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南の辺境ヘルハーフェン
31.この二人の絆を信じてみたい
しおりを挟むルナティエラ嬢がいう、良い状態に仕上がったリンゴは、先ほどの薄切りリンゴとは違い茶色に仕上がっていた。
これが、旨いのか?
多少の不安を覚えながら、パンの実から出来た生地を麺棒で薄くのばすよう言われ、ある程度伸ばした物を型の上に載せて麺棒を転がし、型にあわせて余分な生地を排除する。
そして、膨らみを防止するために、フォークで穴をあけていった。
全てはルナティエラ嬢の指示だが、どういう目的で行う作業なのか説明をしてくれるので、とてもありがたい。
それに、私が宿屋の主人たちに説明をしながら作業をする時間も取ってくれている、細やかな心遣いに感謝しかなかった。
30分ほどオーブンで焼いて粗熱を取り、レイゾウコという便利な道具で冷やし固めるのが、この菓子の作り方らしい。
しかし、そうでなくても出来ているだろうとルナティエラ嬢は考えているようだ。
とりあえず、粗熱を取り、暫く冷暗所で冷やしたという状態にしてくれた主神オーディナルは、出来ただろうかと心配そうにタルトタタン風パンの型を見つめている。
これを、娘や息子と話をしながら行うのだから、本当に器用な方だ。
ルナティエラ嬢の方はと言うと、レイゾウコの失言から弟子にレイゾウコがないのに、レイゾウコが必要なレシピを知っているのかと質問され、言葉に詰まって固まっているところを時空神の機転に救われたようである。
大丈夫だろうか……
一抹の不安を覚えながらも、あちらはあちらで大変そうなので、自分たちの作業に没頭することにした。
一応、冷暗所で2時間寝かした状態にしてあるらしく、触れてみると少し冷たい。
型から取り外すには皿の上にひっくり返す必要があるようで、型に丁度良い大きさの皿を持ってきて貰い、皿を上にかぶせてから、多少勢いをつけてひっくり返す。
すぐに音を立てて型から離れてくれたようだが、レイゾウコというところで冷やし固めたら、そう簡単には外れないそうだ。
冬場に作るときは、型を少し温めた方が良さそうである。
そういう注意を促しながらも、ゆっくりと型を取りはずすと、煮詰めているときよりも色が濃くなったリンゴが綺麗に敷き詰められたパンが姿を現した。
いや、今まで作ってきたパンとは違い、ほとんど膨らんでおらず、平べったく感じる。
「どうやら、これで良いようだな」
問題は色だ。
茶色というよりは黒に近い色へと変化していたのである。
焦げて……いないよな?
固唾を飲んで見守っていた一同が、おぉっとどよめき、先ほどとは全く違うリンゴ料理に目は釘付けだ。
作り方のレシピに不備はないかどうかと、宿屋の女将と若女将に質問され、記された文字を目で追う。
その間、男たちはできあがったタルトタタン風パンを、真剣に観察しているようである。
私だけでは、レシピに不備があるかどうかわからない部分もあり、ルナティエラ嬢に尋ねることも多かったが、とても満足のいくレシピに仕上がったようだ。
「うわぁ……うわー、出来たね、ボクのリンゴで作ったお菓子だー、ねーねー、ベオー、コレは食べていいの? こっちはいいよね? ねーねーっ!」
『そうだな。華やかな菓子は仕方が無いとして、此方は良いだろう?』
まあ、味を見ておかなければ、心配な色合いだし、ここにいるみんなで分け合って食べるのも良いだろう。
作業で疲れた体に回復は必要だ。
女将に言って大きめの包丁を持ってきて貰い、人数分にカットする。
そして、一人一つずつだぞと言い聞かせ、全員に行き渡ったことを確認してから一口食べてみた。
「なるほど……ほろ苦いのに旨いとはこういうことか」
甘いのに苦い。
だが、嫌な苦さではない。
苦さが心地よいなど……あ、いや、最近経験したばかりだったな。
ハルキが淹れてくれたコーヒー以来……か?
アレは香りが良くて、もう一度味わいたくなったが……どこかで入手できたら嬉しい一品である。
『お好きですか?』
問いかけてくるルナティエラ嬢に、私は静かに頷いた。
「ああ。こういう感じなら多少甘くても大歓迎だ」
『それは良かったです。今度、カラメルソースをたっぷりかけたプリンでも作りましょうか』
私のために、すぐこうしてレシピを考えてくれることが嬉しく感じる。
彼女は身内に甘い。
こういうところで、気遣って貰っているなと感じることが出来る。
心地良い気遣いと心に響く優しさが、素直に嬉しい。
だが、これほど優しくあたたかい存在を傷つけようとする者が居る。
それだけは、我慢がならないのだ。
いかんな……いま、怒りで心を満たせば、ルナティエラ嬢に気づかれてしまう。
平常心だ。
気持ちを落ち着けるために、周囲へ視線を向ける。
視線の先では、完成したばかりのタルトタタン風パンを頬張り、美味しいねと口元を緩めて笑い合っている。
こういう光景を見ていると、自然と心は和むものだ。
大事そうに両方の前足で器用にタルトタタン風パンを抱え込み、はぐはぐ食べているノエルの愛らしさに、ふっと口元が緩む。
しかし、次の瞬間には口元が引き締まり……いや、引きつるような感覚を覚えた。
切り分けられたタルトタタン風パンの一つが、船の時と同じように浮いていたのである。
「主神オーディナル……浮いていますから隠してください」
『す、すまん』
小声で注意したので周囲には気づかれていないだろうが、本当に困った方だ。
気を抜くとコレである。
今まではそういうことがなかったのだろうか……
まさか、各地で『宙に浮く食べ物』などという記述が残っていたりしないだろうな。
一応、誰も気づいていなかったようだが……いや、マテオさんは気づいていたがあえて何も言わないで居てくれたようだ。
本当に、よく出来た人である。
『旨いな。こういう苦さは良い。大人の味というやつだ』
「じゃあ、この美味しさがわかるボクも大人だねっ!」
『そうだな』
主神オーディナルとノエルの会話を、周囲の者たちも大分慣れたのか、とても微笑ましい物でも見るような視線で眺め、ノエルの視線の先にいるであろう神への祈りを捧げる。
皆が、主神オーディナルへの祈りを捧げている様子を見つめており、その姿をただ見守っていた私の耳に、リュートの声が響いた。
『あのさ。負担じゃなかったら、ベオルフと話をさせて欲しいんだけど……いいか?』
真剣な声の響きに何かあると感じ、彼らの祈りを妨げないように声は出さず、主神オーディナルとルナティエラ嬢へ助力をお願いした。
主神オーディナルからはすぐに快諾を得られたのだが、ルナティエラ嬢は首を傾げている。
それからワンテンポ置いて理解したのか、コクコク頷いてから「殴り合いなんてしないでくださいよ?」と、的外れなことを言ってきた。
ルナティエラ嬢の体でやるわけがない。
もし、それが必要なときは、無理を言ってでも自らの体で彼女のそばへ行くまでだ。
今必要なのは、リュートと対話ができる状況になること。
主神オーディナルはすぐに意図を察してくれたのだが……ルナティエラ嬢は、やはり鈍いというか、斜め上というか……
まあ、そこが可愛らしいと感じて強く言えない自分にも、多少は問題があるのかもしれない。
あまり深くは突っ込まないでおこう。
主神オーディナルの力が、私とルナティエラ嬢の繋がりを強め、ノエルが補助してくれることにより、一つ一つの感覚が同調していくのがわかる。
この感覚が懐かしいと思うのは何故だろう。
以前にも、こうやって意識を共有したことがあったような気がする。
互いの意識を共有し、記憶を共有し、足りないところを補い、さらに高みの存在へ───
いや、今はそこに意識を向けて調べたいわけではない。
それよりも、目の前にいるだろうリュートのことだ。
ゆっくりとまぶたを開くと、何かを通してしか見ていなかった男が目の前にいた。
ふと感じたのは懐かしさである。
また会えたな……
そんな言葉が脳裏をよぎる。
ルナティエラ嬢を通して感じる空気が懐かしく、胸が少しだけ締め付けられた。
「───しばし体を借りた。自己紹介が遅れて申し訳ない。私はグレンドルグ王国騎士団長バンフェルト・アルベニーリの長子でベオルフ・アルベニーリだ。今後ともルナティエラ嬢共々よろしく頼む。……それで、話とはなんだろうか」
「お、おう……じゃあ、まずはルナからも聞いているだろうが、軽く自己紹介と行くか。フォルディア王国の黒の騎士団を率いており、『聖騎士』の称号を持つラングレイ家の三男で、リュート・ラングレイだ。こちらこそ、よろしくな。……しかし、すげー違和感」
「今は我慢しろ。私は此方へ来ることが出来ないので、仕方が無かろう」
私とて違和感しかない。
自分で話をしているのに、聞こえてくるのはルナティエラ嬢の声なのだ。
しかも、脳内でルナティエラ嬢が別に話をしているから、余計に混乱する。
改めて目の前の男を見ると、よく鍛えられた体躯に、隙の無い身のこなし、同性でも何かしら惹かれるような物を持った男だ。
だが、その反面、ハルキとも似た雰囲気を持つ。
お人好しであり、争うことを苦手としている感じがする。
戦わなければならないのに、根本的に争うことを好まない男か……アンバランスではあるが、だからこそ、ルナティエラ嬢が安心できるのだろう。
周囲の様子を見ながら、直に彼女が置かれている状況を把握している最中だというのに、当の本人は私との繋がりが気になるようで、脳内で好き勝手に話をしていて……正直に言うと騒がしい。
思考を巡らせたいのに、乱されてしまう。
「ルナティエラ嬢、少し黙っていてくれ」
私の体なのに理不尽だという意識が一瞬流れ込んできたが、すぐさま『お説教怖い』へシフトしていく。
説教などしないと言いたいが、まあ……今は訂正しなくても良いだろう。
「それで、話とは?」
「あー……えっとさ……黒狼の主やいろんなこともそうなんだけど、ベオルフだけに任せちまって、本当にすまねーな」
「気にしなくて良い。この件で怒っているのは、お前だけではないのだ」
そういうと、ルナティエラ嬢のほうから「やっぱりーっ!」と絶叫でもしそうな勢いで意識が流れ込んでくる。
口を開いていなくても意識が主張しすぎていて、これはこれで大変だ。
それよりも、リュートとの会話に集中しよう。
「そっか……あとさ、あんまり無茶はしないでくれよ。ルナがすげー心配している」
「黒狼の主とやり合って無理をしなくてはならないときはあるが、善処しよう」
こればかりは、約束ができない。
しかし、あんなヤツに倒される気など毛頭ないから、その点は安心して欲しいところだ。
主神オーディナルからいただいたアイギスもあるし、ノエルもいるのだから……
「とりあえず、俺がベオルフに言いたかったことはだな」
コホンと咳払いをしている様子を眺め、どうやらコレが本題のようだと察し、黙って次の言葉を待つ。
「ルナのことは心配しないでくれ。俺が責任を持って面倒を見る。不自由はさせないし、泣かせねーようにする。これからは家族や仲間の力も借りて全力で守るから安心して欲しい」
決意のこもった言葉であった。
そんな彼の言葉に、ルナティエラ嬢が心から喜びを覚えていることもわかる。
これだけの覚悟があるのなら、問題は無いだろう。
これまで当たり前のように守っていた大切な人が、自分のそばから離れていく現実が寂しく感じるのだが、今は……この二人の絆を信じてみたい。
「約束する」
「違えるなよ」
「当たり前だろ」
「信じよう」
短く言葉を交わす。
ただそれだけのことだ。
他の者が見たら、それだけで何がわかると言いたくなるだろうが、言葉を重ねるだけで懐かしさと共に感じる強い信頼は本物である。
どうして、初対面の男をここまで信頼できるのか理解出来ないが、魂が知っているように感じた。
この男は裏切らない───と。
まあ、言葉を違えて裏切るようなら、後悔させてやることにしよう。
ここまでの誓いを立てたのだ。
そんなつもりは無かったと言われても、知ったことでは無い。
そう心の中で呟いた私に気づいたのか、主神オーディナルだけが「お前はそういうヤツだよな」と心底楽しそうに笑っていた。
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