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南の辺境ヘルハーフェン
29.奇跡のような菓子
しおりを挟む『簡単な作り方を伝授いたしましょう。リンゴの皮がついた部分を上にし、1/3くらい重ねて横へ並べていきます。できるだけ小さいリンゴから大きいリンゴになるように並べてください』
ルナティエラ嬢の言葉に促され、彼女の視線の先を辿ると、冷めた薄切りリンゴを甘く煮た物を丁寧に並べていた。
横一列に少しずつ重ね、規則正しい間隔で並べていることに意味があるのだろう。
彼女の作業にならい、できるだけ同じ状態になるよう意識しながら並べていく。
『並べ終えたら、小さい方を起点として、くるくるーと指で巻いていきます』
そう言った彼女は、横並びにしておいたリンゴを始点から終点に向かい、指先を使ってくるくる巻いていく。
それから、大きめの薄切りリンゴを何枚か追加して形を整え……
『リンゴが、薔薇になっちゃったのっ!』
幼い女神の言葉通り、見事な薔薇がそこにはあった。
本物と見紛うほどに美しいソレが、花びらに見えるソレがリンゴの薄切りだとは、とても信じられない。
動きを止めて見入っていた私の異変に気づいた周囲が声をかけるかどうか迷っている気配を感じ、此方も彼女のような薔薇を作り上げていく。
いや……正直に言うと、彼女ほど見事な出来映えにはならなかった。
さすがに経験の浅さが浮き彫りになってしまったが、誰が見ても薔薇だとわかる代物に仕上げることは出来たのである。
「薔薇……ですね……ベオルフ様」
かすれる声で問いかけるマテオさんに頷いてみせると、息を詰めて私の手にある細工を見ていた者たちから驚きの声が上がった。
その声に、宿泊をしていた客たちが何事かと食堂に足を運んできたようだが、若夫婦たちは慌てて人払いをし、私の作業を邪魔しないように配慮してくれたようだ。
この位置は死角になっていて、内容まで見ることは出来なかっただろう。
『さすがはベオルフ様。お屋敷の見事な庭園にある薔薇を見ているだけあって、とても綺麗な出来映えですよね』
あちらも大騒ぎであったが、私の作った薔薇を見た彼女は、手放しで褒め称えてくれる。
貴女の方が良い出来映えであろうに……
彼女に感謝の気持ちを伝えていたら、それが嬉しかったのか、上機嫌な声が返ってくる。
よほど嬉しかったのか表情も崩れていたようで、幼い女神とリュートに指摘されながらも、次々にリンゴで作る薔薇を仕込んでいく。
これを大量に作れば良いのかと尋ねると、この花でタルトをいっぱいに飾るのだと教えてくれた。
薔薇の花を作った後に、タルト生地に敷き詰めたカスタードへバランス良く差し込んでいったら良いと言われたのだが、そこはセンスの問題になるだろう。
彼女が作るタルトほど美しく仕上げられるか心配になるが、泣き言は言っていられない。
とりあえず、タルト生地に冷えたカスタードクリームを敷き、なるべく平らになるようにしてから、作ったリンゴの薔薇を差し込んでいった。
花でも生けているようだ……
こういうことは母上のほうが上手だろうが、今回は私しか居ないので、不格好になっているのは大目に見て欲しい。
意識を集中させて作っているのに、何か……とても近くに気配を感じる。
注意深く周囲を見ると、アイギスが輝いているように見えた。
いや、ただ輝いているのではない。
私の力とアイギスの力の流れるラインが、微妙にズレていることまで見えているし、周囲の力の流れ、主神オーディナルの神力の流れまで感じることができる。
いつもとは、全く違う世界を見ているのだと理解した。
何だ、これは……
そして、奇妙なくらい近くに感じる誰かの気配───
誰の気配だと思いながら、無意識に邪魔だと言って手を伸ばして押しのけると、手は空を切った。
ん?
なんだ?
何もない? ……が、かすかに感触がある。
いや、これはルナティエラ嬢と繋がっているのか?
視野情報からすると、どうやらルナティエラ嬢がリュートの顔を押さえ、遠ざけているようである。
先ほど、私がしたように───
『ふむ、かなり深いところまで同調効果が現れている。お前たちは目を離すと、すぐに戻ろうとしてしまうから困りものだな』
戻る?
何に……だろうか。
主神オーディナルに問いかけようとした私の耳に、ルナティエラ嬢の大きな声が響いた。
『私の腕を勝手に動かさないでくださいっ』
「……ああ、近すぎる気配に、無意識で体が動いてしまったようだな」
私のせいではないだろう……
今回は、未婚の女性にあれほど近づくリュートが悪いのではないか?
だいたい、距離感がおかしいのだ、あの男は。
まだ婚約者でもないのだから、適切な距離を保っていただきたいものである。
あと、2歩は下がれと言いたい。
そんなことを考えていた私の思考に、ルナティエラ嬢の意識が流れ込んでくる。
先ほどのような俊敏な動きが出来たら、世界が変わるのでは無いか……と、考えているようだ。
しかし、それはどうだろう。
彼女の場合は、それが良いと断言できない問題を抱えている。
『私が意識して急ぎ動こうとすると、何故か転ぶのですよね……』
彼女の小さな呟きは、心の中で呟いた物だったのかわからないが、丁度それに関わることを考えていたため、深く考えるより先に口から言葉がこぼれ落ちていた。
「それは、運動神経が壊滅……」
『ベオルフ様?』
「……なんでもない」
いけない、これ以上はダメだ。
本能か記憶の向こうの自分が「この声色の時は危険だ」と訴えるので、慌てて口を噤む。
反応が可愛らしいのでからかいたくなるのだが、怒らせてはいけない。
弄るのも、加減とタイミングが重要である。
いつまでも可愛らしい反応を堪能したいのなら、ここは慎重にしないといけない。
「リュートは、近くへ寄りすぎだ。作業がしづらいからのぞき込まず、食べたくとも完成まで暫し待て」
とりあえず、リュートに対する注意をした私は作業を再開したのだが、あちらに沈黙が流れていることに気づき顔を上げる。
彼女の視線を辿ると、一様に驚きの表情で固まっており、何があったのかと不思議に感じた。
どうやら、先ほどの注意がルナティエラ嬢の口を借りて彼に伝わったようである。
視覚だけでは無く、他にも主神オーディナルが言う『同調効果』が見られるのだろうか。
『やっぱり二人は相性が良すぎるよネ。えーと、ちょっと感度が上がりすぎているカナ。此方がサポートしすぎたらダメか……これくらい……カナ』
あちらで時空神がルナティエラ嬢に近づき、何らかの作業をしているのが見て取れた。
此方も、主神オーディナルが私に近づいてきて体に触れ、「心配しなくていい」と微笑んだ。
強制的に繋がりを絶たれるような不快感……幸いルナティエラ嬢は感じていないようだが、コレは嫌な感じがして好きになれない。
しかし、それが仕方の無いことなのだと、どこかで理解している違和感───
いつしか、この違和感や何とも言えない感情を理解するときが来るのだろうか。
『あ、あの……感度が上がると、勝手に相手の体を動かせるようになるのですか?』
『ルナちゃんは動かせなかったようダケド、そういう感覚はベオルフのほうが強いだろうネ。肉体的な補助をすることガ……いや、ソノ……えーと……』
『こういう力は、互いに足りない力を補うことが多いのじゃ。ルナは少々肉体的な動きが苦手と見える。父上から聞いたのじゃが、ベオルフという男はかなり鍛えておるようだし優れておるのじゃろう?』
ルナティエラ嬢と時空神、それに彼の妻たる女神の会話を聞きながら、なるほど、そういうことか……と、納得する。
先ほど見えた世界は、ルナティエラ嬢の力を通していたから見えた物だと言うことだ。
つまり、現時点で彼女が此方へ帰ってきたら、アレが日常的に見えるということか?
それはそれで、凄まじい世界だな……
常に力の流れが見えるのだ。
もしかしたら、黒狼の主にとって厄介な力では無いか?
私の方は、肉体的補助に長けているようだが……まあ、理由はわかる。
彼女に運動神経など、肉体的な能力を期待してはいけない。
だが、万が一の場合、私がその部分を補えるというのなら……大きな怪我を負わないで良いのでは無いだろうか。
まあ、その前にリュートが何とかするだろうがな。
思考の海に沈み、手が止まっていた私とは違い、会話をしながらも作業を続けている彼女の手元を、その時になって気づく。
意識せずとも、ある程度のことをこなしているとは……やはり凄い腕前だと感心してしまう。
くるくる巻いて花を全て作り終えた彼女は、タルトへ飾り付け、見事な薔薇を咲かせている。
此方も負けては居られない。
それに、遅れすぎてもいけないだろう。
彼女に様々なアドバイスを貰いながら、薔薇を全て飾り付け、残っていた煮汁を煮詰め、つや出しのためのシロップを作り、刷毛で丁寧に塗っていくと、見事な艶が出て、より華やかになる。
塗り残しが無いか確認し、全体的なバランスを見て、問題が無かったので手を止めた。
ルナティエラ嬢から満足げな気配が漂ってくる。
どうやら、これで完成らしい。
できあがったタルトをマジマジと見つめ「これで完成だ」と呟いた瞬間、マテオさんが膝から崩れ落ちた。
驚き体を支えるために手を伸ばそうとしたのだが、彼はその場で主神オーディナルへの祈りを捧げ始めたのである。
「主神オーディナルと神の花嫁であるルナティエラ様が、これほど素晴らしい物を与えてくださって……なんという……奇跡……」
「本当に……言葉の通り、華やかな菓子です……こんな奇跡のような菓子……見たことがありませんっ」
マテオさんに続き、少年も感極まったように涙して熱く語るのだが、それは連鎖したかのように宿屋の主人たちにも伝わり、皆が祈りを捧げ始めてしまう。
やめてくれ……頼むから、その辺にしておいてくれ!
宿屋の幼い娘とノエルのように、無邪気に「すごいねっ、お花が出来たよー!」「綺麗だよねー、ベオってすごーい! ちゃーんと完成したよー!」と言いながら飛び跳ねるくらいの無邪気な喜び方の方が楽で良い。
あ……いや、大の大人が、二人のような喜び方をしたら、いろいろと支障は出るだろうが……いや……だがしかし……
私の葛藤はよそに、彼らの様子を見ていた主神オーディナルは「そうだろう、そうだろう。僕の愛し子は、とてもよくできた娘なのだ。うちのベオルフも、手先が器用で初めて作ったとは思えぬ出来映えだろう? さすがは、僕の大切な子らだ」と満足げに微笑んでいる。
親馬鹿が過ぎますからやめてください。
『す、少し……華やかすぎたかしら……』
こちらの状況を察したのだろう、何とも言えない気恥ずかしそうな声色で呟く彼女に、リュートがいいやと首を振る。
『コレはルナにしか作れねーもんだ。相手に疑う隙すら与えず存在を知らしめるには丁度良い』
「ああ、これ以上に無い良い菓子だ。心から感謝する」
さすがに此方の状況を見て、焦ったのかもしれない。
当時は考えられなかった過剰な反応を目の当たりにしたのだから、仕方が無いだろう。
いや、北の辺境ではこんな状態だったようにも思うが……彼女のあずかり知らないところでそうなっていただけだ。
あの頃の彼女に周囲が見えていたとは思えないし、クセのある貴族連中を相手にしていることが多かったのだから、こんなに素直な賞賛が向けられることなど無かっただろう。
彼女は、少しだけ安堵したように吐息をつくと、はにかむように笑った。
達成感からか、少し上気した頬や上がった口角が可愛らしく、目の前に居たら頭を撫で回して褒めてやりたい。
本当に、自慢の妹である。
『これで、華やかな菓子というお題はクリアだな』
主神オーディナルがニヤリと笑い、ノエルが嬉しそうに飛び跳ねた。
確かに、第一関門はクリアと言ったところだろう。
しかし、これだけで問題を解決したとは言えない。
ルナティエラ嬢の力を借りて、相手は話を聞く耳を持ってくれたというだけである。
その先は、私の管轄だ。
なんとしても、戦争を回避しなくてはならない。
現時点で、それに気づいている者は、首謀者と協力者と私たちだけ……
必ず尻尾を掴んで、叩き潰す。
いや、叩き潰すなど生ぬるい。
こんな馬鹿げたことを考えたことを、死ぬまで後悔させてやろう。
むしろ、生まれてきたことを後悔させてやった方が良いだろうか……
少々物騒な考えが浮かんでは消えていくが、今はヘタに考えない方が良い。
ルナティエラ嬢に考えていることを読まれたら、怯え……いや、叱ってくるだろうからな。
だが、その前に……
この華やかな菓子を見たとき、南の辺境伯は、どういう反応をするのだろう。
正直に言うと、それが楽しみで仕方なかった。
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