の利かせ方、どれを取っても勉強になる」
「ボク……紫黒大好きー!」

 ノエルが甘えたように額をグリグリ紫黒に押しつけるのだが、それに押されてコロリと転がった紫黒は、助けを求めるように此方を見る。
 しかし、それがノエルの愛情表現なので止めるのも気が引ける。
 転がらなければ良いだろうと、紫黒の体を手で包み込むと、その手を前脚で押さえたノエルが甘えたように私の手と紫黒に頬をすり寄せた。

「ふむ……自覚がなかったな」

 確かに私は、自分に悪意を向ける相手や敵意には敏感だが、その他の人には無関心ではないかとルナティエラ嬢にも注意されていた事を思い出す。
 しかし、それは『英雄がわざわざ引き取った子』として注目されてしまい、好奇の目に晒されることが多かった弊害だろう。
 今現在、私が【黎明の守護騎士】だという噂が貴族社会にも広まっているため、違う意味で目立った存在になってしまったが、以前父を笑っていた者たちは肩身の狭い思いをしているのでは無いだろうか。
 平民の子を養子に迎えるなど愚の骨頂だとあざ笑っていた者たちは、主神オーディナルの怒りを買わないか震えているかもしれない。
 主神オーディナルが目の前にいる時……いや、私の背後に居るときに失言をしない限り、怒りを買うことは無いだろうが、わざわざ教えてやるつもりも無い。
 とりあえず、勢いが良すぎて再びコロコロ転がってしまった紫黒が、テーブルから落ちてしまわないように、手でガードしておいた。
 すると何を思ったのか「ベオも好きー!」と、今度は私の顔を目がけて飛びついてくる。
 スッと避けると肩に着地したノエルは、気にした様子も無くスリスリと全身で甘えてくるのだが、そこへ控えめに参加しようと紫黒も混じってしまい、再びノエルのテンションが上がってしまった。
 ブンブンブンブンッと振り回される尻尾から放たれた風が凄いことになっているが、本人は気づいていないようだ。
 その様子を笑いながら見ていたアーヤリシュカ第一王女殿下は、笑いをかみ殺しながら問いかけてくる。

「とりあえず、厄介な奴等は問題ないのね?」
「問題は無いのですが……一つ、重大ですが知りたくは無かった事実が判明しました」
「なによそれ……」
「黒狼の主ハティの不可思議な力は、人が死ぬ間際に放つ力を借りており、ヤツが力を使うために、人の命を犠牲にしているということです」
「……は? そんなことができるのっ!?」
「出来る……この世界も何かの命を対価にした呪術……いや、まだ分類はできないようなおぼろげな物が誕生したということだ」

 この世界も――?
 私の言いたいことを理解したのだろう紫黒は、真っ直ぐに此方を見上げて言葉を続ける。

「違う世界では、その対価に己の命の器たるマナを削った。つまり、己の命を犠牲にして力を行使したわけだ。しかし、ハティというヤツは自分の身を削ることを厭い、他者に対価を支払わせているということだな」
「……むごい話だ」

 ナルジェス卿が吐き捨てるように言うと、紫黒も同意するように頷く。

「しかし……妙だな。己で対価を支払うのとは違い、他者に対価を支払わせる場合、途方もないリスクを背負うことになるはずだが……」

 そのタイミングで、お茶の入ったカップを持ってきたマテオさんがアーヤリシュカ第一王女殿下とナルジェス卿に勧め、共に戻ってきたラルムは席に座って口を開く。

「リスク……ですか?」
「ああ、そのリスクをどう回避しているのだろうか……そもそも、ルナにかけた根幹となる呪いの解呪には至っていないが、数多くかけられていた小さな呪いは解呪され、それなりの反動があったはずだ。それをどうやって……」

 ブツブツと呟き思考を巡らせる紫黒を眺めながら、我々は言葉も無く、ただ嫌な予感を払拭するように各々のカップに口をつける。
 お茶の香りが良いので、心は幾分落ち着くのだが、内容が内容なだけに嫌な予感しかしない。

「黒狼の主ハティは、己の依り代を作って解呪された場合の身代わりを作っているのか? では、あの黒狼などの依り代は、自らの正体を隠すためだけではなく、色々なものから身を守るための手段でもあるのか」

 どうやら結論が出たらしい紫黒はノエルに勧められたほうじ茶を飲み、ふぅと溜め息をつく。

「色々と情報を集めて解析しなければわからないが、ヤツは依り代が無ければまともに動くこともままならないようだ。無防備なところで解呪されたら、呪いの全てが倍になって返ってくるのだからな」
「それだけ強い呪いをルナティエラ嬢にかけていたということか?」
「ルナには様々な呪いがかけられた痕跡があった。強い呪いもあったが、何よりも数が多い。特に、ルナの場合は――」

 そこまで言いかけて、紫黒は口を噤む。
 どうやら、私以外には聞かせられない内容らしい。

「まあ、とりあえず、現時点で黒狼の主ハティ自身が妨害してくることはない。あの依り代を作らなければならないのだろうが……」
「その依り代ってのを作るのにも、人の命が必要なのでしょうか」

 ラルムの問いかけに、紫黒は左右に首を振る。
 どうやら、違うようだと全員がホッと安堵した。

「必要になるのは、おそらく獣の命だ。ヤツが愛用しているのは狼の姿だしな」
「ふむ……つまり、依り代を作るために犠牲になった命の姿を模している、もしくは、その力に影響を受けているということか?」
「そういうことだ」
「……ならば、ヤツは今、北の辺境近くに居るかも知れないな。北の辺境は粗方私たちが退治したが、王都から北部に入った山の険しい地帯は、未だ手つかずだったはず」
「それなら間違いないだろう」

 直接対峙して情報を引っ張り出せれば、その辺りも詳しくわかるはずだという紫黒の頼もしさに、ノエルは目を輝かせ「紫黒すごーい!」とご機嫌な様子だ。

「そ、そんなに……すごくはない。でも……役に……立ったか?」
「ああ、とても助かった。ありがとう」
「う、うん」

 ルナティエラ嬢を思わせるようなはにかんだ様子を見せる紫黒の頭を指で撫で、タイミングを見計らったようにマテオさんが、お茶に合うのだと白くて小さな花の形をした塊を皿に載せて勧めてきた。
 どうやら、『お茶請け』という物らしく、砂糖を使った菓子のようで、口に入れるとふわりと溶けて消えていく。
 少し粉っぽいが、上品な甘さでしつこくない。

「これもジャンポーネの菓子か?」
「はい、穀物の粉と砂糖などを混ぜ合わせて干した菓子だそうで、日持ちもするので丁度良いかと思いまして……疲れた時は甘い物が良いようですよ。ジャンポーネの常識……だそうです」

 行ったことの無い母の故郷の話に頬が緩む。
 文化が違えば食べ物も違うのだな……と感心していたので油断していた。
 旨い物を口にしたときのナルジェス卿が危険だと知っていたのに、今はノーマークだったのだ。

「何と言うことだ! この上品な甘さ、口に入れると雪のように溶けて消えてしまう儚さ! 王都でしか雪は見たことは無かったが、これほどまでに美しく幻想的な菓子が今までにあっただろうか! いや、無い! 舌を麻痺させるほどの甘さだけを追求した菓子は、この菓子から沢山のことを学ぶべきなのだ! つまり、これは菓子の意識改か……ぶふっ」
「うるさい」

 思わず荷物から取り出した布を、ナルジェス卿の顔面めがけて投げつけた。
 喋るために口を大きく開いていたために、吸い込んだ空気とともに布が口の中へ入ってしまったのか、ゲホゲホッとむせている。

「べ……ベオルフ……最近、私への扱いが……酷くないか?」
「こうでもしなければ、病気が治まりませんので……」
「そうか、それはすまな……ん? 病気?」
「でも、このお菓子は美味しいわよねー、本当にすぐ溶けちゃう!」
「気に入っていただけたのでしたら、また仕入れて参ります。その時は、ご連絡させていただきますね」
「マテオはやっぱり頼りになるわー! お願いね!」

 賑やかな私たちを見て苦笑を漏らすラルムに、ノエルが「賑やかだよねー」と話しかけ、「そうですね」と微笑む彼に菓子を食べさせて貰いながら、ノエルと紫黒はジャンポーネの砂糖菓子にご満悦であった。

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