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狭間の村と風の渓谷へ
39.神の力って……どうなってんだ
しおりを挟むそれぞれが必要な買い物を終え、馬車に荷物を詰め込み本格的な準備を開始したのは、昼食後であった。
夜は野宿になると聞いた宿屋の女将と酒場の主人が、善意で準備してくれた携帯食が傷まないよう一手に預かって鞄に入れ、かさばる物も私の鞄に収納する。
それを見ていたラルムは若干引いていたが、彼らの善意を無駄にしたくなかった。
まあ……どこからどうみても主神オーディナルの加護の賜物である鞄の性能に、驚くのも無理は無い。
事実、どれだけの物が入るか想像も出来なかったのだろうが、自分の目で確かめたことで異質さを実感して、言葉にならなかったのだろう。
それなのに、ノエルから「中に入って寝ておく?」などと言われた彼は、必死に首を横に振って、珍しく私に助けを求める視線をよこした。
中がどうなっているかわからないが、居心地良く過ごせる保証は無いし、生きて出てこられるとも限らない。
さすがにノエルを止めていたら、護衛の二人を試しに入れてみる? と言いだし、彼らが泣く前に、これもまた止めておいた。
ルナティエラ嬢ゆずりの好奇心かはわからないが、とんでもないことを言い出すものだ。
一度、ルナティエラ嬢から強く言って貰った方がいいかもしれない。
ノエルはルナティエラ嬢に弱いからな……
「さて、これで荷物は全部か?」
ナルジェス卿が従者と御者に確認をしている声が聞こえる。
まだ体調が戻らないラルムを先に馬車の中へ押し込めた私は、忙しそうに動いている護衛達に指示をしていたアーヤリシュカ第一王女殿下へ歩み寄った。
「手順通り、我々が先行します」
「ええ、お願いね。何かあったら、すぐに馬車を止めて連絡して」
「わかりました」
アーヤリシュカ第一王女殿下の荷物が運び込まれている馬車は、少し重そうだ。
やはり、かさばる物を先に引き取って正解だったと胸をなで下ろす。
重くて馬車が動かないなんて話になったら、洒落にならない。
マテオさんが商人達との取り引きを終えて資金を支払い戻ってきたので、彼にも馬車へ乗り込み、ラルムを見張っておいて欲しいと頼み込む。
何かにつけて動こうとするのは、元々の性分なのだろうが……今は素直に言うことを聞いて休んでいて欲しい。
「ベオー、ちゃんとやってきたよー!」
「助かる。紫黒、どうだ?」
「……問題無い。ちゃんと作動している」
肩にとまっていた紫黒がノエルがやってきた方角へ一瞬だけ視線を向けたが、すぐに目を閉じてしまった。
それだけで確認が出来るのは流石である。
ナルジェス卿とアーヤリシュカ第一王女殿下と護衛二人が乗り込む馬車にも主神オーディナルの加護はあるが、先行することになれば後方から攻められたときに後手に回ってしまいかねない。
それを危惧した紫黒がノエルに力の使い方を教え、神獣の間ではよく使われる監視を行うための術を施したようだ。
これで、敵襲があったとしても素早く対応できる。
「また来てくれよな」
「黎明の守護騎士のあんちゃん、達者でなー!」
「ルナティエラ様と仲良くなー!」
昨晩まで酒場で一緒に騒いでいた男達が見送りにきてくれたのだが、何故そこでルナティエラ嬢の名前が出るのだろうか。
しかも、喧嘩した覚えも、不仲になった覚えも無い。
彼女との関係は、至って良好である。
「問題無く仲が良いのだが……」
「見てないから心配なんじゃないー? ベオとルナの仲よさげな感じって、言葉では伝えられないもーん」
確かにと頷いた紫黒は肩から移動すると、私の膝上で丸まったノエルの懐に入り、目を閉じてしまった。
どうやら眠り足りないようだ。
「ノエルは隣に座らないのか?」
「ベオのお膝がいいー。紫黒もそうだよー。ベオの力を感じながら眠ると、元気になれるからねー」
「回復の力が助かる……ラルムも隣に座るといい。回復が早くなるはずだ」
「……え、いや……暑苦しいっていうか……」
「座りなよー。せっかくあけてあげたんだからー」
なんだ、そういうことだったのかとノエルの頭を撫でると、「えらいでしょ」と目を細めたので目的地に着いて食事をとったらブラッシングをしてやることを約束した。
とても気まずそうに……ノエルに言われたから仕方なく隣へ座り直したラルムは、「おや?」と首を傾げる。
「何か……少し楽になる?」
「ベオの力だよー、すごいでしょー! ラルムの傷も、殆どベオが治してくれたんだよー? ルナが手助けしてくれたから違和感ないでしょー? でないと、手が使えないところだったよー」
それでハッキリと記憶が蘇ったのか、彼はナイフで刺した腕の袖をまくり上げ、あらわになった前腕を確認した。
「傷跡一つ……ない……」
「ベオとルナが揃ったら、それくらい朝飯前だってー」
「嘘でも誇張でもなく……本当に、黎明の守護騎士なんだな……いや、疑っているワケでは無いんだけどさ。何と言うか……あまりにも現実離れした……神話の中にあるようなことが目の前で起きているのが信じられなくて……」
「お気持ちは痛いほどわかりますが、事実――ですよね」
「そう……事実……だから困る」
「光栄だと思えば、楽になりますよ」
切り替えが早いな……と、ラルムが半眼でマテオさんを見る。
しかし、彼は動じた様子も無く「商人ですから」と朗らかに笑って目を細めた。
ここまで慕い、受け入れ、付いてきてくれるのは有り難いが……マテオさんの負担になっていないか心配だ。
「それに、オーディナル様はベオルフ様を本当の息子のように大切にされていらっしゃいます。そんな方の従者になれるなど、誉れ以外の何者でもありません。広く知れ渡った後では、お目にかかることすら難しくなっていたはずです」
「……まあ、辺境の貧しい村人の俺が、貴族であり英雄の息子でもあるベオルフに会う機会なんて無かっただろうな。しかも、主神オーディナル様が大切にされている……言葉に並べただけでも気が遠くなる」
隣で盛大な溜め息を吐き出したラルムは、椅子に深く腰をかける。
「しかし、貴族の馬車ってのは違うんだな。全く揺れないし腰や尻が痛くならなくて助かる」
「いや、それはおそらく……主神オーディナルが……」
「普通そんなことにまで気を配るのか? 親でもやらないだろっ!?」
「だからー、オーディナル様はベオとルナ限定で過保護なんだってー。もし、ベオがお腹空いたって言ったら、周囲を畑にしたり果樹園にしたり野生の獣でいっぱいにしたりして、お腹を満たせるように手配しちゃうくらい甘いんだからー」
「自然の摂理が狂うからやめていただきたいな……」
私の冷静なツッコミを聞いたラルムは、口をあんぐりと開けて此方へ視線を移した。
「アンタが常識人で良かった……もし万が一、第二王子が加護なんて貰っていたら、とんでもないことになっていたな」
「あり得ないってー! ルナをいじめた奴なんだから、オーディナル様が加護を与えるわけないよー」
ぷくくっと楽しげに笑うノエルの言葉は、何も安心が出来る要素が無く、ラルムは天を仰ぐ。
「神の力って……どうなってんだ……」
「オーディナル様限定でいうと、何でも出来るし、何でもやれるし、世界を滅ぼすことも簡単かなー」
「物騒だな!」
「人間の尺度で考えてはいけない。主神オーディナルは神であり、創造神なのだ。自分に牙をむく創造物を無視するほど甘い方ではない。創造と破壊は表裏一体。滅多なことをしなければ無関心でいてくださるが……敵と認識したものには容赦が無いのだ」
私の説明を聞いていたラルムとマテオさんの顔色が悪くなっていくのを見ながらも、それが事実なのだから仕方が無いと深い溜め息をついた。
主神オーディナルにとって、人の命は何を置いても大切にし、守らなければならないものではない。
「じゃあ、ハティ様――いや、ハティがやっていることは、この世界の破滅への第一歩じゃないか……」
「アイツにそれだけの認識があるとは思えんがな……自分の考えや欲望や願望を優先した結果なのだろう」
「己の欲望に忠実で、他者を虫けらのように考えている目をしておりました……」
マテオさんにまでそう評された黒狼の主ハティ――果てして、今頃何をしていることだろう。
おそらく、我らの動きを把握して、色々と策を巡らせている頃ではないだろうか。
アイツの相手は疲れるが、無視するわけにもいかない。
奴の関心が、ルナティエラ嬢のみに向かわないよう阻止しなければ、彼女の身に危険が迫る。
リュートがいても、異なる世界の力と真っ向切って勝負するのは難しいはずだ。
今のところ、私が優勢に見える。
しかし、いつまでも優勢でいられるとは限らない。
彼らの背後にいる者が動き出す前に、ケリをつけておきたいのだ。
そう考えていた私の右肩に、重みがかかる。
なんだと視線を向けると、暫くの静寂で気が緩んだのか、それともノエルの術のせいか、ラルムが静かな寝息を立てていた。
「……ノエルか?」
「うん。休ませてあげないとねー」
「まだ顔色が良くありませんし……貧血の時に良いとされる野菜も手に入れてきましたので、スープに入れていただきましょう」
「ほう……そのような野菜があるのか」
「はい。少し苦みのある葉物野菜なのですが、貧血に悩まされる女性が好んで食べるようです」
「そういうことでしたら、ラルムに食べさせましょう」
体調が悪くても無茶をするラルムを気遣って手配してくれたのだろう。
マテオさんの心遣いに感謝しながら、「私の肩くらいいくらでも貸してやるから、早く元気になってくれ」と祈るように、荷物から取り出した毛布をラルムの体にかけてやった。
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