黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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南の辺境ヘルハーフェン

30.貸し一つ

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 リンゴのローズタルトという名称がつけられた華やかな菓子は、主神オーディナルが冷やしておこうと何かしらの力を使ったようで、指先が触れた瞬間に周囲へ冷気が漂う。
 それに気づいたマテオさんが少しだけ反応をしたのだが、すぐに何事もなかったように微笑んだ。
 さすがは、様々なことを乗り越えてきた経験を持つ商人である。
 しかし、そのあとすぐに主神オーディナルを見上げたノエルが、「それで腐らないのー? やっぱり冷やした方が良いのー?」と言ってしまったから、全てが台無しになってしまった。
 ノエルは……言っても無駄なところがあるので、仕方が無い。
 そこは、ここにいる誰もが理解しているのだろうか、微笑ましい物でも見るような穏やかな視線で、ノエルの無邪気な姿を見守っている。
 やれやれと呆れている私とは違い、心の広い対応だ。

 しかし、主神オーディナルのおかげで、ルナティエラ嬢が考えてくれた華やかな菓子が傷む心配も無くなった。
 そのことにホッと一息ついていると、向こうでは新たな騒動が起きていたようだ。
 どうやら、時空神が手にしている四角く平たい物で、ルナティエラ嬢が作った華やかな菓子を記録していたようで、それをハルキに見せるのだという。
 彼だったら、妹が何をしていても喜びそうだ。
 だが、ルナティエラ嬢は別のことに気を取られたらしく、私が彼女の世界やニホンという世界の言語を理解している事が、まるで召喚術の召喚術師と召喚獣に似ていると言うことから、私が彼女の召喚獣なのではないかという考えに至ったらしい。
 どうしてそうなった? あり得ないだろうに。
 まあ、もしもそうだとしたら楽……ではあるな。
 危なくなったら呼び出してもらえるのだから、いらない心配をしなくて済む。
 自分の手が届かない世界で問題を抱えたとしても助けにいけないという、悩みの種が一つ減ってくれるのは、正直に言うと有り難かった。
 しかし、今は……それよりも───

「そういう妄想はさておき。もう一つのほうも、作るのでは無いのか?」
『あ……はい! でも、タルトタタンの方は少し時間がかかりますよ? リンゴの水分がなくなるまで煮詰めるので……』
「ふむ……此方も、すぐに出発できるわけではないが……何時間もかかるものなのだろうか」
『いいえ、そこまではかかりません。2時間ほどいただければ……た、たぶん?』

 意外と時間がかかるものだ。
 さすがに、移動する時間を考えたら無理かと呟いていると、私のそばに近づいてきた主神オーディナルが「少し力を使ってやろう」とおっしゃった。
 何を言い出すのかと驚き見上げていると、とても申し訳なさそうな表情で、宿屋の主人たち家族を見渡す。

『僕が世間知らずなせいで、彼らには迷惑をかけてしまった。多少は、利益になるような物を残していきたいのだ』
 どうやら、前日の件を気にしているようである。
 しおらしくされて、そう言われてしまうと断ることも出来ない。
 本来なら、簡単に力を使うことを止めなければならないが……
 何故かノエルも一緒になって、主神オーディナルの足下から私を見上げて「ダメかなぁ……」などと言ってくる。

 私にどうしろと……

 この状況で「ダメだ」と言えるほど、私も悪魔ではない。
 観念して「では、お願いします」と頭を下げた私に、主神オーディナルとノエルがハイタッチをした気配が感じられたが……知らないふりをしておこう。
 笑顔の主神オーディナルが自信満々に「限られた範囲で時間を進めるくらい、容易いことだし、こういうのを時短料理というのだろう?」とおっしゃったのだが、それは少し違うのではないだろうか。
 その証拠に、ルナティエラ嬢からは微妙な気配がして、時空神は何とも言えない表情を浮かべていた。

「主神オーディナル、わかっていらっしゃるとは思いますが、力を使いすぎないようにしてください」
『加減は心得ている。大丈夫だ』
「オーディナル様は、微調整が上手だもんねーっ」

 よくわかっているなノエルと、嬉しそうに頭を撫でている主神オーディナルに溜め息をつき、その辺りは信じても良いだろうと思い直す。
 強大すぎる力を持つ方だが、その加減を間違っての破壊行動は今までに無かった。
 つまり、自身の力がどれくらい影響を及ぼすか熟知しているのだ。
 さすがは、ユグドラシルの補佐をしていた管理者である。

 此方がそんなやり取りをしている間に、あちらは時空神と妻である女神のやり取りを見ていたらしい、ルナティエラ嬢が「いいなぁ」と心の中で呟く。
 まあ……仲の良さそうな夫婦神だ。
 そこは同意する。
 しかし、あの域に達するためには、互いのことを理解する努力が必要だろう。
 そう説明していると、ルナティエラ嬢は意外な言葉を呟いた。

『私はリュート様のことを理解しておりますよ? そして、これからもちゃーんと理解しようと頑張りますともっ』

 ───うん?
 いや、それは……どういう意味で言っているのだ?
 深く考えないで言っていないか?
 その言葉のまま捉えたら、ルナティエラ嬢とリュートが夫婦と同じような関係だと言っているような物ではないだろうか。
 いや、そうなりたいと考えている……と言う方が正しいだろうか。
 ツッコミどころが多すぎて、全て指摘していくのは面倒だ。
 ここは、聞かなかったことにしようと、完全スルーを決め込む。

 しかし、私のようにスルーができなかった男リュートは、私とルナティエラ嬢のやり取りを聞いて真っ赤になり、目元を手で覆ってうつむいてしまった。
 まあ、仕方の無い反応だな。
 どうフォローを入れようか考えていたら、良いタイミングでキュステと呼ばれていた竜人族の男がルナティエラ嬢に声をかけ、時間が無いとせかし始めた。
 狙ったようなタイミングだ。
 リュートの補佐役として申し分ない対応である。
 しかし、それよりもリュートのことが気になるらしいルナティエラ嬢は、無意識に追い打ちをかけかねないので、私も声をかけて制止したのだが、どうやら言葉の選択を誤ったらしい。

「大丈夫だから、暫く放っておいてやれ。それが優しさだ」

 そう言った私の言葉をルナティエラ嬢から聞き、大きく体を震わせたリュートは、驚いたように此方を見つめると、これ以上にないくらい狼狽した姿を見せた。
 どうやら、ルナティエラ嬢をどう想っているか、私に筒抜けであったことが恥ずかしかったようだ。
 むしろ、アレでバレていないと考えている彼のほうが、おかしいのではないだろうか。
 いくら私が朴念仁とルナティエラ嬢から言われていたとしても、すぐに気づいてしまうほどの対応であり、隠す気など最初から無かっただろうに……と思えてしまう。
 狼狽するリュート、気遣うルナティエラ嬢。
 気遣う言葉と行動が、さらにリュートを刺激してしまう見事な悪循環が、ここに誕生してしまった。

 これでは埒が明かないと判断した私は、未だ混乱しているあちらの様子を眺めながら、無自覚な悪循環の元凶である彼女に声をかける。

「リンゴはこれくらいの大きさで良いのか? ごろりとしていて大きい気がするのだが……」

 彼女の気をそらすのなら、料理が一番だ。
 料理の話に食いつかなければ、どこか体調でも悪いのかと疑うほど彼女の食いつきは良い。
 案の定、ルナティエラ嬢は料理人の顔になり、私の質問に答え、手際よく次の菓子作りへ移行してくれた。

 リュート……貸し一つだぞ。

 タルトタタンという菓子を、パン生地で作るという試みを実行するにあたり、ルナティエラ嬢は、どういう方法が良いだろうか思案してくれているようだ。
 こういう時の心強さと言ったら無い。
 とりあえず、生地を作るまでの工程は同じだということで、彼女の教えに従って作業を再開する。

『フライパンに砂糖を入れ、水を少量加えて火にかけます。すると、砂糖が溶けてだんだん色づいてくるので、茶色くなって煙が出てきたら火を止めてバターを入れましょう』

 フライパンに砂糖と水を入れ、砂糖が溶けていく様をみんなで見守っていたのだが、だんだん煙が出てきたかと思ったら、色が変わってきたようだ。
 ルナティエラ嬢の言っていたとおりだな。
 彼女のほうも、同じような状態になっているので、これで良いのだろう。
 周囲が心配げな表情で見守っている中、少し離れるように伝えた後、バターを投入する。
 パチパチと激しい音を立てて熱い液体が飛び跳ねるが、顔めがけて飛んできたそれをひょいとよけていると、ルナティエラ嬢から「どういう動体視力をしているのですか……」と呆れられてしまった。
 いや、これくらいは見えるだろう……と言いかけたのだが、彼女には難しい話かもしれないと口を噤む。
 ヘタに刺激するのは良くないだろうから、ここは黙っておくことにした。
 バターが溶けたところでリンゴを入れたのだが、フライパンが小さかったのか溢れそうだ。
 それでも何とか混ぜて液体を絡めていく。
 全体が混ざったら、リンゴを焦がさないように弱火にして煮詰めに入った。
 これで火が通れば、少しカサが減ってくれるだろう。

『ある程度混ざったら、オーブンに入れて水分が無くなるまで加熱します。先ほど取っておいたリンゴの皮を、フライパンの縁に入れて加熱してくださいね』

 ここで使うのか。
 リンゴの皮をノエルが運んできてくれたので、それをフライパンの縁に入れる。

『ペクチンを多く含む皮も一緒に熱します。水分が無くなるまで時間がかかると思いますので、オーディナル様にオーブンに入れて30分後くらいの時間経過でお願いしてください』
『僕の愛し子の声は聞こえているから大丈夫だよ』
『良かった。では、お願いいたします』
『任せなさい』

 愛し子であり、愛娘でもあるルナティエラ嬢からお願いをされた主神オーディナルは、嬉しそうに頬を緩め、言われたとおりの状態へ持って行くために力を注ぐ。
 ルナティエラ嬢のお願いだから余計に嬉しいのだろうが……その締まりの無い顔は、周囲の人々に見せられた物ではない。
 私とノエル以外に、この場で見える人が居なくて良かった……

 しかし、私もその点で主神オーディナルのことを言えないのかもしれない。
 彼女にお願いをされたら、自分のことを後回しにしても動いてしまうだろう。
 表情筋が死滅しているせいで、主神オーディナルのようなデレた顔にはならない事が、唯一の救いかもしれない。
 このとき初めて、自分の表情が動かないことに心から感謝したのである。

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