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南の辺境ヘルハーフェン
16.この聖約にも何らかの意味があるのかもしれませんね
しおりを挟む一人と一柱と一匹……面倒だから、三人で良いだろう───は、私に抱きついてゴロゴロと喉を鳴らしてじゃれつく猫のように、全く離れる気配がない。
主神オーディナルが「さすがはベオルフ」と嬉しそうに言うのだが、意味がわからない。
私は、この幼い女神にとっての回復薬みたいなものなのだろう。
まあ、役に立てるのなら良いことだ。
ルナティエラ嬢にも何らかの効果があるようだし、ノエルにだって何かあるかもしれない。
「ベオルフの回復は、僕の愛し子との間で力の譲渡が行われているから起こるようなものだが、今のように満ちている状態であれば、余剰分が溢れ出てくる」
「……それは、良いことばかりだとは言えないのでは?」
「黒狼のことか? アレにとって、お前の力は猛毒だ。調子が良い時には、あまり近づかんだろう」
「それなら……良いのですが」
「あれだけ邪なモノに、お前の力は強すぎるのだ」
そう言われても、ピンとこない。
主神オーディナルから与えられたアイギスでさえ使いこなせない未熟者の私が、それだけの力を持っているようには思えないからだ。
「チェリシュも、完全とはいかずとも、少しなら回復できるだろう」
「ぽかぽかなのっ」
「わかるー、ボクもそうだよ!」
「やっぱり、わかるのっ」
ぎゅーっと抱き締め合う二人を見ながら、ルナティエラ嬢は嬉しそうに微笑んでいる。
可愛らしい姿を見て、ご満悦といったところだろう。
昔から、可愛らしいものが好きだった彼女のことだから、「可愛いっ!」と叫ばないように、己の感情を必死に抑え込んでいるに違いない。
「ノエルは、もふもふなの、気持ちいいの」
「チェリシュはルナみたいにいい香りがするよねー、ボク、チェリシュにぎゅーってされるの好きー」
「チェリシュも、ノエルをぎゅーってするのが大好きなのっ」
可愛らしい子供の戯れである。
二人が膝から転げ落ちないように、ルナティエラ嬢と共に支えていると、不意にキラキラしたものが浮かんで消えたように見えた。
うん?
今のは……なんだ?
どうやら、ルナティエラ嬢にも見えたようで、驚いた表情で固まっている。
そして、ソロリと視線を動かして「いまのは何でしょう」と問いかけるように小首を傾げながら見てくるのだが、私にもわからんぞ。
最初は、小さな光の粒子だった。
だが、今は綿毛ほどの大きさへと変化している。
「チェリシュは、ベオもルーも好き?」
「大好きなのっ」
「ボクと一緒だねー」
「一緒なのっ」
二人が言葉を重ねる度に、光は大きく、強くなっていく。
主神オーディナルや時空神には見えていないのか、微笑ましそうに見守っているようである。
私と……ルナティエラ嬢だけが見えているのか?
「ノエルが一緒にいてくれたらいいの……そうしたら、さびしくないの」
「さびしいの?」
「いつか……リューもルーもベオにーにも……いなくなっちゃうの」
「……そうだよね」
しゅん……と、二人が暗い表情をした。
胸が痛むけれども、こればかりはどうしようもない。
人である限り、寿命が存在するのだ。
私もいずれ、ノエルや主神オーディナルを置いて、この世を去るだろう。
置いていってしまう現実に、私はどう声をかけていいかわからずに黙り込む。
それは、ルナティエラ嬢も同じだったようで、唇の色が変わるほど強く噛み締め、二人を見守っていた。
「でも、きっとまた戻ってきてくれるの。チェリシュは、それをずーっと待つの。リューとルーとベオにーにが戻ってくるのを、チェリシュは信じているの」
「チェリシュ……」
ルナティエラ嬢とノエルの声が重なる。
幼いが、シッカリとした女神だ。
心が強く、優しい子である。
「だから、ノエルと一緒に待っていられたら良いなーって思ったのっ! 一緒なら寂しくないのっ」
「……うん、そうだね。そうだよねっ! ボクも、チェリシュと一緒に、みんなが帰ってくるのを待つよ! ベオもルナも、絶対に戻ってくるよね?」
「当たり前だ。死なないという約束は出来んが……帰ってくる約束は出来る。必ず、戻ってくる」
「そうですね。魂は巡るもの……この世界に必ず戻ってきます。絶望に染まらず、光を失わず、絶対に会いに来ます」
私とルナティエラ嬢の言葉を聞いたノエルと幼い女神は、顔を見合わせ、何か秘密の約束を貰ったかのように満足そうに笑いあった。
「やっぱり、ルーなの」
「やっぱり、ベオだよねー」
二人の間にあった光は更に強くなり、包み込むと、弾けるように小さな星が散った。
その星は、幼い女神の左手の甲と、ノエルの額の宝石に落ちる。
すぅ……と、光が何かを描き、ゆっくりと浮かび上がった。
さすがに、この強い輝きは見えたようで、主神オーディナルと時空神から息を呑むような音が聞こえてきたのである。
「まさか……神族と神獣の間に取り交わされる聖約か……チェリシュ、ユグドラシルにノエルのことで何か言われていないか?」
「んと……見極めなさいって……言われたのっ」
「やはり……そういうことだったのか」
主神オーディナルは納得したように頷き、苦笑を浮かべる。
どうやら、私達が見たのは、神族とともに歩くことを誓う、神獣のみが行える聖約だったらしい。
どちらも幼いから、真意を理解しているかわからないが、神の御使いのような立ち位置だと時空神が説明してくれた。
「で、でも……ノエルは、オーディナル様の御使い……では?」
「僕は、神獣に自由で居て欲しかったから、聖約はしていないのだ」
何かを思い出すように目を伏せてそういう時空神が思い出しているだろう鳳凰と、自らが創り出したカーバンクルを重ねて見ていたところもあるのではないかと考えるだけで切なくなる。
意外と、主神オーディナルは寂しがりやなのだ。
あまり、独りにしないようにしなければ……
「あ、あの……オーディナル様。ボク……この世界にいちゃいけないの? ベオと離れなくちゃいけないの?」
主神オーディナルと時空神の話を静かに聞いていた幼い二人は、動揺したように二神の顔を交互に見て、不安げに瞳を揺らす。
「いいや。世界を隔てた聖約だから、互いの力を馴染ませるのには時間がかかるだろう。それこそ、100年、200年単位の時間が必要になるかもしれん。今すぐにチェリシュの元へ行かなければならないというワケではない」
「じゃ、じゃあ、ベオのところにいてもいいの?」
「ノエルがベオルフの傍から離れては困るな。力が完全に馴染むまで、暫くは何も変わらない。チェリシュは、毎日来ることはできないだろうが、週に一度は訪れることが可能だろう」
「その時に、ノエルはチェリシュといっぱい遊んだらいいよ。一週間に一度は連れてきてあげるからね」
主神オーディナルと時空神の言葉に安堵したノエルは、耳と尻尾をゆらりと揺らして喜びを表現しようとしてから、慌てたように幼い女神の方を見た。
「あ、チェリシュと一緒にいたくないって意味じゃないよっ!?」
「大丈夫なの。チェリシュもノエルと同じ立場だったら、いっぱーい焦っちゃうの! ベオにーにの傍にいられて、良かったの!」
にぱーっと嘘偽りの無い、ノエルの現状を心から喜んでいる幼い女神に、ノエルが感極まった様子で抱きつく。
「チェリシュが大好きなベオにーにを、お願いしますなのっ」
「ベオのことはボクに任せて! チェリシュにはボクの大好きなルナを、お願いするねっ」
「まかされたのっ! ルーは、チェリシュとリューが必ず守るのっ! ノエル、ありがとうなのっ」
「こちらこそ、ありがとう、チェリシュ」
拳を強く握り、一部始終を見守っていたルナティエラ嬢は、詰めていた息をゆっくりと吐いた。
心配だったのだろう。
大丈夫だ。
主神オーディナルがいるのに、この二人を傷つけるような結果にはならない。
幼い二人の約束は、私達に関わるもの……本当に優しい心根を持った二人である。
「なるほど……この聖約を結ばせるのには、チェリシュの回復が間に合っていなかったために、ユグドラシルはベオルフの回復能力をアテにしたのだな」
「あの方のことですから、この聖約にも何らかの意味があるのかもしれませんね」
「きっと、そうなのだろう……」
主神オーディナルが一瞬、私とルナティエラ嬢を見てから、幼い女神を見つめる。
その視線の動きに、どういう意味があったのかはわからないが、ユグドラシルの深い考えを、主神オーディナルは本当の意味で理解しているのではないかと感じた。
誰にも話す気は無いようだが……
「でも、ベオルフ様の回復の力は、それほど強力なのですか?」
「現状は、それほどでもない……とも言い切れない。神力を回復させる力を持つ者など、本来は存在しないからな」
「そ、そんなに効果があるのですか?」
時空神も驚いたように目を丸くしているようだが、主神オーディナルは妙に実感を込めた様子で頷く。
「お前も、ハルキを連れてきた時に、あまり疲れが残らなかっただろう? ベオルフの回復能力は近くにいるだけで、神族に影響を及ぼす。本来なら、妻のところへも行かせたいところだが、何分……此方の世界から引き離すことは難しい」
「連れて行くくらい可能ですが……」
時空神の言葉に、主神オーディナルの表情が曇る。
私がこの世界を離れることで、何か不利益なことがあるのだろうか。
「隠していても仕方がないことだが……正直に言えば、ベオルフの回復能力が、現在、この世界を支えているといっても過言ではないのだ」
……は?
私の力が支えている?
意味がわからず、ルナティエラ嬢と顔を見合わせたあと、主神オーディナルへ問いかけるように視線を向けた。
「先程、話に出ていた封印だが……この世界の神族全てが、それぞれ決められた場所から、ずっと力を注ぎ、維持し続けている。僕の力を使い制御しているが、そのせいもあって、全盛期の半分くらいまで、力は落ちているだろう」
「……そんな。なぜ……なぜ今までそんな大事なことを黙っていたのですかっ!」
「言えるわけが無いだろう。あの封印がどれほど大事なものか、お前ならば知っているはずだ」
「しかしっ!」
「僕以外、誰があの封印を制御出来るというのだ。あの子達が命をかけて守り続けた封印を、破らせるわけにはいかん。それを……あの方も望まない」
主神オーディナルのいうあの方という言葉には、複雑な想いが込められ、ユグドラシルのことではないことは理解できたが、管理者と呼ばれる主神オーディナルがユグドラシルと同等に考える相手がいたことに驚きを隠せない。
「すまないな。お前たちにはわからぬ話だっただろうが、コレだけは覚えておいて欲しい。ベオルフのその力のおかげで、僕も助けられているのだ。だから……ま、まあ……嫌かもしれんし、時々問題も起こすかもしれんが……あっちへ行けなど……言わないでくれるとありがたい」
主神オーディナルが視線を泳がせながら言った言葉で、今回やらかしてくれた事を思い出し、思わず苦笑が漏れた。
「人の世に詳しくないのです。その都度、説明させていただきますし、そのようなことは絶対に言いませんので、ご安心を」
「あ、ああ。できれば、その説明も……お手柔らかに頼む」
頬をわずかに引きつらせた主神オーディナルの表情を見たルナティエラ嬢は、何かを察したように目元を手で押さえて首を軽く左右に振っている。
何があったのだろうか……
「主神オーディナル……私のその回復能力は、どうすれば強くなるのでしょうか」
「ん? 簡単な話だ。僕の愛し子の傍にいれば良い。何も難しいことではない」
「それだけ……ですか?」
「お前たちが、心から共にいて良い感情を持っている……幸せを感じているのなら、より効果はあるかもしれんな」
「幸せ……ですか」
チラリとルナティエラ嬢を見ると、彼女も同じタイミングで此方を見てくる。
ぶつかり合う視線。
言葉をかわすこと無く、互いに自然と手を握りあった。
そして、静かに目を閉じる。
全ての音が聞こえなくなり、お互いの存在しか感じられないくらい、深いところまで意識が沈んでいく。
魔力譲渡をしているときにも似ているが、全く違うものだ。
これは……昔に感じたことがある。
記憶を封じられる前……いや、もっと前だ。
どれくらい昔なのだろうと記憶を探るよりも、互いの力が循環し、滞っていたものが流れるような感覚が強くなる。
体の境界が曖昧になり、一体感が生まれ……離れていることに違和感を覚えるくらい、いつも一緒だったのだと朧げに思い出す。
強く握りしめる手と手。
息遣いや体の動きまでもが全く同じで、ありえないくらい感覚がリンクしているのがわかる。
本来なら不気味とも取れるソレは、私達にとって、とても懐かしいものであった。
なにかに促されるように、私達は瞼を開く。
先程いた、優しく光あふれる空間ではない場所に、ルナティエラ嬢がビクリと震えるのが見え、彼女を引き寄せる。
だが、思った以上に緊張や危機感を抱くことはなかった。
そう……この眼前の光景に、どこか覚えがあったのだ。
光をも喰らうかのような真っ暗な闇。
音さえしない、無音の空間は耳が痛くなるほどである。
「そろそろ……来る頃だと思っていた」
この空間は、闇で作られた牢獄のようだと感じていた私の耳に、柔らかく低い声が響く。
闇の中、唯一色を持つ存在は、長い銀色の髪をなびかせ、私達をジッと見つめていた。
血のように紅い瞳には、深い悲しみと絶望にも似た憂いの色しか見えず、何故か胸に痛みを感じていたのである。
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