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南の辺境ヘルハーフェン
11.練習をしてみるか?
しおりを挟む「オーディナル様もユグドラシルも他の管理者の方々も……お辛かったでしょうね」
静かな彼女の声は、深い悲しみをたたえていた。
傷ついた心を慮り、痛みを我が事のように感じられるルナティエラ嬢の手に、わずかばかりの力がこめられる。
「私がエナガの姿になっているのは、オーディナル様には……お辛いことでしょうか」
「いいや。そういう感じではなかったな。思い出し、懐かしんでいるのかもしれない」
「それなら良いのですが……」
「多分だが、貴女に渡した守り石は、主神オーディナルが用意したものではないかと考えている」
「あ……あの守り石は……」
「変わらず、貴女の部屋の枕元で、良からぬものから屋敷を守っている」
「私の部屋に……捨てられていなかったのですね。良かった」
心からホッとした様子で笑みをこぼした彼女に、クロイツェル侯爵夫妻が部屋を封鎖し、大切に保存していると伝えたら、目を丸くして驚いている様子であった。
今までの無関心な両親しか知らない彼女にとって、にわかには信じられないことかもしれないが、紛れもない事実である。
私の言葉から何かを感じたのか、彼女は淡く微笑み「そうですか」と呟いた。
少しずつ、こういう会話を通してでも互いの理解が深まればいい。
その橋渡しくらい、いくらでもしよう。
深く傷ついている彼女の心を癒せるなら、助力は惜しまない。
「話を戻すが、あの守り石の姿は、主神オーディナルがイメージしたものだと思われる。あの方のことだから、大切な者には、自分が大切に想っている『鳳凰』に連なる物を与えたいのではないだろうか」
主神オーディナルだけではなく、ユグドラシルや世界、管理者たちを命がけで守った偉大なる神獣だ。
その姿と主神オーディナルの力がこめられた守り石なら、ルナティエラ嬢を守ってくれると考えたのではないだろうか。
全ての災厄から守ることは出来なかったが、愛し子であるルナティエラ嬢に甘いあの方のことだ、相手に察知されない限界ギリギリまで力をこめたに違いない。
だからこそ、あの守り石を手に入れてからは、彼女を邪な目で見る輩が、容易に近づかなくなったのだろう。
実のところ、私の神経を一番すり減らした事件は、そういう関連のものだった。
正直に言えば、二度とそんな気が起こらないよう、徹底的に痛めつけてやろうかと考えたこともあるが、私の殺気を感じて駆けつけたらしいガイに止められたのは兄弟の秘密である。
今でも「あの時の兄上が放つ殺気は、凄まじく怖かったです」と言われて震えられるほどであったが、そこまで怒っていたか覚えていない。
ただ単に、目の前の男を消そうと考えただけだが───そこまで考えて、冷静な自分が「いや、ソレはダメだろう」と突っ込み、マズイことをしかけていたのだと今になって理解できた。
まあ、とりあえず……ルナティエラ嬢には黙っておこう。
一時期ではあるが、自ら徹底排除していたとはいえ、かなり危険な状態で、長期間離れることがあるために一人では手に余る案件だと判断し、父に相談をして周囲の警戒を強めて貰っていたことを、彼女は全く知らない。
一応、セルフィス殿下にも相談しようかと考えたのだが、彼も彼女に不埒なマネをしたという前例があるため、これを好機と考えられては困るので内緒にしておいた。
「仕方がないな。一応、婚約者としての責任がある。一晩くらいなら一緒の部屋で見張っていてやろう」
などと言い出しかねない。
守るなんて言葉だけで、下心が透けて見えそうなセリフを聞けば、問答無用で殴っていただろう。
時々ではあるが、人の神経を逆なでするようなことを平気で言うので、王族であろうが友として鉄拳制裁を加える許可を、本人からいただいている。
まさか行使されるとは思っておらず、軽い気持ちで許可したのだろうが、そろそろ何発かまとめて制裁を加えても良いかもしれない。
いや……それよりも、もっと効果的な方法で後悔させてやると決めていたな。
あちらの方が、角も立つこと無く十二分にできる。
今から楽しみだ……できるだけ耐えてくれよ? セルフィス殿下。
「あ、あの……ベオルフ様? なにか良からぬことを考えておりませんか?」
表情はピクリとも動いていないはずなのに、何故こうも私の考えを読んでくるのだろうか。
ジトリと見つめられてしまったので、一度、楽しい想像を中断する。
「何も考えていないが? 今の会話から不穏なことを考える要因はなかっただろう」
「それもそうなのですが……本当に?」
「大丈夫だ。良からぬことではない」
納得していない表情だが、私がこれ以上言うつもりはないのだと悟り、諦めた様子で彼女は握っている手に集中し、力を入れたり抜いたりしていた。
「にぎにぎの刑です」
「それには、どんな効果が?」
「血行が良くなる……程度で……しょうか……」
やってみたは良いが、話してくれない制裁にもならず、少しおかしな方向性であったと感じたのか、語尾がだんだんと弱くなっていく。
唇を尖らせて「教えてくださらないのですもの」と、可愛らしく拗ねている姿に苦笑が浮かんだ。
「まあ、いずれ教えるから楽しみにしていると良い」
「本当ですか?」
「ああ。約束しよう」
「はいっ」
それだけで機嫌を直したルナティエラ嬢を横目で見ながら、内容を聞いた彼女が喜ぶかどうかはさておき、少しはセルフィス殿下に「いい気味だ」と感じてくれたら良いと思えた。
「守り石が今は両親を守ってくれていることが、素直に嬉しいです」
「そうか」
「個人的に複雑な思いがあります。でも、原因は黒狼の主ですものね……」
「そうだな。ヤツだけは色々と後悔させてやらねばな……」
「ベオルフ様。先程と似たような目をされていますよ? 先程も、やっぱり物騒なことを考えていらっしゃったのではありませんか?」
勘が鋭い。
しかし、だからといって全てを暴露するわけにもいかないだろう。
実行前に止められたら元も子もない。
急ぎ話題を変えよう。
「そういえば、凰は飛ぶのが下手だったという。ルナティエラ嬢と似ていて、主神オーディナルは和むのではないか?」
先程の垂直落下してきた彼女を思い出し、同じく思い出しているのだろうルナティエラ嬢は、頬を引きつらせている。
「そ、そうなのですか……私は上手に飛ぶ練習をしていないから、飛べないだけですよ?」
「練習をすれば飛べるか、甚だ疑問だ」
「どうしてですか」
「なにもないところで転ける貴女が、それを言うのか?」
そう告げると、彼女は呻くような声を出して眉尻を下げてしまった。
だってアレは……と、言い訳をしようとしているが、前例ならいくらでも挙げられる。
運動面に置いての逸話に事欠かない人だ。
「上手く飛べなくとも、大人しくどこかに入っていたり、掴まっていたりすれば良い」
「いつかは上手に飛びたいのです。意外と難しいのですよ?」
「人間とは構造が違うから、すぐにコツを掴めるものではないかもしれないな」
「そうですよね。練習あるのみです! でも……この前、リュート様とチェリシュに心配をかけてしまったので、暫くは大人しくしております」
そう言ってしおらしくしている彼女を見て、練習だけならここでも良いのではないかと思えた。
ここで練習して、ある程度うまくいけば、現実世界でもそれほど危険な状況にはならないのでは……?
リュートは心配性のようだし、幼い女神はもっと心配になるだろう。
いつまでも飛べないのは問題かもしれないと考えた私は、彼女に声をかけた。
「ルナティエラ嬢、小鳥の姿になってくれないか」
「は、はい」
すぐに小鳥の姿になり、つぶらな瞳で「どうしたんですか?」と問いかけてくる彼女を手で包み込み、左肩に乗せる。
すると、何をどう捉えたのかわからないが、嬉しそうに頬に頭を擦り寄せてくるので「いや、そうではない」とも言えず、可愛らしい行動をそのままにしておくことにした。
私も癒やされるし、彼女も満足げなのだから良いだろう。
「何だか、とても落ち着きます」
私の左肩に乗って体をぴとりとくっつけ「落ち着くのですー」と言って目を閉じ、とても和んでいるのだが、なんとなくその感覚が理解できてしまった。
頬を擦り寄せてやると、嬉しそうに全身でジャレてくる感じが愛おしい。
そういえば、全身でジャレてきた勢いに負け、転がりそうになった体を誰かの手が支えてくれていたような……
ふと浮かんだ言葉に、いつのころだったかと思いだそうとしても、深い霧の向こうの景色は何も見えなかった。
個人差はあるが、幼い男女であれば女の子のほうが発育は良く、身体も大きめであることが多い。
庭園に居た頃にジャレつかれて、転がりそうになったところを主神オーディナルが支えてくれたのだろうと考え、一人で納得した。
「飛ぶ練習をしてみるか?」
その言葉にピクリとルナティエラ嬢が反応をし、私は彼女から見えるように、肩から少し下がった前方へ手のひらを置く。
「そこからここへ飛んで見れば良い」
「え、えっと……」
「ここは、私の夢だ」
「あ……はいっ、やってみます!」
私が言わんとしたことを察したのだろう。
多少の無理があっても、夢なのだからサポートも自由自在だ。
危険なことなど何一つ無い。
それを理解した彼女は、目を輝かせて小さな翼をパタパタ動かし始める。
真っ白で丸い小鳥は、一生懸命に翼を動かし、恐る恐るといった様子で私の手のひらまで飛んでみせた。
うむ……これは危なっかしいな。
こんな短距離でもわかるくらい、危ない飛行をする鳥類など見たことがない。
酔っ払いの千鳥足にも似た飛行をする彼女に、違う才能があるのではないかと感じてしまう。
距離を少しずつ伸ばし、拳2つ分くらいが現在の限界らしいというところまで把握し、慣れさせる意味合いで飛行練習をしていたのだが、私の夢なのにも関わらず、突然に一迅の風が吹く。
掻っ攫われるように小さなルナティエラ嬢の体が宙に舞い、マズイと思って手を伸ばしたのだが、次の瞬間に現れた方の頭の上に、狙いすましたように着地したのがわかり、偶然もここまでくると凄いなと感心してしまった。
「入ってくる時は、声をかけていただけると有り難いのですが?」
「……何をしていたのか気になるが、別段、狙ったわけでは無いぞ?」
そう言いながらも、主神オーディナルは何とも嬉しそうに頭上の重みを感じ、頬を緩ませて微笑む。
主神オーディナルにとって、とても懐かしい重みなのだろう。
かの神の頭上で、状況が把握出来ていないルナティエラ嬢だけが、つぶらな瞳をキョトンとさせ、可愛らしく小首を傾げていたのである。
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