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狭間の村と風の渓谷へ
41.これでもルナが傷つくと思うー?
しおりを挟むアーヤリシュカ第一王女殿下の護衛二人がノエルから頼まれたことをするために、少し離れた場所を確認するように歩く様を眺めていたラルムは、小さく溜め息をついた。
動きたくても、再び戻ってきたノエルが膝上に乗り、眠っている紫黒を包み込んでしまったからだ。
ヘタに動けない状況になってしまったと諦め半分のラルムは、ただノエルと紫黒を見守っている。
その瞳は、いつもの暗い影を忘れているように優しい色を宿していた。
「ラルムは動いちゃ駄目だからねー」
「は……はあ……」
「紫黒が起きちゃうでしょー? 今は、ゆっくりするのー」
「わ、わかりました……」
主神オーディナルの御使いであるノエルの言葉には素直に従うラルムだから、任せておいて問題は無いだろう。
そんなことを考えていた私の耳に、やや大きく焚き火の爆ぜる音が聞こえた。
そろそろ新たな薪をくべようかと考えていた私の目の前を横切ったナルジェス卿は「任せておけ」と一言いって、慣れた手つきで焚き火に薪をくべた。
どうやら、こういう野営の経験も豊富なようで動きに淀みが無い。
「慣れているのですね」
「数ヶ月前に、大規模な山狩りをしたことがあってな」
「山賊ですか……」
「さすがに騎士団長の方にも情報がいっていたか」
「まあ……そんなところです」
まさか、母が教えてくれたとは言えずに口を噤む。
どこから情報を仕入れてきたのかわからないが、情報屋も顔負けの正確さである。
「あの頃は、殆ど館に戻ることなく野営地で生活していた。貴族でも焚き火を扱えるのは私くらいだろうと思っていたが、ベオルフのほうが上手だな」
「私は、両親の知識だけではなく、最北端の地でも学びました」
「騎士団長夫妻の知識というものも凄いが、北の辺境であれば納得だ。火が無いと凍死してしまう地域だからな」
「小さな子供でも焚き火の扱いを知っているのには驚きました」
「それは凄いな……そう考えると我が地方は恵まれている方だな。北の辺境は、いつも凍死者と野生生物と食料に悩まされていると聞く。あとは、熱病も多いとか……」
「風邪をこじらせるケースが多いですが、ルナティエラ嬢が知恵を貸してくれたおかげで、それも大幅に改善されました」
「彼らが聖女と崇める気持ちがよくわかる」
少し沈んだ声で「それだけの知恵者が近くにいれば、どれだけ助かっただろうか」と呟いたナルジェス卿は、木の棒を巧みに使い、薪を動かして空気が入りやすいように空間を作っていた。
どうやら、引き続き火の管理をしてくれるようだ。
私たちの会話を黙って聞いていたアーヤリシュカ第一王女殿下は軽く肩をすくめると、護衛二人の様子が気になるのか、彼らの元へ歩いて行く。
とりあえず、夕飯は私任せであると理解して無言で手を動かした。
近くを流れている小川から水を汲んできたマテオさんは私の近くにバケツを置くと、すぐさまサポートへ回ってくれるのがありがたい。
鞄から取り出した豊富な野菜を水で洗うのだろうと考えて桶を準備してくれたのだが、鉄鍋を準備して欲しいとお願いした。
せっかく汲んできてくれた水を使う必要は無い。
洗浄石を取り出して野菜を綺麗にしていると、「使い慣れたものですな」とマテオさんに笑われた。
実のところ水で洗うよりも、この洗浄石を使って綺麗にするほうが性に合っている事に気づいたのだ。
水を探すより洗浄石を手に取ってしまうのは何故だろうか――
どこか馴染んだ感触であり、私が知っているものよりも高性能である気がする。
知っているも何も、これを使うのは初めてだろうに……と、心の中でツッコミを入れてから、マテオさんが準備してくれた鍋にベーコンを入れた。
ナルジェス卿が管理してくれていた焚き火を囲う大きな石の上に大きめの鉄板を置き、その上に鍋をのせる。
なるべく平坦になるように石は組み上げていたが、問題は無いようだ。
本来なら、石をかまどのように積みあげて小さな鉄製の網の上に鍋を置くか、太い木を組んで鍋をつるせるように工夫するが、主神オーディナルの鞄のおかげで、要らない手間を省くことが出来る。
鉄板の余っているスペースに平たく成形したパン生地を置くか、小さな鉄製の鍋に入れて焼くか考えているうちに鍋が熱され、鍋の中に入れたベーコンが良い感じに音を立てる。
良い感じに脂が出てきたところで、野菜を適当な大きさに切って鍋に入れ、ルナティエラ嬢が教えてくれたハーブソルトを投入した。
野菜に軽く火が通った頃合いを見て水を注ぎ入れ、コトコト煮込んでいく。
スープはこれでいいだろう。
野外料理なので手の込んだものを求められては困るが、なるべく旨い食事を作りたいものだ。
ルナティエラ嬢だったら野外料理だと思えない食事を出してきそうだが、彼女ほどの腕前や知識は無い。
やはり、人には知識が必要だと思う。
その点、彼女は知識の宝庫であった。
今では、その理由も知っているし理解することも出来る。
ルナティエラ嬢だけではない、ハルキとの出会いは国の違いなんて言葉では片付けられない、全く次元の違う文化に触れる良い機会であった。
人知を超えた世界の異文化に触れる経験など、簡単に出来ることではない。
そう考えると、全く価値観が違う世界を行ったり来たりしている時空神は凄いのだな――と、飄々とした態度からは感じられない苦労を垣間見た気がした。
「ベオルフ様、パンの生地もいい具合に膨らんでおりますよ」
物思いにふけっていた私に、マテオさんが控えめに声をかけてくれる。
こういう気遣いが本当にありがたい。
「良いタイミングだ」
「ねーねー、ベオー! うさぎぱんって作れるー? チェリシュのお気に入りなんだって時空神様が教えてくれたんだー」
「まさか……ルナティエラ嬢が作ったのか? 今度は何を作ろうとしたのやら……」
思い出されるのは、彼女の壊滅的な絵のセンスである。
芸術ならば何でも許されるという域を超えた代物に頭痛を覚え、最終的には暗号を解くように、彼女の描くものを推理したものだ。
以前も、ウサギを作ろうとして犬と間違えられていた。
「何だ? ルナティエラ嬢は……その……不器用……なのか?」
「いえ、ただ単に、彼女の芸術センスが誰にも理解出来ない域にあるだけです」
「ひでぇ……普通にヘタっていうよりもひでぇよ……」
ラルムの呟きは聞こえなかったことにして、頬を引きつらせるナルジェス卿に「ご理解いただけましたか?」と声をかければ、彼は無言で数回頷いた。
「アンタさ……ルナティエラ様にキツくねぇか?」
「普通だろう」
「ベオはねー、親しい人ほど辛辣な事を言っちゃうんだよー。でも、そこに悪意が無いのはわかってるから、ルナも拗ねるけどペチペチ叩いて許しちゃうんだー」
「ペチペチ……叩く?」
「そうなんだよー、二人だけの合図っていうのかなぁ、『これ以上はダメ』というラインを教える合図みたいな感じー? ベオはそれが見たくてやってるところもあるんだー」
「お前って……そういう感じ? え? マジで?」
「何をそんなに驚くことがある。別段、普通のことだろう」
「……え?」
何故か、ラルムとナルジェス卿の声が重なり、それを楽しげに見ているマテオさんが「まあまあ」と声をかける。
何かおかしな事でもあっただろうか。
「でもさ、普通はあんな言われ方したら傷つくだろ……」
「傷つく?」
そうなのか?
ルナティエラ嬢が……傷つく……?
それはマズイなと考えていたのだが、ノエルが笑って否定する。
「ぜんぜーん! 言い方がアレでも、ベオってルナの前だと声が優しいし甘いから、ぜーんぶわかってるんだー。からかっているときの楽しそうな声とか、ルナの前でしか聞いたことないもんねー」
「……そうか?」
自分ではわからないが、どうやら随分と違うらしい。
そこまでの違いが現れるのは意外であったが、まあ……ルナティエラ嬢は特別だから納得できる部分もある。
「ねーねー、ベオ。目を閉じてー」
「……ん?」
「いいからー!」
しょうがないと言われたとおりに目を閉じる。
パン生地を成形していたのに、これでは作業中断もいいところだ。
しかし、ノエルが何を考えているのか気になり、次の言葉を大人しく待った。
「ルナが『うさぎぱんを作って欲しいです』と言っているところを想像してみてー」
ふむ――おそらく、目をキラキラさせて、作って欲しいと強請ってくるだろう。
少しだけもじもじしながら、それでも期待を隠せない瞳や表情が可愛らしくて、ついつい頼みを聞いてしまうだろう自分が想像できた。
「ベオだったら、どう返答するのー?」
「そうだな……『まずは私に作ってみてくれ。それを参考に作ってやろう』……か」
きっと、そう言ったら、彼女は頬をぷっくり膨らませて「意地悪です!」と言いながらも、頑張って作ってみるのだろう。
結果、歪にできたソレをうさぎだと言い張って譲らない。
そして、今度は私に作ってみろというところまで容易に想像することができた。
「本当に……困ったものだな」
そう呟いて瞼を開くと、場が静かになっていることに気づいた。
どうしたのだろうかと疑問に思い周囲を見渡してみるのだが、ノエルは「ぷくくっ」と笑っているし、ラルムはあんぐりと口を開いて言葉も出ない様子だ。
ナルジェス卿は目元を抑え、此方へ戻ってきたらしいアーヤリシュカ第一王女殿下は、大きく目を見開き、何故か頬を紅潮させて数歩下がった。
「あ、アンタ誰っ!?」
「は? 何をおっしゃっているのか意味がわかりません」
「あ、いつものベオルフだったわ……え? 今のなに? どういうこと?」
護衛二人も顔を見合わせて何やらコソコソヒソヒソ話をしているし、居心地が悪い。
そんな中、ノエルが口を開いた。
「ねーねー、ラルム。これでもルナが傷つくと思うー?」
「あ……いえ……全然……思いません……あり得ません……杞憂でした」
「本当に、ベオルフ様はルナティエラ様が大切なのですね」
朗らかに笑うマテオさんに、何故そんな当たり前の事を聞くのだろうと首を傾げるのだが、取りあえずはパンの成形をして焼かなければ時間が遅くなってしまうと手を動かし始める。
どういう意味があったのかわからないが、ノエルは満足してラルムも納得したようだ。
とりあえず、ノエルがリクエストした『うさぎぱん』というものを考えていると、どこから会話を聞いていたのか、ぴょこりと毛布から顔をのぞかせた紫黒がイメージを送ってくる。
これは便利だが……だんだん人間離れしている気がしてならない。
しかし、善意で動いてくれている紫黒に感謝して、パンを成形することに集中する。
顔だけで良いのなら、真白や紫黒に似せたものを作ってみるのも一興だ。
私の考えが伝わったのか、紫黒が目をパチクリさせてから、控えめにだがキラキラと期待に満ちた光を宿すのがわかった。
子供らしい反応だ。
普段頑張っているのだから、少しくらい甘やかすのも良いだろう。
うまく出来るかわからないが何通りか作って焼いてみようと、以前よりも慣れた手つきでパン生地を成形するのであった。
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