黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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狭間の村と風の渓谷へ

2.甘い香りの中に覚える、かすかな違和感

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 目の前で倒れているルナティエラ嬢を抱えてベッドへ寝かすことすら出来ないのか……
 強く握る手にジクリとした痛みを覚えるが、そんなことはどうでも良かった。
 彼女が現在感じている痛みや苦しみの比では無いのだ。

「誰か……きた……気が……」

 かすれた声でそう言う彼女の体を覆うように抱きしめるが、すり抜けてしまうのが悔しかった。
 薄着で絨毯を敷いているとは言え冷たい床に這いつくばっているために冷えているのか、寒さに震える細い体が痛々しい。
 ぬくもりを少しでも伝えたいという願いのままに覆い被さっているが、彼女に熱を伝えることすら出来ないのだ。
 作物の収穫時期は冬支度を始める獣も多く、食べ物が少ない最北端の地では人が獣に襲われることも多い。
 そういうこともあり、最北端の地にいる領主と懇意にしているアルバーノに乞われ、最北端の地へ赴いていた頃だろう。
 現地では危惧したとおり人を襲う獣が多く、沢山の人を救うこととなったが、もっと……すぐそばに、守るべき人はいたのではないのか?
 過去の自分に語りかけても変わらないことはわかっていても、そう考えずにはいられない。
 こんなに苦しんでいたなんて……知らなかった。
 だからといって、許されることでは無い。
 彼女が今現在抱える苦しみを、少しでも緩和することが出来るなら、なんだってするというのに───

「あら、床に這いつくばって無様ね」

 声に反応して振り返り見ると、先ほどルナティエラ嬢のことを馬鹿にしていた侍女が戸口に立っていた。
 棘のある冷たい言葉だけではなく、汚い者でも見るかのように見下してから何事も無かったかのように横をすり抜けたかと思うと、ベッドサイドに備え付けられている小さなテーブルの上へ持っていたティーポットを置く。

「カルミ……ア?」
「じゃあ、お嬢様。私は帰りますね。あとは、お茶でも飲んでおくつろぎください。一応、風邪に効くお薬を入れておきました」

 お茶くらい、一人で飲めるでしょう?
 嘲りを含んだ笑い声が部屋に響く。
 本来であれば、主が倒れていたら慌てて駆け寄り、その体を支えるだろう。
 しかし、目の前の女は、ルナティエラ嬢のことを全く考えていないどころか、蔑むことで自分が優位に立っていると錯覚でもしているのではないだろうか。
 それに、今ならわかる。
 この女には、あの黒狼の主が仕掛けた術の影響は無い。
 つまり……コイツは、元々こういう性格の女だと言うことだ。

 ギリッと奥歯を噛みしめてカルミアと呼ばれた女を睨み付けると、何かを感じたように体を震わせて喉元を何度もさする。

「なに? 急に……息苦しく……もしかして、病気がうつったのかしら。あーあ、お嬢様のせいで病気になってしまったではありませんか。人に迷惑しかかけない、どうしようもない方」

 言葉の刃は、容赦なくルナティエラ嬢を傷つけていく。
 それが少しでも彼女の耳に入らないように祈りながら、ルナティエラ嬢の両耳を手で塞ぐ。
 こんな言葉で傷ついてくれるな……こんな、どうしようもない性悪の女の言葉など、聞く価値も無い。

「あ、忘れていたわ。あの方がお茶だけは飲ませろって言ってたっけ……面倒ね」

 あの方?
 それが誰なのか考えるまでもなく、何故か黒狼の主であると感じ、女の言葉に耳を傾ける。
 コイツは、黒狼の主と繋がっていたのか!
 そんな女をそばに置いていた彼女がどんな状況であるかなど、ヤツには手に取るように理解出来ただろう。
 それどころか、危害を加えようとすれば簡単にできたはずだ。
 ミュリア・セルシア男爵令嬢の誘拐未遂事件に関する証拠も、ねつ造することなど容易い。

 きっと、ミュリア・セルシア男爵令嬢誘拐未遂事件に関しての情報を、この女は持っているはずだ。
 黒狼の主が生かしているかは疑問だが、操られていないと言うことは体の良い駒として扱っている可能性もある。
 まずは、詳しい情報をクロイツェル侯爵夫妻から聞き、平行して生存確認を急ぐ方が良いだろう。
 こういう女はろくな事をしないため、野放しにしておくのは危険だ。
 主であるルナティエラ嬢をこれだけ手ひどく扱ってきたのだから、罪状などいくらでもつけて身柄を確保することが出来る。
 その際、多少手荒くなり、拘束後はどうなるか知ったことでは無いがな。

 何せ、ルナティエラ嬢に心酔するナルジェス卿と、こういう陰湿な行為を許せない性格のアーヤリシュカ第一王女殿下がいるのだ。
 私が何かせずとも、タダでは済むまい。
 まあ、私が何もしないとは言えないが───

 ここに来た理由は、この女のことを知るためか?
 いや、この女……黒狼の主にお茶を飲ませるように指示をされていたのだったな。
 小さなテーブルの上にあるポットをじっくり見るとわかるのだが、とても嫌な感じがする。
 なんだ……この感覚は。

 女は面倒くさそうにポットからカップへ茶を注ぎ、それを片手に、ルナティエラ嬢の方へ歩いてくると顎をくいっと持ち上げてカップを口元へ運ぶ。

「どうぞ。風邪に効く薬ですから飲んでくださいね」

 瞬時にダメだと感じた私は、その女の手をカップごと払いのけるのだが、無情にもすり抜けてしまう。
 くそっ!
 舌打ちしたい気持ちを堪え、過去に起きた現象を見るしかないのかと悔しくて仕方が無い。
 しかし、その視野の端で、ルナティエラ嬢の左腕がピクリと反応していたのを見逃しはしなかった。
 そうだ……もしかしたら、出来るかもしれない。
 はやる気持ちや怒りの感情を抑え込み、ただルナティエラ嬢とリンクさせたときの感覚を思い出す。
 そう……ゆっくりと、意識をつなげるように───

 左腕に宿る不可思議な感覚を信じ、ゆっくりと持ち上げて女の腕を掴んだ。

「な……なんて……力……どこからっ……痛いわねっ! 離しなさいよ!」

 ギリギリと締め上げるだけではなく、相手の腕の内側、親指側にある筋をキッチリと親指で押しているので、痛む人もいるかもしれない。
 だが、知ったことか。
 不意打ちの反撃を食らった侍女はカップを落として慌てて距離を取るために腕を振りほどこうとするが、ほぼ意識が無いルナティエラ嬢の腕を振りほどくのに、随分と苦労しているようだ。
 まあ、掴んでいるのは私なのだから、仕方の無いことである。

 床に落ちたカップは、絨毯の上に落ちたので割れることは無かったが、液体がこぼれてシミを作りながら広がっていく。
 紅茶にしては黒く、奇妙な匂いがした。
 甘い香りの中に覚える、かすかな違和感というべきだろうか───

 其方に気を取られていると、どうやら腕を振りほどくのに成功したらしい侍女は、忌ま忌ましげに舌打ちをしたあと、大きく足音を踏みならしながら寝室の出口へ突き進む。

「ふんっ! そのまま凍え死にでもしたら良いわ! ずいぶんと寒くなってきたし、熱があるのに暖炉もナシだったら、どうなるんでしょうね。せいぜい、苦しみ抜くが良いわっ!」

 女はそれだけ言うと乱暴に扉を閉め、寝室を出て行ってしまった。
 ルナティエラ嬢の口に、お茶が入らなくて良かったと安堵している場合ではない。
 だんだん冷え込んでくる時間帯だというのに、暖炉も無く、絨毯はあるといっても冷たい床の上だ。
 しかも、高熱を出しているルナティエラ嬢が、こんな場所にいて良いはずが無い。
 過去に起きたこと───だが、多少なら干渉できる。
 いや、もしかしたら、私が干渉していたのかもしれない。
 この状況から考えて、ルナティエラ嬢はまともに食事もしていないはずだ。
 水分も取っていない。
 
 このまま放っておけば、確実に死が迫る危機的状況を救う者は皆無だ。

 私は最北端の地へ向かっている最中だし、セルフィス殿下はミュリア・セルシア男爵令嬢のことしか頭にないため、全く役に立たない。
 アルバーノが来るはずも無く、他のクラスメイトたちが心配して足を運ぶはずも無い。
 教員たちも同じく……だ。

 私しか居ないでは無いか!

 そう思うのだが、現時点では左腕をかろうじて動かせただけの私に打つ手など無い。
 ルナティエラ嬢は、ほぼ意識が無い状態であり、左腕を動かしてベッドまで戻るなんて不可能だ。
 どうする……どうすればいい。
 私にできることであれば何でもする。
 だから、ルナティエラ嬢を救う力を私に───

 そう思った瞬間、頭の上にぽすんっと何かが落下してきた。
 そして、その重みに覚えがあったので頭を動かすこと無く、ソッと手を頭の上にやって落下物を掴むと目の前へ持ってくる。

「ぴゅぃっ」
「やはり、お前か」

 片方の翼を器用にあげて鳴く小鳥は、まるで挨拶でもしているかのような気軽さだ。
 続いてもう一羽も現れ、私とルナティエラ嬢を交互に見てから、責めるように鋭く鳴いた。

「駄目なのだ……私の腕がすり抜けてしまう。私だってできることなら、ベッドへ戻してやりたい。自力で起き上がるのも難しい状態だとわかっているが、どうすることもできんのだ!」

 最後は、吐き捨てるように言ったために、語尾が強くなってしまった。
 それに驚いたのか、天色の冠羽を持つ私に掴まれている小鳥がびくりと体をこわばらせたあと、心配そうに「大丈夫だよ」と言うように戯れ付いてくる。
 その愛らしい姿に、こわばっていた体から力が抜けていくのを感じた。
 焦っても仕方が無い。
 わかっていても、気持ちばかりが急いてしまう。
 この間にも、ルナティエラ嬢は苦しげに荒い呼吸を繰り返しているのだ。

 周囲を見渡していた天色の冠羽を持つ小鳥は、紫紺色の冠羽を持つ小鳥にぴゅぃぴゅぃ話しかけるように鳴き出した。
 紫紺色の冠羽を持つ小鳥は、少し思案した様子を見せたあと、小さく頷いて私の右肩に止まると黄金色に輝き始める。
 それにあわせて、私の左肩にとまった天色の冠羽を持つ小鳥が銀色に輝き始めた。
 金色と銀色の粒子が飛び散り、それは純白の輝く光……いや、夜空に浮かぶ一番美しい星のような輝きへと変化していったのである。

「ぴゅぃ」

 手を出せというように翼でペチペチ叩かれた私は、恐る恐る、意識がもうろうとしているルナティエラ嬢の体へと腕を伸ばした。
 すると、先ほどはすり抜けたというのに、しっかりとした感触を得ることが出来たのである。
 抱え込んでみると、最近知った感触よりも軽い彼女の体は、いとも簡単に持ち上がってしまう。
 こんなに……痩せていたのか。

 制服は肌の露出を極力しないような構造になっているため、ある程度誤魔化すことが出来る。
 だが……こんなに軽いとは思わなかった。
 抱き上げてベッドへ寝かせ、薄い布団をかぶせてやるが、これでは暖を取るのも難しいだろう。
 本当に侯爵家の娘なのかと思ってしまうほど、酷い扱いだ。
 セルフィス殿下がミュリア・セルシア男爵令嬢と懇意にしはじめたことで、ルナティエラ嬢の存在意義が無くなってしまったのだと考えた者が多かった証のようにも感じられた。
 第二王子の婚約者という肩書きが無くなったら、ルナティエラ嬢は価値のない者だと言われなければならないのか?
 あんな男の為に、ここまで窮地へ追いやられるのか?

 やはり、セルフィス殿下は思い切りぶん殴る。
 一発では済まさん。
 骨にヒビが入ろうが、折れようが、知ったことでは無い。

 いや、今はそれどころではないな。
 余計なことを考えずに、彼女の熱をなんとかしなければ……
 洗面器は朝顔を洗うために部屋へ常備されているはずだ。
 布もあるだろうから、それを準備しよう。

 ベッドの中で苦しげな呼吸を繰り返すルナティエラ嬢の頭を撫でてから、私は一度寝室を後にした。

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