黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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狭間の村と風の渓谷へ

46.覚悟を持って抗え

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 暫く時間が過ぎ、紫黒とノエルが同時に顔を上げる。
 どうやら、アーヤリシュカ第一王女殿下が眠りに就いたらしい。
 無言で私とラルムは立ち上がり、頷き合うとノエルが先導する方向へ走り出す。
 まだ本調子では無いのだろうが、それでも私の速度に余裕で着いてこられるのだから、元々の身体能力の高さがうかがえるというものだ。
 俊敏性だけなら弟のガイを超えるかもしれない。
 そういえば、ミュリア・セルシア男爵令嬢の監視をしているスレイブも動きが素早かったな――と考えて意識を切り替える。
 男に恍惚とした表情を向けられる不気味さを、今は――いや、これからずっと思い出したくは無い。
 それなら、ルナティエラ嬢が頬を膨らませて怒っている顔の方が何百倍もマシである。
 いや……そもそも、彼女の怒った顔は可愛いので、嫌な部類と比べるのもおかしいか。
 そんな無関係なことを考えている私の耳に、肩にとまっている紫黒が「そろそろだな」と呟く声が届いた。
 暗闇の中で目をこらして見ると、ほのかな月明かりに照らされた男達が地面に転がっている。
 一応警戒して近づくが、起き上がる気配は無い。
 こんな場所で無防備にさらされているというのに無事なのは、ある意味、運が良いのだろう。

「しっかり眠ってるでしょー?」
「さすがだな」
「一応、確かめたからな」

 ノエルと紫黒の報告を聞き、正直な感想で「凄いな」と言えば、一匹と一羽は嬉しそうに体を揺らす。
 そんな可愛らしい様子の神獣達とは不釣り合いな無精ひげもそのままの男達は、誰も彼もが鍛え抜いた体つきをしているが、無駄な筋肉も多いように思えた。
 父上が見たら嘆くことだろう。
 死んだように眠っている男達を無感情に見ている私の横に立ったラルムは、一人の男を指さした。

「知っている顔が……一人……だな」
「そいつだよー!」
「知り合いか?」

 紫黒の言葉にコクリと頷いたラルムは、男の首元に捲かれた布を乱暴に奪い取る。

「首の傷……間違いない。俺がつけたものだ」
「その位置で死んでいないとは……」

 急所とも言うべき場所で、傷跡から見ても浅くは無い傷を受けたにも関わらず、よく生きていたものだ。
 生への強い執念か。
 それとも、命を削りながらも強化した代償か。
 寿命以外では、そう簡単には死ねないのかもしれない。
 まあ……その寿命が長くは無いのだが――

「そいつは、ある日いきなり暴れ出したんだ。その場に居た全員に殴りかかったあと、表へ飛び出して……無関係の人を殺そうとした。だから……殺すつもりで……」

 言葉止めたラルムには、当時の記憶が鮮明に蘇ったのだろう。
 かすかに手が震えている。

「殺したと……思っていた」
「そうしたほうが、黒狼の主ハティには都合が良かったのだろう」
「……そう……だな。墜ちるところまで墜ちた……その時に、そう思ったんだよな」
「人を助けるために殺したのが墜ちることなのか? それならば、私はとっくの昔に墜ちていることになるのだが……」
「え?」

 驚いたように此方を見上げるラルムに視線だけを向ける。

「私は獣だけでは無く野盗も相手にしているのだ。命をかけて戦えば、相手の命を奪うこともある。当然のことだ。私の剣や槍は、飾りでは無いのだからな」
「……黎明の守護騎士なのに?」
「何を言っている。伝説に残る黎明の守護騎士も沢山の人を殺した。魔神側に着いたとは言え同じ人間なのだ。己の守りたい者のために剣を振るった結果に過ぎない」
「怖くは……無いのか? 墜ちたとは……思わないのか?」
「思う必要が無い。殺した相手を忘れるわけではないが、相手を殺したくないからといって死んでやるつもりは無い。私が死ねば、泣く人たちがいるからな。それは相手にも言えるが、お互いに剣を握って向かい合ったのだから覚悟の上だ」

 出来れば殺したくは無い。
 それは、誰だって同じだ。
 しかし、それでも剣を手に持ち戦うことを選んだのであれば、全力でたたき伏せるまでである。
 私にだって守りたいものがある。
 誰よりも守りたい人が居る。
 その人のためにも負けられないし、この命を差し出すわけにはいかないのだ。
 争いの無い平和なハルキたちの世界とは違い、この世界の現実は無慈悲で残酷である。

「まあ、だからといって……片っ端から斬って捨てているわけではない。どうしようもない時だけだな」
「……人を殺すことは……悪い事だ」
「まあ、良いこととは言わない。難しい問題ではあるが、命の重さを知りながらも、奪わなければならない時もある。それがこの世界の現実であり日常だ」
「この世界の……現実で……日常?」

 奇妙な感覚だ……ラルムを見て心の中に浮かんだ言葉は『違和感』であった。
 まるで争いを知らない世界の言葉を聞いているような……ハルキが言いそうな言葉だと感じたのである。
 いくら辺境の村とはいえ、ピスタ村は全く争いが無いところではないだろう。
 特に、南の辺境はエスターテ王国と小さな争いが起こる場所で、治安も良くないのだ。
 彼が幼い頃は、もっと殺伐としていたはず……

「そう……だよな……野盗が近くの村を襲ったときに、沢山死人が出た……生き残った人たちも無残な状態で……大人が埋葬しているのを見ていた……王都では貴族が気分で使用人を殺すこともあった……それを見てきたけど……ハティ様は俺が悪いのだと――」
「ラルム?」

 いけない……!
 そう思った瞬間、ノエルがラルムの頭に鋭い尻尾の一撃を加えた。
 月を背にして軽く跳ね、体を捻って尻尾でラルムの頭を横から殴りつける様は、見事の一言である。

「いっ……痛ーっ!」
「もー! こういうところのしつこさはルナの時と同じだよねー! 前に視たときはわからなかったのに残ってたのかなぁ……奥底には無いみたいだけど……紫黒ー!」
「どうやら、隠れていたみたいだな。今ので全てのようだ」
「しつこいよねー!」
「ルナティエラ嬢は未だに苦しめられているから、アイツの粘着質な執着心を考慮すべきだったな」

 かなりいい音がしたので、クリーンヒットしたのだろう。
 ラルムは当たった場所を手で押さえ、体を震わせながら痛みに耐えている。

「意識はハッキリしたか?」
「お……おかげ……さま……で……なんと……かっ!」

 ギロリと私をにらむ目は、「わかっていたなら止めろよ!」と言っているように見えたが知らないフリをしておいたほうが良さそうだ。
 ノエルには強く言えないラルムである。
 私にとばっちりが来ても困ってしまう。

「しかし、人殺しがいけないことだと……お前が言うか? という感じだな」

 ヤレヤレと溜め息をつきながら呟いた言葉に、紫黒とノエルがうんうんと頷く。
 おそらく、ヤツは数え切れないほど人を殺している。
 しかも、己の私利私欲のために――

「いいか、ラルム。私利私欲のために殺したのであれば、それは罪だ。しかし、誰かを守るため、己の命を守るために剣を持つならば迷いは捨てろ。そこからは命のやり取りだ。余計な迷いや情けは己を殺すことになる」
「私利私欲と自分の命を守ることは同じじゃ無いのか?」
「お前が死ねば、お前の弟はどうなる。お前が己の命を守ることは、弟を守ることにも繋がる。死ねないだろう?」

 私が死ねないように、お前も死ねないはずだ。
 視線にその思いをこめて見つめれば、ラルムはぐっと奥歯を噛みしめてから絞り出すような声で答えた。

「――死ねない」
「ならば、理不尽に己の命を奪おうとする相手には、たとえ相手の命を奪うようなことになっても、覚悟を持って抗え。罪や罰は生きながらえた者だけが背負う宿命のようなものだ」
「……そうだな。今更何を……だな。わかっていたはずなのに……何を言っているんだ俺は……」
「相手が悪党であったとは言え、人殺しと呼ばれても甘んじて受けよう。事実そうなのだからな。しかし、だからといって死んでやる理由も無い」
「アンタは……凄いな。命の重さや奪う罪を知りつつ、それでも……全てを受け入れられるんだからさ……」
「私がやらねば誰かが死ぬ。おそらく、沢山の人が死んでしまう。だから、私がやるしかなかろう」

 命を奪う罪を背負う事が怖くて騎士などやっていられるか――と、呟いた私の言葉を聞いたラルムは泣きそうな顔で笑った。

「俺は……弱いな」
「黒狼の主ハティの影響だが……覚悟が足りんな」
「耳が痛い」
「だが、いつか……平和な世が来ればいいと思う。こんな殺伐とした世界が当たり前ではなく、剣で語ること無く解決できる世の中になればいいな」

 平和な世を創るのは難しい。
 言葉で言うほど簡単では無いとわかっているからこそ、切実に願うのだ。
 いつか、我々のように武装した騎士団がいなくとも、平和に過ごせる世界を目にしたいものである。
 私の手は血にまみれているし、それが全て許されるとは思っていない。
 だが、どんな罪を背負っても、守りたい人がいるのだ。
 脳裏に浮かぶ天色の髪の彼女は、この事実を知れば悲しみに暮れるのだろうか。
 いや……おそらく、彼女は大丈夫だ。
 それぞれの世界の理を知る彼女ならば、私やリュートの背負うものを当たり前のように受けとめてくれるだろう。
 命の重さを知り、奪う罪を知り、それでも剣を振るうことを辞めないが、心は疲弊する。
 そんな私たちの心を癒やすのは、ルナティエラ嬢なのだと思う。
 同じものを背負い戦うリュートには悪いが――

「黒狼の主ハティを討つのは、私の役目だからな……」

 口を衝いて出た言葉に視線が集まる。
 しかし、その視線は驚きから強い決意へと変わっていく。
 黒狼の主ハティをこのままにはしておけない。
 地面に転がっている男達のような、人に害を及ぼす者を作り出し、世を乱す存在をそのままにしていたら、守りたい者たちが害される。

「俺も……甘いこと言ってらんねぇな。弟を守りたいからさ……アンタが彼女を守りたいように……」
「そういうことだ。そのためなら、何だって出来る」
「そうだな」

 元々、辺境の村で過ごしていた平凡な男だった彼が、何の因果かこんな戦いに巻き込まれてしまった。
 そこには同情する余地もあるが、彼はもう引き返せないところまで来てしまったのだ。
 何も知らないと目を瞑り、耳を塞ぐほど愚かでは無い。

「大丈夫だってー! これからいっぱい学んでいけばいいんだよ。ベオやオーディナル様がいるんだしー!」
「そうですね……」
「そういえば、痛かったー? ごめんねぇ……つい……力加減が……ちょ、ちょっと出来ていなかった……かも?」
「いいえ、大丈夫です」

 良かったーと、飛びついてきたノエルを抱き留めたラルムは、柔らかな笑みを浮かべる。
 まるで猫が戯れるように体をこすりつけるノエルを、少しぎこちないが優しい手つきで撫でていた。

「ベオルフも……罪ではないとは言わないが……その……守るべき者を守るのは偉いと思う」
「紫黒……ありがとう」
「うまく言えなくて申し訳ない……」
「いいや、ちゃんと気持ちは伝わっている。それに、私は覚悟していたことだ。アルベニーリ家は騎士の家系だ。家族は皆、色々な意味で覚悟をしているから安心していい」

 人を殺める覚悟。
 家族を喪う覚悟。
 恨まれる覚悟。
 命を狙われる覚悟――
 挙げればキリが無いほどの覚悟を、私の家族は持っているのだ。

「ベオルフ……」

 上手に言葉に出来ずに落ち込みながらも、どうにか励まそうと私の首筋にすり寄る紫黒を撫でる。
 柔らかな羽毛が耳から顎のラインに触れてくすぐったい。
 そんな日が来なければ良いと願い、祈りながらもこれらの覚悟を忘れないのは、己を戒め死なずに帰るためでもある。
 そのような覚悟をラルムに求めているわけではないが、少しでも私の言葉が彼の支えになれば良いと願う。
 私のそばでノエルを撫でていたラルムからは先ほどまでの暗い表情が消え失せ、強い決意を感じさせる瞳は、地面に転がっている一人の男へ向けられていた。
 その男を見て、彼は何を想うのか……
 月明かりに照らされたラルムは今にも消えてしまいそうなほど儚く、いつもの憎まれ口を聞きたいと思うほどに、彼らしくなかったのである。

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