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南の辺境ヘルハーフェン
17.じゃあ、またな
しおりを挟む闇の牢獄の中にいた人物は、迷うこと無く真っ直ぐ私達を見ている。
此処に来ることを予測していたかのような発言といい、何かを見通すような底知れない静かな瞳に敵意はない。
しかし、この場所に良からぬ物を感じて、警戒心を隠すこと無く尋ねることにした。
「貴方は……」
「今は名乗ることも出来ないことを許して欲しい。しかし、私はそなたたちが来ることを、心より待ち望んでいた。オーディナルは頑張ってくれていたのだが、かなり無茶をしていたからな」
闇の中、ただ独り佇む男は、そういうと寂しげに微笑む。
幾重にも重なり閉ざされ、巻き付いている闇の蔦の向こうにいて、囚われた状態であるということは理解できるが、それほどの罪を犯した者には思えない。
反対に、悪人に囚われているのではないかと錯覚してしまいそうになるが、闇の蔦が隠し覆っている宝珠のようなものには、主神オーディナルの力が感じられた。
つまり、この封印を守っているのは間違いなく主神オーディナルなのだ。
ルナティエラ嬢も、それに気づいたらしい。
口を真一文字に結び、此方を見上げてきた。
緊張しているようだが、封印されている彼には何も出来ないだろう。
「少し安定させてくれるだけで良い。アイツが出てくると面倒だから、早急にしてくれると助かる」
「アイツ?」
「ここの守護者だ。喋り相手にしては口が悪く、ぶっきらぼうなのだが、愛嬌はあって話題も豊富だ。しかし、説教を始めるとうるさくて長いのが玉に瑕でな……」
外見年齢は私達よりも10歳ほど上に見えるが、どれくらいこの闇の中にいたのかわからない。
幾重にも重なる黒い蔦の戒めの境界まで近づいてくるのだが、出ようとしている様子では無いし、出して欲しいと願っているようにも見えないが、本心であるかどうかも疑問だ。
彼が動くと同時に聞こえる鎖の音が気になり注意深く観察してみると、両手首に重厚な手枷をはめられており、垂れ下がる鎖が音を立てていたようである。
まるで、重罪人のような扱いなのだが、本人はそのような罪を犯したようには見えないほど、穏やかな表情を浮かべていた。
「格子の中央にある宝珠に力を注いで欲しい。随分と光が薄れてしまったがために、私の力が外へ漏れ出てしまっている。これでは、ここにいる意味がなくなってしまう」
話の内容を信じるのなら、自らの力を封じるために此処にいるということか?
疑問を持ちつつも、指し示された物を見たのだが、そこには確かに主神オーディナルの力が宿り、淡く輝く宝珠があった。
今にも消えてしまいそうな輝きではあるが、今の主神オーディナルには、これが精一杯なのだという。
かなり……弱っていらっしゃるようだ。
「オーディナルに、この空間は辛いからな。来る度に、この宝珠に力を注ぐ度に、力を失っていく……愛しい子らの、そんな姿は見たくない……」
「愛しい子?」
「……お前たちが来てくれたことが嬉しくて、ついつい余計なことまで語りだしてしまいそうだよ」
一瞬だが、泣いているのではないかと思うほど顔を歪めた青年は、無理に笑顔を作ったようで、上手く笑えていない。
しかし、主神オーディナルを大切に想っていることだけは理解できた。
「さあ、こんなところに長居は無用だろう。君たちのいるべき場所へ戻るためにも、出来るだけ急いで欲しい」
闇の中でもわかる黒い輝きが、隙間から漏れ出しているようで、それを得ようと、黒い触手のような物が蠢いている。
あまり気味の良い光景ではないが、幸か不幸かルナティエラ嬢は気がついていないようであった。
彼女の動きに合わせて蠢くソレが気になり、更に彼女を私の方へ引き寄せる。
「良い判断だ。アレには触れさせないほうが良い」
銀髪の青年も忌ま忌ましげに触手を睨みつけていることから、かなり良くないものなのだろう。
問題なのは、ソレが彼女には全く見えていないことだ。
「厄介な印と呪いか……その影響で見えないのだろう。そして、ソレのせいで、ここに来たことを覚えていては困るな……巡り巡って厄介な者に知られることになるかもしれない」
「どうすれば?」
「帰る時に、少しだけ力を使うとしよう。アレの力も借りなければならないが、快く引き受けてくれるはずだ」
ルナティエラ嬢は警戒心を顕わに周囲を見渡すが、全く見えないと落胆した様子で、私にその件は任せることにしたようだ。
蠢く触手を遠ざけながら、ルナティエラ嬢を腕の中で守りつつ宝珠へ近づく。
何をすれば良いのか、言われなくてもなんとなく理解が出来た。
ただ、触れれば良い。
視線を合わせて頷きあい揃って宝珠に触れると、一瞬にしてまばゆい光が辺りを埋め尽くし、力を得ようと大きく蠢いた触手が、耳障りな音を上げて掻き消える。
それと同時に鋭い殺気を感じ、私はルナティエラ嬢を抱き上げて、急ぎ後方へ下がった。
耳に空を裂くような音がしたと同時に、先程までいた場所に何者かが居た。
漆黒のローブを身に纏った青年……
暗闇の中で、警戒心をあらわにしている鋭い瞳だけがよく見えた。
「オーディナルじゃねーな……此処をどこだと思っていやがる。テメーらは……誰だ」
低く鋭い声に驚き、ルナティエラ嬢が身を固くしたのがわかったので、庇い前へ出ながら、アイギスを発動させる。
油断なく構える私と漆黒の青年。
緊張が漂い、ピリピリとした空気を感じていたのに、相手は此方を見て不思議そうに首を傾げた。
青紫色の宝石を思わせる瞳は、鋭利な刃を思わせるほど鋭かったというのに、今は驚きと戸惑いを隠せないようである。
「オーディナルの力……? それって……アイギスじゃ……って、アレ? お前っ!」
「落ち着け。違う」
「え? あ……違うの? 瓜二つかって言うほど似ているのに?」
「違う。よく見るといい。彼らは人間だ」
「……あ」
銀髪の青年に諭されるような口調で語られ、漆黒のローブを纏った男は落胆の声を上げると残念そうに肩を落としフードを取ったのは良いが、今度は此方が驚くことになってしまった。
その顔は……見たことがある。
「りゅ……リュート……様?」
「ん? いや、俺の名はそんなんじゃねーけど……」
男は言葉を濁してルナティエラ嬢を見つめ、先程までの鋭さはどこへやら、柔らかな笑顔を浮かべた。
私が知っているリュートとは瞳の色が違っていたし、年齢も上のように感じる。
しかし、あまりにも似ていたので、ルナティエラ嬢が動揺する気持ちも理解できた。
「そうか……オーディナルの負担を減らしに来てくれたんだな。封印が落ち着いている……光が戻った」
「これならば、あと1万年ほど平穏無事に過ごせる」
「何事も無ければ……な」
銀髪の青年へ、リュートに似た彼は気軽に話しかけているが、どういった関係なのだろう。
ルナティエラ嬢も色々と尋ねたいようだが、驚きすぎて言葉も出ない状態だ。
それほど、彼は似ている。
あの青く不可思議な色を宿す瞳とは違い、青紫色の宝石のような色をしている瞳は、此方を見て満足気に微笑んだ。
「そうか。お前たちの傍に、俺に似た奴がいるか……」
思惑通り、計画通りといった声が聞こえてきそうな態度である。
どんな計画なのか聞きたいところだが、目の前の男を下手に刺激をしてはいけないと本能が訴えていた。
底しれぬ力、深き想い───
それを注がれている本人は気づいていないようだが、観察するような彼の視線から完全ガードすると、小さく舌打ちをされたが、知ったことではない。
「お前さ……そのシスコンを、そろそろ控えたほうがいいんじゃねーの?」
不躾な視線を投げかける貴様が悪いという思いをこめて無言で睨みつけたら、「おー、怖っ」と大げさに肩を竦め、ルナティエラ嬢に「可愛さ余って妹を弄りたい病にかかっているお兄ちゃんにイジメられたら、遠慮なく俺に言うんだよ?」なんて言い出した。
力及ばずとも、セルフィス殿下より先に、コイツをシメる方が良いだろうか。
本気でそんなことを考えていると、銀髪の青年が楽しげな声を出した。
「昔と変わらぬやり取りだ」
昔?
覚えがあるか? と問いかけるようにルナティエラ嬢を見るが、彼女も同じように問いかける視線を送ってきたので、同時に溜め息をつくことになってしまった。
どうやら、同じ行動をしていたことがツボに入ったのだろう。
漆黒の男は、ぷっと吹き出したかと思ったら腹を抱えて笑いだし、それにつられるように銀髪の男も笑い出す。
何とも楽しげなのは良いことなのだが、此方は意味もわからずに笑われ、正直に言うと気分は良くない。
「あ、あの……ベオルフ様は、私のことを困らせるような弄り方はしませんし、ちゃんと限度を考えてくださっているので、だ、大丈夫……です」
「へぇ?」
「で、でも……可愛さ余って……なのですか?」
「そいつは、君が可愛くて仕方ないんだよ」
「そ、そうなのですか」
リュートに似た漆黒の男にそう言われたルナティエラ嬢は、此方を見上げてから嬉しそうに「えへへ」と笑い出す。
あまりにも幸せそうな笑顔を見せるものだから、此方が面食らってしまった。
嬉しい……ものなのか?
「それじゃあ、仕方ないですよねぇ」
なんて言いながら、本当に嬉しそうに笑っているので対応に困ってしまう。
違うとも言えないし、事実そうなのだから仕方がない。
ここは、正直に「私のストレス発散で、癒やしなのだ」と言うべきなのだろうか。
そんな中、私の意識が完全に彼女へ向いているタイミングで、漆黒の男が動き、ルナティエラ嬢の髪を一房手に取ると、流れるような動きで口づける。
「こっちも見て欲しいんだけどな……」
「ひぅっ!?」
あまりにも突然の出来事に、ルナティエラ嬢はどこから声を出したのだというような、短い悲鳴を上げて固まり、私は反射的に短槍を取り出し、問答無用で男へ突き出していた。
怪我をさせてしまうなどという配慮は一切吹き飛んでいたが、漆黒の男はひらりとかわして距離を取る。
「あぶねーなっ!」
「勝手に触れるな」
私の怒りを感じてか、あわあわと慌てるルナティエラ嬢を腕の中に閉じ込めて男を牽制していると、彼は心底呆れたような顔をしてから、再び吹き出すように笑い出す。
「やっぱ、変わんねーなぁ」
懐かしむ声と共に、男の姿が薄れだした。
どこの誰だかわからないが、それを確認した時には心が軋むように痛みを覚えて戸惑う。
「会えて良かったよ。でも、あんまり長居はするな。俺もオーディナルも大丈夫だから、お前らは……無理をしてくれるなよ? 何かあったら、俺に似た奴に遠慮なく頼れ。……じゃあ、またな」
光になった男は元いた場所へと戻ったのか、宝珠を守るように覆う青紫色の水晶の中へと消えていく。
どうやら、彼は封印を守っているようである。
先程、銀髪の青年が語っていた『守護者』とは、彼のことだったのだろう。
自らを結晶化させ、守らなくてはならない封印とは……一体───
「封印を安定化させてくれて助かった。これで暫くは問題がないだろう。オーディナルも、少しは楽になるだろうが、あまり無理をしないように伝えておいて欲しい」
「直接お話になれば良いのでは……」
「本来は、誰とも言葉をかわせないのだよ」
苦笑交じりに言われた言葉の意味がわからずに戸惑っていると、腕の中からもごもごと声がしたので、腕の力が入りすぎていることに気づき、慌てて緩める。
「ぷはぁ……もうっ! 強く抱き締めすぎですっ」
「すまん。つい……」
呼吸を整えながら、ちらりと青紫色の……彼の瞳と同じ色の結晶を見つめた。
「……リュート様にソックリでした」
「そうか?」
「多少、違うところもありましたが……ソックリでした」
「リュートなら、あんなことをしても私は攻撃したりしない」
「りゅ、リュート様が……さ、さっきみたいなことを……?」
私の言葉で想像してしまったのだろう。
みるみる顔を赤く染め上げた彼女は、手で顔を覆ってしまった。
似ていても、リュートにされると違うらしい。
嬉しそうで、恥ずかしそうで、耳まで真っ赤にしている彼女はとても可愛らしくて笑みが溢れる。
「さて、君の方は戻っても記憶に残らぬよう、術を施させて欲しい。その刻印の主に、下手な情報を与えたくはないからな」
「それなら、私のほうも……」
「いや、君は覚えていてくれ。そして、オーディナルをサポートしてやってくれないか」
「そういうお話なら、ベオルフ様は覚えておくべきです。私は、黒狼の主に情報を与えるわけにはいきませんので、お願いいたします」
「理解してくれて……いいや、私を信じてくれてありがとう」
幾重にも蔦を絡ませている封印の近くへ立った私達を見て、銀髪の男は嬉しそうに微笑む。
そして、白くて長い指を伸ばし、ルナティエラ嬢の額に優しく触れた。
その瞬間、彼女はかくんっと膝を折り、眠るように倒れ込むので、焦って受け止めたのだが、彼はルナティエラ嬢を抱える私にも触れたのだ。
「今はまだ、大したことはできない。しかし、そなたたちは誰よりも大きい核を持っている。力を悟られぬように術をかけると同時に、少しばかり力を解放しておいた。うまく使うと良い」
力という言葉に、思わず眉根を寄せたのだが、「彼女の力を解放するのは危険だからやってはいないから安心しなさい」と、瞬時に浮かんだ私の不安を拭い去る言葉に安堵する。
ルナティエラ嬢は色々と複雑な状況に置かれているのだから、下手な事をしてしまえばマズイことになりかねない。
どうやら、それをこの銀髪の男は理解しているようであった。
くたりと力なく気を失っているルナティエラ嬢を抱き上げ、改めて銀髪の男を正面から見据える。
出会ったことがある。
この優しい瞳を見たことがある。
いつだったかは思い出せない。
だが……
また、近い内に会うことになるだろう予感を覚えながら、闇が薄れ、光に包まれながらも彼を───彼の周囲の光景を、瞬きもせずに眼へ焼き付けていた。
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